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「鎮魂の日」阪神淡路大震災30年

2025年01月17日 22時00分29秒 | 日常のこと&写真
「鎮魂の日」
 阪神淡路大震災から今年で30年迎え、私の退職後30年目となる。
 その時、私は姫路市に単身赴任していた。お正月明けということもありその日、妻がたまたま私に会いに来ていた。
 火曜日午前5時46分、ドーンという地鳴りと同時に眠りこけていた私の身体が突き上げられて宙に浮いた。家が激しく揺さぶられ、「家が崩れる」と叫んだかと思うと、妻の手を取り「由紀子、由紀子はどうした」と見まわした。いるはずがない、娘は楠葉なのに。頭を布団で覆いながら優子をかばった。随分長い時間揺れていたように感じた。そして咄嗟に娘に電話を掛けた。幸い回線が混乱する直前だったので娘と繋がった。無事だった。マンションも大揺れしサイドボードからテレビも落下し茶碗類も散乱したという。
 頭のパニックも治まり冷静さを取り戻した私と妻、無事であったことにホットした。すぐに帰宅の用意をさせ駅へ送ろうと車を走らせたが鉄道は動かない。高速道路は倒壊し国道2号線も入れず、止むを得ず山越えとなる丹波篠山へと抜けデカンショ通りを亀岡へと走った。JR亀岡から汽車で京都へと向かわせ、私は亀岡から再び姫路へと戻ったが、車は大渋滞、大混乱で姫路へ戻ったのは夕刻近かった。
 神戸支社のことが気になったが行くに行けず、1週間ほど心配ばかりしていた。姫路港からメリケン波止場までの船便が開通し、神戸支社の支援に向かった。そのとき、あまりの悲惨さに本社報告のための写真を撮るのも被災者の方々に気が引けるほどだった。それから震災の支援と後始末がどうにか治まった9月末、私は会社を辞めた。その春、3月末で退職するため退職届を出していたが震災の始末の目途がつくまで待ってくれと社長に依頼されその責務をはたすため延ばしていた。神戸の従業員、お客様の中にも亡くなられたかたもいた。
 17日は大震災のほかに、若くして亡くした弟の命日でもある。今日この日はお線香をあげ鎮魂の時を送る日としている。
 会社勤め30年目の出来事で、また退職してから30年も経った、30年という年月に何か因縁がありそうだ。











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