8基のディーゼル発電機で、毒ガス製造用の電力を供給していた発電場。
発電場跡の巨大な建物は、老朽化のためか立ち入りが禁止となっており
手前を柵で仕切られている。外観は3階建てのようだが、内部は屋根まで
吹き抜けているため、がらんどう状態。窓が多いのは換気のためだろうか?

北側は1階低い造り。その間の壁に、トンネルの入口にも書かれていたMAG2の文字。
この文字は、ここが弾薬庫としても使用されていた事の名残りらしいが、火力発電所に
弾薬の保管って危険極まりないので、おそらくそれぞれの時期が違うのではなかろうか。
またこの天井の高さを活かし、第二次世界大戦末期の1944年11月から半年の間は
ふ号作戦で使用された風船爆弾用気球の補修検査もこの中で行われていたそうだ。


そんな軍事施設の跡も、今ではウサギたちの住処と化してしまっている。
エリアの隅にはもう1つ小さな建物が残っていたが、こちらはポンプ室だったとの事。

ポンプ室跡の前から右へ曲がると、ふたたび海岸沿いの道へと戻ることができる。
ここから北へ道を上っていけば、展望園地(850m)や北部砲台跡(950m)の方へ
行く事ができるが、とりあえず第2桟橋に戻ろう。あと下ってくる自転車には要注意。
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発電場跡の巨大な建物は、老朽化のためか立ち入りが禁止となっており
手前を柵で仕切られている。外観は3階建てのようだが、内部は屋根まで
吹き抜けているため、がらんどう状態。窓が多いのは換気のためだろうか?


北側は1階低い造り。その間の壁に、トンネルの入口にも書かれていたMAG2の文字。
この文字は、ここが弾薬庫としても使用されていた事の名残りらしいが、火力発電所に
弾薬の保管って危険極まりないので、おそらくそれぞれの時期が違うのではなかろうか。
またこの天井の高さを活かし、第二次世界大戦末期の1944年11月から半年の間は
ふ号作戦で使用された風船爆弾用気球の補修検査もこの中で行われていたそうだ。




そんな軍事施設の跡も、今ではウサギたちの住処と化してしまっている。
エリアの隅にはもう1つ小さな建物が残っていたが、こちらはポンプ室だったとの事。


ポンプ室跡の前から右へ曲がると、ふたたび海岸沿いの道へと戻ることができる。
ここから北へ道を上っていけば、展望園地(850m)や北部砲台跡(950m)の方へ
行く事ができるが、とりあえず第2桟橋に戻ろう。あと下ってくる自転車には要注意。
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