4月5日彩の国さいたま芸術劇場大ホールで、シェイクスピア作「シンベリン」をみた(演出:蜷川幸雄)。
ブリテン王シンベリンは、王妃の連れ子クロートンと結婚させようとしていた一人娘イノジェンが身分の低い紳士
ポステュマスと勝手に結婚したことに激怒する。国を追放されたポステュマスはローマでヤーキモーと出会い、
互いに自国の女性の素晴らしさを自慢し合ううち、この男を相手に妻の貞節を賭けることに。イノジェンを誘惑
すべくブリテンに渡るヤーキモー。言葉巧みな誘いをはねつけるイノジェンだったが、ヤーキモーはポステュマスが
彼女に贈った腕輪を盗み出すことに成功。ローマに戻ったヤーキモーから腕輪を見せられたポステュマスは妻の不義
を信じ込み、怒りのあまりブリテンにいる自分の召使いに彼女の殺害を命じる。誤解を解くためローマへ向かう
イノジェン。道中、迷い込んだ洞窟で老人と二人の若い兄弟に出会う。その頃、ブリテンとローマは戦争状態に突入。
妻への行いを後悔したポステュマスは自らの死を望み、戦いに参加する・・・。
シェイクスピア後期のマイナーな作品で、本邦初演でこそないが、めったに上演されることはない。筆者も見るのは
初めてで、個人的には今年上半期最大のイベントという位置づけ。役者も大方そろっているので期待して出かけた。
舞台はローマの例の、牝狼の乳を吸うロムルスとレムスの像が出てきたかと思うと源氏物語の「雨夜の品定め」の絵(!)
そして山水画・・(美術:中越司)。なるほどなるほど。
音楽はバッハの協奏曲や、オルガン曲や、雅楽の鼓や横笛・・要するにシンクレティズム。
ヒロインの名はイノジェン。これまでイモージェンだと思っていたので驚いたが、いろいろ調べて分かった。
シェイクスピアが種本から写す時にどうも写し間違えたらしいんだって!!
だから松岡訳は元に戻したということなのだろう。
でもこの物語に登場する、絶世の美女でしかも貞節の鑑のような女性にちなんでイモージェンと名づけられた女性も
世間には少数ながらいるのに・・。その人たちの立場はどうなる?
ポステュマス役の阿部寛は、背が高いのはいいが、セリフが少し聞こえ辛い。
クロートン役の勝村政信は、さすが手練れのコメディアンぶりで客席を沸かせる。
ヤーキモー役の窪塚洋介は棒読みの一本調子。前半はそれでも不機嫌さと不気味な感じが出ていたが、後半もそのまま
では困る。この役は言ってみれば「反省するイアーゴー」だから確かに非常に難しい。しかし、彼の心中で大きな
転換があったからこそ、ラストは己の悪事のすべてを告白するに至るのだから、その大転換を観客に納得させて
くれないといけない。
戦闘シーンのスローモーションはやめてほしい。やる方は安易で楽チンだろうが、見る方はただ退屈なだけだから。
こんなこと、どうして想像できないのか。これをロンドンに持って行く時は、ここを何とかしたらどうか。
勝村さんがジュピターを兼ねているので、ジュピターが天上から登場して語り出すと、笑いが起きてしまった。
ここは笑わせるシーンではないのだから、クロートン役の人にやらせるのはやめた方がいい。
大竹しのぶは今まで気がつかなかったが、かなり背が低く、男装すると本当に少年っぽくて可愛い(声も動きも)。
ただ姫として、しつこく言い寄るクロートンやヤーキモーに言い返す長いセリフでは、声が上ずってしまい、
品がなくなるのが実に残念。そのへん何とかなりませんか。
吉田綱太郎のシンベリンと瑳川哲朗のベラリアスはまさにはまり役。浦井健治の王子も清々しい。
鳳蘭は根っからの悪者の王妃を魅力的に演じる。
勝村さんがクロートンだなんて可哀想、と思ったが、それは思い違いだった。彼が演じたことでこの芝居がにわかに
明るく楽しいものになった。本で読むだけだと、ただのつまらない悪役・敵役に過ぎないバカ王子なのに・・。
どんな役も役者の力量一つでいかようにも膨らませることができるのだ。芝居って面白い。今さらだけど。
ブリテン王シンベリンは、王妃の連れ子クロートンと結婚させようとしていた一人娘イノジェンが身分の低い紳士
ポステュマスと勝手に結婚したことに激怒する。国を追放されたポステュマスはローマでヤーキモーと出会い、
互いに自国の女性の素晴らしさを自慢し合ううち、この男を相手に妻の貞節を賭けることに。イノジェンを誘惑
すべくブリテンに渡るヤーキモー。言葉巧みな誘いをはねつけるイノジェンだったが、ヤーキモーはポステュマスが
彼女に贈った腕輪を盗み出すことに成功。ローマに戻ったヤーキモーから腕輪を見せられたポステュマスは妻の不義
を信じ込み、怒りのあまりブリテンにいる自分の召使いに彼女の殺害を命じる。誤解を解くためローマへ向かう
イノジェン。道中、迷い込んだ洞窟で老人と二人の若い兄弟に出会う。その頃、ブリテンとローマは戦争状態に突入。
妻への行いを後悔したポステュマスは自らの死を望み、戦いに参加する・・・。
シェイクスピア後期のマイナーな作品で、本邦初演でこそないが、めったに上演されることはない。筆者も見るのは
初めてで、個人的には今年上半期最大のイベントという位置づけ。役者も大方そろっているので期待して出かけた。
舞台はローマの例の、牝狼の乳を吸うロムルスとレムスの像が出てきたかと思うと源氏物語の「雨夜の品定め」の絵(!)
そして山水画・・(美術:中越司)。なるほどなるほど。
音楽はバッハの協奏曲や、オルガン曲や、雅楽の鼓や横笛・・要するにシンクレティズム。
ヒロインの名はイノジェン。これまでイモージェンだと思っていたので驚いたが、いろいろ調べて分かった。
シェイクスピアが種本から写す時にどうも写し間違えたらしいんだって!!
だから松岡訳は元に戻したということなのだろう。
でもこの物語に登場する、絶世の美女でしかも貞節の鑑のような女性にちなんでイモージェンと名づけられた女性も
世間には少数ながらいるのに・・。その人たちの立場はどうなる?
ポステュマス役の阿部寛は、背が高いのはいいが、セリフが少し聞こえ辛い。
クロートン役の勝村政信は、さすが手練れのコメディアンぶりで客席を沸かせる。
ヤーキモー役の窪塚洋介は棒読みの一本調子。前半はそれでも不機嫌さと不気味な感じが出ていたが、後半もそのまま
では困る。この役は言ってみれば「反省するイアーゴー」だから確かに非常に難しい。しかし、彼の心中で大きな
転換があったからこそ、ラストは己の悪事のすべてを告白するに至るのだから、その大転換を観客に納得させて
くれないといけない。
戦闘シーンのスローモーションはやめてほしい。やる方は安易で楽チンだろうが、見る方はただ退屈なだけだから。
こんなこと、どうして想像できないのか。これをロンドンに持って行く時は、ここを何とかしたらどうか。
勝村さんがジュピターを兼ねているので、ジュピターが天上から登場して語り出すと、笑いが起きてしまった。
ここは笑わせるシーンではないのだから、クロートン役の人にやらせるのはやめた方がいい。
大竹しのぶは今まで気がつかなかったが、かなり背が低く、男装すると本当に少年っぽくて可愛い(声も動きも)。
ただ姫として、しつこく言い寄るクロートンやヤーキモーに言い返す長いセリフでは、声が上ずってしまい、
品がなくなるのが実に残念。そのへん何とかなりませんか。
吉田綱太郎のシンベリンと瑳川哲朗のベラリアスはまさにはまり役。浦井健治の王子も清々しい。
鳳蘭は根っからの悪者の王妃を魅力的に演じる。
勝村さんがクロートンだなんて可哀想、と思ったが、それは思い違いだった。彼が演じたことでこの芝居がにわかに
明るく楽しいものになった。本で読むだけだと、ただのつまらない悪役・敵役に過ぎないバカ王子なのに・・。
どんな役も役者の力量一つでいかようにも膨らませることができるのだ。芝居って面白い。今さらだけど。