森の中のティータイム

離婚を経験し子供達も独立 
暮らしの小さな発見をノートに。

コロナ禍での、カラオケの功罪

2020-08-13 | 思い・つれづれ
アチコチの「昼カラオケ」と呼ばれる場所で、クラスターが発生しているらしい。
私はそういうのが苦手で行ったことがないのだけれど、高齢者の枠に入れられそうな
年齢に限りなく近づいた今、そういう場所にリスクを冒してでも行きたい気持ちが、
少しは解る。

一人暮らしや孤立して寂しい思いをされている人たちにとって、「歌う」ということ
だけではなく、安価で食事まで提供してくれる「社交の場」になっているのだろうと
思う。

私自身はただ洋楽が歌いたいだけなので、個室形式の場所に多くても二人だったし、
こんなこと(コロナ禍)になってからは、まだ以前のようには通えないでいる。
それでもやや安心できる「ヒトカラ」には二度ほど行ったが、以前のようには楽しめ
なかった。やはり、ずっと同じように洋楽を聴いて生きてきた同世代の友人と一緒が
楽しい。広いので、年甲斐もなくww 踊りながら歌うこともできる。

比較的大きな部屋で天井も高く、衛生的な配慮もしているが、ずっと練習してなかった
ので、録音してみると高音が全部ファルセットになっていたりで、酷い歌声に戻ってい
る。恐らく大きな声をお腹から出すということ自体が、年齢を重ねるほど衰える肺や喉
の衰えを遅らせることが出来ていたのだと感じる。

何より、行き帰りにたくさん歩くので、体重もキープできていた☆ これが一番の効果。

この場所も、最近やたら増えた管楽器などの練習場になっている。
けれど、コロナ禍以来、以前よく見かけたシニア世代の集まりが、今はない。
孤独を癒しに来られていた人たちには、恐らくヒトカラは楽しくないのだろうと思う。

私自身、誰かとおしゃべりしながらお茶するのも好きだし、ランチも誰かと楽しむのが
好きだったけど、それらは元々別の場所で楽しんでいたので、今はそれを我慢している
のが一番辛いかも。コロナ禍で過剰反応かもしれないけど、お惣菜やお弁当さえ買えな
くなったくらいだし;;

先が見えない中、寂しい思いをされている皆さんは自己責任で昼カラに行かれるのだと
思うと、一日も早くこの災いが過ぎ去ることを願わずにいられない☆
本当のところ、過ぎ去るのかどうかもわからないけど・・。
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