令和4年10月18日(火)
名古屋港 落語会

日 時 : 令和4年10月16日(日)①午前、②午後
場 所 : 名古屋市港区、信興寺

出演者 : 柳家 緑也

柳家緑也は名古屋市出身の若手落語家で、前座の頃から港区内
の彼方此方で落語会を開き馴染の顔である。
2006年、柳家花緑一門へ入門。 前座の頃は「柳家緑君」。
2010年に二つ目、2021年に真打昇進「柳家緑也」襲名。

昨年、真打披露公演を東京の各寄席で行い、昨秋名古屋の大須
演芸場で襲名披露を行った。

その後信興寺でも披露した。

名古屋では毎年この信興寺を始め、大須演芸場、ナデアパーク
名古屋城二の丸御殿等で落語会を開いている。


二の丸御殿にて、

名古屋での懇親会、

今回の「港落語会」は、午前(10時30分~11時30分)
午後(13時30分~14時30分)の2回の口座は前座無。
東京から帰名の新幹線が少し遅れ、地元クラフト教室の先生
をして居られる落語好きの方(ご高齢女性)が得意?の南京
玉すだれを披露した。久しぶりで手が思う様に動かず、仕草
がユーモラスで失敗もご愛敬、、、、手拍子と拍手喝さい。

その間に緑也師匠のご到着、、慌てて着替えをされ来場!、
新幹線ネタや、名古屋港の「ばあば工房」(主催者)ネタ
を披露し、婆さん等をからかい笑いを誘う。
場がほぐれた所で、、、演目へ、

1)四人癖

人間には「無くて七癖」、誰もがそれぞれ色んな癖を持ち、
知らぬが仏で自分自身の癖は判らず棚に上げ、他人の癖は
気になってしようがない。
主人公は、直ぐに自分の鼻の下を指で左右に擦る。
相棒の男は話の途中で目を擦る癖がある。その友人の癖の
「話をする際に必ず何度も両袖(自分の着物の)を指で
引っ張る癖がある。もう一人の男は何にでも相づちを打ち、
自分のコブシを一方の掌にうち下す。
或る時、一同に出会わせた四人は、「それぞれの癖が出た
ら千円ずつ出そうヤ、、」と取決める。相手を見ながら、
何とか癖を出させようと、、、思わず自分の鼻の下を、
と思いきや、空を切り、、、亦」、目を擦りかけた男は
両手を広げ、、。自分の袖を、、手ではたき、、、、
拳を上げて自分の顔に、、、それぞれ工夫を凝らし、、
その仕草が実に面白い、、、遂にそれぞれが癖を、、、

2)竹の水仙(左甚五郎伝より、)

飛騨出身の名人と謳われた匠、左甚五郎が江戸へ向かう
途中、夕刻に鳴海の宿(現愛知県)へ着いた。
彼方此方の宿から客引きが出て、呼び込みが激しい。
それでも、甚五郎の見すぼらしい「生り」を見て客引き
は見向きもせず、、、、、そんな中、大口屋という宿の
前でその家の主が甚五郎に声を掛ける。「宿は狭いが、
飯は旨いし、湯も沸いてるよ、、」それが気に入ってか
甚五郎はその宿に上がる。「勘定は宿を出る時に払う」
と前億きし、その日から一日中酒浸りとなり、一歩も外
に出ず五日も経った。その間宿代、酒代を一文も払おう
とせず、、、。カミさんからヤイノヤイノとせっつかれ、
亭主が甚五郎に掛け合うが、、甚五郎は「無一文だ!」
悪びれることもなく飄々と言ってのけた、、、、。
カミさんにはせっつかれ、困り果てる亭主、、、、、。
そんな折り甚五郎は、「自分は大工だ、何か細工をして
宿代を工面いたそう、、」亭主に案内させ近くの竹藪へ
出かけ適当な竹を切り、、それから甚五郎は酒も飲まず
部屋に籠る、、、、。明くる朝、竹筒に入った竹ベラを
前に置き、「これに水を入れなさい。そしてこの品売り
物と書いて宿の前に置いておけば、直ぐに買い手がつく」
亭主は言う通りに先ず竹筒に水を入れると、、驚いた。
竹ベラが水を吸うと、水仙のような花を咲かせた。
亭主はこの竹筒を、通りの目立つところに置いた。
暫くすると、鳴海の宿を通りかかった「熊本、細川越中
の守様」の行列が止まり、籠の中から殿様が「あれを、
買い求めて参れ、」家来の権太夫がすぐさま走り寄り、
亭主に「これを所望したい。驚いた亭主は黙って指を
2本差し出す。「二両か?」「イヤ、他のお客様には
二百両でもと、、」「何 ?」権太夫は怒りくるって
帰ってしまう。亭主は甚五郎に経緯を伝えると「直ぐに
戻って来るヨ、」 殿様に説明する権太夫に「馬鹿者、
あの品はかの有名な左甚五郎の作である。2百両なら
安いものだ、3百両で買い求めよ!」慌てふためいた
権太夫は直ぐに宿の亭主に「是非とも、売って頂きた
い」「先ほど売れてしまいました」「何、それでは拙
者ここで腹を切らねばならない」「マ、待って下さい
在ります、、」「かたじけない、あの品はかの有名な
左甚五郎先生の作と、殿が思し召しなのだ。二百両に
御礼として百両をお付けする」「サ、三百両、、」
驚いた亭主は直ぐにカミさんと伴に甚五郎の元へ赴き、
ひれ伏した。「何、何、私はこの宿が気に入ったのだ。
無一文の私を、気ままにさせてくれた。礼を言うのは
こっちだ。取り敢えず五両だけ私が貰い路銀にする。
残りは礼金として、、又、私の様な無一文が来たら、
面倒を見てやってほしい、、」と言い残して甚五郎は
旅立って行ったという。

今日の1句(俳人の名句)
此の道や行く人なしに秋の暮 松尾 芭蕉