東福寺の塔頭の一角をなす芬陀院は「雪舟寺」と称して親しまれている。当院は後醍醐天皇の元享年間、時の関白一条内経公が創建し、東福寺開山聖一国の法孫、定山祖禅和尚によって開山した。京都最古の枯山水庭として知られる雪舟寺は、その名のとおり、聖画、雪舟等楊禅師が作庭したと伝えられている。
雪舟と言えば、幼少の頃、涙で画いた鼠が動き出したという逸話は余りにも有名。時の関白太政大臣、桃華殿一条兼良公(1401~1481年)の趣向により、雪舟に当寺の庭を造らせたもので、南庭の鶴島と亀島を立体的に配し、特に二重基段の亀島に中心石を置き、鶴島は折鶴を表徴させてある。この南庭に反して東の庭は平面手法で線をもって鶴島を近景とし、鶴島を中心に蓬莱の連山を表わしている。
南庭の亀島にも鼠の逸話に似た話が残っており、亀石が動いたとも伝えられている。東庭は図南亭(茶室)の丸窓から眺める景色が美しく、「京都の美のかたち」として産経新聞にも紹介されたものだった。 芬陀院は、一条家の菩提寺にもなっており、第14代目にあたる一条恵観公は茶人としても風雅を好み、茶室の脇の小庭には公の愛好の手洗鉢が現存している。
当院を訪ねた時は、肌寒さがまだ残る2月初旬であった。南庭の一隅に咲く山茶花が紅の花をつけ、海を表わす白砂に花びらが散り漂っている様は美しい。
交通:京阪電鉄京都線・JR奈良線東福寺下車、徒歩5分。
雪舟と言えば、幼少の頃、涙で画いた鼠が動き出したという逸話は余りにも有名。時の関白太政大臣、桃華殿一条兼良公(1401~1481年)の趣向により、雪舟に当寺の庭を造らせたもので、南庭の鶴島と亀島を立体的に配し、特に二重基段の亀島に中心石を置き、鶴島は折鶴を表徴させてある。この南庭に反して東の庭は平面手法で線をもって鶴島を近景とし、鶴島を中心に蓬莱の連山を表わしている。
南庭の亀島にも鼠の逸話に似た話が残っており、亀石が動いたとも伝えられている。東庭は図南亭(茶室)の丸窓から眺める景色が美しく、「京都の美のかたち」として産経新聞にも紹介されたものだった。 芬陀院は、一条家の菩提寺にもなっており、第14代目にあたる一条恵観公は茶人としても風雅を好み、茶室の脇の小庭には公の愛好の手洗鉢が現存している。
当院を訪ねた時は、肌寒さがまだ残る2月初旬であった。南庭の一隅に咲く山茶花が紅の花をつけ、海を表わす白砂に花びらが散り漂っている様は美しい。
交通:京阪電鉄京都線・JR奈良線東福寺下車、徒歩5分。