薬師寺の南大門を出たところに薬師寺休ヶ岡八幡宮がある。当社は寛平時代(889~897)に、栄紹大法師が薬師寺の鎮守として大分県宇佐から現在地に勧請したものと言われている。
現在の社殿(重文)は、幾度となく天災や兵火により破壊・焼失したが、さの後、慶長8年(1603)に豊臣秀頼によって再建された。他に瑞垣門・楼門・中門等も新造されたが地震で崩壊した。
本殿は三軒社流造で、ご神体である木造三神像(国宝)の僧形八幡神像、神功皇后像、中津姫命像が祀られ、特に僧形八幡神像は僧の姿をした八幡神としては日本最古のものとされている。
本殿の両脇に脇殿が連なっており、十九明神の板絵(宝蔵殿に安置)が祀られている。また南北の細長い建物は座小屋と呼ばれ寺僧の加行場としても使用されたが、本来は古くから存在した宮座の座衆が座すところで、明治以後残っている例は少ないという。また両脇に脇殿が付属する社殿も少なく、さらに座小屋まで残っている点で歴史的に重要な建物とされている。なお、春には参道の桜並木が美しいという。
所在地:奈良市西の京町(薬師寺南問の南に鎮座)
交通:JR奈良駅六条山行バス18分、薬師寺下車すぐ。近鉄西の京駅下車すぐ。
現在の社殿(重文)は、幾度となく天災や兵火により破壊・焼失したが、さの後、慶長8年(1603)に豊臣秀頼によって再建された。他に瑞垣門・楼門・中門等も新造されたが地震で崩壊した。
本殿は三軒社流造で、ご神体である木造三神像(国宝)の僧形八幡神像、神功皇后像、中津姫命像が祀られ、特に僧形八幡神像は僧の姿をした八幡神としては日本最古のものとされている。
本殿の両脇に脇殿が連なっており、十九明神の板絵(宝蔵殿に安置)が祀られている。また南北の細長い建物は座小屋と呼ばれ寺僧の加行場としても使用されたが、本来は古くから存在した宮座の座衆が座すところで、明治以後残っている例は少ないという。また両脇に脇殿が付属する社殿も少なく、さらに座小屋まで残っている点で歴史的に重要な建物とされている。なお、春には参道の桜並木が美しいという。
所在地:奈良市西の京町(薬師寺南問の南に鎮座)
交通:JR奈良駅六条山行バス18分、薬師寺下車すぐ。近鉄西の京駅下車すぐ。
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