ネパールでの最後の1日。
痛めた足。
このままゲストハウスで寝ていることもできるが、それはもったいない。
こんな時、子どもの頃から私の家に伝わる魔法の言葉がある。
「痛いと思うから、痛いんだ」
そう、この足は痛くない。
痛くない。
痛くない。
自分に言い聞かせた。
時に、精神は痛みを凌駕する。
向かった先は、ボダナート。
私の感覚ではあるが、ネパールは9割のヒンドゥー教徒と1割の仏教徒がいる。
ボダナートはその1割の仏教徒の聖地。
世界の色々な宗教の場所も行ったが、魂が居心地の良さを感じるのは、「仏教」だった。
やはり、日本人だからだろうか。その中でも、チベット仏教は好きだ。
その理由は3つ。
〇五体投地が筋トレになるから
〇ヤマーンタカという明王がいること。(私の名前に似ている。)
〇マニ車を回すのが楽しい
マニ車を回していると、不思議な癒しをボダナートは与えてくれた。
話は、変わるが海外に来ると、初めて会ったはずなのに、
初めてな感じがしない人がたまに現われる。
同じくらいの若者だったり、女性であったり、様々だ。
今回もこのボダナートでそのような方がいた。
チベット人の女性であった。
見た瞬間に、どこかで会った時があるような不思議な気がした。
どこかは正直、分からないけどきっとどこかで会っているそんな感じだ。
同じようにマニ車を回していたので、挨拶をした。
流暢な英語でチベット仏教について教えてくれた。
なぜ、そんなに英語が上手か聴くと、
「今、アメリカに住んでいるから」
との答え。てっきり、ネパールに住んでいる人だと思ったのにびっくりした。
30歳近くまでチベットに住み、それからアメリカに既に10以上住んでいることを話してくれた。
興味を持った私は、昼食を共にして、ネパールの隠れ家的なチベット料理のお店を案内してもらい、
チベットのこと、アメリカのことなど色々聴くことができた。
食事が終わり、私がお礼に昼食のお金を払おうとすると、向こうが出してくれた。
よく聞き取れなかったが、あなたは私の子どもだったでしょ?みたいなことを言われた気がした。
もし、前世というものが存在するなら、私はこの方の子どもだったのかもしれないと思った。
天気が良い快晴の日。
マニ車を回しては、お茶を飲んだ。
時間がゆっくり過ぎていく。
時間てこんなにゆっくり流れるんだ。
誰に対しても「平等」にある「時間」
それをどう使うかは、自分次第なのだが、
いつか「時間」に追われるように生活していた自分。
のんびりと空を見ながら、お茶をすることで、
いつの間にか心がすっきり軽くなっていた。
たまには、人間にとって「何もしないことをする日」は必要かもしれない。
帰り道に禅の言葉で喫茶去というのがあることを知った。
ネパール最終日は夜にダルマ先生の家で夕食に招かれ、幕を閉じた。
痛めた足。
このままゲストハウスで寝ていることもできるが、それはもったいない。
こんな時、子どもの頃から私の家に伝わる魔法の言葉がある。
「痛いと思うから、痛いんだ」
そう、この足は痛くない。
痛くない。
痛くない。
自分に言い聞かせた。
時に、精神は痛みを凌駕する。
向かった先は、ボダナート。
私の感覚ではあるが、ネパールは9割のヒンドゥー教徒と1割の仏教徒がいる。
ボダナートはその1割の仏教徒の聖地。
世界の色々な宗教の場所も行ったが、魂が居心地の良さを感じるのは、「仏教」だった。
やはり、日本人だからだろうか。その中でも、チベット仏教は好きだ。
その理由は3つ。
〇五体投地が筋トレになるから
〇ヤマーンタカという明王がいること。(私の名前に似ている。)
〇マニ車を回すのが楽しい
マニ車を回していると、不思議な癒しをボダナートは与えてくれた。
話は、変わるが海外に来ると、初めて会ったはずなのに、
初めてな感じがしない人がたまに現われる。
同じくらいの若者だったり、女性であったり、様々だ。
今回もこのボダナートでそのような方がいた。
チベット人の女性であった。
見た瞬間に、どこかで会った時があるような不思議な気がした。
どこかは正直、分からないけどきっとどこかで会っているそんな感じだ。
同じようにマニ車を回していたので、挨拶をした。
流暢な英語でチベット仏教について教えてくれた。
なぜ、そんなに英語が上手か聴くと、
「今、アメリカに住んでいるから」
との答え。てっきり、ネパールに住んでいる人だと思ったのにびっくりした。
30歳近くまでチベットに住み、それからアメリカに既に10以上住んでいることを話してくれた。
興味を持った私は、昼食を共にして、ネパールの隠れ家的なチベット料理のお店を案内してもらい、
チベットのこと、アメリカのことなど色々聴くことができた。
食事が終わり、私がお礼に昼食のお金を払おうとすると、向こうが出してくれた。
よく聞き取れなかったが、あなたは私の子どもだったでしょ?みたいなことを言われた気がした。
もし、前世というものが存在するなら、私はこの方の子どもだったのかもしれないと思った。
天気が良い快晴の日。
マニ車を回しては、お茶を飲んだ。
時間がゆっくり過ぎていく。
時間てこんなにゆっくり流れるんだ。
誰に対しても「平等」にある「時間」
それをどう使うかは、自分次第なのだが、
いつか「時間」に追われるように生活していた自分。
のんびりと空を見ながら、お茶をすることで、
いつの間にか心がすっきり軽くなっていた。
たまには、人間にとって「何もしないことをする日」は必要かもしれない。
帰り道に禅の言葉で喫茶去というのがあることを知った。
ネパール最終日は夜にダルマ先生の家で夕食に招かれ、幕を閉じた。