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いつも今が始まり、一瞬懸命(その11)

2021年02月22日 00時20分54秒 | いつも今が始まり(生き方論)
「一燈をさげて闇夜を行く。闇夜を憂うることなかれ。ただ一燈を頼め」
 
 明治維新を成し遂げた志士たちの、その志しの根底をなした精神に』…「一燈をさげて闇夜を行く。闇夜を憂うることなかれ。ただ一燈を頼め」(言心録)という名言がある。
その一燈とは何か。それは「自らの理想に燃える信念」である。
大競争のグローバル時代、アゲインストの風の中でそれを嘆いていてもはじまらない。一途な信念がある者はいかなる逆風であろうと、その願望を成就することができるものだ。そのベクトルの力は「よし!やろう」、この思いに他ならない。

自らの一燈を頼り、生涯を貫いた事例がある。
 京都府宇治市の郊外、妙高峰の裾野に所在する黄檗派禅宗の大本山「萬福寺」がある。
そこの宝蔵院に鉄眼禅師の一切蔵経版木が重要文化財として保管されている。
中国明版の経・律・論の三蔵聖教を基にして、版木6万枚、経典2千数百冊にも及ぶ膨大な版木である。
 鉄眼は明の聖教を学ぶためには、いちいち写経をしなければならない現状を憂いて多くの修行僧や民衆のために版木を制作し、広く普及させねばならないと考えた。そしてそれが自らの務めだと心に誓うのだ。
 
 「黎明がうっすらと東山(京都)の稜線を映し出すころであった。
 粟田口にみすぼらしい一人の僧が、白い息を吐きながら佇んで居る。
 春の盛りではあるが、薄衣と素足の出で立ちではいささか寒さが堪える時節である。
 人ひとり通るはずのない時刻であったが、その僧は身じろぎもせずただ黙して佇んでいる。
 いっときも経ったであろうか、ようやく朝霧があがりはじめるころ、静寂をついてひたひたと急ぎ足で近づいてくる人の気配がした。
その人影がぼんやりと識別できるほどに近づいてきたのを見ると、歳のころ三十路を過ぎたで武士であった。
僧は侍を呼び止め「ご喜捨をお願い申す」と声をかけた。
侍は一見乞食坊主のようなみすぼらしい姿に、物乞いと思い「急ぎ申す」と目もくれず立ち去ろうとするのである。
しかし僧は侍の後を五間ほどあけて追うようについて行くのである。
侍は僧を振り返りながら「喜捨はできぬ、立ち去らぬか」と吐き捨てて、また急ぎ足で行くのだが、しかしなおも僧は侍の後を追い続けた。
「しつこい奴じゃ。喜捨はできぬと申したではないか。」
僧は聞こえてか聞こえないのか諦める様子もなくひたすらついて行くのだった。
侍はいささか感に障った様相にて「拙者には喜捨する金など持ち合わせてはおらぬが、何故に拙者の後をつけてくるのじゃ」と睨みつけるように尋ねた。

「拙僧には心に堅く誓った思いがございますれば、今朝より粟田口に立ち申しました。
この一念を持ちたる日に、初めてお会いするお武家さまに喜捨を断られれば拙僧の心が挫けてしまうかも知れないのです。
恐れ多いことと承知しているのではございますが、一文なりともご喜捨をお願い申し上げたくついて参ったのでございます」
 侍はその僧のただ事ではない覚悟のほどを察し、その存分の子細を聞き出し感服し、喜捨をするのである。
 このみすぼらしい僧こそが鉄眼禅師その人である。
 これより17年の歳月をかけ諸国を托鉢行脚に身を投じ、版木制作の資金を集め、世に名高い「鉄眼の一切経」蔵版木を完成させたのである。

 鉄眼の一燈とは「世のため人のため」となる「利他」の志しであった。
「一燈を持つもの暗闇を恐れることはないのである。
 強き志しのある者は、先行きの見えない闇の中であろうが、不透明な霧の中であろうか、わが目指す道を見失うことはない。」

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