あることをしたい!と部下なり、上司なり言い出したとします。
明らかに失敗することがわかっています
(ただし、失敗しても会社的に致命傷でない。フォロー可能)。
あなたは、どおしますか(むかしの桜田淳子風に。。意味通じないって)
・反対する
・やらせる(失敗させて、自分で経験させて気づかせる)
→自分は、失敗した場合どうなるということを計算し、フォローの体制に回る。
これに関してなんですが、中国の場合、注意!と教わったことがあります。
日本なら、上司が言った場合は後者、部下が言った場合は前者が多い(いや、今は、部下がいっても後者なのかなあ)だと思います。でも、中国の場合、基本的に後者だと、何かの本に書いてあったか、誰かから聞いた気がします。実際、一緒に仕事してて、そう思いました。
中国のような「面子」(めんつ)のある文化において、ある人がやりたいといったことを、ほかの人がとめることは、失礼にあたります(と聞いた気がする。ただし、下の人間に対し反対するのはもちろんOK)。
この場合、やらせてみて、気づかせるのが一番で、ほかの人は、その失敗したあとに、どうフォローするかが問題になります(中国において、たとえ、一度決まったことでも、問題が起これば、その決まったことが覆る。なので、先読みしていないと、自分が悪者になり、悲惨な結果になる)。
で、これって、実は中国に限らず、最近は、部下でも、上司でも、ユーザーでも、「あきらかに失敗するぞ」、と思っても、やりたいといった場合、失敗するダメージが(会社&その言った本人が)甘受できる範囲であれば、やらせるような文化になってきたと思います。
でないと、フリーソフトとか、新しい開発方法論とか、怖くて使わないと思いますよ。
使って失敗させないと、一生言ってますからね、「それを使えばうまくいったのに」って。。。
でね、世の中で怖いのは、それで失敗すると、すぐにフォローの体制に入るんだけど、そのときには、やりたいといって失敗した人は、一切無視されること。。そして、新しい時代(体制)に切り替わる。
そういった意味で、現在の開発方法論の怖さは、その瀬戸際までいっているのかもしれない。。
(意味わかんないこといってますよね。たぶん。。。)