ショット

見えないものを見る 感じたことを写真と文章でつづる暮らしと自然のフォト日記

ビーマル1

2013-11-08 11:36:44 | 教養


シニアサポーターで栄養講座があった 
講師はニューエルダーの時と同じ市内で有名な栄養士Sさん

むずかしい栄養学をわかりやすく話してくれるので人気の人だ
栄養を取って運動して休養することが基本という話

主食を抜くと心筋梗塞などの原因になる 
毎朝おにぎり1個分の炭水化物は必要

バナナはデンプンもあるので代用になる
冬は体温が下がるので野菜は朝食向きではない

朝食は毎日同じものを食べても良いような身体になっている
朝食抜きは身体がそのようになってしまう 食べられなくなるのは危険

5%くらいは落ちるが 人間は歩いて体重が落ちるようにはなっていない
体重を落とすには夕食のご飯を朝食の半分にする

体重が落ちても身体がいまの体重を認めるまでに1年かかる
食べすぎも悪くはない 食べすぎたら 何日か減らせばよい

卵のコレステロールは多くない毎日食べるほうが良い
卵のコレステロールは100人に一人影響がある程度

大豆たんぱく質は毎日取るほうが良い 年寄りの粗食は間違い
食品の30品目摂取は昔のこと いまは5種類の色で食べる

野菜の緑 赤 白 椎茸の茶色 黒い海藻や黒ゴマ
これらを毎日でなくても2~3日中に食べればよい

体内に有用菌と有害菌は10%づつで後の80%は日和見菌
日和菌は多い菌に着き増やすので 良い菌にするには植物性乳酸菌を取る

植物性乳酸菌のヨーグルトは食後に取るのが理想
ビタミンCはミカンだけではない ジャガイモなどにも含まれる

ビーマル1が研究されて14時から16時の間は食べても太らない
ここで聞きなれないビーマル1を調べたら時計遺伝子の種類

ビーマル1には体脂肪合成を促す働きがあるその遺伝子が弱まるのが14時ごろ
だからこの時間に食事をしても太らない逆に強まるのは夜の10時から深夜2時

ちなみに運動に適している時間は18時 確かこれはこの間 聞いた気がする
月の満ち欠けも何か関係しないか伺った 無関係とは言えないとのことだった


聖一国師の生まれた地へ

2012-03-28 17:10:13 | 教養


聖一国師が母への土産に中国から持ち帰ってた茶の実
それを足久保の地に撒いたのが静岡茶のルーツとされている

その聖一国師(しょういちこくし)の生家は静岡市栃沢にある
狭い坂道を登り 山の中腹に生家はあった傍に碑も立っていた

家の中までは見れなったが 庭の松も立派だった
土地の公民館で茶業関係の人がプロジェクターを使い説明してくれた

聖一国師が京都東福寺の初代住職と言うことで栃沢の人たちは
大みそか除夜の鐘をつく人に配るお茶を提供している

この日は地元の蕎麦を打って御馳走してくれた
気がつくと お茶を入れるのもそばを作るのも全部男手だった

それを問うと まずは男でやってみるといっていたが
女性はいないのかもしれないと思った

近くには大きな茅の木や 一本のしだれ桜もあった
花が咲けば見事だろう

栃沢など大川地区では4月1日野点などの茶を楽しむイベント
「山香一服」がある その時にしだれ桜は・・まだかも


熊倉功夫文化芸術大学長の食の話し

2012-02-10 18:56:41 | 教養


静岡文化芸術大学の熊倉学長の話は他の会を含めて3回目の聴講 
この日は千年の学校だけの特別講座で食の話をされた 

食の文化遺産は美味学のフランス料理など4種類だけ 
他にはギリシャ イタリア スペイン モロッコなどオリーブを使った地中海料理

麦のオジヤのトルコ料理それとメキシコ料理で 日本料理は入っていない
衣食住の 住は安藤忠雄や丹下健三など認められている

衣も日本の染色など認められているが料理にはいない
日本の食文化が文化として認められるようにする会の代表でもある

一汁三菜の日本型食生活が1980年頃はまだ残っていた
今は 食事を毎日作る人ばかりではなく週1回と言う人もいる

孤食の家庭が増えたがそれでも家族で同じものを食べるのでまだまし
今はそれぞれ違うものを食べるような家もある

正月でも おせち料理も食べなくなり 家族バラバラになってきた
2000年間食べた食卓が急速にダイニングテーブルになった 

食べるところを人に見られるのは はずかしいことなのに
人前で食べるテレビ番組が多く日本の食文化が失われていく

見られても恥ずかしくないためにマナーがあり
箸の持ち方など家族が食卓を囲むことでそれを教わった

火葬後の遺骨を拾うときの『合わせ箸』以外は
移り箸などの禁じ箸のマナーがなくなってきた

日本人の飲み食いは人が親しくなる手段でもあるので
お客に御馳走で取り持つが 外国人は会話だけを楽しむ

などもっと聴きたかったが学長も忙しそうだ 
他の会で熊倉さんの案内で京都の旅があるけども・・


道徳なき経済は犯罪

2010-02-05 21:48:33 | 教養

 

鳩山首相は施政方針演説でガンジーの言葉

「七つの社会的大罪」を語った


「理念なき政治」 「労働なき富」 「良心なき快楽」 「人格なき教育」

「道徳なき商業」 「人間性なき科学」 「犠牲なき宗教」
 

これらはすべてなくてはならないものだ

掛川城の近くに 大日本報徳社がある ここは
 

報徳思想の普及と全国の報徳社の統括をしている
 
そこにあるのは右が道徳門 左に経済門 
 

門は 二つそろって門だ その両方が必要だということ  

道徳なき経済は犯罪であり経済なき道徳は寝言
 

私利私欲に走らず社会に貢献すればいずれ自分に還元される 

と説いた 二宮金次郎の訓えだ が 
 

私はいつも寝言ばかりで還元を期待している


2008広島の日 こども宣言

2008-08-06 19:48:00 | 教養
昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。  突然のするどい閃光(せんこう)と爆風で、
数え切れない多くの尊い命が失われました。

 あの日、建物疎開や工場で働くために出かけていった子どもたちは、
63年たった今も帰りません。「いってきます。」と出かけ、「ただいま。」と帰ってくる。
原爆は、こんな当たり前の毎日を一瞬で奪いました。

 原爆は、やっと生き残った人たちも苦しめます。  放射線の影響で突然病に倒れる人。
 あの日のことを「思い出したくない」と心を閉ざす人。

 大切な家族や友人を亡くし、「わしは、生きとってもええんじゃろうか?」と苦しむ人。

 でも、生き抜いてくれた人たちがいてくれたからこそ、私たちまで命が続いています。
平和な街を築き上げてくれたからこそ、私たちの命があるのです。

 今、私たちは、生き抜いてくれた人たちに「ありがとう」と心の底から言いたいです。

 忘れてはならない原爆の記憶や、核兵器に対する怒りは、
年々人々の心から薄れていると思います。
しかし、人の命を奪う戦争や暴力は、遠い過去のことではありません。

 この瞬間にも、領土の取り合い、宗教の違いなどによる争いによって、
小さい子どもや大人、私たちと年齢の変わらない子どもたちの命が奪われています。

 失われた命の重さを思う時、何も知らなくて平和は語れません。
 事実を知る人がいなくなれば、また同じ過ちがくり返され、戦争で傷つき、
命を失った人たちの願いは、かき消されてしまいます。

だから、私たちは、大きくなった時、平和な世界にできるよう、
ヒロシマで起きた事実に学び、知り、考え、そして、
そのことをたくさんの人に伝えていくことから始めます。

 また、私たちは、世界の人々に、平和記念式典が行われ、
深い祈りの中にある広島に来てほしいと思っています。
ヒロシマのこと、戦争のことを知り、平和の大切さを肌で感じてほしいのです。
 そして今こそ、平和を願う子どもたちの声に耳をかたむけてほしいのです。

 みなさん、見ていて下さい。
 私たちは、原爆や戦争の事実に学びます。
 私たちは、次の世代の人たちに、ヒロシマの心を伝えます。
 そして、世界の人々に、平和のメッセージを伝えることを誓います。

 平成20年(2008年)8月6日

 こども代表  広島市立幟町小学校6年         今井(いまい) 穂花(ほのか)
         広島市立吉島東小学校6年         本堂(ほんどう) 壮太(そうた)


広島こども宣言に 毎年感動する 前文をコピーした 秋葉忠利市長は 
「今、必要なのは子どもたちの未来を守るという強い意志と行動力」と呼びかけた

昨夜プロフェッショナルにでていた 映画監督・宮崎駿さんの基本的な考え方は 
「子ども」が最高の存在で 大人になるに従ってつまらない存在になっていくという 
私たち いや権力のあるおとなたちは 子どもたちの期待を裏切らぎることはできない

建物疎開とは

こども宣言に「建物疎開」という言葉があるがこれは「強制疎開」のようだ
建物疎開を調べて見た それに寄ると 次のようだ

木造住宅が圧倒的に多い日本の都市は、ちょっと焼夷弾攻撃を
受けただけで丸焼けになり、多くの住民が焼死してしまう

そこで家を間引きして延焼を最小限にとどめ、住民が避難出来るよう、
過密地帯の住居を一部取り壊す必要があった。

京都の御池通りや五条通りが、やたらと道幅広くて古都の
風情を失わせているのは、この時期に行なわれた強制疎開の名残り