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いつも今が始まり「下手でよい」

2021年08月15日 16時31分03秒 | いつも今が始まり(生き方論)
「下手で良い、嫌からず日々コツコツと」
 上手と下手というのは何を基準にして、また尺度にして区別するのだろうか。
歌が下手というが、絵が上手であるかもしれない。話下手の人がトップセールスマンというのも結構多いものである。
発明王といわれたエジソンは学校嫌いで、牧師夫婦が開いていた小さな学校に行かされたが成績はビリ。3ヵ月ほど通ったものの、教師が「あいつは頭は腐っている」と言われ学校を辞め、以来、母親から教育を受けた。
また、最も偉大な理論物理学者であり、「相対性理論」や「光量子仮説}などでノーベル賞を受賞したアインシュタイン博士は、児童の頃は勉強嫌いの劣等生であったという。
 このように苦手といううものがあったとしても、それがその人の全てを否定する要因とはならない。
 落語家の柳家こさん師匠は、寄席の世界に入ったものの、無口で話下手であったと後に語っている。
ではなぜ、話を生業とする落語家となり、名人といわれる咄家になったのだろうか。
こさん師匠はこう語っている「無口で話下手と自覚していたから、話し上手の中に入っていくことで、話すことが身に就いた」と。
 この教訓はこうだ。
苦手と意識していることに自分の身を置いていれば、門前の小僧、習わぬ経を読むのたとえのように、いわゆる「朱に交われば赤くなる」の如くなのだ。苦手なものでも慣れ親しんでいれば、自然に身についてくるもので、苦手から逃げない、避けて通らないということが、苦手を克服し得手になっていくということ。
 人間関係でも同じようなことがいえ、どうにも虫が好かないとか、嫌な奴と思えるような人でも、否定せず拒まず、避けず交わり親しんでいくことにより「なんだ、いい人だった」ということすら多い。
 下手と認識することができれば、それを上手に変えることができる。
要するに逃げないこと、素直に前向きに努力することで報われるものなのだ。
避けて通れば決して報われることは無い。嫌からず日々コツコツと積み重ね努力することにより、次第に上達し好きに転じてくるものなのだ。




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