4月6日新国立劇場オペラハウスで、ストラビンスキー作曲のオペラ「夜鳴きうぐいす」と、チャイコフスキー作曲のオペラ「イオランタ」を見た。
①「夜鳴きうぐいす」・・原作:アンデルセン、台本:ストラヴィンスキー/ミトゥーソフ、作曲:ストラヴィンスキー、演出・美術・衣装:ヤニス・コッコス、
指揮:高関健、オケ:東京フィル
中国の皇帝は宮中に呼び寄せたうぐいすの声に魅了される。異国の使者が機械仕掛けのうぐいすを献上すると、皇帝はそちらに夢中になり、本物のうぐいすは
宮廷を去る。その後、病が悪化した皇帝のもとにうぐいすが舞い戻り美しい声で歌うと、皇帝は死の淵から脱する。感謝する皇帝に、うぐいすは毎晩
歌いに来ることを約束する(チラシより)。
神秘的な美しい音楽と共に幕が開くと、深いもやの中に森が見えてくる。中国が舞台ゆえ、宮廷シーンの背景はそれらしい。
皇帝の臣下や大勢の召使いが登場。日本からの使者が機械仕掛けのうぐいすを献上する。
皇帝の病が悪化する場面では、背景の大きな猿が両腕を広げて威嚇する。
死神が皇帝の冠を奪おうとするかのよう。
ラストは臣下たちが皇帝の死を覚悟して部屋に入ってくると、彼が何事もなかったかのように「お早う」と言い、皆が頭を下げるというあっさりした終わり方。
うちにあるオペラ辞典に載っていたあらすじとは若干違うが、いくつかヴァージョンがあるのかも。
歌手では何と言っても、うぐいす役の三宅理恵が素晴らしい。
今回、新型コロナウイルス蔓延と緊急事態宣言延長のため、来日できなくなった人(歌手も指揮者も)が多く、指揮は何と高関健氏。
この人を見るたびに思い出すことがある。
個人的な話だが、ずっと昔、彼と二人きりで駅ナカの蕎麦屋に入ったことがあった。
弦楽合奏団の春合宿の帰りで、彼はトレーナーとして来てくれていた。
入り口の機械で券を買うのだが、たまたま小銭を持ち合わせていなかったので、彼に立て替えてもらった。
そしてそれ以来、彼には会っていない。
つまり、お蕎麦の代金を返していないのだ!
もちろん彼の方は、そんなこととっくに忘れていると思うが、こちらはチラシなどで彼の名前を見るたびに思い出して申し訳なく思うのだった。
いつか花束でもお贈りしようかとも思うが・・・。
当時、彼はただの音大生で、その後カラヤンに見出されて活躍するようになるとまでは予想できなかった。
②「イオランタ」・・原作:ヘルツ/ゾートフ、台本:モデスト・チャイコフスキー、作曲:ピョートル・チャイコフスキー、指揮:高関健、オケ:東京フィル
中世のとある山中の城。ルネ王は娘イオランタの目が不自由であることを本人に知られないように育ててきた。城に迷い込んだ青年ヴォデモンは美しく成長した
イオランタに出会い、一目ぼれするが、彼女の目が不自由なことに気づいて衝撃を受けつつも、彼女に光の素晴らしさについて話す。イオランタもヴォデモンに
惹かれてゆく。事態を悟った父王は、娘の目が治癒すれば娘に真実を明かした罪を許すと宣言。イオランタは治癒に耐える決心をし、医者と共に別宮に赴く・・。
目の不自由な少女が愛と希望に開眼する物語を叙情的な音楽で綴ったチャイコフスキー最後のオペラ(チラシより)。
かなりマイナーなオペラで、初めて見たが、音楽はもちろん美しい。
ヴォデモンに向かって、イオランタが小鳥の鳴き声や風の音など自然の音の素晴らしさとそれを聞く喜びについて語るアリアが白眉。
ロベルト伯爵のアリアも楽しい。
ストーリーにもちょっと面白いところがある。
父王が娘の目の治療を成功させようとして、わざと、彼女が好意を抱いているらしいロベルトの命を奪うようなふりをしたり。
ただ、ラストがつまらない。
愛する二人が手を取り合って喜び合う姿を当然期待していたが。
全員で客席を向いて神の愛をひたすら讃える合唱で終わる。
まるで時代錯誤な感じ。モーツアルトかベートーヴェン(エレオノーレとか)のよう。
いやエレオノーレだって夫婦の愛を高らかに歌い上げているというのに。
それと、現代では盲目などの障害を「悪」と決めてかかる扱い方は受け入れ難い。
「アルプスの少女ハイジ」におけるクララの問題で一時話題になったことだが。
ルネ王はなぜ娘に、自分が王であることまでも隠していたのだろうか。
ヴォデモンの友人でイオランタ姫のいいなづけロベルトが面白い。いいアリアも与えられている。
歌手ではこのロベルト役の井上大聞が素晴らしい。
ヴォデモンはイオランタが盲目であることに気がつくと、ショックのあまり顔をそむけて長いこと相手を見ない。
だが彼は「一目ぼれ」したのだ。そして二人は偶然出会ったのだから、ここで別れたら今度いつ会えるか分からないわけだ。
そんな状況で、美しさに打たれて惚れた娘の顔からいつまでも目をそむけていることができるだろうか。
いやでも目が吸い寄せられるのでは?
彼のショックの大きさを表現させようと演出家は考えたのだろうが、納得がいかない。
この作品はあまり上演されないらしい。
その理由は、やはりラストが弱いからだと思う。
途中までは面白いのに残念だ。ロマンチックが足りない。これは大きな欠点だ。
ラストで私たちの高揚した気分がサーッと醒めてしまう。
両作品共ロシア語上演。日本語字幕と英語字幕付き。
この二つが微妙に違っていて気になる。明らかな文法的ミスも。
ロシア語から別々に訳したらしい。たぶん急いで。
時節柄、カーテンコールで歌手たちも指揮者も手をつなぐことができない!
ちょっと残念。親密なムードを出せなくて。
今回、演出家も来日不可能となったため、日本側スタッフとリモートで協働し上演した由。
しばらくはこういうやり方が続くのかも知れない。
①「夜鳴きうぐいす」・・原作:アンデルセン、台本:ストラヴィンスキー/ミトゥーソフ、作曲:ストラヴィンスキー、演出・美術・衣装:ヤニス・コッコス、
指揮:高関健、オケ:東京フィル
中国の皇帝は宮中に呼び寄せたうぐいすの声に魅了される。異国の使者が機械仕掛けのうぐいすを献上すると、皇帝はそちらに夢中になり、本物のうぐいすは
宮廷を去る。その後、病が悪化した皇帝のもとにうぐいすが舞い戻り美しい声で歌うと、皇帝は死の淵から脱する。感謝する皇帝に、うぐいすは毎晩
歌いに来ることを約束する(チラシより)。
神秘的な美しい音楽と共に幕が開くと、深いもやの中に森が見えてくる。中国が舞台ゆえ、宮廷シーンの背景はそれらしい。
皇帝の臣下や大勢の召使いが登場。日本からの使者が機械仕掛けのうぐいすを献上する。
皇帝の病が悪化する場面では、背景の大きな猿が両腕を広げて威嚇する。
死神が皇帝の冠を奪おうとするかのよう。
ラストは臣下たちが皇帝の死を覚悟して部屋に入ってくると、彼が何事もなかったかのように「お早う」と言い、皆が頭を下げるというあっさりした終わり方。
うちにあるオペラ辞典に載っていたあらすじとは若干違うが、いくつかヴァージョンがあるのかも。
歌手では何と言っても、うぐいす役の三宅理恵が素晴らしい。
今回、新型コロナウイルス蔓延と緊急事態宣言延長のため、来日できなくなった人(歌手も指揮者も)が多く、指揮は何と高関健氏。
この人を見るたびに思い出すことがある。
個人的な話だが、ずっと昔、彼と二人きりで駅ナカの蕎麦屋に入ったことがあった。
弦楽合奏団の春合宿の帰りで、彼はトレーナーとして来てくれていた。
入り口の機械で券を買うのだが、たまたま小銭を持ち合わせていなかったので、彼に立て替えてもらった。
そしてそれ以来、彼には会っていない。
つまり、お蕎麦の代金を返していないのだ!
もちろん彼の方は、そんなこととっくに忘れていると思うが、こちらはチラシなどで彼の名前を見るたびに思い出して申し訳なく思うのだった。
いつか花束でもお贈りしようかとも思うが・・・。
当時、彼はただの音大生で、その後カラヤンに見出されて活躍するようになるとまでは予想できなかった。
②「イオランタ」・・原作:ヘルツ/ゾートフ、台本:モデスト・チャイコフスキー、作曲:ピョートル・チャイコフスキー、指揮:高関健、オケ:東京フィル
中世のとある山中の城。ルネ王は娘イオランタの目が不自由であることを本人に知られないように育ててきた。城に迷い込んだ青年ヴォデモンは美しく成長した
イオランタに出会い、一目ぼれするが、彼女の目が不自由なことに気づいて衝撃を受けつつも、彼女に光の素晴らしさについて話す。イオランタもヴォデモンに
惹かれてゆく。事態を悟った父王は、娘の目が治癒すれば娘に真実を明かした罪を許すと宣言。イオランタは治癒に耐える決心をし、医者と共に別宮に赴く・・。
目の不自由な少女が愛と希望に開眼する物語を叙情的な音楽で綴ったチャイコフスキー最後のオペラ(チラシより)。
かなりマイナーなオペラで、初めて見たが、音楽はもちろん美しい。
ヴォデモンに向かって、イオランタが小鳥の鳴き声や風の音など自然の音の素晴らしさとそれを聞く喜びについて語るアリアが白眉。
ロベルト伯爵のアリアも楽しい。
ストーリーにもちょっと面白いところがある。
父王が娘の目の治療を成功させようとして、わざと、彼女が好意を抱いているらしいロベルトの命を奪うようなふりをしたり。
ただ、ラストがつまらない。
愛する二人が手を取り合って喜び合う姿を当然期待していたが。
全員で客席を向いて神の愛をひたすら讃える合唱で終わる。
まるで時代錯誤な感じ。モーツアルトかベートーヴェン(エレオノーレとか)のよう。
いやエレオノーレだって夫婦の愛を高らかに歌い上げているというのに。
それと、現代では盲目などの障害を「悪」と決めてかかる扱い方は受け入れ難い。
「アルプスの少女ハイジ」におけるクララの問題で一時話題になったことだが。
ルネ王はなぜ娘に、自分が王であることまでも隠していたのだろうか。
ヴォデモンの友人でイオランタ姫のいいなづけロベルトが面白い。いいアリアも与えられている。
歌手ではこのロベルト役の井上大聞が素晴らしい。
ヴォデモンはイオランタが盲目であることに気がつくと、ショックのあまり顔をそむけて長いこと相手を見ない。
だが彼は「一目ぼれ」したのだ。そして二人は偶然出会ったのだから、ここで別れたら今度いつ会えるか分からないわけだ。
そんな状況で、美しさに打たれて惚れた娘の顔からいつまでも目をそむけていることができるだろうか。
いやでも目が吸い寄せられるのでは?
彼のショックの大きさを表現させようと演出家は考えたのだろうが、納得がいかない。
この作品はあまり上演されないらしい。
その理由は、やはりラストが弱いからだと思う。
途中までは面白いのに残念だ。ロマンチックが足りない。これは大きな欠点だ。
ラストで私たちの高揚した気分がサーッと醒めてしまう。
両作品共ロシア語上演。日本語字幕と英語字幕付き。
この二つが微妙に違っていて気になる。明らかな文法的ミスも。
ロシア語から別々に訳したらしい。たぶん急いで。
時節柄、カーテンコールで歌手たちも指揮者も手をつなぐことができない!
ちょっと残念。親密なムードを出せなくて。
今回、演出家も来日不可能となったため、日本側スタッフとリモートで協働し上演した由。
しばらくはこういうやり方が続くのかも知れない。
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