家内は以前住んでいた会社の社宅の近くに住む奥さんと二人女子会(昼食)で出かけた。取り残された私は苦学生時代の何よりの食材「日清のチキンラーメン」が食卓に置かれてある。私がこのラーメンが何よりも好きだということを知っているからだ。好きというよりノスタルジーを感じるのだ。学生時代、貧乏で三食満足に食べれず、チキンラーメンを半分に割って、二日分の昼食(or朝食)にしていた。「金送れ」と父母に電報でも送れば送金してくれたのだろうが、兄と違って私はそのような我が儘をしたことがなく、とかく我慢した。
家庭教師のアルバイトにありついたそのお宅の奥様が、結婚前に横須賀米軍基地で働いていたためかとてもサバケテいて、「いつでもご飯を食べにおいで」と言ってくれたおかげで、朝を兼ねた昼食をよくごちそうになり、お風呂にも入れてもらい、やつれた身体が蘇った。このご夫婦はのちに私達の仲人になっていただき、親代わりのお付き合いが続いた。今はお二人とも亡くなったが、恩人であった。その頃の思い出が
家庭教師のアルバイトにありついたそのお宅の奥様が、結婚前に横須賀米軍基地で働いていたためかとてもサバケテいて、「いつでもご飯を食べにおいで」と言ってくれたおかげで、朝を兼ねた昼食をよくごちそうになり、お風呂にも入れてもらい、やつれた身体が蘇った。このご夫婦はのちに私達の仲人になっていただき、親代わりのお付き合いが続いた。今はお二人とも亡くなったが、恩人であった。その頃の思い出が
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