エベレストの麓(約2850m)にあるモンジョ村で生まれ育ったネパール人女性ペンパさん。
現在は日本の大学を卒業し、歯科衛生士になるために栃木で専門学校に通っています。
ペンバさんが9歳まで学んだ村の学校を建てたのは日本人の方だと知り、いつか直接御礼を言いたいと思っていたそうです。
ネパールで様々な支援活動をする古屋祐輔さんを知り、そこから私を紹介し、ペンバさんの学校を建てた日本人の方に連絡を取りました。
その日本人は石川県に住む島崎さん、御年95歳です。普段は電話と手紙のやり取りでしたが、今回の話しで息子さんが手伝い、LINEが加えられネパール、石川、栃木を繋いで初対面。
島崎さんの25年前のモンジョ村の学校建設話しを聞いて、涙が止まらないペンバさん。
まだクラウドファンディング等がないその時代に、島崎さんが中心となり、みんなの力で建て、いい循環になるようにと考えて色々なアクションをしたそうです。
「モンジョ村に生まれて、学校のない場所に学校を作ってくれてありがとうございました。学校があることで勉強ができました。学校があることで親と一緒に暮らすことができました。そして今の私があります。」
と涙ながらに感謝を伝えるペンバさん。
私にとっては、学校を誰がどんな想いで作ってくれて、それに想いを馳せて感謝する感覚を持ち合わせていなかったので、横で聴きながら、なんとも言えない気持ちでした。
95歳の島崎さんから、
「一年一年吸収をする。旅をしたり、経験をたくさんすると社会をみる目が豊かになる。他人に対して優しく、自分に対しては厳しく、というのは私の主観だよ。私の想いとして、生涯勉強だと考えて努力してほしい。そして誰かの役に立ち、愉快に楽しい人生を送ってほしい」
とペンバさんにメッセージが送られました。
時代を超えて、繋がった95歳と27歳。
「父は高齢とはいえ認知もなく、足腰もしっかりしており、まだまだ生きると思います。私が先にボケないようにします笑。いつかペンバさんと父が生対面できることを楽しみにしています。」
小さなオンライン対談でしたが、周りの方々もなんだか嬉しくなる時間でした。
繋いでくれた古屋祐輔さん、
石川の島崎さんとそのご家族、
急な訪問も快く対応してくれた栃木の山口家の皆さん、
ご協力ありがとうございました🙏
PS ペンバさんと私のFBでの共通の友人を見ると1人だけ日本人がいました。
その名は「移動式銭湯 天真」。
前に大分で会いました^ ^と嬉しそう。
まさか日本に来て、移動式銭湯・マンとゴールド・マンとつながるとは、、、