人生修行の旅

「笑って、野垂れ死ぬ!!」
そのために、この人生をどう生きて、この命を何に使うか?人生一度きりの生き方を実験中!!

エベレストBC6泊7日の旅 ⑧来世の夢が今世の夢へ

2014年06月21日 | 
 2014年5月10日

久々に頭が痛くない寝起きだ。

酸素があるって素晴らしいと身をもって感じる2740m地点。

ちょっと身体を動かすたびに全身に筋肉痛が走る。

3日間の修行は想像以上に身体に与えている。

優しい日光と鳥たちの自由な声、川の元気なせせらぎ、

それらを聴きながら、朝の5時半から外で胡坐をかいて日記を書く。

KAZIさんが私を呼んだ。

ロッジの敷地内にある奥の隅々まで丁寧に手入れの行き届いた菜園と家畜たちを紹介してくれた。





野菜や果物は以前に日本人の方が来て、作り方を教えてくれたそうだ。しかも、個人でやってきて、教えてくれたと話してくれた。

そして、この辺りの方達はその日本人にとても感謝している。

心がほっこり温まるストーリーだ。

それにしてもKAZIさんのロッジは、他のロッジに比べて明らかにきれいで丁寧だ。

細かいところまで目が行き届く日本人のような性質を併せ持っている。

ちなみに私は、細かいところまで目が行き届かない旅人気質を持っている。

ふいに、見上げると古びた家が断崖絶壁の中腹の洞窟にある。




昔のラマ(修行僧)が、あそこに籠って修行したそうだ。

修行・・・その言葉(英語を私なりに解釈)が私を興奮させる。

kAZIさんに行ってもいいか聞くと、

「Maybe possible」この意味は、普通ならば多分難しいと捉えるのが賢い選択だ。

もちろん私はGo up!!



古びた家に着き、なぜラマはこんな不便な場所で一人で修行したのか?



目を閉じて、感じてみる・・・



私なりの答えが出た。

「変態で変わり者だから」

どっかから声がした。「we are same and crazy…」



自家栽培のじゃがいもや名前の分からない野菜たちにチーズをたっぷりのせてくれる。



人生で一番美味しいと感じたオリジナルアップルパイ。



自然の力を利用して逞しくなった野菜や果物たちが、私の弱くなった身体を力強くしていくのが分かる。



KAZIさんがやってきて、話しながら相互に人の紹介や自分にできることを話した。

「来世の夢が、現世の夢に変化したよ」と嬉しいことを言ってくれる。

5年前に同じ事を言われたら、無理やほとんど不可能と思っていただろうに、今ではそうでもないと感じる。

これが成長なのかもしれない。

KAZAさんの夢が現実味を帯び始めた時、別れの時がやってきた。

身支度を整え、お金を支払おうとした。

しかし、頑なとして夫婦はお金を受け取ってくれない。

私はこのロッジが気に入り、たくさん飲んで食べたのに…

「お金は必要ない。ここによく来てくれた。話をしていて、こんなに幸せに興奮することはなかった。ありがとう!!」

支払うのを諦め、満面の笑みと硬い握手でロッジを後にした。

新たなリレーションシップが始まる予感がする。

空港まで15kmの道のり。

あっと言う間と思っていたのに、とても遠く感じる。

1kmの距離さえも長い。

ポーターの人々とたくさん出会う。1kg40ルピーで約20kmの道(登りor下り)を請け負う。人によってだが、30kg~80kgを担ぐ。



標高2900m~3400m、中にはサンダルの方もいる。

そして、身長167cm体重63kgの私よりも小柄だ。

人の能力は不思議だとつくづくシェルパの方を見ていて感じる。

エージェンシーから指定された宿で、明日の飛行機を聞くが「5時まで待て」の一言。

まあ、何とかなるし何とかするけど、もう少し何か言ってくれても…ちょっと残念な気持ちになる。

色々なロッジやガイドを見ていて、またリピートしたい!!と思うには共通項がある。

○特徴がある。(専門性の強さ など)

○人柄がいい。(ロッジのオーナーやガイド)

○気が利く。

この上記3点を兼ね備えていると、エベレスト街道沿いでは仕事が楽しく、充実してできそうだ。

ルクラのお土産屋をいくつか回る。

同じ物が置いてあって、「How much?」と聞くと、大抵値段が違う。

私の場合は、最初の言い値と店主の目を見てそのお店で購入するか決める。

とある店で色々と購入した後に、「私の妻は日本人です」と言ってくる。

大抵の場合は、それがジョークだったり、知り合いなのだけど、それをすぐに信じた。

色々な国を旅して、最初から日本人の○○さんと友達や知り合いですという方は怪しいケースが多い。

しかし、色々と話して相手の事が分かったうえで、自分の持っている資産(人脈)を話す方は信頼できると経験的に学んでいる。

そして、そこからつながるケースも少なくない。

私はロッジのお決まりの料理ではなく、ローカルな料理が食べたかった。

尋ねると、妹が料理屋を経営しているというので案内してもらった。ロッジの4分の1程度の料金で、ローカルフードは食べられる。





もちろん、言葉は通じなくても兄の紹介で来たので騙されることもない。

旅の秘訣の一つは自分の目を信じて、信頼できる人を見つけて紹介してもらうことだ。

もし、何らかで騙されても自分が悪かったと諦めがつく。

お土産屋の若旦那が今度日本に来るという。もし、日本に来たときには是非連絡してと名刺を渡した。

そして、標高5000mで泊まったロッジのおかみさんの弟(日本語OK)がルクラで宿をしているというので、飲みに行った。

おかみさんの紹介と久々の日本人ということで、日本の漬け物を出してもらったり、wi-fiを無料にしてもらったりと、柔軟な対応でサービスしてくれる。

個人的には、このような臨機応変な対応はとても嬉しい。

久々のブログを更新し、たくさんのアルコールでいつの間にかひどく酔っていた。

ありがとう・・・エベレスト・・・。
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エベレストBC6泊7日の旅 ⑦Go down

2014年06月21日 | 
 2014年5月9日

翌朝、トイレから動けなくなった。胃液に交じって、赤いのが出ている。口の中が苦々しく鉄の味がする。

トマトを食べたと思い込もう(笑)

一刻も早くこの標高から脱出せねば。

バックパックに荷物を適当に詰め込み、おかみさんに丁重にお礼を伝え、5000mのロッジを後にする。



「Go down Go down Go down」

一人でつぶやく。

ちょっと頭がおかしくなってきている!!

急ごうとするものの15kg超のリュックと2日間ほぼ絶食状態のふらふらの身体が動きをスローにする。

天気は快晴。



最高の景色だ。



この景色を味わいながら~

なんて考えている場合ではない。

一瞬でも油断すれば、倒れてヘリコプターを呼ばれて60万円かかってしまう。



何としてもそれは避けたいところだ。

下ってくるトレッカーが無口な理由が分かった。

多分、皆疲れているのだ。

2時間毎に地図でチェックポイントを作り、意図的に休むようにする。

高度が下がるとともに、嘔吐はしなくなってきた。

少しずつ身体の機能が動き出す。

あえて言うならば、昨日は身体の機能を止めて、魂を削って動いているようなものだった。

朝8時から動き始めて、5分の小休憩を4回、30分のお茶タイムを1回挟みながら、

目的地のロッジに向かう。

18時に軍隊の管理するチェックで、「おい、このままだと日が暮れるぞ!!」



「多分、大丈夫!!」と答える私。何が大丈夫か分からないけど(笑)

下り坂を急ごうにもすぐに転んでしまう。

がくがくと足が震え、生まれたての子羊のようだ。

沢沿いに歩くと暗闇が忍び寄る。過去に同じように沢で遭難した時の恐怖を思い出した。


約3日間何も食べてない身体にも関わらず、すごい勢いで走り出す。

一体どこにそんな力があったのだろう。これが、火事場のクソ力というやつかと我ながら感心する。

そして、7時ちょうどに暗くなったところで2700mのニルヴァナロッジに到着。



宿に入ると遅い時間にも関わらず、ロッジの夫婦は私を温かく迎え入れてくれた。
食堂での夕食は終わっていたために、厨房の中に招かれイスに座ると、
こちらの状態を察して胃腸に優しい食事を提供してくれる。



ロッジのオーナーKAZIさんは、なんと元柔道家で、ネパール代表だったこともある強者。



初対面にも関わらず、柔道話に花が咲いた。

得意な技は?
柔道のどこが好きなの?
柔道をやめた後はどんな気持ちで毎日を過ごしていたの?

KAZIさんは、生きていくために泣く泣く柔道をやめざる得なかった。
やめた2年間くらい頭がおかしくなったほど、本当に柔道を愛しているのが伝わってきた。

そんなKAZIさんは、もう柔道と離れて久しい。
「シェルパ族の子供たちに柔道を教えたい。しかし、畳がない。だから、私は来世ではここに柔道場を作って
 
 柔道を教えるよ!」(シェルパ族は基本的にチベット仏教の方々が多く輪廻転生の考えを持っている。)
KAZIさんの中では、柔道をするのが来世になっている。

「今世でやりましょう!」

畳の問題や様々な問題があるけど、なんだかきっと大丈夫な感じがした。
そして近い将来このような問題を大きな視点で解決に結びつける柔道関係者が出てくるような気がする。





ロッジでは色々な国の方々と会話するが、このロッジのように自家栽培の野菜等を打ち出したロッジに泊まる方々は、

国とか肌の色は関係なく、何となく似ている価値観が似ている。

インドのトレッカーともすぐに打ち解け、

お互いのそれぞれの国に対する明らかに間違っている双方のイメージで大爆笑した。

旅は年齢を重ねるとともに、物の見方や捉え方が変わってくる。

旅人にいい年齢などないのだと勝手に自分で納得して、言い聞かせて

久々の快適な夜を過ごす。
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エベレストBC6泊7日の旅 ⑥覚悟を決めて、魂を削る!

2014年06月21日 | 
 2014年5月8日

5時半。自然に目が覚めた。

頭痛はいささか減っている。

「さあ、下山しよう!!」

朝日が入る部屋の窓から小鳥たちが、

「天気もいいし、入っちゃいなよ!」と言ってくる。



昨日から食べても飲んでもすぐに嘔吐し、胃には何も入ってないし、エネルギーもあまりない。

もし、今日エベレストBCまで行くならば、それなりの覚悟を必要とする。

尊敬する人物たちならどうするか考えた。

江頭2:50さんならどうするか?

きっと、お構いなしに伝説を創りに行くだろう。寿命が縮んでもいいと言って。

ゴルゴ13はどうするだろうか?

プロは任務を淡々と遂行するだけと前に進むに違いない。

修羅の刻の陸奥雷ならどうするか?

自分の名前を思い出したと言って、前に進むに違いない。

千日回峰行に挑んだ人ならどうするか?

不退転の覚悟に命を賭けているため、前に進むしかない。

体調3割。食べればすぐに吐く。

今日、行かなければ、もう2度とエベレストBCに行けない気がした。

私に欠落していたのは、登るという「覚悟」。

もし、たら、れば、などという考えは、今回は捨ててしまおう。

6時にロッジを出た。通常のトレッカーは8時くらいだ。まだ、太陽の光が身体を照らす前に、

急がずに、ゆっくり速く歩く。



9時に4950m地点のロブチェに着いた。心臓が飛び出そうなほど驚いている。
水分補給をしても身体が受け付けない。

エネルギーとかカロリーとかいう概念はこの際捨ててしまおう。

食べなくても、飲まなくても、動けるモードに身体をチェンジした。

ロブチェのロッジでたまたま立ち寄った宿のおかみさんは日本語が話せた。

「このペースならエベレストBCまで行って、ここまで戻ってくるのはぎりぎり大丈夫!!」

異国の地で聞く日本語は本当に心をホッとさせ、私の身体に力をくれる。

考え抜いた末に、荷物を半分以上置いて上に出掛けた。

だいぶ軽くなったリュックのおかげで足が前に進むようになった。


12時に5140mのゴラクシップに到着。

ちょっとでも寝転んで休もうものなら、もうこのままでいいやと立ち上がることをやめてしまうような状態。

エベレストBCまで、残り2時間30分。このまま突き進むしかない。

思考が停止して、ただひたすらに前に進む。

ヌプチェというエベレストの前にある壮大な山が姿を見せている。

「That’s everest」
どこからか声が聞こえた。



ヌプチェの横からひょっこりエベレストが顔を見せた。写真を撮影後に、ガスがかかり恥ずかしさのあまり姿を隠してしまった。本当に一瞬の出来事だった。







そして、14時30分エベレストBCに到着。

荷物を置いて倒れ込んでしまう。
今回のミッションを思い出し、行動する。
ダルマ先生を通して旅の相談に乗ってくれた方、その他亡くなられた方々にGOOD 輪廻転生。





束の間の休息と放心状態・・・

その横では、香港の若者たちが腕立て伏せをして、服を脱ぎ去り、上半身裸で身体にメッセージを書いて、
撮影している。

どっかで見たことのある風景だ。

全裸にならないだけまだましか。

3時に身体にムチ打って出発。

途中、吐き気を催すが出てくるのは胃液ばかり。口の中が苦々しい。

たまに水を飲んでみても、すぐに吐き出してしまう。

ドンマイ身体^^

飲まず、食わず、横にならず、9日間修行して生きている日本人もいる。
4,5日目から死臭がすると書いてあったような。

私の5日間シャワーも浴びていない身体からは、異臭がする。

まだ大丈夫!!

17時にエベレストBC最寄りのゴラクシップのロッジに到着する。

このまま突き進むとぎりぎりで暗くなってしまう。
私はぎりぎりが好きだ。ほとんど回転しない頭と常に襲ってくる吐き気、疲れ切った身体でほぼ無意識に進む。

歩いている私を、上から眺めている私がいる。この不思議な感覚は人生で4度目だ。

ごく稀に経験できる限界の先にある世界。約8年ぶりにその世界に足を踏み入れた。

18時頃、偶然にも2日前に宿泊したロッジ(4000m付近)のオーナーと遭遇。ヤク十数頭を引き連れて、エベレストBCに向かっているとのこと。

このまま行くと暗くなりますよね?私が言うと、「No problem」

エベレスト4度登頂者に質問した私が馬鹿だった。

宿ではほとんど話すことはなかったが、私のスケジュールを聞かれ伝えると、

「おータフガイ!!」と満面の笑みで握手をしてくれた。



予想の日没まで残り45分。

すれ違った青年にロッジまでの時間を聞くと、

「急げば20分。ゆっくりで45分」
もう速く動ける体力も残っていない。

20分が経過して、また青年に出会い時間を聞く。

「急げば20分。ゆっくりで45分」

同じことを言われがっかりする。

暗闇が辺りを包み込み始めた時にロッジの明かりが遠くに見えた。

暗くなってもあの明かりを頼りに進めばいい。

思考も、体力も、全てを使い果たして座り込んでしまう。


「何を食べる?」

エベレスト周辺のロッジでは宿泊費が安い反面、宿で食事をするルールがある。

しかし、私は何も食べたくないが、思い切ってチョコレートパンケーキを注文する。

食べてすぐに強烈な吐き気でトイレに直行。申し訳ないが、あえなく断念した。

受け付けないのもはしょうがない。

この日記を書きながらもボーっとしている。

おかみさんの日本語での対応がせめてもの救いだった。

激しい頭痛と嘔吐と疲れ切った身体を受け入れて、部屋に入り苦しみと戦う一夜を過ごした。
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エベレストBC6泊7日の旅 ⑤高山病になりました・・・

2014年06月20日 | 
 2014年5月7日

4000m越えの移動。

未知の世界。

時間が経つに連れて身体が動かなくなる。

休憩で足を止める頻度が多くなった。500mくらい先に村が見えているのに、前への一歩が出ない。

大きな石を見つけては大の字で空を見上げ、立ちあがっては嘔吐を繰り返し、1時間かけて村のロッジに着いた。

今日の目的地の半分くらいにも満たないペリチェというところで、先に進めなくなった。

ロッジのベッドに倒れ込む。そんなに寒くないのに、震えが止まらない。



毛布を掛けて寝るがいっこうに震えが止まらない。

「まずい!まずい!」と声がする。

渾身の力で着替えを出して、暖かい衣類に着替えた。

それでも震えは止まらない。

激しい頭痛、嘔吐、寒気、

「今、できることは?」また声が聞える。

毛布をもう一枚頼み、スープを飲んだ。

アップルジュースを飲んだ。

散歩した。

気分転換にひげを剃った。

換気をよくしてリラックスした。

しかし、どれも焼け石に水ですぐに嘔吐と頭痛が襲う。

生来、高山に弱い体質だ。富士山に毎年登るものの、毎回高山病になる。

こんなに苦しいなんて。

こんなに辛いなんて。
人生修行の旅といえ、身体があってこそ。

残りの日数を考え、ありとあらゆるシュミレーションを行う。

しかし、それも身体が大丈夫であってこそ。

今日1日、口に入れたものは全て吐しゃ物になり、身体にはエネルギーは残っていない。

もうやめよう。

もうやめよう。

もうやめよう。

明日下山しよう。

細胞くん達、無理をさせてごめんなさい。

4250m。エベレストの約半分くらい。

ここが私の限界でした。

悔しい。

情けない。
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エベレストBC6泊7日の旅 ④4000m付近に住む女性僧侶

2014年06月20日 | 
 2014年5月6日

朝6時目が覚めると激しい頭痛、吐き気、体調不良がなくなっていた。
にんにくスープが良かったのか、祈りが通じたのか、何がいいか分からないがとにかく前に、上に、進める身体になった。ありがとう。

トーストにジャムを塗りたくり、水と一緒に身体に入れる。

10分程で身支度を整えて、次へ出発。今日からは、一気に高度があがる。
3450m→4000mへ。

計8時間の移動だ。

引き続いて、負けない戦いを心がけよう。

過去の柔道の試合を振り返っても、怪我をして状況が悪いときほど試合には負けることが少なかった。

決して強くはないが、負けない。

逆に絶好調だと、どこかでコロッとやられてしまう。

「負けるはずではなかったのに・・・」

その時にいつも出てくるのは言い訳だ。

一歩一歩エベレスト街道の大地を感じて、股関節で、重心移動で、骨を使って進む。

そうすれば、筋肉の疲労は最小限に抑えられる。

道中、抜かされても気にしない。人は人。










マレーシア人のトレッキンググループと言葉を交わす。

ガイドにスケジュールを聞かれ、話すと説教が、失礼アドバイスが

始まる。
「ここでもか・・・」
私はふいに剣岳~槍ヶ岳を2泊3日で走破した時のことを思い出した。

あの時も同じようにたくさんアドバイスをもらった。

国が変わっても、どこでも同じなんだなと感じながらガイドに笑ってお礼を言った。

エベレスト近郊の山々が見える絶景のポイントで一緒に休憩をした。

なんとそのガイドの親戚の家ということで、レモネードとサンドイッチをご馳走になる。

マレーシア人の医師達とも親しくなり、皆さんランニング愛好者ということで共通の「RUN」で盛り上がった。


日本に来る際は、是非ランニングステーション「earth」に寄って、皇居を走りたい!と言ってくれた。

このような小さなつながりが、いつか何かのきっかけになるのかもしれない。

1時間ごとに水分を取ることを忘れずに、確実に前に進む。

3750mを超えた。富士山頂よりも標高が高い未知の世界。



こんな標高の高いところにお寺があった。

コースからは少し外れるが、そんなに急いでいる訳でもない。

寄りたい場所に勝手に寄る。

これが1人で行動するよさでもある。



静まり返ったお寺に入り、「ナマステ」と声を掛けてみた。

そうすると一人の女性僧侶が出てきて、中を見せてくれた。



不思議なほどに心が落ち着く。

キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、ヒンズー教、仏教・・・

こだわりを持たずに、全ての宗教の聖地に行き、自分の魂・心が何を感じるか。

私はたまたま仏教が一番落ち着いたので、「ブッディスト」と言っている。

そんな選び方もありかもしれない。

宗教の持つ一つの側面として、私は心の拠り所でもあると思っている。

人間、生きている以上は楽しいことばかりではない。

辛いこと、苦しいこと、悲しいこと、たくさん起きてくる。

そんな時に心の平静を少しでも保ち、人生を前向きに導いてくれるものだと私は思う。

たまに宗教を通して、戦争などが起きている場合もあるが、自分の欲望を勝手に宗教の名前を借りて行っている場合もある。

基本的に全ての宗教において、根本の目指すところは同じだと思う。

ちょっとやり方や信じること、ルールが違っても。

自分にとって何がいいのか?

人によっては、宗教でなくても心理学でもいいのかもしれない。

自分の心の平静を保ち、人生を前向きに導いてくれるものならば。

逆に言えば、導く存在がブレてしまったり欲望に敗けてしまうと大変なことになる。

今回の旅で世界史についてちょっと学んだけど、

指導者の考え方、方向性の責任から多くの人々が被害を被ってきた。

リーダーになる人

人の上に立つ人

は過去の過ちを繰り返さないためにも、歴史から学び自分の欲望や不適切な自尊心にも負けずに、人々を平和な方向へ導いていく義務があると

私は考える。

エルサレム、エベレストと「エ」つながりで来たけど、

夜はたっぷり時間があるので、色々と考えそして日記に書いている。

たまにはこうして、真面目に考えるのもいいかもしない。

いつもふざけているから(笑)

話はだいぶ反れたけど、

お寺にいると落ち着く。




英語も通じないので、言葉が交わせない。

そんな時は、テレパシーを試みる。
喉が渇いたので、お茶を飲みたいと念じてみると、
チベット仏教特有のバター茶を出してくれた。



さすが、僧侶たち人の心が分かる。

「トゥーチェーチェ」
チベット語でお礼を伝えると嬉しそうに笑ってくれて、手を振って見送ってくれた。


崖からヤクが落ちそうになるのを、ヤク飼いの人が必死に止めるのを見たり、
標高4000mの冷たい川に裸足で入り、1時間以上洗濯するシェルパ族女性を見たり、
80kg以上の物資を1人で背負って運ぶ私よりも小柄なポーターがいたりと
驚かされることばかりだ。

いつの間にか8時間の行程を終えて、パクチェンに到着。

昨日の反省を活かし、モモに焼きそばと1リットルくらいのミルクティーを頼んだ。

食欲もあり、水分もしっかり摂取している。
4000mでも徐々に身体が慣れつつある。


夕食後、ちょっとふとんに入ったら、いつの間にか3時間経過して、夜9時になっていた。
山ではちょっと寝ただけで、時間が過ぎている。

部屋の中の豆電球を頼りに、この日記を書いている。

明日は高度を一気に1000mほど上げて、5000m付近へ!!

細胞君たちよろしくお願いします!
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エベレストBC6泊7日の旅 ③山からのギフト

2014年06月20日 | 
 2014年5月5日
いつの間にかたくさん寝ていた。

体調は絶好調!力が内側から漲ってくる。
この後、ひどいことになるとは思いもしなかった・・・

量が少なめの朝食を終えて、次なる目的地ナムチェへ。





負けないトレッキングのため、スロースローとゆっくり行こう。

リュックに入れた水は500ml。

地図で見ると3時間のルートを、2時間30分でナムチェ到着。



身体もすこぶる調子がいい。すぐにホテルにチェックインして、荷物を置いて近くの博物館などへ見学。

この選択が重大なミスとなった。

ガイドもポーターもつけていなくて、全て1人で考え、行動する。

昼休憩を取らず、水分も取らずに、4hほど3500m付近を歩き続けてしまった。

その結果、徐々に頭が痛くなり、あくびを連発して、嘔吐した。

完全に高山病になってしまった。私は自分の行動を恥じた。

日本では、2500m-3000m付近を1日13時間走ったのに、摂取したカロリーは1000kcalで済んだ経験を持つ。集中力が最大限に高まっていた

状態で、極度にエネルギーの使用を抑えて動いていた。

高山病にならないエリアでは、それが可能という自信があった。しかし、ここは3000m超の地点。何が起きても不思議ではない。

絶好調の身体に舞い上がり、いつの間にか脱水、エネルギーの不足、気温変化への対応のまずさ、私の虚弱体質・・・

全てが重なり、高山病が進行してしまった。

とにかく水を飲んだが、すぐに吐いてしまう。

吐くということは、初期症状を通過している。

現に5年前は、チベットのラサで鋭い頭痛と嘔吐と下痢になり、

意識が朦朧として、ホテルまで残り100mにも関わらず、タクシーに乗り戻った経験がある。

以前の苦い思い出がフラッシュバックする。

私の挑戦もここまでが・・・。

この5年は一体なんだったんだろう。

ぎりぎりの日程、焦って上に行けばひどいことになるよく分かっている。

あー、取り返しのつかない失敗をしたと反省。


ベッドに横たわりながら、激しい頭痛の中で、

「今、できることは?」

と自分に質問する。

エネルギーがなく、水分もないのであれば、まずは身体に何か入れてあげよう。

まだ、夕食の時間ではない薄暗い食堂でガーリックスープとモモを頼んで、胃に無理やり詰め込んだ。

すぐにもどしそうになるのを必死に抑えて。

部屋に戻り、毛布を2枚にして自分の細胞が回復してくれるのを信じて眠った。

3時間後、だいぶ頭の痛みが減っている。

そして、また身体にエネルギーを入れた方がいいというのを身体から感じる。

今度は、皆の夕食が終わった食堂で一人カレーを頼み、エネルギーを補給する。

甘めのミルクティーもたっぷり身体に流し込む。

このエベレストで、予算を気にしてもしょうがない。

ここまできたら、瞬時に考えて、最善の選択を繰り返すのみ。

きっとここでやるだけやってできなかったならばともかく、

やることやってなくて、できなかったならば悔いが残る。

2日目にして、早々に高山病にしてくれたのは山の神様からのプレゼントだろう。私の目が覚めた。

「やらずに悔やむより、やって悔やめ!」

明日、細胞君たちが元気になってくれるのを祈ろう!!

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エベレストBC6泊7日の旅 ②不思議な術を使う人

2014年06月20日 | 
 2014年5月4日

私とエベレストの関係は、7年前に遡る。
2007年最初は見ることもできなかった。

富士登山を毎年登る方の中には、自分の体力を推し量る目的という方がいる。

私もそれと似たようで、エベレストに近づこうとすることで「何か」分からないけれど、「何か」が進んでいるのか、いないのか。

10人乗りの轟音のセスナ機と共にカトマンズを出発して、ルクラに向かう。






エージェンシーから指定されたロッジに帰りの飛行機チケットを預けて、私のエベレストBCトレッキングが始まった。

スタートとともに後悔が襲う。
こんなことして、何になるんだ。
こんなに休んじゃって大丈夫か?
たまにネガティブな思考が顔を出す。そんな時は、思いっきりネガティブ思考にする。
マイナス×マイナスがプラスになるように。

人生いつどうなるか分からないし、
やりたい時に、
できる時に、
やっておかないと最後に悔いが残りそうだ。

旅をしてきて思うのは、
一人一人がどんな生き方をしても自由であるということ。
そして、その生まれながらにして、選択肢を選ぶということが出来る人は限られている。

今回、自分が運良く、この身体で、日本という国に生まれてきたことがつくづくラッキーだと思う。

不安な感情も1時間も過ぎると別の感覚へ。
初めてなのに、初めてではない。
懐かしく、何度もこの道を通っていた不思議な感覚。






もしかしたら、ずっ~~~~と以前に以前にこの辺りに住んで、修行をしていたのかもしれないと。そして、その感覚がもしかしたら残っているのかも(笑)



歩くとシェルパ族の人々に出会うがなかなか受け入れてもらえない。

そういうキャラクターなのか?
自分が開いていないだけなのか?
後者と信じて、道行く人々に「ナマステ」と声を掛けた。

考えを変え、行動を変えると人々の対応も変わってくる。

ビブラムシューズを履いていたため、
「何でそんな靴を履いているんだ?」
「快適か?」
「俺のと交換してくれ」
とコミュニケーションが増えてくる。


通り沿いには重たい荷物を運ぶポーターと呼ばれる人々がたくさんいて、
ヤクなどの動物たちの糞が至る所に落ちている。




そんなヤクの糞は、火の燃料や土まかれて肥料になるなどフル活用されているのを夜にシェルパ族から教えてもらった。全てが循環する仕組みが作られている。

休憩をしているシェルパ族の方がいた。
何キロくらいあるのか2分かかって聞いた。



約30kgとのこと。試しに担がせてもらった。
50メートルほどでバトンタッチ。



うーん、もっと重たいと思う(笑)

私よりも小柄な男性が、これを軽々と背負いサンダルで坂道をひょいひょい登っていく。
後ろからその足運びにの美しさに見入ってしまう。



すごいシェルパ族!!

残り4時間かけて「ナムチェ」という町まで行くらしい。

言葉は全然通じないが、身振り手振りとノリで一緒に歩く。

途中、民家の中で休憩する。私も一緒に休ませてもらった。

初老の男性が一人やってきて、なにやら深刻な顔をしている。

「どうしたんだね」

「腕が痛く、調子悪いんだ」

「分かった。診よう」
多分、こんな会話。そして、ネパールドクター(シャーマン)になった。

その界隈では、彼はポーター兼ネパールドクター(シャーマン)として、周囲の人々から信頼と尊敬を集めている人だった。道行くガイドやシェルパが彼と握手していたのが、何となく謎が解けた。

そして、腕を触り、悪い気を吸い取り、気の流れを良くしていった。
初老の男性はすっきりした表情で、お金を払い出て行った。





彼は私の手を握って、
「ミー、ユー、パワー」
と微笑んでくれた。

いささか疲れたのか、お酒を頼まれた。出来てきたのは、「チャン」と呼ばれる発酵させた家庭独自の酒である。



「君も飲むかい?」
「高地で飲んだら、頭痛くなっちゃいますか!!」

「君も飲むかい?」
「高地で飲んだら、頭痛くなっちゃいますか!!」

「君も飲むかい?」
「高地で飲んだら、頭痛くなっちゃいますか!!」

「君も飲むかい?」
「高地で飲んだら、頭痛くなっちゃいますか!!」

「君も飲むかい?」
「じゃあ、ちょっとだけ・・・」

と言って、なみなみ注いでくれて乾杯。

「もう一杯は?」
「さすがにそれは・・・」

「もう一杯は?」
「さすがにそれは・・・じゃあ、ちょっとだけ」

と、またなみなみ注がれる。うまい!!

ネパールドクターは酔いが回り、今日はここに泊まっていくという。



その適当さ素晴らしい!!が私はもうちょい先に進むため、前に進んだ。

ミルクティー2杯とお酒2杯のお金を聞いたら50ルピーでいいと言う。
通常、山では安くてミルクティー1杯60ルピー、お酒は一杯300ルピー。少なくとも500ルピーは取られると思っていた。

ということで、気持ちよく100ルピーを渡して家を後にした。

酔いがまわっているのか?
身体が熱い。
次の目的地まで遠いのか?近いのか?地図がないので分からず、どこかに売っていないか探した。そして、お店が見つからないまま本日の宿にチェックイン。

一泊200ルピー、格安だがこの地方特有のルールがあり、泊まる宿でご飯は食べること。そして、その料金は別となる。

ちょうど軒先でニュージーランド人とガイドが休んでいた。
会話の流れから、もうトレッキングを終えるということで地図を貰ってしまった。
ただでは悪いので、私は日本の伝統的扇子をお返しに渡して、物々交換が成立した。

午後3時にちょつと一眠り。
時計を見たら18時30分。疲れがたまっていたのかもしれない。というか、酔っていた(笑)

自家栽培の美味しい野菜の料理を頂きながら、1日の仕事を終えたシェルパ族のガイド達と会話する。

会話をまとめると、
○半年働き(3月から5月、9月から11月)、半年ホリデー。
○趣味は、クライミング、登山
○着ている人の服でその人の国がわかる。
○エベレストの雪が年々黒くなっている。
○トレッカーとガイドは、時々は一緒にご飯を食べるが、食べるものが違うときは別々。
○ごみをきちんと戻せば、お金になる仕組み。
○やくの糞は、役に立っている。

など貴重なお話を聴かせていただいた。
私のスケジュール工程を見せると、
「ベリーハード、ベリーディフィカルト、メイビーインポッシブル」と言われてしまった。。。

この先どんな困難が待ち受けているのか?

そして、ガイドも部屋に戻っていった。

静まりかえったロッジ、昼寝しすぎて寝れない私・・・

日記がすすむ^^
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エベレストBC6泊7日の旅 ①大臣と・・・

2014年06月20日 | 
 2014年 5月3日

イスラエルからタイ、そしてネパールへ。

タイでは、イスラエル旅の最中に、大学時代の友人がタイにいたのを思い出し、

連絡を急遽取り、泊まらせてもらった。

10年ぶりに話したにも関わらず、同じ年の友人は異国の地で元気に過ごしており、
パワーを補給。ずうずうしくも洗濯も全部させてもらう。

やはり洗濯機では、綺麗さも匂いもまるで違う(笑)


いざネパールへ。

今回で5度目のネパール。

異国という感じがせずに、ある意味第2の故郷になっている気がする(笑)

ネパールの心友ダルマ先生がいつものごとく空港に迎えに来てくれている。


歓迎もそこそこに、ダルマ先生が予約してくれていたゲストハウスにチャックインする。

本来ならば一緒に食事でもとなるところであったが、
すぐにヒマラヤガイドのエージェンシーに連れて行ってくれた。


事前に私のことを説明してくれていて、トレッキングの許可証から航空券まで全て滞りなく完璧に用意してくれていたのだ。
この会社で一枚のシェルパ族ガイドの写真を見せてもらった。


昨年からエベレストBCに私が行きたいとダルマ先生に相談した時に、彼は柔道の教え子の親であるこの方に相談してくれていた。

エベレスト9回登頂のスーパーマンだ。

そんな方も今年4月18日に起きたエベレストの雪崩で命を落としてしまった。

人の命は儚い。

本当ならば、会ってお礼をしたかったけど。

何が出来るわけではないけれど、ご冥福をお祈り申し上げます。

優秀なガイドを多数輩出するこのエージェンシーはネパールでも屈指の会社。

そんな会社のマネージャーから、今回の私の日程はかなり厳しいことを指摘された。

そして、身体に異変を感じたらすぐに下山をするかその場で様子を見るように伝えられた。

エージェンシーを出ると次に試合会場に連れて行かれた。

ミニストリーさんと会うアポがあるらしい。

テコンドーの国際大会が近くで開かれていた。

開会式終了後にダルマ先生は群衆をかき分け、偉そうな方と会話している。

そして、厳重な警備をされている車にダルマ先生と共に私もなぜか乗り込んだ。

話をまとめると、ミニストリーとは人の名前ではなく、

スポーツ省の大臣であった。

って、いつの間にかダルマ先生は大臣とも接するようになり、相互に意見を交わす立場になっていたのだ。

びっくり仰天!!


月日の流れと共に人がステップアップしていく様を目の当たりにしている。

明日は4時30分起床。寝坊しないように起きなければ!!
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イスラエル・パレスチナの旅 ⑨ライフスタイル編

2014年06月19日 | 
 イスラエル・パレスチナライフスタイル特別編です。

実際に行かれる方は、旅の参考までに。

イスラエル ライフスタイル編

物価が思ったよりも高いイスラエル。

どのようにして私がイスラエル・パレスチナの日々を過ごしたのかお伝えします。

○移動
・距離にして5km以内なら約30分で移動できるので、歩くか走って移動。

・トラム等に乗る際は親切そうな方の後ろに並び、お金を渡して一緒に買ってもらう。

○夕飯以外は自炊を中心。
・自炊と言っても面倒くさがりのため、シリアルを購入してヨーグルトと一緒に食べる。
・お腹がすいたらサンドイッチ640円。
(*夜は外食にして、それぞれの国の料理を楽しむ。)
・地元の人しか入らないお店で食べる。もちろん英語のメニューなどないので、
 食べている人のお皿を指して頼む。

○洗濯
・ボディーソープを洗剤代わりにして、身体と一緒に洗う。一石二鳥。

○会話
・ボディーランゲージと英語と日本語をミックスして使う。

○宿泊
・初日だけはネットから予約するが、それ以降は直感で決める。
・イスラエルのホテルのシングルは安いところで6500円。期待を持たない方がいい。
・安く済ませたい方はドミトリー。一泊2000円前後で泊まれる。ただし、他の方のいびきや匂いに無頓着であることが重要。

○買い物
・お店等で日本のような接客を求めてしまうとがっかりする。なので、期待は持たない方がいい。

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イスラエル・パレスチナの旅 ⑧イスラエル最終日

2014年06月19日 | 
2014年5月1日

エルサレム最終日、誰よりも早起きして、一番で岩のドームの行列に並んだ。
後から来たユダヤ教の方々に先を越されたが、
入り口で一番を譲ってくれた^^


最後の最後で岩のドームに来ることができ、これで私のエルサレム聖地巡りが終焉を迎えた。


テルアビブに戻り、初日と2日目に、お世話になったサルーが働くユダヤ人のお金持ちの家でご飯をご馳走になり、イスラエルを出国した。



約1週間滞在して、思ったこと。

歴史についてそんな詳しくないし、思慮が深いわけでもない。

ただ、現地に行って、肌で感じたことをつらつら書きたい。

日本には表現の自由があり、このブログで色々と書いたところで捕まったり、殺されたりすることはまずない。

もし、私がちょっと規則の厳しい国に今のままでいたらあっという間に来世へジャンプしている。

アラブ人(パレスチナ人)とユダヤ人(イスラエル人)はまるで違う。

もし、日本的な表現を用いて分かりやすく伝えるならば、

アラブ人=基本的にマイペース。どちらかと言えば、日本で言う草食系、ゲーマー、

ユダヤ人=近代的、体育会系。イケている人達。

これは私見だが、学校のクラス40名の担任を持ち、皆どことなく同じ雰囲気でのんびり、人に必要以上に関与せず生活していた。そこへ、転校

生が数名現れる。

その転校生が、勉強も運動もでき、意見も強いイケている人達だったとする。そうなると、クラスの雰囲気ががらりと変わる。

のんびりおっとりしたクラスメイトの中に、イケているクラスメイトが集まり始め、次第にクラス内で力を持ち仕切っていく。

こんな時、学級運営の上手な先生ならばどうするのだろか?


もちろん国の歴史、宗教、約束事など諸々あるが、それが1週間過ごして、パレスチナとイスラエルを走って感じたことだ。

ユダヤ人もパレスチナ人も基本皆いい人だ。道を聞けば教えてくれるし、トラムの切符も誰かが代わりに買ってくれる。

そして、街中で多数見かけた心を病んでしまった兵役後の若者が少なくない。

私は軍隊とは「勝利至上主義」であると思う。

例えば、銃を持つときに

「私には重くて持ち上げられません」などと言えるだろうか?

また、「今日の訓練は体調不良でできません」などと言えないと思う。

戦場では勝つか負けるしかないのだから。

よって、自然にその価値観としては、強いことがいいとされる考え方になる。

組織で上にいく人達もまたそのふるいにかけられて、残った人たちである。

こんなことを言うと語弊があるかもしれないが、

「強い人 は 弱い人 の気持ちを分かりにくい」

(ここでいう強い人は、頭脳明晰で肉体的・精神的にタフな方)

と思う。

弱くなって初めて弱い人の気持ちがわかる。

その勝利至上主義にも限界はくる。勝つ・得る、もっともっともっと・・・

それには際限がない。

科学が発展して、地球の資源が有限であることが分かった。

インターネット等の整備により、世界各国の情報が手に入りやすくなった。

発展した科学と情報網により分かり始めている。

偏りすぎた教育や宗教という名を借りたマインドコントロールも、

いつか終わりを迎えていくと

願いたい。


地球という星のもとで、有限な資源と向かい合い知恵を出し合い、争いが減って、

平和を築いていくのはそう遠くない未来である気がする。

そして、その重要な役割を担うのが人の上に立つ“リーダー”の使命だということを感じた。

何だか、ちょっと真面目に考えてしまったけど、

イスラエル・パレスチナありがとう!!

いつか分離壁がなくなることを祈って!!



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