伝統ある英国の10吋ユニットで、いい音で音楽を聴きたい・・・・・

音楽好きの、古いオーディオ機器10吋TANNOYを改良して聴くダメオヤジの金ちゃんです。

イタリアのオルガニスト兼チェンバリストLorenzo Ghielmi(ロレンツォ・ギエルミ)のJ.S.バッハ演奏を検証する。

2022年12月17日 | J.S.バッハ関係


この時期の間、華やかな花を咲かせる寒椿。白やピンク色をした大きな花が、寒く寂しい庭を美しく彩ってくれます。また、樹高も低くて扱いやすく、花姿のイメージから、「謙譲」「愛嬌」「申し分のない愛らしさ」という花言葉が付けられました。たくさんの葉っぱを茂らせることから生垣などにもぴったり。明るい寒椿の花を見ると、元気をもらえそうである。愛犬の散歩時にも最近よく見かけるけ花でもある・・・・。

愈々今年も年末で新しい歳を迎えようとしてはいるが、ロシア、ウクライナの戦争、支那の戦備品の増大と如何にも戦争を匂わす準備が伺える、日本も防衛費増大を準備するが、何かと岸田総理は財務省の言うなりにて最悪の事態になっている、戦国時代背景から学ぶこともあるかも知れず、歴史について紐解いて見た。
最近音楽を聴くことも多いが、日本史の乱世の時代にも興味が湧き、YouTube配信映像も含め歴史本も参考に楽しんでいる。



昔夢中になった司馬遼太郎の作品で「国盗り物語」を最初に読んだときに思わず笑ってしまう程面白く、テンポも良く、夢中になって読み耽った記憶があります、当時は仕事で東京甲府間の往復が多くその頃は司馬遼太郎の小説を片っ端から読破した。成程小説としては実に痛快で歴史的にも頷ける要素もあり、今思えば特急電車で往復4時間の読書時間には実に快適な時間であった。
国盗り物語は一介の浪人から身を起こし美濃一国を盗った斎藤道三とその後継者である織田信長と明智光秀の生涯を描いた壮大な歴史ロマンであるが、後編の信長については疑問が残る点が多かったと記憶する、司馬遼太郎は信長公記は読まれてなかったのであろうか?筆者は読んでいると思う、司馬遼太郎の作品は歴史小説なのです。彼の小説はたしかに面白いが、決して記憶に残してはいけない、何故なら面白いが、事実とは随分違う誤った掲載しているのである。

一番の違いは信長のデビューの桶狭間の戦いから違っているのである。基本織田方は今川方と戦い、松平方は今川方に助けを求めた事が基本背景である。

その元の事件は、此処で以前起きた戦いについての紹介です、尾張から侵攻してきた織田氏の間で天文11年と17年の2度にわたって繰り広げられた血で血で洗う凄まじい戦いであったと伝わる。小豆坂の戦い(あずきざかのたたかい)は、岡崎城に近い三河国額田郡小豆坂(現在の愛知県岡崎市字羽根町字小豆坂、同市美合町字小豆坂)で行われた戦国時代の合戦。
三河側の今川氏・松平氏連合と、尾張から侵攻してきた織田氏の間で天文11年(1542年)と17年(1548年)の2度にわたって繰り広げられた。発端は松平氏家中の家督相続をめぐる対立だが、これに領地拡大を図る織田氏と今川氏が介入し、事実上、松平清康の死後勢力の衰えた松平氏に代わる西三河地方の覇権を巡って、織田信秀と今川義元との間で生じた抗争である。
第二次合戦において今川氏・松平氏連合は勝利を収めはしたが、この合戦のあった天文17年(1548年)に松平広忠が死亡してしまい、松平氏の次期当主である竹千代が織田氏のもとに人質としてある以上、岡崎城は無主の状態になってしまった。そこで翌天文18年(1549年)、太原雪斎は人質交換によって竹千代の身柄を今川氏の保護下に奪還することをねらい、11月8日(11月26日)から9日(11月27日)にかけて今川軍と松平軍を率いて安祥城を攻略、信広を捕虜として、竹千代と交換する交渉に成功した。今川氏はそのまま竹千代を駿府に引き取って松平氏を完全に保護下に置き、西三河の拠点となる岡崎城に今川氏の派遣した代官を置いた。
下図は愛知県の昔と今の地図で随分配置が変わった事がわかる地図である。西三河といっても額田郡、碧海郡、設楽郡の随分小さな領地の出来事であるかが分かる、東三河とは宝飯郡、八名郡、渥美郡である事が理解できる。



一方、安祥城の失陥により織田氏の三河進出は挫折に終わり、さらに天文20年(1551年)には織田信秀が病没、後を継いだ信長とその弟・信勝(後の織田信行)間で内紛が起こった。この結果、尾張・三河国境地帯における織田氏の勢力は動揺し、信秀の死に前後して鳴海城・笠寺城(それぞれ名古屋市緑区・南区)を守る山口氏が今川方に投降し、逆に今川氏の勢力が尾張側に食い込むこととなった。
桶狭間の戦いに於いて全く違う様子が書かれている、信長公記では信長が生まれてから桶狭間の戦いまでに歴史に残る戦いは四度程行われ、最初は西三河現在の岡崎の小豆坂の戦いで信長の父親「信秀」と義元と1542年に戦い辛くも信秀が勝利している、その6年後小豆坂で二度目を戦い義元は勝利する、信秀が死ぬと後を継いだ信長は和議を破棄して戦いを再開、1554年織田方だった寺本城(現・知多市)が今川方に寝返り、信長の居城・那古野城と緒川城の間の道を塞いだ。(現在の田原市)このため信長は船で海を渡って寺本城を避け、村木砦を背後から攻撃することにした。織田軍が攻め続けたことで村木砦側は負傷者・死者が増え、ついに降伏した。そして又6年後の1860年に最終決戦に桶狭間の戦いがある、織田vs今川対立24年で最終決戦を行う、この戦いを初めて戦うように描かれた小説も数々あり読んだ読者は間違った歴史認識をしてしまいそうであるあくまでも小説なんですと注意したい。
次回実家に戻ったら、岡崎周辺の歴史跡地を探索してみようと思う、岡崎と言えば岡崎城程度しか知らなく無知である西三河と東三河とは違う様にも思える。浄土真宗門徒が多いことは親鸞聖人が布教のため矢作川近くの寺で幾度も布教をし門徒が多く、確かに過激派の空誓(くうせい、生没年不詳 )は戦国時代 の僧侶です。本證寺(安城市野寺)第十代で、蓮如の孫、もしくは曾孫ともいわれています。三河一向一揆の中心人物です。その為か西三河には一般に未だ浄土真宗門徒が多いと言われる地区でもある。

現在の吉田城跡です。豊川沿いに構築されている。

今川群2万5千人の大軍を率い尾張に侵攻した今川義元に対し、尾張の織田信長が本陣を奇襲、または正面から攻撃し、今川義元を討ち取った。当時鳴海城、大高城は海の近くの城で桶狭間は沼地が多く戦場としては不向きでもある、信長自身幼少からの野歩きが好きで地形を熟知誌していた為今川勢を桶狭間に誘き寄せたと云う歴史家も出てきている、新しい発見にて歴史は変わり古地図を読み解く事で辻褄が会うようである。
麒麟が来るでも有名なNHKでの時代考証をしている小和田哲男先生が迷いに迷いながら、家臣たちに支えられる家康像を静岡大学教授小和田哲男先生が語る桶狭間の戦いを述べているが参考になる意見が多くぜひご覧ください。
歴史とは実に新しい文献が発掘され歴史が明らかになっていく事は実に面白い発見で、益々興味深く詮索する事と愛知県に今でに残るであろう資料の発見に興味は湧くのである、確かにこの地はまだまだ歴史の足跡が残っているのであろう。



前置きはこの辺りにして今回はオルガン、チェンバロ奏者で最近意外と良く聴く演奏者がいます、ロレンツォ・ギエルミLorenzo Ghielmi1959年9月1日 (年齢 63歳)最初に聴いたのはチェンバロ演奏でしたが、最近になってオルガン曲を聴いたがギエルミという人のオルガンは非常に明晰で、すっきりとしています。勿論チェンバロ演奏も何処と無く雄大で落ち着きのある演奏は新鮮にも感じます。ロレンツォ・ギエルミ トッカータとフーガニ短調をお聞きください。

確かに以前聴くオルガンの音は何方かといえば低域が持ち上がり鈍重に聴こえたた、レプトンパワーチップをTANNOYのIIILZ Monitor Goldマグニットに貼り聴き出して以前と比べオルガンの音全体が明確で爽やかな風が吹き抜けるの如く良い塩梅に聴こえる。使用アンプはシングルの三極管の真空管アンプでの音出しが一番良い結果が出るようです。
昔はIIILZの音質は一般的に「箱や アンプの音色で合わせる必要があったものの、いぶし銀と評されたその音は独特のもので当時から多くの人に愛されました。一種の色付けと言っても良かったと 思う、 モニターゴールド系ユニットのホーン部の癖なのか、高域にややざりっとした感触の輝きが乗りこれぞタンノイと言われる所以か、オーケストラなどの複数台の弦楽器合奏部などでは、その不透 明さゆえのある種のリアリティを感じさたと絶賛する声が多かったようである」英国伝統の音等とも言われた様でもある。

確かに演奏者がイタリア出身のせいか明るい性格も音に滲み出るのであろうかとも思えるようである。確かにチェンバロ演奏も何となく明るい爽やかに感じる演奏は大変高評価出来る。いかにもイタリアの演奏家なんですね!



このような音の違いが分かるユニットはやはりバッハの音楽のように「王になかの王」何だとも思える。しかし次の音楽を聴くと不満箇所が顔を出す、この戦いは多分死ぬまで続くであろう、この感覚が至福の時である様である。先日ステレオサウンド誌No.225ステレオサウンドグランプリの商品を購入すると合計で1億以上と投稿していたようですが、そのシステムを据え置く部屋は?現実味のカケラも無いまるで夢の世界であろう・・・?
貧困老人には無関係な話でもある、最近はステレオサウンド誌を読む気さえなくしていることが実情である。

ロレンツォ・ギエルミ(Lorenzo Ghielmi)1959年9月1日 (年齢 63歳)イタリアのオルガニスト兼チェンバリストです。 彼はミラノのアカデミア・インテルナツィオナーレ・デッラ・ムジカとバーゼルの「スコラ・カントルム・バシリエンシス」で古い音楽を教えています。彼はトロッシンゲンとリューベックのHochschulefürMusikの教授でもありました。オルガニストのみならず、チェンバリスト、指揮者、研究者としても活躍するロレンツォ・ギエルミ。その洗練された技巧と、深い造詣に裏打ちされた演奏は、常に聴衆に鮮烈な印象を与え続けてきた。現在は、ミラノの聖シンプリチアーノ教会のオルガニストを務める一方、自ら結成した古楽アンサンブル“ラ・ディヴィナ・アルモニア”での活動や、後進の指導なども精力的に行い、古楽界をリードする存在として世界的に高い評価を受けている。



イタリアのオルガニスト兼チェンバリストです。 彼はミラノのアカデミア・インテルナツィオナーレ・デッラ・ムジカとバーゼルの「スコラ・カントルム・バシリエンシス」で古い音楽を教えています。彼はトロッシンゲンとリューベックのHochschulefürMusikの教授でもありました。

オルガニストのみならず、チェンバリスト、指揮者、研究者としても活躍するロレンツォ・ギエルミ。その洗練された技巧と、深い造詣に裏打ちされた演奏は、常に聴衆に鮮烈な印象を与え続けてきた。現在は、ミラノの聖シンプリチアーノ教会のオルガニストを務める一方、自ら結成した古楽アンサンブル“ラ・ディヴィナ・アルモニア”での活動や、後進の指導なども精力的に行い、古楽界をリードする存在として世界的に高い評価を受けているそうです。
オルガニストのみならず、チェンバリスト、指揮者、研究者としても活躍するロレンツォ・ギエルミ。その洗練された技巧と、深い造詣に裏打ちされた演奏は、常に聴衆に鮮烈な印象を与え続けてきた。現在は、ミラノの聖シンプリチアーノ教会のオルガニストを務める一方、自ら結成した古楽アンサンブル“ラ・ディヴィナ・アルモニア”での活動や、後進の指導なども精力的に行い、古楽界をリードする存在として世界的に高い評価を受けている。



J.S.バッハ : 6つのパルティータ BWV825-830 / ロレンツォ・ギエルミ 
(J.S.Bach : PARTITAS BWV 825-830 / Lorenzo Ghielmi) 


古楽界の旗手ギエルミによるバッハの「Op.1」!バッハの鍵盤音楽を極める名匠が至高の組曲から新たな魅力を紡ぎ出す!
ロレンツォ・ギエルミ/バッハ:トリオ・ソナタ集
日本語解説付き 最も聴きやすく、最も難しい奏法バッハのオルガン曲集!
巨匠ギエルミの安定感から漂う、この風格!まして、もはや「イル・ジャルディーノ・アルモニコ初期の鍵盤奏者」というのはアナクロな言い回しなのかもしれません。であるミラノ聖シンプリチアーノ教会のアーレント・オルガンの正規奏者をつとめるこの名匠、主兵ラ・ディヴィナ・アルモニアとの筋の通った録音プロジェクトも軒並み成功続きではありつつ、その確かな音楽知の中心にあるのが、あくまで鍵盤奏者としての、特にオルガン奏者としてのそれであることを、この名盤は強く印象づけてくれます。 
「音楽の父」にして18世紀ドイツ最大級のオルガン音楽の賛辞だったバッハが、両手で二人分、足鍵盤で低音伴奏をつとめる「ひとり3役」の独奏トリオ・ソナタ6曲をまとめたのは、最愛の長男ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハの研鑽の仕上げとするため。この難曲を弾きこなせば最高、という試金石の存在感は今も変わりませんが、ギエルミのような名匠の手にかかると、その作品美が自然と幾倍にも感じられることでしょう。



J.S.バッハ: 6つのパルティータ BWV825-830〈クラヴィーア練習曲集第1部〉
[CD1]
 第1番 変ロ長調 BWV825
 第3番 イ短調 BWV827
 第4番 ニ長調 BWV828
[CD2]
 第2番 ハ短調 BWV826
 第5番 ト長調 BWV829
 第6番 ホ短調 BWV830

ロレンツォ・ギエルミ (チェンバロ)
使用楽器: 2001年ミシガン州、キース・ヒル氏が個人所有の18世紀のドイツ製チェンバロにインスパイアされて製作。

録音: 2019年8月10-12日/ イタリア、カヴォナ、サン・ミケーレ教会

この曲集は、バッハがケーテンで過ごした1722年から1723年頃に作曲されたと考えられており、イギリス組曲やパルティータと比べ比較的演奏は容易である。イギリス組曲が短調作品が多く、演奏も技術が求められ、峻厳な曲想であるのと好一対をなしている。この時期、バッハは先妻であるマリア・バルバラ・バッハを亡くし、15歳下のアンナ・マグダレーナ・ヴィルケと再婚しているが、創作の意欲も衰えがなく、本作をはじめ多くの鍵盤楽器曲が残されている。

また筆者も小洒落たリズムが好きなチェンバロ曲で、ピアノ教室の先生が良く言われるのはフランス組曲は小学生4、5年生でもある程度教本が進んでいる生徒さんが弾けるレベルのものと解説されているようです!
「インヴェンションとシンフォニア」に入っていなくても、ブルグミュラーに入っていれば挑戦できる難易度になっています。曲はかわいらしく、やさしい感じで筆者も大好きなバッハの一曲である!



『フランス組曲』はバッハ自身がつけたタイトルではなく、フランス趣味はあるもののドイツの伝統的な組曲がベースになっている、バッハはもちろんクープランやルイ・マルシャンを知っていたが、ベームやフローベルガーのスタイルが骨格となっているのがこの組曲である、とギエルミは言っています。また比較的初期の作品であるトッカータはイタリアのフレスコバルディからの影響が顕著。さまざまな語法を取り入れながらもドイツの伝統に根ざし独自の書法を築いたバッハ、その音楽世界の一端が垣間見えるプログラムと言えます。使用楽器はキース・ヒル氏2001年製作のチェンバロ。18世紀ドイツの個人蔵の楽器をモデルに作られた楽器です。
【曲目】
J.S.バッハ:
  フランス組曲第4番 変ホ長調 BWV815
  トッカータ ニ短調 BWV913
  フランス組曲第5番 ト長調 BWV816
  トッカータ ホ短調 BWV914
  フランス組曲第6番 ホ長調 BWV817
【演奏】
ロレンツォ・ギエルミ(チェンバロ)
【録音】
2018年6月19-21日/イタリア

ギエルミの『フランス組曲』は第1~3番が既に発売されています。なかなか続編が出ずやきもきしていましたが、遂に後半3曲を収録したディスクが登場です!
長調のフランス組曲に対して、劇的な楽想ほとばしる短調のトッカータを2曲カップリング。イタリヤの鍵盤奏者バッハの真髄を魅せつける、注目の強力盤であろう。いや実に楽しい演奏であろうか・・・ブラボー!