人生修行の旅

「笑って、野垂れ死ぬ!!」
そのために、この人生をどう生きて、この命を何に使うか?人生一度きりの生き方を実験中!!

イスラエル・パレスチナの旅 ⑦対立の象徴の街“ヘブロン”

2014年06月13日 | 
 2014年4月30日

予定ではエルサレム最終日。

そこそこ早く起きて、岩のドームに入るが長蛇の列。2時間以上待ちそうだ。

待つか?待たないか?

私の直感は「待たない」を選んだ。散歩して宿に戻る。

今日の私の予定は、イスラエルとパレスチナの「混沌」を垣間見る地ヘブロンへ行きたかった。

しかし、ガイドブックには載っていない場所。

一人で行くには、正直気が引ける。

何かいい方法はないかと考えていると、宿に2人の日本人が現れた。

久々の日本語で会話して、どこに行くか尋ねてみると

「ヘブロンへ・・・」

「きっ、きたー!!」と思わず心の中で叫んでしまった。

即席の日本人旅人チームが出来上がり、3人で一緒にヘブロンに行くことになった。

1人は新聞社社長兼記者のOさん、そしてもう一人は英語が堪能な女性Sさん。

これは心強い!!

アラブバスに乗り、降りてからは乗り合いタクシーで目的地のヘブロンへ。



ここは、イスラエル治安機関とパレスチナ過激派グループとの間で銃撃戦が発生していて、

ユダヤ人とパレスチナ人の対立を象徴する街でもある。

タクシーを降りると英語が流暢な1人の青年が、窮状を訴えたいとガイドを申し出て案内してくれた。

S1と呼ばれるこのエリアは、パレスチナ人のみが住んでいるところでお店も普通にあるし、

大変賑わっているようにみえた。しかし、行き止まりに着くと、バリケードかチェックポイントになっており、

ユダヤ人兵士がライフルを持って監視をしている。









ある場所で、私が見張りの兵士にカメラを向け覗き込むと、こちらに銃を向けてきた。

「マジかよ!」思わず、つぶやいた。

目の前のブルーシートでお店を開いている(多分、破壊された?)

お兄さんに「上の兵士の写真をこっそり撮って大丈夫か?」

聞いた。



「大丈夫だよ!!」と言って、ブルーシートをめくりあげ、兵士に目配せをした。



兵士もその目配せにわずかながらに応えた。

敵対するはずの両者も時間の経過とともに緊張感が薄まっているのかもしれない。

パレスチナの青年の説明では、

ここは鳥かごの中であり、刑務所のような場所だと説明してくれた。

生まれながらに、パレスチナ人というだけでテロリスト扱いされていると言っていた。

そして、10歳の弟は石を兵士に投げただけで2か月投獄されたと嘆いていた。

フェンスの先には許可証がないと行けないらしく、彼は行くことができなかった。

私達外国人はすんなりを通ることができ、先ほどの賑わいが嘘のようなゴーストタウンに出た。



兵士達は一様にけだるそうにしている印象を受けた。



それが暑さによるものなのか?

それとも、この現状に辟易しているのか?

やっていることの意味が分からなくなっているのか?

私には分からないが、少なくとも熱心に義務を果たしているようには映らなかった。

S1に戻り、パレスチナ人の笑顔の裏にある影の大きさは計り知れないと感じた。







そして、ベツレヘムへ移動し分離壁を見る。

イスラエル政府が自爆テロ防止を目的に、自治区を囲むように長さ800km、高さ8mのコンクリート製の壁である。





この壁には様々な絵が描かれており、平和や反戦などが訴えられていた。

何でこんな壁が必要なのか、私には意味が分からない。。。



エルサレムに戻り、もう一泊することにした。

相互に感じた“中東”をお互いに話して、エルサレム最後の夜が終わった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イスラエル・パレスチナの旅 ⑥出逢いと別れと出逢い

2014年06月12日 | 
 2014年 4月29日

朝10時。ひどい二日酔いだ。

洗面台では昨日の飲みはどこへやらSOSO隊長が身支度を整えて、出発の準備をしていた。

さすが鍛え方が違う!!と思いきや、昨夜最後まで一緒に飲んでいた連中は床にうつ伏せになって倒れている。

よかった、同じ人間だ!!

あんなに飲んでケロッとしていたら、化け物だ。

昨日、一昨日と二日間もご馳走になってしまったお礼に、筋トレ&即席でストレッチポールを作り指導した。











皆鍛えることには慣れていたが、自分のバランス感覚を良くすることや自分でリカバリーをすることには慣れていない。

約15分の指導だったが、その効果に驚いていた。日本に戻ったら、ストレッチポールを送ることを約束した。



この日は国連の車で死海まで送ってもらう予定だった。




しかし、諸事情によりシリア近郊まで行くルートが変わり、死海方面には行かないことに。

「申し訳ない」と謝ってくるが、気にしないでと伝えた。というより、観光の私が乗った方がまずいでしょ(笑)


彼らと別れの挨拶をした。



たった2日間だったが、その行動から、人との接し方やリラックスの仕方など様々な事を学ばせてもらった貴重な時間だった。

祭りの後のような寂しさと二日酔い。



流れが止まったら、また流れる場所まで行けばいい。

出逢いがあれば、別れがある、そしてまたいつか再会がある。

昨日行くことのできなかった「死海」に目的地を定めた。



ただ、時間は11時を過ぎている。

死海まではバスで1時間30分。しかも本数は多くないという情報。

果たして、行けるのだろうか?

急いで身支度を済ませて、トラムに乗ろうとすると、寸前で扉が閉まり行ってしまった。バスステーションに到着しても、

私の前で満員になり行ってしまった。次は、1時間後・・・

麻雀で言えば、屑牌が続くような流れ。

それでも、「これは何のチャンスだろうか?」

と考えて、前向きに捉える。


バスを待っていると50~60歳くらいの一人の女性が話しかけてきた。

名前はアイリーン、アメリカのビバリーヒルズに住むお茶目で冒険好きな女性だった。

話しかけてくれたのには2つ理由があって、

一つはアイリーンがアメリカで習うチゴン(多分、気功?)の有名な先生と雰囲気が一緒だったということ。

そして、もう一つはビブラムシューズを履いていたこと。

彼女もアメリカで履いているらしく、とてもいいと絶賛していた。

身に着けている者でその人の価値観なども分かる時もあるが、ビブラムシューズなどはまさに履いている人の価値観が出やすいアイテムだ。

そして、当然ながらここでは宗教の話になる。私が「ブッディスト」というと、彼女も同じという。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教が大半を占める中で珍しい。

「あなたはどこまで?」

「死海まで」

「それは分かっているわ。死海にも色々とビーチがあるのよ」

えっ、あまりガイドブックを見ていなかった私は死海にいくつかビーチがあることを知らなかった。

そして、二日酔いとバス酔いでガイドブックを見る余裕もないこの状況。

兵士もいるし、ビーチに行きそうな人はそんなに多くなさそうだ。

「アイリーンにお任せするよ。死海ならどこでもいいよ。とりあえずお休みなさい」


「降りるわよ」起こされて降りる。

そして、私はダッシュでトイレへ(笑)

どうやらそこは目的のビーチ(有料のスパ)ではなく、無料のビーチだった。

「運転手に有料のスパで降ろすように言ったのに、違う場所で降ろされた!!」

とアイリーンは怒っている。

有料のビーチは25ドルくらいでロッカーやシャワー、泥パックが完備されているらしい。

タクシードライバーに交渉するとそこまで50シュケルで乗せてやると言う。明らかに高い。

アイリーンが別のタクシーと交渉をして、2人で25シュケル(800円くらい)という。

車に乗り走り出すと、ドライバーが「一人25ドル」と騙される典型のパターン。

その瞬間、アイリーンが怒ってドライバーに食ってかかった。

「それは約束違うんじゃないの!!二人で25シュケルって言ったじゃない!!ふざけないで、早く元に戻りなさい!!」

そして、いかついドライバーも逆上して、

「ふざけるな」というようなことを連呼して、クラクションを鳴らしまくって怒っている。

一歩も引かない両者。

「この人どこかで殴られるのではないか?」私が心配になるくらいに言い返すアイリーン。

熱いバトルの末、結局二人で30シュケル(約1000円)になった。

いや、なかなかいい戦いだった。

って、銃が出てこなくて本当に良かった^^

さあ、気分を入れ替えて死海は本当に浮くのか?



腿上ほどの深さの中でゆっくり腰を下ろすと、

「浮かんだ!!」

不思議な感覚でぷかぷか浮きながら空を見上げていると、

そこに不思議なイスラエル人女性も加わり3人で会話する。



みんな英語なのに、なぜか私の英語とイスラエル人の英語がお互いに全く通じずに、

アイリーンに通訳してもらう結果に・・・

うーん、これはもう一度勉強し直さねば。

時計を見るといつの間にか1時間30分も浮いていた。

全身がひりひりする。

最終のエルサレム行のバスに飛び乗った。時間ぎりぎりだった。

3人で夕食を食べようとユダヤ人御用達のお店に連れて行ってもらった。

頭にキッパと言われる特徴的な帽子とスーツ姿の人が店内には多くいる。

いつもながら注文は全てお任せだ。

海外に来ると、私の場合「Up to you」(あなたにお任せ)となる。

話がダイエットの話題になり、ちょっとふくよかなイスラエル人女性の

ダイエットカウンセリングが始まった。

朝、昼、夜の食事と運動量を聞くと、

かなりの量を食べ、運動はしていなかった。

それでは、痩せるはずはない。

「えーそうなの?」

と驚く、イスラエル人女性!!

「そこは驚くところではないでしょ!!」と突っ込みを入れたくなる(笑)


私が学んで実践している方法と

アイリーンがビバリーヒルズで実践しているチゴン(気功?)の先生やその他の先生から

学んだ方法がほぼ同じだったため、英語を英語で通訳してもらいながらアドバイスをした。

美しくなりたいという女性の想いは世界共通なのだと痛感した。

最後に、「アジアの人は見わけがつかないわ」というイスラエル人女性の

一言に本日最後アイリーンがキレた!!

「日本人は礼儀正しくて、誠実で、優しいのよ!!行動を見ていればすぐにわかるわ!!」

なぜそんなに日本びいきをしてくれるか分からないけど、

今日共に行動したことで、たまには私も日本のイメージアップに貢献できたかな(笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イスラエル・パレスチナの旅 ⑤パレスチナーイスラエルマラソン

2014年06月11日 | 
 2014年4月28日

朝早くに目が覚める。

昨晩の飲みすぎで、だいぶ頭が痛い。

今日はせっかくエルサレムに来たので、

午後まで一人で死海で浮いてこようと思う。


近くのバスが集まる場所に行き、「DEAD SEA」と言っても通じない。

というか、そこ行きのバスはないという。

それならしょうがない!!とあっさり目的地変更(笑)

*死海行のバスはイスラエルのバスステーションからで、私はアラブバスステーションにいました。



それならば、やってみたかったことを急遽変更!!


「パレスチナーイスラエル マラソン大会」を開催!

まずはバスで30分くらいかけて、パレスチナ自治区のベツレヘムへ移動。

ここはキリストさんが生まれたところとして、
有名な地である。

さっそく教会に行き、


マラソン大会の無事を祈願!!

って教会でそんなお願いしていいのか?だめなのか?

もし、場違いならごめんなさい。。。

まあ、きっと心が広いからいいか。

余談だけど、

私の東京マラソンの勝手にライバルは、

キリストさんだ。




エネルギー補給のため旅の恒例となった
サンドイッチ20シュケル(約640円)を食べて、

気温が30度を超えて、乾燥してすぐに水分が出てしまうので、

水をぐびぐび飲んだところで、

「ヨーイドン」

目的地のエルサレムまで走って帰ります。



スタート早々

道が分からないため行く先々で「ジェルセレーム」と聞きながら走ります。

「おい、何で行くんだ?」

「走っていくよ!」

「正気か?こんな暑い中だし、すごく遠いぞ!」

「分かった。ほんとはお金がないんだな。バス代貸すぞ!」

「いホントに走るのが好きなんだ」

「うーん、私はお前を理解できない。」
「私も同じだよ。」

と笑って、握手して笑顔で別れる。なんだか楽しい。



また、タクシードライバーが乗らないかと勧めてきたのを、

丁重に断ると、履いていたビブラムシューズに興味深々。



「何だね、この靴は?」

「履いてみるかい?」



「ほぉ~これは面白い!!さては、お主“ニンジャ”だな!?」

「なんでお前、分かったんだ!!さてはお主は“エスパー”だな!?」



そんなアホな会話を繰り返しながら、パレスチナ自治区を走る。



ふいに、行き止まりになった。



“向こう側”に行くには、チェックを受ける必要があるようだ。



アラブ人たちに交じり、ランニング姿の私が一人完全に浮いている。

1人1人カードを見せて、照合をしている。
同じ地域なのに、チェックポイントでカードを見せないと通過できない。
なんだか不自然さを私は感じる。

外国人の私は、パスポートをちらっと見せるだけで通過できた。


パレスチナ自治区からイスラエルへ。

エルサレムまでの道のりは整備された道路が続く。

道行く人に道を聞いても、方向は教えてくれてもその後の会話が続かない。

誰もビブラムシューズに興味を持ってくれない。

もうちょい突っ込んでくれ!!と心の中で思いつつ、

まあ、日本でも同じだし、都会はこんなものかと納得。



スタートから2時間。何度か道を間違えながらもエルサレムに到着。




「いやー暑かった・・・」

ゴール後に、聖地パワーを頂くために、

嘆きの壁でお祈りをして、


一眠りして国連フィジー兵士達と夜の新市街に繰り出した。


お店は高いので、商店のような前にテーブルとイスがあるところで、ウイスキーのコーラ割をフィジー流で頂く。



ちなみに私が教えてもらったフィジースタイルとは、誰か一人が仕切り役で、お酒を作ってそれを1人に渡す。



渡された方は、一気に飲み干しそのコップを戻す。

そして、仕切り役が次の方へ注いで渡すというやり方で、ずっと一気飲み(そんなに量はないけど)が続いていく。

ふいに一人の方が50mくらい離れた所で一人飲む黒人を見つけ、話しかけて連れてきた。

「友達なの?」と聞いたら、

「一人で寂しそうに見えたから、声を掛けて連れてきたよ」

そして、まるで昔からの友達のように宴が再開されて続いていく。

何とも気持ちのいい連中だと思った。

ウイスキーボトル一本を飲みほし、次の店に移動した。私の意識は少し朦朧としている。

イスラエルの若者が多く飲んでいる場所に私達にも踏み入れた。



最初は、怪訝な目をされた。しかし、そこはフィジー人。いつものペースで周囲たちが引き込まれている。



どのくらい飲んだだろうか。

ふいに一人のフィジー人が立ち上がり叫んだ。

「No Black No White No Yellow We are all one」

その場にいた人々一つになった。

現実の世界にいるのか?映画の中なのか?

私は魂が震えた。

こんな人々が増えていけば、争いが減っていくのに。。。



深夜2時半・・・

それぞれが自分のやりたいことや夢を話していった。



これは夢か幻か、ひどい酔いとともにエルサレムの夜が過ぎていった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イスラエル・パレスチナの旅 ④エルサレムで国連兵士と交流

2014年06月09日 | 
 2014年4月27日

今日から、本格的に旅をスタート!!

2日間のバカンスと仕事を終えて、旅モード全開。

乗合タクシーに乗り、大きなバスセンターへ。

どこ行けばいいのか分からないが、とりあえず耳のつぶれた職員に

「ジェルセレーム?」と聞いてみる。

そして、耳を指さし「JUDO PLAYER?」と聞くと、「YES」とのこと。

私の耳も見せると喜んでくれて、丁寧に行先を教えてくれる。

高校時代に柔道の稽古で先輩につぶされた耳がイスラエルで初めて役に立ちました!!

発車寸前のエルサレム行きに飛び乗った。

ほぼ兵士で満席状態の中、一席だけ空いていた。

体格の良さと軍服の違いから、上官なのだろう。縦社会の世界では、基本的に怖い上の人には近寄りたくない。どこの国も同じなのだろう。

バスを降り、トラムという路面電車に乗りたい。

異国の地では乗り物に乗るのも一苦労だ。

切符を自動販売機で買うために前の人のボタン操作を真似ようとも覚えられず、結局周りの親切な人が押してくれて買うことができた。

ヨーロッパのような街並みの新市街から、


旧市街へ。



銀座と京都が隣り合っているような感じだ。

城壁の中に入ると一気に雰囲気が変わる。地球の歩き方を頼りに、

地域最安値のドミトリーがある宿を探す。

12人部屋1泊2000円弱。+1日150円で貴重品ロッカーを付けた。



海外版引きこもってしまった方達に、簡単に挨拶を済ませると、早速迷路探検だ。

このエルサレム旧市街は周囲4kmくらいの城壁


に囲まれ、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の聖地が混在している不思議な場所だ。

なぜ、そうなったのは、私に聞かないでほしい。(笑)高校時代、世界史の授業というか、

全ての授業に置いて、寝てしまっていた。授業料が無料だったので、遠慮していたということにしておこう。

今になって勉強しなかったことを後悔しているが、もしたくさん勉強していたらこんな人生を歩んでなかったとも思うので、これでよかったのしれない。

ダビデの塔



キリスト最後の場所聖墳墓教会







30分くらいのんびり登った丘の上にあるキリストが昇天したと言われる昇天教会



皆が何か儀式なようなことをしている。

何だかわからないが、何となく一緒に裸足になって、瞑想して交じってみる。




なんだか、私も昇天したくなってきた。



とゴールドマンに変身して、

昇天!!



意識が空高く舞い上がっていった!!


暑く乾いた気候の中を歩き回る。

夕方宿に戻って、日本から持ってきた

「そうだったのか!現代史」池上彰

さんで復習と予習をした。

本の中を読み込み、今、自分がいるこの場所で、

侵略と戦争と和平、解決しない難しい問題が現在も続いている。

様々な民族紛争によるテロ事件など日本にいるとほとんど考えることもないし、たまにテレビで目にしても遠い国の話だ。

それが、今は現実として「ここ」にいる。

不思議な感じがする。




いつの間にか寝てしまっていた。

起きて、フロント前のリビングでボーっとしていると、何やら騒々しい人々が宿に入ってきてチェックインをしている。

筋骨隆々の体育会系黒人集団、どこかのラグビーナショナルチームなのだろうか、私は質問してみた。



返ってきた答えは、「UNソルジャー from フィジー」。

風が吹き始めた。

初対面にも関わらず、会って10分くらいで意気投合し、一緒に食事に出掛け色々と会話する。



イスラエルとシリアが戦争を起こさないように、国境付近でチェックしていることなど先ほど本で読んでいた世界が今この前にやってきた。

私はそれからの2日間この国連フィジー兵士達と行動を共にした。

彼らの人に対する接し方は、抜群に素晴らしく、学びの多いものであった。

例えば、イスラエル兵士は人々に対して威圧的で上から目線の対応をする。民族間でも、そのような風潮があった。

そんな中で彼らは、アラブ人にもユダヤ人にもその他の国の人々にも、

上でもなく、下でもなく、

それ以上でも、それ以下でもなく、

公平・公正に接する。

相手を尊重しつつ、フレンドリーなのだ。

その結果、相手が心を開いて笑顔になる。そんな場面を共に行動させてもらった2日間で数々見た。

そして、SOSO隊長の任務の話からオーストリア、エジプト、イラク、ティモール、ニュージーランドなどの話を聴いた。

時には命掛けのミッションもあったそうだ。

「平和のために、大きな国が小さな国にお金を与えるのをやめるといい。大国がお金をあげて、代わりに戦争やテロをさせている。」

フィジーは裕福な国ではない。国連に加盟して、お金を出せない代わりにこのように兵士を出している。

その現場で働く隊長の言葉一つ一つが重く私の胸に突き刺さる。



「北部のアラブ人(パレスチナ人)は、ユダヤ人を嫌っていないんだよ。だけど、ユダヤ人がアラブ人を嫌っているんだよね。」

なぜなのか?

私の英語力では分からないし、そう簡単に答えの出る問題でもない。

一緒にお酒を新市街まで30分かけて買いに行く中で聞いた話は貴重だった。


「さあ、yama飲もう!!休む時は、リラックス!!それが、フィジー流だ」と、

皆それぞれが酒をどこからか調達してきて、宿のフロント前の宴が始まった。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イスラエル・パレスチナの旅 ③思索に耽る

2014年06月09日 | 
 2014年4月26日

朝起きて走りに行く。

ビーチ沿いの南北に伸びた約20kmのコースを多くの人が走っている。



見ていると、楽しく走るというファンランよりも苦しさに打ち勝つために走るストイックランをしている。

ハーハーゼーゼーいいながら、自分を追い込むことで更なる強さを身につけようとしている。

強さの先には、何があるのだろう。。。

かつて、私も勝利至上主義の中で小さい頃から過ごしてきた。
敗けることは有りえないことで、常に勝つことが義務付けられてきた環境だった気がする。

だから、その階段を踏み外すのがとても怖かった。
勝ち続けるということは、難しいことでよっぽど才能に恵まれて、努力し続けていかないと大変だ。そして、常にプレッシャーの中で生きる。

何度か階段を踏み外し、違う階段を私は見つけた。

急いで上る必要もないし、自分の好きなペースでいい。
ましてや誰かと争う必要もないし、疲れたら休めばいい。

走る人達のフォームを見ながら、
「ここでランニング教室」をやれば、かなり人気が出るだろうななどと妄想をしながら、約15kmのランを終えた。


期待の朝食は、

菓子パン1個とコーヒー一杯・・・

余計な期待はもうやめよう。



今日1日は「考えることをする日」にしてある。

忙しいと、先のことを考えなくなる。

何をしても忙しく出来ないところで、のんびり物思いに耽る。



海沿いのカフェで、一つ雰囲気のよさそうなところがあった。



その名も「Gold man」まるでここで私が物事を考えることを待ってくれていたかのように、
ぴったりの名前だ。



昼間からおススメのカクテルを頼み、ノートとペンを持って約2時間書き続ける。
5年前も同じことをチベットで行った。

そして、そのノートを「今」見返すとほとんど叶っているから不思議だ。

最後の刻からの逆算、○○年後、○年後、
どうなっているか分からないけど、不明確であればあるほど、楽しみでもある。





夕方、日本で一緒に働くネパール人シャムさんの親戚サルーさんがイスラエルにいるということで、連絡を取り合い待ち合わせた。

日本から通常の電話はできない設定にして、Wi-Fiがあれば通話料金がかからずに話ができるアプリを事前にインストール。

Wi-Fiさえあれば、お金もかからずにどこでも連絡が取りあえる。

10年前から旅に出ているが、確実に世界は変化している強く感じている。


数年前はどこにもインターネットカフェがあった。今は少なくなっている。あってもほとんど人はいない。

サルーさんの友人たちと一緒に買い物を楽しみながら、美味しいインド料理をごちそうになった。

カレーを食べるならば、この店が最高とのこと!!

食べた後に、

お金を払おうとすると、「いらない」と強く拒否された。

ただ遠くから来てくれたというだけで、私はご馳走になってしまった。


サルーは、話し方も対応も豪快な女性だった。

職業を聞いてみると「看護師」ということ。

看護師の家の子供専門の家庭教師を大学時代に私は行っていた。

子供の指導に入る前に、麦茶と称してウイスキーを飲ませてくれるなど、どの家の方も豪快だったのを覚えている。

私の中で世界中の「看護師」は、姉御肌で豪快とインプットされてしまった(笑)

イスラエルで人の温かさを感じた夜だった。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イスラエル・パレスチナの旅 ②バカンス?

2014年06月09日 | 
 2014年4月25日 

海岸近くのホテルに着いたが、チェックインまでの1時間どこかへ行ってくれと言われた。

「よし、また筋トレだ!!」

20kgのリュックを背負い、近くの海岸付近を散歩した。



ビールを一本購入するのに、640円くらいと「えっそんなに高いの!!」
と思わず日本語で突っ込んでしまった。

ちなみに1万円をイスラエルのシュケルに変えると、320シュケル。

100ドルは340シュケル。

地球の歩き方には、もっとレートが良く書いてあったけど、まあしょうがない。

というか、私の予算2日分を軽々と1日で使いそうだ。

オーバーしないように気を付けねば。

先はまだ長い。

そして、カードは多分使えるけど、もしかしたら使えないかもしれない。

一度、それをやらかして、ひどい目に合っている。。。

のに、それに対して学習してない私。

まあ、せっかくだからのんびりいこう!


適当な場所に腰を下ろして、広々とした空、真っ白な砂浜、綺麗な海を見る。

ここは、私がイメージしていた「イスラエル」ではない。


南に40kmくらい行けば、ガザ地区。

北に100km行けば、レバノン国境付近。

私がメディア等を通して目にしてきた「イスラエル」とは、

戦争やテロとあまりいい平和というイメージないが、

ここテルアビブの海岸では微塵もそんなことを感じではない。

ストレッチをして、

ベンチを利用して、二の腕を鍛えるトレーニングを行い、時間が経つのを

待った。





変質者で捕まらないか心配だったが、

まだふんどしにはなっていない。



ホテルはネットで見つけたそのあたりでは格安の1泊シングル約6600円の部屋。

かなりいい部屋と予想して入ったら、

2畳分くらいのスペースにベッドが置いてあるだけで、シャワーとトイレは共有。
上げられた期待と失望・・・



いい勉強になります!

街中を歩くと、そこら中に兵士がいる。

イスラエルでは、徴兵制があるため男性3年・女性2年の兵役がある珍しい国だ。

ホテルでWi-Fiを使って調べた情報によると、
徴兵制がある国は170カ国中67カ国。
そして、女性の徴兵制がある国は片手で数えられる程度。

徴兵制があるのが理由か分からないけど、どことなく皆「強気」だ。

体育会系の強豪チームみたいな雰囲気だ。

一度だけ、街中で目があった悪そうな男が近寄ってくる。

英語で色々と言ってきたが、

彼の英語が通じない私には何を言われているのかさっぱり分からない。

怒っているのだろうけど、怒られたって意味が分からない。

ただ、いつ攻撃されても大丈夫なように、心の準備はしておく。



ここは異国の地。旅に油断は禁物だ。


歩いては休み、休んでは歩く。

最初の2日間はのんびり過ごすことにしよう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イスラエル・パレスチナの旅 ①エピローグ

2014年06月09日 | 
 2014年4月25日 イスラエル・ベン・グリオン空港に到着!!

移動中は、ほとんど寝ていたような気がする。

この4か月間怒涛の忙しさで、ほぼ休んでいなかった。

ほぼ4か月休んでいないということは、

週2日×16週の32日休んでいいということになる。

ってさすがに、それは休みすぎのため、

ちょっと控え目に3週間のお休みを頂き、

旅にlet's go!


3月に新しいお店をオープンさせてからの旅への出発。

常識的に考えれば、普通は行かない。

「今」この時に行かなければ、一生後悔すると思ったし、

たった一度の人生^^

様々なやりくりを行い、多くの人々に色々なお願いをして旅に出た。

皆さんありがとう!!感謝しています!!


この3週間どんなことが起きるのか?

旅の始まりはいつも不安とワクワクが入り混じる不思議な感覚だ。

空港で荷物が出てくるのを待ちながら、機内の一席空けて隣だったイスラエル人女性と会話した。

彼女の職業が、フットマッサージやカウンセリングを通じてクライアントの健康のサポートだった。

私も自分の名刺に書かれた唯一の英語

「Health Revolutionist」(健康革命家)

を見せた。人は何か共通することがあると距離が縮まる。

荷物を持っている間、それぞれどんな方法で人々の健康をサポートするのか話が盛り上がった。



タイのトランジットでイスラエル行きの飛行機に乗る時は、約30分も人が入れ替わり、パスポートを見ながら、

「何年前にそこの国に行ったんだ?」

「どうして行ったんだ?何日?どこのホテルに泊まった?」

「イスラエルは何しに行くんだ?どこへ行くんだ?どこに泊まる?」

と質問を繰り返される。

私とのすれ違う英会話に明らかな苛立ちを示す職員。

そして、分からない英語に日本語で答えだす私。

かみ合わない両者。

出発までの時間で迫る中で、「地球の歩き方」を開いて懸命に説明する。

別室に連れて行かれ、入念な荷物検査とボディーチェックを受けて、無事飛行機に乗ることができた。

そんな状況でのイスラエル入国は結構疲れた。しかし、人と笑顔で会話することでその不安や疲れも消えていく。



電車には至る所に、軍服を着た兵士が乗車している。


目的地の駅で私が降車しようとしているところに、

兵士が乗り込んできた。


当然ぶつかり合い、私の大きなリュックに何かが引っかかってしまった。

私は強引に取ろうとすると、それはライフルだった。

「せめて、銃はリュックに引っかからないように持っていてくれ」と心の中でつぶやいた。


駅から宿まで約3km。

空を見上げながら、異国の地を歩く。


私の好きなタイプの雲が現れている。
(勝手にドラゴン雲と私は名づけている)



そして、ラッキーナンバーが出てきた。



今回も素晴らしい旅になる。

そんな気がした。

というか思い込む(笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人生修行の旅人がトレーナー雑誌「NEXT」に載りました!

2014年06月06日 | トレーナー
 人生修行の旅人と名乗りだして、

多分9年くらい経ちます。

名刺を渡すと、

「えっ、頭大丈夫?」

というような感じで、その後に興味抱いて話してくれる方は、

約1割。



それでも、そのご縁を大切に、

馬鹿にされても、名乗り続けて、

苦節9年。


やっと「人生修行の旅人」がトレーナー雑誌「NEXT」に載りました!!

掲載されているのは、ほんの少しなのですが(ゴールドマン・・・人生修行の旅人)

私にとっては大きな大きな一歩です!!

個人的には、もうこれで満足です(笑)




諦めず、己を信じて、やり続けると、

いつかたまにはいいこともあるんだなと改めて感じました。

編集者の方・取材してくださった方、

放浪中にサポートしてくれたスタッフの皆さん、

本当にありがとうございました!!



ゴールドマン・・・人生修行の旅人より



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅のことが滋賀新聞にちょこっと載りました!

2014年06月06日 | 
 エルサレムで偶然知り合り、1日一緒に旅をした

新聞社の社長兼記者の方が

記事で私のことをちょっぴり書いてくれています!!

タイトルは、

「若者よ、世界に踏み出そう」

です。



一緒に過ごした時間は12時間程度ですが、

お陰様で、通常ではなかなか行けない場所に行くことができるとともに、

後日送って頂いた記事を読ませていただき、

書き手のプロとして

見たこと、

聞いたこと、

感じたこと、

歴史や事実の裏付け

などなど大変勉強になりました!!

Oさんとの出会いに感謝するとともに、

記事で紹介いただき本当にありがとうございます!!



行きたい場所に、

一日遅くても行けなかったし、

一日早くても行けなった。

必要なときに必要な人が現れ、

事が進む。

あの旅は何か不思議な力が働いていたのか、

それが聖地エルサレムの力なのか、

私にはよく分かりませんが、

まあ、とにかく新聞に載りました!!

是非、ご一読ください!!

若者よ、世界に踏み出そう!!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする