伝統ある英国のTANNOY IIILZで聴く、音楽の父J.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

2025年が始まる・・・、穏やかな歳が過ごせる事を祈ります。

2025年01月02日 | クラシック音楽・オーディオ


昨日このブログアップしたのであるが、何度試みても写真アップが出来ないようで文章のみのアップになる事となった、大変申し訳ない事であった、幸いにも本日写真画像を登録でき補正をした次第でもあります。

皆さまあけましておめでとうございます。我が家の正月は2日から始まった、勿論早朝7時少し前に家を出て先ずは初日の出に参拝する。そしてモジャ君と近くの競馬学校入り口付近にある天神社、この神社は筆者の自宅近くのJRA競馬学校騎手過程の生徒さんが「騎手免許合格祈願」に参詣するそうで、競馬学校との関わりも深いのです。 白井木戸天神社は、菅原道真公を祭る神社です。 創建は、享保15年(1730年)と伝えられています。所謂勉学の神様でもあります。



帰宅後シャワーを浴び朝食の支度ごは食卓に、先ずは冷蔵庫から純米酒を取り出す軽快でなめらかな口当たりとたしかな旨味が特長だそうです、昨年我が家でいただいた日本酒で印象に残ったのが「越後鶴亀 純米」でしたので正月用として取り寄せしました。後味のキレも良く料理を選ばない冷やしても美味しいお酒です、穏やかな歳が過ごせる事を祈り乾杯から始まる。助年は昨年那珂港に行った時冷凍品の鯨のブロックを購入した鯨が食卓に並びお酒とのアテには実に魚と違った旨さを感じた。奥方曰く歳と共にお酒の量は減ったと行っているが、先ずは今年からは揃って後期高齢者に突入でもあった、何よりも健康第一である、モジャ君との毎日の散歩も健康的な習慣であるように思う。

昼からの酒は早めに酔いが回る、しばらくの間休んでから食後の珈琲を淹れ自分の部屋に行き。アンプに火をいれる・・・

バッハ好きの筆者は、当時元旦にライプツィヒでこの曲を作曲し、1725年1月1日に初演したイエスよ、いまぞたたえられん BWV 41が正月を飾る曲としては相応しいのであろうが、今回はタンノイユニットが最も上手い具合に鳴る曲を選んでみました。それと昨年の暮れに仕入れたスピーカーFYNE AudioF500とタンノイユニットの聴き比べも兼ねて新春は心新たに好きなベートーヴェン:弦楽四重奏曲から聴き始めた。
一般的には弦楽四重奏曲第14番は高い評価が与えられているベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲の中でも、最高傑作の呼び声が高い第14番ではあるが筆者の好みは。作曲年代:1825年初春〜8月初旬「弦楽四重奏第15番 イ短調」Op.132が好きである、作品には次のような解説があります。)当時ベートーヴェンは昼夜を徹して作曲することもあって疲労がたまり、4月半ばごろから床に臥すことが続いて18日にはかつての主治医アントン・ゲオルク・ブラウンホーファー博士に往診依頼の手紙を書いている。ブラウンホーファー博士は投薬と食事療法と十分な睡眠を徹底する治療にあたった。5月になると軽い散歩ができるまでに回復し、いつもの年より早めにバーデンに保養を兼ねて移ることにした。
中断していた「イ短調」四重奏曲の作曲に戻り、第3楽章には「病癒えし者の神への聖なる感謝の歌」と表題したリディア旋法による宗教的敬虔さの漂う美しい音楽を書き上げていたのでしょう。その時期があったからこそ第3楽章の美しい響きが生まれたのですね。その表題や、演奏時間が長さからは、回復したことの喜びが伝わってくるようです。



勿論演奏はドイツのズスケ四重奏団Suske-Quartettを採ります。ズスケは東独エテルナ原盤、1967-1980年ドレスデンのルカ教会での録音、リーダーのカール・ズスケはこの録音のあと、グループを解散します。ズスケはその後名門ゲヴァントハウス四重奏団の第1Vnなどを勤めます、むろんそこで素晴らしい演奏をしたのでしょうが、録音の話は聞かないと言われてます。

Complete String Quartets : Suske Quartet
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲全集

 Disc6
 ・弦楽四重奏曲第12番変ホ長調 Op.127
 ・弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調 Op.131

 Disc7
 ・弦楽四重奏曲第15番イ短調 Op.132
 ・弦楽四重奏曲第16番ヘ長調 Op.135

ズスケ四重奏団 :カール・ズスケ(第1ヴァイオリン)
         クラウス・ペータース (第2ヴァイオリン)
         カール・ハインツ・ドムス (ヴィオラ)
         マティアス・プフェンダー(チェロ)



国内ではズスケ四重奏団の名で活動していたが、外国向けには『ベルリン・シュターツカペレの四重奏団』として、「ベルリン四重奏団」の名が使われているのである。そして更に、1975年にズスケはゲヴァントハウス管弦楽団に出戻る。師であるボッセが指揮者としての活動の多忙などのためコンマスの引退を決意、後任には愛弟子のズスケしか考えられない、という意向だったと思われる。残されたベルリン・シュターツカペレのコンマスにはバッツドルフが就任。ここでも伝統に則りバッツドルフは新団体としてのベルリン四重奏団を創設する。しかし、突然の交代だったためか第一ヴァイオリンのバッツドルフ以外は、ズスケ四重奏団のメンバーが残るのだ。

リーダーだけが違うベルリン四重奏団がここに生まれるのだが、なんと進行中だったベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集の録音を完結させるため、1980年までズスケ四重奏団としても並行して活動を続ける異常事態が生まれる。ズスケ本人はゲヴァントハウスのコンマスとして、「ゲヴァントハウス四重奏団」のリーダーの責務がある中での話なのでベルリンとライプツィヒを行ったり来たりの生活を送ったことになる。しかもETERNA録音の大半がドレスデンのルカ教会スタジオである。この時期のズスケはドイツ南北間の大変な移動を毎度の様に行っていた事だろう。1980年にベートーヴェン全集録音を終えると同時に、ようやくズスケ四重奏団としての活動を正式に終了。



今までTANNOY IIILZMonitor Goldでの視聴は弦楽四重奏曲の演奏が最適とは思っていたが、GOODMANS AXIOM 80の箱に移植後色々補修をし修復ごの弦楽四重奏曲の演奏はすこぶる良きなった、最近導入したFYNE AudioF500も手を加え比べては見たが、TANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetの奏でる弦楽四重奏の全体の音楽性はF500では決して超えられない深さがあるように感じるこの頃でもある。
古典派の完成とロマン派の創成 したがってベートーヴェンの音楽史における位置付けは、古典派音楽の完成者であると同時に、新しいロマン派音楽の開拓者とされているわけだ。 そう捉えれば、ベートーヴェン後期の作品群はロマン派の音楽だと言っていいことになる。形式よりも感情を重要視する。筆者が感じるベートーヴェンの弦楽四重奏曲はこの3つの曲魅力を感じている。第12番作品127と第14番作品131、そして第15番作品132の3曲である。ブラボー!



今年も人気のないブログもバッハの音楽中心に掲載を続けようと思いですので、ぜひ偶には覗いてみてください。宜しくお願いいたします。

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