森の中のティータイム

離婚を経験し子供達も独立 
暮らしの小さな発見をノートに。

マスクを外した時、どうしてますか?

2021-10-15 | DIY・ハンドメイド・クラフト
10月に入ってもずっと暑さが続き、深夜福太郎に起こされる日々が続くのも手伝ってか、
家事だけで疲れてしまい、昼間に全く運動できない。
でも、晩御飯を早めに食べた日は、食後に近所をウォーキングする。人気のない場所では
マスクを外せるので有難い。

でも半径10メートル以内に人影が見えたら、即マスク。そういう時はすぐに装着できるよ
うに、手作りのマスクストラップを首にかけている。と言っても、使わないネックレスの
留め具をナスカンに替えているだけだけどww 大抵のマスクは私には大きいので、小さ
な輪っかを作りそこにナスカンを留め、マスクを外すときは、首から下げる形になる。

 
マスクが行方不明にならず便利なので、昼間のウォーキングにも去年からずっと使っている。
物の数を減らしたいけど無駄に捨てたくない私のようなケチな人間は、再利用できるものは
とことん使って処分したい。新しく何か必要になっても、家の中の在庫を見回して活用でき
ないか考えるのが楽しい。

先日も、薬草を煎じる専用のやかんを買おうか迷っていたら、こんなものが目に着いた。
大昔キャンプ用に買ったものの、あまり使わず仕舞ったままだったコーヒーのパーコレータ。
 

 

今でも同じような物が売っているのね。
中の物を取り外せばやかんとして使えるって書いてあるから、しばらく試そうかな☆
でも眺めてたらコーヒーが飲みたくなるのよね。甘いものもつい欲しくなる。
コチラは地元のメーカーさんの、ロールケーキ。豆乳とおからが入っているというだけで
罪悪感が少なくて済むから不思議(笑)
 
好きな果物も欠かせない。生協などで「天候被害果」としてお安く売っている果物も。
 

 

 

 

 
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先日、ETV特集「遠藤周作 封印された原稿」を観た。没後25年経って見つかった彼の未発
表作品。その「理由」を彼の生い立ちから辿った。この小説「影に対して」は、ある意味「
私小説」とも言えるものだと、彼を知る人々は推察する。それ故に、執筆した時点で周囲へ
の配慮もあり、発表するのをやめたのではと考える人もいる。

小説の主人公と同様に、彼の父親と母親は彼がまだ多感な年齢であった頃に離婚していた。
何より「安定した生活」に重きを置いた父親に対して、彼の母親は音楽に「人生」を注いだ。
父親の元を去ったあと誰にも看取られないまま孤独に人生を終えた母親への愛ゆえに、彼は
再婚し幸せに暮らす父親に憎悪にも似た感情を持つことになったのではないか。それがこの
小説で明らかになることに躊躇したのではと。

「音楽にはもっと高い、もっともっと高い何かがあるのだと母さんは思っているのです。」
主人公の母は言う。小説の中で主人公はこの二人の狭間で悩み揺れ動くが、現実に兄に比べ
勉強が苦手だった遠藤は、「あなたは文章が得意だから」と励ましてくれた母の志高い生き
方を選んだ。

「生活ではなく人生を」が、遠藤周作のキャッチフレーズだと弟子の加藤宗哉氏は言う。
生活とは毎日の日常を当たり前に生きること。人生とは、志を持ち高みを目指して生きるこ
とだと。遠藤周作はそれを、小説の中で母から息子への手紙という形で問いかけた。

「アスハルト(アスファルト)の道は安全だから誰だって歩きます。危険がないから誰だっ
て歩きます。でも後ろを振り返ってみれば、その安全な道には自分の足痕なんか一つだって
残っていやしない。海の砂浜は歩きにくい。歩きにくいけれども後ろを振り返れば、自分の
足跡が一つ一つ残っている。そんな人生を母さんは選びました。あなたも決してアスハルト
の道など歩くようなつまらぬ人生を送らないで下さい」と。

後に、遠藤自身も家庭を持ち挫折を味わったことから、一家の大黒柱としての役割を維持す
るために、父の主張した「生活」も大事だと理解できるようになるが、私がテレビで拝見し
ていた「狐狸庵先生」は、この当時だったらしく、佐藤愛子さんらとの友情も面白く拝見、
拝読した記憶がある。けれども、彼はこの作品の主人公と同様に、「生活と人生」の意味を
生涯問い続けたのだろうと思う。
  
私も「パンのみで」生きるのは虚しい・・・でも「人生」を生き切るのは大変だなぁ。
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