24日
松本市に着き、バスで体育館に到着。今日は練習試合と開会式のみだが、たくさんの子供たちが試合をしている。今回の参加者は3000人を越えるというビッグな醍醐敏郎杯だ。
会場の二階席で何周も見回すも、発見はできない。うーん、本当にいるのだろうか、疑問になってくる。とりあえず、待つこと一時間。館内を見回してもいない。「チャンスは動いて待て」動くことにした。
下におりると協賛でJTBがあり、もしやと思って声を掛けると隣に市役所の方がいた。事情を説明するとトントン拍子で話が進み、案内することになる。
道場に入り、人込みを抜けること1分。そこに、ダルマ先生率いる、カトマンズ柔道チームがいた。
ダルマ先生は突然の訪問を喜んでくれた。固い握手をし、再会した。
そして、カトマンズチームは、開会式の後にエキシビジョンで試合をするようだ。市役所の担当者も良かったら参加してくださいというので、大会役員のカトマンズチームの席に座り、開会式に出た。そして、今回はネパールのスポークスマンとして、写真を取った。試合が終わると、信濃毎日新聞の記者に取材を受けた。この偶然、本当にあり得ない話だとびっくりしている。確率的には、道端で一万円札を拾うくらい少ないだろう。私はまだ5千円札しかないが。。
ダルマ先生は、三人の政府の方と10人の子供たちで来ていた。私が思い出深い、施設の子供たちはいなかった。親がいないのでパスポートがおりなかったということだ。日本には、親がいないとダメなのかと憤慨した。表向きの美談、裏の現実の話、ダルマ先生とは、半年前ぶりの対面にも関わらず、昔からの友人のような気がしてならない。不思議だ。
帰りは取材をしてくれた記者さんに安いホテルまで送ってもらい、一日が過ぎた。
25日
午前は私の母校である国学院栃木も出場していたので、応援をし、昼ごろにネパールチームと合流。係の方も自分が試合会場のストラップを持っていなくても、私の名前を行って中に入ってくださいととても協力してくれる。サンキュー柔道家!
ダルマ先生は自費できていること知り驚いた。なぜなら、日本とネパールの往復の交通費は、ネパールの年収一年間に値する。二人で会場内にあった柔道グッズのお店に行った。最初は、日の丸のついたネクタイのピンを買おうとして、店員が600円と言い、ダルマ先生は一瞬寂しげな顔色になり、「エクスペンシブ…」と呟いた。せっかくのチャンスで、憧れの地、日本に来て物価の差から何も買えないでいる。一人の裕福な国の日本人として、そして柔道を愛する仲間として、これはプレゼントすべきではないかと思った。ネパールにいる仲間の先生二人とダルマ先生に、講道館柔道のTシャツ三枚とネクタイピンをプレゼントした。
私も交通費がギリギリであったため、必死で事情を説明したが、一枚2500円の定価から一向に安くならなかった。講道館のTシャツ販売の方、少しは協力してください!!とぼやいた。帰りの電車賃の心配は、頭のなかに、小島よしおが出てきて「そんなの関係ねぇ~」と言ってくれたので大丈夫。ここは日本。なんとでもなる。
それよりも、講道館Tシャツを手にしたダルマ先生はとても嬉しそうだった。その顔が私にとっては、金には代えがたいものだ。
私が旅をする時も、何人かの方が出資してくれた。見返りは期待していないという。金に対する代償は、シンプルなのかもしれない。
そして、最後は私の母校の国学院栃木の試合を観戦した。相手は強敵、桐蔭学園。私の同期が高校のコーチをしていて、醍醐杯の詳細は彼から聞いている。これにも不思議な縁を感じる。二校とも超中学生級である。お互い一歩も譲らぬ展開で、代表戦にもつれ込んだ。
そうすると、さっきまで退屈そうに見学していたネパールのちびっこ達も興奮気味の近寄ってきて、どっちがあなたのチームと聞いて、赤のベルトと説明して一緒に応援してくれた。最初、技ありをとられたが残り10秒くらいで取り返し、勝負は判定にもつれ込んだ。赤い旗が二本あがり、勝つことができた。
その瞬間、ダルマ先生、ネパールの子供たち、松本市役所の方も一緒になって喜んでくれた。皆が一体になった瞬間だ。ありがとう、母校の中学生たちよ!
最後に、皆と最後の握手をした。今度はいつネパールに来るの?と聞かれた。
そのうちね!
近年は無理でも、また必ず行くだろう。
二日間だったが、素敵な時を過ごせた。
帰りの電車賃??
そんなの関係ねぇ~。
PS 柔道関係者で、いらない柔道の本やDVDをお持ちの方は、是非御一報ください。ネパールに送りたいと思います。
松本市に着き、バスで体育館に到着。今日は練習試合と開会式のみだが、たくさんの子供たちが試合をしている。今回の参加者は3000人を越えるというビッグな醍醐敏郎杯だ。
会場の二階席で何周も見回すも、発見はできない。うーん、本当にいるのだろうか、疑問になってくる。とりあえず、待つこと一時間。館内を見回してもいない。「チャンスは動いて待て」動くことにした。
下におりると協賛でJTBがあり、もしやと思って声を掛けると隣に市役所の方がいた。事情を説明するとトントン拍子で話が進み、案内することになる。
道場に入り、人込みを抜けること1分。そこに、ダルマ先生率いる、カトマンズ柔道チームがいた。
ダルマ先生は突然の訪問を喜んでくれた。固い握手をし、再会した。
そして、カトマンズチームは、開会式の後にエキシビジョンで試合をするようだ。市役所の担当者も良かったら参加してくださいというので、大会役員のカトマンズチームの席に座り、開会式に出た。そして、今回はネパールのスポークスマンとして、写真を取った。試合が終わると、信濃毎日新聞の記者に取材を受けた。この偶然、本当にあり得ない話だとびっくりしている。確率的には、道端で一万円札を拾うくらい少ないだろう。私はまだ5千円札しかないが。。
ダルマ先生は、三人の政府の方と10人の子供たちで来ていた。私が思い出深い、施設の子供たちはいなかった。親がいないのでパスポートがおりなかったということだ。日本には、親がいないとダメなのかと憤慨した。表向きの美談、裏の現実の話、ダルマ先生とは、半年前ぶりの対面にも関わらず、昔からの友人のような気がしてならない。不思議だ。
帰りは取材をしてくれた記者さんに安いホテルまで送ってもらい、一日が過ぎた。
25日
午前は私の母校である国学院栃木も出場していたので、応援をし、昼ごろにネパールチームと合流。係の方も自分が試合会場のストラップを持っていなくても、私の名前を行って中に入ってくださいととても協力してくれる。サンキュー柔道家!
ダルマ先生は自費できていること知り驚いた。なぜなら、日本とネパールの往復の交通費は、ネパールの年収一年間に値する。二人で会場内にあった柔道グッズのお店に行った。最初は、日の丸のついたネクタイのピンを買おうとして、店員が600円と言い、ダルマ先生は一瞬寂しげな顔色になり、「エクスペンシブ…」と呟いた。せっかくのチャンスで、憧れの地、日本に来て物価の差から何も買えないでいる。一人の裕福な国の日本人として、そして柔道を愛する仲間として、これはプレゼントすべきではないかと思った。ネパールにいる仲間の先生二人とダルマ先生に、講道館柔道のTシャツ三枚とネクタイピンをプレゼントした。
私も交通費がギリギリであったため、必死で事情を説明したが、一枚2500円の定価から一向に安くならなかった。講道館のTシャツ販売の方、少しは協力してください!!とぼやいた。帰りの電車賃の心配は、頭のなかに、小島よしおが出てきて「そんなの関係ねぇ~」と言ってくれたので大丈夫。ここは日本。なんとでもなる。
それよりも、講道館Tシャツを手にしたダルマ先生はとても嬉しそうだった。その顔が私にとっては、金には代えがたいものだ。
私が旅をする時も、何人かの方が出資してくれた。見返りは期待していないという。金に対する代償は、シンプルなのかもしれない。
そして、最後は私の母校の国学院栃木の試合を観戦した。相手は強敵、桐蔭学園。私の同期が高校のコーチをしていて、醍醐杯の詳細は彼から聞いている。これにも不思議な縁を感じる。二校とも超中学生級である。お互い一歩も譲らぬ展開で、代表戦にもつれ込んだ。
そうすると、さっきまで退屈そうに見学していたネパールのちびっこ達も興奮気味の近寄ってきて、どっちがあなたのチームと聞いて、赤のベルトと説明して一緒に応援してくれた。最初、技ありをとられたが残り10秒くらいで取り返し、勝負は判定にもつれ込んだ。赤い旗が二本あがり、勝つことができた。
その瞬間、ダルマ先生、ネパールの子供たち、松本市役所の方も一緒になって喜んでくれた。皆が一体になった瞬間だ。ありがとう、母校の中学生たちよ!
最後に、皆と最後の握手をした。今度はいつネパールに来るの?と聞かれた。
そのうちね!
近年は無理でも、また必ず行くだろう。
二日間だったが、素敵な時を過ごせた。
帰りの電車賃??
そんなの関係ねぇ~。
PS 柔道関係者で、いらない柔道の本やDVDをお持ちの方は、是非御一報ください。ネパールに送りたいと思います。