ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

古川健作「帰還不能点」

2021-03-19 11:02:58 | 芝居
2月26日東京芸術劇場シアターイーストで、古川健作「帰還不能点」を見た(劇団チョコレートケーキ公演、演出:日澤雄介)。

何故あの時、
この国は引き返せなかったのか?
対米戦の必敗を予測した男達の語る、
大日本帝国破滅への道(チラシより)。

演出家がパンフレットに書いているように、これは、戦前(政府内の)同じ部署にいた仲間たちが戦後に酒を飲みながら旧交を温める話。
彼らは幸い生き延びて、それぞれの思いを抱えつつ日々暮らしている。
思い出話をする中で彼らは、当時、自分たちは対米戦をすれば負けるに決まっていると思っていた、いや信じていた、そしてそう主張した、と言い出す。
負けると信じていた者は彼らの他にも何人もいた。
では、どうしてそんな戦争を始めてしまったのか。
何が分岐点だったのか、国を破滅へと導いた、その決定的な瞬間はいつだったのか、彼らは飲み食いしながらも回想し、論争し、白熱の議論を展開する。

当時の政府内の様子が非常に興味深い。
1941年(昭和16年)、陸軍がゴム資源を求めて南部仏印(仏領インドシナ南部)に進駐を主張し、日本軍はついに進駐。
ところがその途端、それまで戦争を嫌っていると思われた米国が石油の全面禁輸という強硬な措置に出る。
これで日本は打ちのめされるが、その時、今すぐ米国に不意打ちすれば勝てる、と言い出す奴がいた。
勝つには短期決戦しかない、と・・・。
芝居として面白い上に、分かり易くて歴史の勉強になった。
太平洋戦争は、ただ軍部に押し切られたというような単純なものではないと分かった。
そこには多くの要因があり、いくつもの局面があった。
だからこそ、あの時ああしておけば・・とさまざまに思い巡らしてしまうのだろう。
松岡洋右、近衛文麿といった人物の人柄が活写され、歴史をよく知らない者にも分かり易く面白く描かれる。
「用語解説」と「関連年表」(参考文献付き!)がプログラムと共に配布されるという親切が、いつもながら有難い。

ただ、仲間の一人、岡田(岡本篤)が昭和20年8月6日に広島にいて、多くの死体を見たと言うのに、被爆はしていないというのは解せない。
死にもせず怪我もしなかったというのはあり得ることだが、あの翌日に家族を探して広島に行った人だって「入市被爆」したのだから。
その日にその場にいて被爆しないはずはないだろう。
もちろん彼が被爆したとなると話が複雑になり過ぎるから、していないということにしたのは分かるが。
この点も含めて、原爆を最後に持ち込んだことが、何か余計なことのように思われる。
特に原爆というモチーフを入れなくてもよかったのではないか。

それから、役者はみなうまいが、女性の描き方が引っかかる。
亡くなった、かつての同僚、山崎の妻、道子(黒沢あすか)の店に皆が集まるという設定だから仕方ないと言えば仕方ないが、愛想よく男達に酒と料理をサーブして
回るだけのステレオタイプな役回り。
見ていてあまり気持ちのいいものではない。
女の作者だったらこんな書き方はしないと思う。
政治の素人が一人いて、彼らに素朴な質問をして、実際に起こったことを聴くという構成が必要なのは分かるが、それが女である必要はないでしょう。
黒沢あすかが3人の女性を演じる。演じ分けると言いたいが、どの女性もあまりにも中身がないので同じよう。
二人の政治家の実在した妻については情報があまり残っていないのか、それとも昔の女性は特徴がなかったのか、はたまたこの作家が女性を見る目が上っ面で
その程度なのか。
記号のような女性たち。
別に生身の女優が演じなくても、影絵か何かでも事足りるような存在だ。
そう言えば昨年11月に見た「火の殉難」でも、「毅然とした義祖母」のシーンは別として、女性たちが和気あいあいと会話するシーンは、あまりに平凡で、
ありきたりで既視感満載で、まるで昭和のテレビドラマのようで、見ていて体がむずがゆく、恥ずかしかった。
こんなことは言いたくないが、これほど才能のある作家でも、やはり男の限界ということだろうか。
繰り返すが、女の作家ならこんな風な書き方はしないだろう。
その点、何人もの女性を書き分ける蓬莱竜太は稀有な存在かも知れない。




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