法学を志す人たちに、法律家の勇気、素晴らしさを知ってもらおうとお薦めするのが、清水聡『気骨の判決』(新潮新書)です。以下、同書の受け売り。
選挙の効力が争われたのは、昭和17年の衆議院総選挙、いわゆる翼賛選挙です。当時わが国は、太平洋戦争の遂行に協力するために政党は解散し大政翼賛会が作られていました。しかし、これに協力しない立候補者もいて、推薦候補と非推薦候補が激しく争ったのがこの翼賛選挙です。非推薦候補には、片山哲、鳩山一郎、芦田均、三木武夫という戦後に首相になった4人もいました。
警察や県当局による露骨な選挙干渉、すなわち非推薦候補への選挙妨害が行われ、多くの非推薦候補は落選しました。不公正な選挙だとして、各地で選挙無効訴訟が提起されました。そのうちのひとつ、鹿児島2区について、当時の最高裁判所だった大審院第3民事部(吉田久裁判長)は、選挙の自由と公正が侵害されたとして選挙無効、再選挙を命じたのです(当時、選挙訴訟は大審院だけの一審制でした)。
ときに昭和20年3月1日、終戦間際の日本がどん底の時期に正しくないことやめさせた、まさに「気骨の判決」。法律関係者の一人として深い感動を覚えます。誰もが知っている大津事件(1891年)と並ぶ、わが国の司法の歴史に燦然と煌くふたつの一等星でしょう。
昭和51年判決は、選挙無効判決が引き起こす懸念を3つ挙げています。①最高裁は選挙定数配分規定は不可分一体、全体として違憲になるとしているので、全国で選挙無効訴訟が提起された場合、多くの衆議院議員が失職して衆議院が機能停止に陥る。②そうならなくても、本来同じはずの選挙の効力が選挙無効訴訟が提起されたか否かによって、無効・有効と分かれる。③その後の選挙制度改正の審議が、おそらく最も利害関係がある選挙区の議員を欠いたまま行われる。
しかし、これらの懸念は、違法な選挙はやり直すべきという当たり前の原則を曲げるほどの大きなものでしょうか。広島高裁の2つの判決は、原則に従うという基本に立ち返ったものとして高く評価されるものです。
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