ショット

見えないものを見る 感じたことを写真と文章でつづる暮らしと自然のフォト日記

山ん中の夏祭り

2009-08-24 19:47:17 | まつり


山を越えた向こうの谷に 加工体験施設がある 
先週末にはそこの夏祭りがあった

ウィングトラックを利用した舞台では
県内で人気のおじさんバンドが懐かしのフォークソングを聞かせてくれていた

実は以前もここで聞いたことがあるので それを聞きたくてまた来た 
このグループは レッドポイントブラザーズという

毎年クリスマスには市内のホールを満員にするほど人気があるらしい
この日はそれほどの人出はないが 客の数ではなく
演奏や歌うことが楽しくてやっているようだ

またこの日は地元に農業体験実習に来ている
東京農大の学生が大勢で売店の手伝いもしていた

コンサートの休憩時間にはおなじみの「だいこん踊り」も披露した
また 「トーロンあげ」も 盛り上がった 

「トーロン」は火のついた松明に紐をつけそれを回して 
運動会の玉入れのような要領で高所の籠の中に中に入れるもの

炎が入ると花火に火がつき燃え上がる 

洪水の犠牲者を供養するために
昔から行っている 伝統行事

私は前夜飲みすぎて懲りた筈が
夜になるとそれも忘れた
でも ビール1缶で由とした 


野守の池

2009-08-16 07:13:44 | まつり

昨夜は対岸の町で花火大会があった

山に響く花火は大きな音で迫力がある
それが池に映るから2倍楽しめた

30分で終わるので飽きも来ないが 帰りの
駐車場から出るだけで40分もかかってしまった

大井川が蛇行して流れたころの名残の池
ここには悲劇の伝説もある

(再度公開)

野守の池 JapaneseEnglish

 


猫おどり

2009-07-25 23:28:55 | まつり

いつからやっているのか猫おどり 
会場には猫のメークをした人が多い

写真の消防士も 売店の人も
皆 猫メーク

いわれなど詳しく調べて書きたいが
明日の朝は5時45分から
SBS 発見!人間力
「サヨばあちゃんの無人駅」
これを見なくてはならないのだ

そのサヨさんから見るように頼まれた
頼まれればいやとはいえない早起きだ
ブルーレイもないし もう寝なくては

その他の猫は→ http://yamamizu.exblog.jp/11599937/


開運笹ダルマ

2009-02-16 18:48:48 | まつり



数日前地元の人が「ダルマが逆さに吊る下がっている」と教えてくれた
その笹ダルマを求めて 藤枝の清水寺の縁日に出かけた

お寺に通じる車道は進入禁止になっていた 高台にあるサッカー場の駐車場に車を止め
歩いて車道を登り山の中腹にあるお寺の境内までくると 笹ダルマはある

ここの縁日は吉原の毘沙門天 浜松の鴨江観音と並び静岡県下三大縁日
戦国時代から続いているといわれ参道は多くの人で賑わっていた

境内には他に厄除け饅頭と観音力もある 観音力は日本酒だったが買わなかった
笹ダルマは開運だという 家の何処に置けばいいか聞いたら「神棚がよい」と教えてくれた

お寺でいただき神棚に上げるのもおかしいが それ以上は聞かなかった
ダルマが逆さにぶら下がっている不思議も聞きそびれた
ダルマさんの頭に穴を明けるよりも この方がいいのかもしれない

昔はここで店を出すのが露天商の誇りだったそうだ
多いときは隣町まで屋台が並んだという

サッカー場の駐車場まで車で来ると露店は境内しかない 
サッカー場よりも街の方下ると100軒くらい店は並んでいた 
そこには笹ダルマは売っていない


地域の神事

2009-02-15 19:19:19 | まつり

あまり好きでない地域の祭り
「お稲荷さん」だった

旗ざおは市販の鉄製が多い中
今年も竹で作った

神事の後の直会はその場の野天に
シートを敷き即席の座敷を当屋が作った

最近 そこに座る人も少なくなった
日曜日の昼間これから出かける人も多く
お神酒も飲めない からだろう

祭りといっても以前のようにその日を楽しみに待つような人はいない
地域の付き合いだと思って最小限度協力するだけだ

それでも青年部は福引などを担当して にぎやかしはしてくれる 
その青年部は自分たちだけの祭りのように年寄りとは一線を引いている

祭りは老若男女が楽しむものだ その年代だけで楽しむなら
もうこういうことは 青年部だけでやればいいような気もする

昔からの地域の行事に庚申講もある 各戸必ず参加するが
年配者が上座に座って若輩者は端のほうに座る 
こうすることで地域の秩序は守られた

それが今は新座者が上座に遠慮なく座る 婿養子に来た人など特にそうだ
その家の親も娘の亭主にまで口を出せなくなってきたのだろう
「上座に座るのは坊さんか猫だけだ」などと言う人もいない

農作業するには地域の連帯や協力が不可欠だった時代の名残
そのような地域の神事は 今の時代にはそぐわなくなってきたのかもしれない

それでもいまだに捨てがたく続けているのは
これから先 世の中が変わって農業が重要不可欠な存在に戻った時に
一度捨てた地域共同体を復活するのは容易ではないと思う気持ちもすこしあるからだ