遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

中秋の名月

2018-09-25 14:12:12 | 日記
平成30年9月25日(火)

中秋の名月


太陽歴の8月15日の夜に見える月のこと。
中秋の名月は農業と結びつき「芋名月」と
呼ばれる。  平安時代中国から伝わる。
今年は9月24日(月)が中秋の名月となり
25日が満月となる。(年によりズレる事も)
望月とは、陰暦十五夜の月、満月のことで、
もちのつきという。

亦、太陽歴の9月13日(今年は10月21日)
を「十三夜」、後の月、「豆名月」「栗名月」
という。




昨夜(24日)は、心配された雨は降らず、
曇天が続き、夜になると雲の切れ間から月が
現れ、雲の間を見え隠れ、、、
暫くして、雲のない所から、大きな月が現れ
ました。

改築が予定される名古屋城では、雲から覗く
月と天主閣の上の金のシャチホコが重なり
耀いて見えた様です。
(暫くはこの景は見納めとなる、、)

今日(25日)は満月となるが、朝から雨模様
夜には上がるとの予報、、期待して、、、


映画「阿弥陀堂便り」より、月見

カミサンに、買い物のついでに、「月見団子」
を所望、、、、

私の想像(丸い団子)と違い、細長の端午の節句
に食べる「ちまき」と同じ、パッケージには
確かに「月見だんご」書いてある。



今日の1句(俳人の名句)


すらすらと昇りて望の月ぞ照る   日野 草城

黄花コスモス

2018-09-24 15:13:07 | 日記
平成30年9月24日(月)

黄花コスモス


キク科コスモス属の多年草または一年草。
メキシコ原産の黄花コスモスは、8世紀末、
スペインのマドリッドへ送られ、日本へは
大正時代に渡来した。

コスモスの名を冠するが、オオハルシャクキク
とは同属別種にあたり、互いに交配する事は
出来ない。現在日本で広く園芸品種として栽培
されるが、その一部は野生化している。
夏場の暑さに強く繫殖力旺盛で、病害虫にも強い
痩せた土壌でも適度な水で育ち易い。
最近では、国道等の中央分離帯等にも群生して
いるのをよく見かける。

地下鉄名港駅、、


花期は6月~11月、花の色は黄、オレンジ
赤色。葉はコスモスより厚く、ギザギザが大きい。


今朝、カミさんと二人、公園外周の草取りをする。
雨で順延続きで、公園の草は伸び放題、、、、
せめて、外から見えるフェンス沿いの雑草を摘み
綺麗に見せようと、、、、、。
成長著しく、雑草は根を蔓延らせて、思う様に
捗らず、、、、、小一時間で、汗ビッショリ。





公園の東南角に在る小さな花壇には黄花コスモス
が、今を盛りと風に揺れていた。

さて、今夜は「中秋の名月とか、、、、、
どうやら予報では、今晩もまた雨の様である。
見られるかどうか、、、、、


今日の1句

したたかに黄花コスモス押し寄せる    ヤギ爺

秋彼岸

2018-09-23 16:37:59 | 日記
平成30年9月23日(日)

秋彼岸 : 後の彼岸


おはぎ


秋分の日を中日とした一週間をいう。
単の彼岸といえば春の彼岸をさす。
「暑さ寒さも彼岸まで」という様にこの頃から
涼しくなってくる。
殊に今年は、9月に入り連日降り続く雨に、肌
寒さを感じる今日この頃、、、。

秋分の日の今朝は、ヤット秋晴れの好天となり、
連休中日、家族で出かける方も多い様で、、、


参道にも善男善女が出て、賑わいを見せています。




参道をヒヤカシつつ、、、そそくさとお参りを
済ませて、団子屋に立ち寄り、「おはぎ」を下げ
ブラブラと帰ります、、、。



「彼岸」の語は梵語に由来し、「到彼岸」の略で
此岸より彼岸に到る意で、悟りを得た状態をさす。
春分、秋分の日没時に太陽を拝み、西方浄土を
観想すると、阿弥陀の浄土へ行けるという。
このような仏教信迎とは別に、中日などに太陽が
いつも正面になる様に社寺を参廻して参拝する
「日の共」と呼ばれる習慣が伝わる。

彼岸花


大寺院の多い京都や北陸などの寺院では、春愁
共に法会や施餓鬼等が行われ、参拝する善男善女
で賑わう。
亦、お彼岸団子やおはぎを作り、仏に供え、墓参
するのも一般的に在る。



今日の1句

日和来て表参道秋彼岸      ヤギ爺

とろろ汁

2018-09-22 15:05:09 | 日記
平成30年9月22日(土)

とろろ汁 ; とろろ、いも汁、麦とろ


とろろ芋には、山地の自生する俗にいう山芋
(自然薯)、畑で栽培される長芋、大和芋が
ある。


それらの皮を剥き、擂鉢で摺ったものがとろろ、
それに出汁で伸ばしたものがとろろ汁である。
薬味の浅葱、海苔等を加えて食する。
喉越が良く、つい食べ過ぎるので消化を考えて
麦飯で食べる、これが麦とろである。

江戸の頃、東海道53次の駿河(静岡県)の国
の「鞠子の宿」のとろろ汁は名物であった。


我家のとろろ汁は一般的な作り方で、
長芋をすり鉢で摺りおろし、此処に出汁を加え
ながら摺り(混ぜる)伸ばしていく。
葱、海苔等をかけ、頂く。
後は、干物、小鉢、漬物があればよい、、、。





昨晩(21日)はとろろ汁をいただいた。
何も言わずとも、丁度食べたいと思う頃に、
それが出て来る、、、。
長年の夫婦の「阿吽の呼吸」というか、、、
こんな時に「至福」を感ずる、、、、、。


今日の1句


何もせで阿吽の呼吸とろろ汁     ヤギ爺

暗いはしけ

2018-09-21 16:18:41 | 日記
平成30年9月21日(金) 

ファド 暗いはしけ

今朝5時、雨は止んでをり、何とか午前中は
持ってくれるかと期待するも6時過ぎには
降り出し、雨脚は益々ひどくなり予定の草取り
は来週に延期、、。


雨の中、名古屋港へ行って見る。
どんよりと暗い空から降り続く雨に、人影は
無く、時おり艀が海上を行ききする、
霧がかかった様な波間に揺られ見え隠れ、、
じっとしていると肌寒く、、急ぎ帰る事に。

家に居ると、何だかじっとりと黴が生える様な
気分、、、、
こんな日は映画でもと、BRDのリストを眺め
「過去を持つ愛情」に目が留まる、、、、
何で、、、この映画その物より劇中で歌われる
ファドの名曲「暗いはしけ」を思い出す。

ファドはポルトガルの伝統音楽(民謡のよう)
でファドは運命、宿命の意味があり、人生の
哀しみ、恋の傷み、故郷への思いの淋しさを
唄う。
このファドの「暗いはしけ」の詩は、詩人の
ダヴィー・モーラン・フェレイラが、この
映画のために書き降ろしたもので、ポルトガルの
ファドではなく、原曲はブラジルの歌「黒い母」
という曲との事。
この映画の中で、ポルトガルを代表する歌姫、
アマリア・ロドリゲスが劇中でも歌手として
ファド・レストランで「暗いはしけ」を切々と
唄っている、、、、。

この映画は高校映研部の頃、訳も判らず闇雲
に見た映画の一つで、、、唯、このファドの
曲は、その後に何度もテレビやラジオから流れ
意味も分からずも切々と心に響くメロデイは
今だに私の心を打つ名曲の一つ、、、。
(封切りから7年位後、場末の2本立上映館で)

原曲の「BARCO・NEGRO」は黒い小舟
であり、評論家諸氏の「暗いはしけ」は意味が
違うとの見解もある。
艀(はしけ)は沖合に停泊中の本船へ、客や
荷物を運ぶ小舟。

暗いはしけ(原題BARCO・NEGRO

アマリア・ロドリゲス

朝、私は浜辺に倒れていた
目が覚めた
あなたにみにくい顔と
思われるのがこわかった
あなたは優しく私を見つめていた
それで私の心にも陽光がさしていた。

それから私の見たものは
とある岩の上の十字架
あなたの黒い舟は波間の
光の中で踊っていた、、
浜の老婆たちはあなたが
もう帰って来ないという
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過去を持つ愛情 仏映画(1954年

監督 : アンリ・ベルヌイユ
原作 : ジョセフ・ケッセル
脚本 : マルセル・ベリ

キャスト
カスリーン : フランソワーズ・アルヌール
ピエール  : ダニエル・ジュラン
ルイス刑事 : トレバー・ハワード
歌手    : アマリア・ロドリゲス

妻の不義理を見つけ発砲し、、無罪となるが、
パリからリスボンへ流れ、タクシー運転手に、
或る日客としてカスリーンを乗せ出会う、、、
カスリーンは夫を自動車事故で亡くし、保険金
を手にロンドンからリスボンへ、、、
これに疑いを持つロンドン警視庁のルイスが
後を追いリスボンへ、、、、

カスリーンとピエール、後方の中央の女性がアマリア
・ロドリゲス 

お互いに過去を持つ二人が出会い、逢瀬を重ね
ファド・レストランでアマリア・ロドリゲスの
「暗いはしけ」を聴き、、、、、、

切々と悲しいメロデイが流れる、この映画、
ストーリーは判らなくとも、

ファド・レストラン



今の「秋黴入」秋の長雨の日々に夕べに独り
聴き、、酔いしれて見てはどうですか、、、。


今日の1句

秋黴入波間に艀見え隠れ     ヤギ爺