このブログでは、平和主義と立憲主義の観点から、集団的自衛権の行使は認められないと主張してきました。今日は少し別の視点から、考えてみたいと思います。
高校生の修学旅行は、私のころは京都・奈良が普通だったかと思いますが、現在は沖縄が多いと聞きます。そのなかには当然、戦地跡の訪問もあるでしょう。戦争や武力行使の実際はこうだったんだと思い知らされます。言葉には尽くせない悲惨さです。これを見て、憲法9条のような考え方は大事だと考えるか、逆にこうならないように、これまでの9条解釈はおかしい(あるいは9条は改正すべきだ)と思うかは人それぞれでしょう。
ただ、昨今の集団的自衛権推進の主張には、戦争や武力行使は、最後は人間が命がけでするものだという意識が希薄なように感じられます。なぜ、自国民のためではない武力行使にそんなに前向きになれるのでしょう。前途有為な若者の血が流され、もしかしたら命が奪われるかもしれないことに思い至らないのでしょうか。
もう1点。軍隊はもちろん国民を守るためにあるのですが、かえって軍隊の存在が国民にとってマイナスでしかないこともあります。2・26事件や5・15事件はその典型でしょう。
朝ドラ『ごちそうさん』の後半にいやというほど出てきましたが、空襲のときは逃げろと当たり前のことを言ったら逮捕されたり、犬死に等しい兵役に駆り出されたり、わが国は軍事力によって他国民ばかりか自国民にも悲惨な状況を強いたという負の歴史があります。
9条が象徴する平和主義は、それに対する反省の証ではなかったのでしょうか? もう反省は十分ということですか。近ごろの流行は、わが国の軍事力が小さいと心配、大きければ安心という考え方一辺倒に感じます。
高校生の修学旅行は、私のころは京都・奈良が普通だったかと思いますが、現在は沖縄が多いと聞きます。そのなかには当然、戦地跡の訪問もあるでしょう。戦争や武力行使の実際はこうだったんだと思い知らされます。言葉には尽くせない悲惨さです。これを見て、憲法9条のような考え方は大事だと考えるか、逆にこうならないように、これまでの9条解釈はおかしい(あるいは9条は改正すべきだ)と思うかは人それぞれでしょう。
ただ、昨今の集団的自衛権推進の主張には、戦争や武力行使は、最後は人間が命がけでするものだという意識が希薄なように感じられます。なぜ、自国民のためではない武力行使にそんなに前向きになれるのでしょう。前途有為な若者の血が流され、もしかしたら命が奪われるかもしれないことに思い至らないのでしょうか。
もう1点。軍隊はもちろん国民を守るためにあるのですが、かえって軍隊の存在が国民にとってマイナスでしかないこともあります。2・26事件や5・15事件はその典型でしょう。
朝ドラ『ごちそうさん』の後半にいやというほど出てきましたが、空襲のときは逃げろと当たり前のことを言ったら逮捕されたり、犬死に等しい兵役に駆り出されたり、わが国は軍事力によって他国民ばかりか自国民にも悲惨な状況を強いたという負の歴史があります。
9条が象徴する平和主義は、それに対する反省の証ではなかったのでしょうか? もう反省は十分ということですか。近ごろの流行は、わが国の軍事力が小さいと心配、大きければ安心という考え方一辺倒に感じます。
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