長興寺より、さらに東へ進んでいくと、清梵寺というお寺がある。 →地図←
丁度、白隠の道から抜けた先が、県道163号線から続いている長興寺の参道となる。
ここには、みますや食道という、ちびまる子ちゃんに出てきそうなお店もあった。
清梵寺の歴史は古く、平安時代初期まで遡る。得萬長者という人物が、京都での奉公からの帰り道、
原の宿場にて、病の末に亡くなってしまう。それを知った得萬長者の妻は出家し、梵貞尼となって
亡くなった夫のお墓を参りに、原へと訪れる。その際、とある漁師の家で休ませてもらっていると
その漁師が、得萬長者が生前に拝んでいたという地蔵尊に、網をかけて持って帰ってきてくれた。
後に、その漁師も出家をして清信禅居士となり、梵貞尼と共に建てたのが、得萬山清梵寺となる。
現在は、本堂裏に地蔵堂があり、50体を超える地蔵菩薩が祀られている。
また、夏には清梵寺地蔵尊縁日も開催され、多くの露店で賑わうようだ。
なお、この地域の地名となっている大塚は、得萬長者を葬った大きな塚から
来ているとの事。以上が、白隠の里にあるお寺と、それに纏わる伝説となるが
少し尺が余ってしまったので、ついでに近くにある神社も見に行ってみよう。
清梵寺の参道入口がある県道163号線の斜向いに位置する、高木神社。 →地図←
この神社の境内には、大塚耕地整理記念碑が建てられてあった。
高木神社より、さらに東へ120mほど進むと、秋葉神社もある。 →地図←
鳥居の先、秋葉山大権現と刻まれた石碑の反対側には、赤い祠もあるが・・・扉が開いていた。
とりあえず、これで、この辺りのお寺や神社は、一通り見て回れただろうか?あとは
線路の向こうの林の中にも山神社があってりするので、また機会があれば見に行こう。
松蔭寺へ戻る 長興寺へ戻る
丁度、白隠の道から抜けた先が、県道163号線から続いている長興寺の参道となる。
ここには、みますや食道という、ちびまる子ちゃんに出てきそうなお店もあった。
清梵寺の歴史は古く、平安時代初期まで遡る。得萬長者という人物が、京都での奉公からの帰り道、
原の宿場にて、病の末に亡くなってしまう。それを知った得萬長者の妻は出家し、梵貞尼となって
亡くなった夫のお墓を参りに、原へと訪れる。その際、とある漁師の家で休ませてもらっていると
その漁師が、得萬長者が生前に拝んでいたという地蔵尊に、網をかけて持って帰ってきてくれた。
後に、その漁師も出家をして清信禅居士となり、梵貞尼と共に建てたのが、得萬山清梵寺となる。
現在は、本堂裏に地蔵堂があり、50体を超える地蔵菩薩が祀られている。
また、夏には清梵寺地蔵尊縁日も開催され、多くの露店で賑わうようだ。
なお、この地域の地名となっている大塚は、得萬長者を葬った大きな塚から
来ているとの事。以上が、白隠の里にあるお寺と、それに纏わる伝説となるが
少し尺が余ってしまったので、ついでに近くにある神社も見に行ってみよう。
清梵寺の参道入口がある県道163号線の斜向いに位置する、高木神社。 →地図←
この神社の境内には、大塚耕地整理記念碑が建てられてあった。
高木神社より、さらに東へ120mほど進むと、秋葉神社もある。 →地図←
鳥居の先、秋葉山大権現と刻まれた石碑の反対側には、赤い祠もあるが・・・扉が開いていた。
とりあえず、これで、この辺りのお寺や神社は、一通り見て回れただろうか?あとは
線路の向こうの林の中にも山神社があってりするので、また機会があれば見に行こう。
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