葬式のことを今日も書く 葬式といいっても一部始終悲しんでいるわけでもない
私は自分の父親の葬式のときに「葬式ぐらい楽しくやろう」といった
僧侶は私の言葉に契合しながら言葉を付け加えた「葬式もです」と
まさにその通りだ葬式も楽しくやるのだ
私は思いつきで喋ったわけでもない
平成2年1月7日、肝臓ガンで亡くなった臨済宗方広寺派管長、荒金天倫氏の音楽葬が行なわれた。「葬儀を行なわず、私を心の師として慕ってくれた故石原裕次郎氏の『粋な別れ』などの曲を流して、威勢よくユーモアたっぷりにやってほしい」との故人の遺言に従い、石原プロが企画進行を受け持った「音楽葬」が行なわれた。
読経などの儀式は最小限に抑え、生の弦楽4重奏とコーラスによる裕次郎メロディーが、会場である三生院に流れた。(写し)
私はこの葬儀に参列した そのときは喪主も派手な着物を着ていた
そして 最後には石原軍団の舘ひろしが万歳三唱をした
ドラマではない本当の話だ このときから考えを変えた
悲しんでいたのでは死んだ人は浮かばれないと
たまたま今回の葬式は天理教と言う宗教だった
仏教の通夜に当るのが「みたまうつし」これが告別式よりも一番重要視されている
親しい人が亡くなったときは告別式よりも「みたまうつし」に参列するほうが良いという
人間の身体を神様から預かったものそれを返す儀式のようだ
故人は仏でなく神になるのだ
3年前叔父さんの葬儀も天理教だったが 作法が違うことしか覚えがない
線香の代わりに 玉串奉献がある 礼拝は二礼四拍手一礼四拍手一礼
これられをすでに忘れていたが 式の前に詳しく説明があったので助かった
斎場でも礼拝は行われたここでは音の出ないように軽く叩くと説明があったが
遅れてきたS本啓一さんは 思い切り叩いて 一人だけ大きな音がしたので苦笑いしていた
どの葬儀でも 普段会わない親戚や 異業者などとも会話する機会が生まれる
これはとむらい外交で大いに歓迎する 故人が取持つ縁もあるのだ
私は今回 故人の関連会社の取締役に海外進出の話など楽しく聞かせてもらった
曲が流れるので注意↓
http://www1.ocn.ne.jp/~naka222/index2000297.html
最新の画像[もっと見る]
葬式に出ると地域や宗教によっていろいろな作法があるので困ります・・・私は夫の祖母の葬儀だけでカルチャーショックでしたもん。あれ以来真剣に自分の死後のことを考えるようになりました・・・
手まわしいいですね 何でも律儀なyukoさんらしいです そういう人は長生きするんですよね
最後の終焉・・・そんな送り方を、
学ばせて頂いたようです。
死は、自分に・・・まだ~遠い事だと思ってきましたが、相次ぐ友人の死を目の前にし、
少しづつ~~想いを馳せておりました。
楽しいお葬式・・・最後なんだから・・・。
(意味深く・・・感受したところです・・・)
お知らせを受けると葬儀に参列し、それ相当のお香典を包まなければなりません^^;
その後も、一周忌までは何度か足を運びます。
顔の知らない親戚から何度かお知らせがありましたが、そのあり方に考えさせられ、父が亡くなった時は身内だけでしっそりとという父の遺言とおりにしようとしましたが、親戚から反対されました^^;
私の時には身内でささやかで送ってくれたらいいからねと言ってありますがどうなる事やらです^^;
素敵な管長さんだったんですね。 合掌
正月そうそう葬式の話で恐縮です
楽しいといっても人間ですから感受性はあります
そうありたいという願望かもしれません
私のお寺の僧侶も幼い子どもの葬儀などでは涙しながらお経を読みます 親の気持ちになってくれているのだと思います
人が逝くのは悲しいでも悲しんでばかりでは 亡くなった人は浮かばれないような気がします その人が亡き後も笑顔が耐えないような暮らしが出来たほうが 浮かばれるだろうと思います
毎回暗い話ですみません
こちらでも大勢参列者があれば少し自慢げにもなります 自分のときにたくさんもらいたくて気張って包むようなことも無きにしも非ずです
流を変えるのは難しいですね 自分の家だけ突拍子もないこともできないし その土地のやり方が一番無難です でも気持ちは自由です 泣くのも自由
泣かなくても悪くはない
永六輔の話に よかったよかったおじいさんでよかった息子でなくてよかったってのがありました
歌にもありますね 私のおはかの前で泣かないでください 千の風になって
小香女さんもですか 皆さん準備周到ですね
なれないことなので しゃしゃり出る人も必要なときもありますが
家族の希望は聞いてもらいたいですね その点
書面で残しておけば間違いないでしょう
質素がいいですね 無駄なもので金銭的な苦労を掛けたくないしね
素敵なやり取りですね。
山水さんのユニークな視点にいつも感心して拝見しております。
葬式は地方によって様々。
あまり変わったことをすると、また「ハネアガリモン」と白い目で見られるのを覚悟しなければなりません。
自分の葬式について自分では最後まで責任が持てないところが歯がゆいところです。
私の地方に残っていた地元での野焼きもついに無くなりました。葬式についてはいろいろ考えさせられます。
遅くなりましたが、今年もよろしくお願いします。