*6月10.11日の出羽三山周遊97kmの冒険の記録です。
*様々なサポート、お力を得て安心・安全に実施しています。スリリングな気持ちをお楽しみいただけるように表現上オーバーに書いています。
月山から西へ8kmのところにある湯殿山神社。
*様々なサポート、お力を得て安心・安全に実施しています。スリリングな気持ちをお楽しみいただけるように表現上オーバーに書いています。
月山から西へ8kmのところにある湯殿山神社。
残り30分程度の道に1時間半もかかるとは思いませんでした。
急に現れた長い梯子。
それを何度か降りることを繰り返し、目の前に立ちはだかる急斜面の雪。
道がない。
えっ。。。
GPSで方向を指し示すのは斜面の数十メートル下の方。
崖っぷちの局面に何だか笑みが出てきます。日本の三大修験道の一つがそう簡単に終わるはずありません。
ちょっとでもミスをしたら、あの世へ直行。
装備を整えて、気合いを入れて集中します。
道はないけれど、どこかにきっと道はあるはずです。
うっすらとか細く光る雪の斜面を慎重に慎重に歩き、数十メートル先の雪から飛び出した木に必死に掴まる。隙間から顔を出している木や竹を掴みながら、ゆっくりゆっくりと下っていきます。
これは人生史上一番集中しよう。
今までまあまあストイックに日々修行として鍛錬してきたのは、これを乗り越えるためなのかもしれない。
12時間動き続けてきた疲労は吹き飛び、身体中からエネルギーが漲ってきます。
木に捕まりながら立ち上がり下を覗き見ると
数十メートル下ったけれど、先はまだまだ長い。
山の中で立っている自分が天狗に思えてきました。
天狗とは山伏や行者や修験者が想い描く姿を表したものという一説もあります。
羽で空を飛び、木々をぴょんぴょん跳んでいけたら、この道も簡単に違いない。
よし、私も空を飛んでみよう!!
と思ったけど、そのままお空に行っちゃいそうなため思い止まることにしました。
汗だくになりながら、さらに数十メートルをなんとか下るとまた道がありません。
目の前にあるのは膝ぐらいの水深の急斜面の小川。雪解け水が集まり、川になり、斜面を流れています。
地図とGPSを確認すると指し示すのは小川。
今度は沢下りかと、横に生えている木々に捕まりながら慎重に慎重に冷たい水の中を下っていきます。
ジャブジャブと10分ほど歩き、足が冷え切るとようやく道が開け、100m先には車が見える。
助かった!!
と思いきや最後の難関が待っていました。
谷底は雪解け水が合わさり急流な川。
目の前は雪の急斜面。
一瞬途切れた集中とクタクタの身体。
つい数十分前を凌駕する、人生史上最大の難所でした。
「集中しろ!集中しろ!集中しろ!」
何度も何度も声を出し、もう一度集中を高めます。
微かに見えた光の雪道を少しずつ少しずつ慎重に慎重に進みました。
下はまだまだ谷底です。
今、私は死地に立っている。
ふと何かが私にやってきて、何か嫌な気配がします。
「いつ死んでもいいと思っているけど、そう簡単には死んでやらない。生きる場所を決めて生きてきたのだから、死に場所も自分で決める。ここは私の死に場所では断じてない!!」
大きな声で叫ぶと何かは遠ざかっていきました。
もう5メートル進めば私は助かる。
それでも、もうこれ以上進むのは正直難しくなってきた。
そこからの出来事は衝撃的でした。
湯殿山は「語るなかれ」「聞くなかれ」と戒められた清浄神秘の世界のようです。
ここで見たこと、体験したことは、その人だけのもの。
「生きているんじゃない!お前は生かされたんだ!!」
湯殿山は生まれかわりを祈る未来の山。
42歳になった翌日の私は、
一度死に、生まれ変わったのかもしれません。
湯殿山神社に着くと、目から汗が噴き出て、生かされている事に感謝の気持ちが溢れてきました。
その後、湯殿山参籠所という場所に泊まり、御神湯に浸かり、痛めた足をさすりながらもう1日だけ動いてくれるように必死に祈りました。大きく腫れて座る事もできない状態も、7時間後にはまた再び走れるようになっていました。
明朝4時に出発し、六十里越街道を走りました。膝ぐらいまである小川を渡るのも、道なき道をたまに進むのも、誰かに背中を押されているんじゃないかというほど快適に進みました。
ブナの木が大正生まれの先人達の伝言板として使われていることや、弘法大師が護摩祈祷を行った場所などを通過して、最後は13kmのアスファルトを走り鶴岡駅に戻ってきた。コースタイム15時間を8時間ほどで踏破。
一年に一度のバースデーチャレンジ。
おかげ様で生まれ変わりの旅ができました。
生かされた事に感謝して、誰かの何かのお役に立てるように日々精進します。
長文を読んでくださった方、ありがとうございました🙏
おしまい。
PS 初日の最後で痛めたお尻は、あれから10日経っても腫れが引かず。傷を見た方は、病院に行けばと言ってくれますが、修験道で痛めたのにそれはちょっと違うかなと思いそのままに。初日の最後に起きたあの出来事は現実だったのか?痛くなるたびに考えます。導かれるようにしてやってきた出羽三山。その意味がちょっと分かりかけたような気がします。修験道は、やはり修験道でした。