毎年多くの登山者が訪れる富士山だが、大半の人は5合目から登り始めるだろう。
だが富士山の真骨頂を味わいたいのならば、標高0mから3776m全てを登るべきだ。
という事で、その出発地点とされている田子の浦は富士塚へやって来た。 →地図←
JR吉原駅の南側、昔訪れた富士と港の見える公園より更に海の方へと進み
堤防の前から鈴川の住宅街の中を北上していくと、目的地の富士塚が現れた。

赤い鳥居の前に浅間宮の石碑。この場所は浅間山とも呼ばれていたそうで
古くは飛鳥時代から富士山を信仰する行者たちによって祀られていたようだ。
鳥居をくぐって参道を進んだ先にある金字塔。これは元々、行者が富士登山をする前に
身のケガレを払うため田子の浦海岸で水垢離をし、そこに落ちていた玉石をここの祠へ
積み上げて築いたそうだが、現在残っているのは昭和51年に復元されたものとの事だ。

ちなみに塚の手前にひっそり存在する灯籠は、享保2年(1717年)に奉納された物らしい。
塚の上には浅間宮の祠が祀られてある。祠を挟んで左側に富士山、右側に愛鷹山。
富士山の半分以下の標高しかない愛鷹連峰最大の越前岳(1504m)ですら、ここから
歩いて登るとなると非常に大変だろう。(ちなみに十里木高原の登山口は標高880m)

また、この辺りには天の香久山という名称もあったようで、戦国時代には北条氏がここを
香久山城(香久山の砦、吉原城)として今川・武田軍と対峙した古戦場という記録も残る。
塚の左側から裏へ続く道。ここには香久山浅間宮に関連すると思われる歌碑もあった。


富士塚裏の鳥居、ここを出て富士登山のスタートだろうか。そして鳥居の先には鳥居さん。
といった感じで富士山を登る気などさらさら無い自分が見て回った富士塚だが、もし真の
フジサニストを目指すのならば、1度はこの富士塚から富士山頂を目指すのも良いだろう。
だが富士山の真骨頂を味わいたいのならば、標高0mから3776m全てを登るべきだ。
という事で、その出発地点とされている田子の浦は富士塚へやって来た。 →地図←
JR吉原駅の南側、昔訪れた富士と港の見える公園より更に海の方へと進み
堤防の前から鈴川の住宅街の中を北上していくと、目的地の富士塚が現れた。


赤い鳥居の前に浅間宮の石碑。この場所は浅間山とも呼ばれていたそうで
古くは飛鳥時代から富士山を信仰する行者たちによって祀られていたようだ。
鳥居をくぐって参道を進んだ先にある金字塔。これは元々、行者が富士登山をする前に
身のケガレを払うため田子の浦海岸で水垢離をし、そこに落ちていた玉石をここの祠へ
積み上げて築いたそうだが、現在残っているのは昭和51年に復元されたものとの事だ。


ちなみに塚の手前にひっそり存在する灯籠は、享保2年(1717年)に奉納された物らしい。
塚の上には浅間宮の祠が祀られてある。祠を挟んで左側に富士山、右側に愛鷹山。
富士山の半分以下の標高しかない愛鷹連峰最大の越前岳(1504m)ですら、ここから
歩いて登るとなると非常に大変だろう。(ちなみに十里木高原の登山口は標高880m)


また、この辺りには天の香久山という名称もあったようで、戦国時代には北条氏がここを
香久山城(香久山の砦、吉原城)として今川・武田軍と対峙した古戦場という記録も残る。
塚の左側から裏へ続く道。ここには香久山浅間宮に関連すると思われる歌碑もあった。





富士塚裏の鳥居、ここを出て富士登山のスタートだろうか。そして鳥居の先には鳥居さん。
といった感じで富士山を登る気などさらさら無い自分が見て回った富士塚だが、もし真の
フジサニストを目指すのならば、1度はこの富士塚から富士山頂を目指すのも良いだろう。