2014年4月30日
予定ではエルサレム最終日。
そこそこ早く起きて、岩のドームに入るが長蛇の列。2時間以上待ちそうだ。
待つか?待たないか?
私の直感は「待たない」を選んだ。散歩して宿に戻る。
今日の私の予定は、イスラエルとパレスチナの「混沌」を垣間見る地ヘブロンへ行きたかった。
しかし、ガイドブックには載っていない場所。
一人で行くには、正直気が引ける。
何かいい方法はないかと考えていると、宿に2人の日本人が現れた。
久々の日本語で会話して、どこに行くか尋ねてみると
「ヘブロンへ・・・」
「きっ、きたー!!」と思わず心の中で叫んでしまった。
即席の日本人旅人チームが出来上がり、3人で一緒にヘブロンに行くことになった。
1人は新聞社社長兼記者のOさん、そしてもう一人は英語が堪能な女性Sさん。
これは心強い!!
アラブバスに乗り、降りてからは乗り合いタクシーで目的地のヘブロンへ。
ここは、イスラエル治安機関とパレスチナ過激派グループとの間で銃撃戦が発生していて、
ユダヤ人とパレスチナ人の対立を象徴する街でもある。
タクシーを降りると英語が流暢な1人の青年が、窮状を訴えたいとガイドを申し出て案内してくれた。
S1と呼ばれるこのエリアは、パレスチナ人のみが住んでいるところでお店も普通にあるし、
大変賑わっているようにみえた。しかし、行き止まりに着くと、バリケードかチェックポイントになっており、
ユダヤ人兵士がライフルを持って監視をしている。
ある場所で、私が見張りの兵士にカメラを向け覗き込むと、こちらに銃を向けてきた。
「マジかよ!」思わず、つぶやいた。
目の前のブルーシートでお店を開いている(多分、破壊された?)
お兄さんに「上の兵士の写真をこっそり撮って大丈夫か?」
聞いた。
「大丈夫だよ!!」と言って、ブルーシートをめくりあげ、兵士に目配せをした。
兵士もその目配せにわずかながらに応えた。
敵対するはずの両者も時間の経過とともに緊張感が薄まっているのかもしれない。
パレスチナの青年の説明では、
ここは鳥かごの中であり、刑務所のような場所だと説明してくれた。
生まれながらに、パレスチナ人というだけでテロリスト扱いされていると言っていた。
そして、10歳の弟は石を兵士に投げただけで2か月投獄されたと嘆いていた。
フェンスの先には許可証がないと行けないらしく、彼は行くことができなかった。
私達外国人はすんなりを通ることができ、先ほどの賑わいが嘘のようなゴーストタウンに出た。
兵士達は一様にけだるそうにしている印象を受けた。
それが暑さによるものなのか?
それとも、この現状に辟易しているのか?
やっていることの意味が分からなくなっているのか?
私には分からないが、少なくとも熱心に義務を果たしているようには映らなかった。
S1に戻り、パレスチナ人の笑顔の裏にある影の大きさは計り知れないと感じた。
そして、ベツレヘムへ移動し分離壁を見る。
イスラエル政府が自爆テロ防止を目的に、自治区を囲むように長さ800km、高さ8mのコンクリート製の壁である。
この壁には様々な絵が描かれており、平和や反戦などが訴えられていた。
何でこんな壁が必要なのか、私には意味が分からない。。。
エルサレムに戻り、もう一泊することにした。
相互に感じた“中東”をお互いに話して、エルサレム最後の夜が終わった。
予定ではエルサレム最終日。
そこそこ早く起きて、岩のドームに入るが長蛇の列。2時間以上待ちそうだ。
待つか?待たないか?
私の直感は「待たない」を選んだ。散歩して宿に戻る。
今日の私の予定は、イスラエルとパレスチナの「混沌」を垣間見る地ヘブロンへ行きたかった。
しかし、ガイドブックには載っていない場所。
一人で行くには、正直気が引ける。
何かいい方法はないかと考えていると、宿に2人の日本人が現れた。
久々の日本語で会話して、どこに行くか尋ねてみると
「ヘブロンへ・・・」
「きっ、きたー!!」と思わず心の中で叫んでしまった。
即席の日本人旅人チームが出来上がり、3人で一緒にヘブロンに行くことになった。
1人は新聞社社長兼記者のOさん、そしてもう一人は英語が堪能な女性Sさん。
これは心強い!!
アラブバスに乗り、降りてからは乗り合いタクシーで目的地のヘブロンへ。
ここは、イスラエル治安機関とパレスチナ過激派グループとの間で銃撃戦が発生していて、
ユダヤ人とパレスチナ人の対立を象徴する街でもある。
タクシーを降りると英語が流暢な1人の青年が、窮状を訴えたいとガイドを申し出て案内してくれた。
S1と呼ばれるこのエリアは、パレスチナ人のみが住んでいるところでお店も普通にあるし、
大変賑わっているようにみえた。しかし、行き止まりに着くと、バリケードかチェックポイントになっており、
ユダヤ人兵士がライフルを持って監視をしている。
ある場所で、私が見張りの兵士にカメラを向け覗き込むと、こちらに銃を向けてきた。
「マジかよ!」思わず、つぶやいた。
目の前のブルーシートでお店を開いている(多分、破壊された?)
お兄さんに「上の兵士の写真をこっそり撮って大丈夫か?」
聞いた。
「大丈夫だよ!!」と言って、ブルーシートをめくりあげ、兵士に目配せをした。
兵士もその目配せにわずかながらに応えた。
敵対するはずの両者も時間の経過とともに緊張感が薄まっているのかもしれない。
パレスチナの青年の説明では、
ここは鳥かごの中であり、刑務所のような場所だと説明してくれた。
生まれながらに、パレスチナ人というだけでテロリスト扱いされていると言っていた。
そして、10歳の弟は石を兵士に投げただけで2か月投獄されたと嘆いていた。
フェンスの先には許可証がないと行けないらしく、彼は行くことができなかった。
私達外国人はすんなりを通ることができ、先ほどの賑わいが嘘のようなゴーストタウンに出た。
兵士達は一様にけだるそうにしている印象を受けた。
それが暑さによるものなのか?
それとも、この現状に辟易しているのか?
やっていることの意味が分からなくなっているのか?
私には分からないが、少なくとも熱心に義務を果たしているようには映らなかった。
S1に戻り、パレスチナ人の笑顔の裏にある影の大きさは計り知れないと感じた。
そして、ベツレヘムへ移動し分離壁を見る。
イスラエル政府が自爆テロ防止を目的に、自治区を囲むように長さ800km、高さ8mのコンクリート製の壁である。
この壁には様々な絵が描かれており、平和や反戦などが訴えられていた。
何でこんな壁が必要なのか、私には意味が分からない。。。
エルサレムに戻り、もう一泊することにした。
相互に感じた“中東”をお互いに話して、エルサレム最後の夜が終わった。