筆者が感じる一般的な日本人の多くはロシアと言えば余り良い印象は持たないと思う、当時は朝鮮を越え遼東半島にロシアの南下という危機から始まった日本の戦争への歴史である、戦前・後旧ソ連に魂を売った男、伊藤忠の「瀬島龍三」が挙げられが確かに共産主義者に侵された日本人も数多いことは現実だ。
昔レーニンが革命を起こしソ連と言う社会主義国を設立し、そして崩壊し見せかけは民主国家ロシアとなったが、根っこの部分の共産主義は顕著に維持してきた。しかしロシアの広大な太地で生活する庶民は政治の事は全く関係ないと言うことである様です。
先日最近のロシアについて資料を読み驚愕したとこがある、ロシア人はウオッカを飲むとは言わず、「ウオッカを放り込む」と言うそうです、筆者のように日本人は想像を絶する自然環境の様である。当に環境が変わるなんて問題でもなく、ツンドラ地方の誰もいない場所で大声を出しても自然環境の中でその大声は自然の中に溶け込み消されて行く環境は経験知がなければ理解出来ないそうです、ロシアの凍る広大な大地に行かなくては体験できなく、そこでウオッカを喉に放り込み全身にアルコールの刺激で気持ちをスキッリするいらしい。当にウオッカはは気付薬の様である、それからスッキリして車の運転を続けると言われる。
車に同乗した方はその行為は飲酒運転と諌めると、警察のことは物の本で読んだことがある、ウオッカを放り込まなければ目的地までは生きて到着しないと、説明したらしい。ウオッカを放り込み眼を覚まし運転を続けるそうである。
またロシアの失敗は信仰の問題もある様です、現在もキリスト教を信仰していますが、西側諸国で起こった宗教革命がありません。簡単に説明しますと16世紀のキリスト教の革新運動です。 ロシア・ソ連といえばかつては「宗教はアヘン」といった無神論の世界と思われた。ロシア革命の指導者だったレーニンは宗教を否定し、世界初の社会主義国を設立した。しかし、ロシアの歴史をみると、政治と宗教との関係が極めて深い関係の存在がある様です。
プーチン政権下で続くウクライナとの戦争も、10世紀前後にあったキリスト教国家、キエフ(キーウ)・ルーシが両国の起源であることが影響しているともいえる。キエフ・ルーシは、9世紀末から13世紀半ばにかけて今のウクライナからロシア西部を支配した当時の大国であり、首都をキエフに置いた。10世紀に君主であるウラジーミル(ヴォロジーミル)大公がクリミア半島でキリスト教の洗礼を受け、キリスト教国家となった。領土もウラジーミルと息子の統治下で最大となり、繁栄を誇った。ウクライナとロシアは今もどちらがキエフ・ルーシの後継国かをめぐって争っている。ちなみにルーシはロシアの古称である。
自然環境の違いは全く違い、当に世界の常識では通用しない事がわかる。現在ウクライナ戦争と他の国は騒いでいるが、つい最近までは同じ国のウクライナが西側諸国に属するとこは裏切り行為と思っている。以前から西側諸国からは、貧困なロシア人と思われがちで事実相当の貧困生活者が多いと言われ馬鹿にされ続け、まるで北朝鮮のような国と思えば、今回のウクライナ国の行為はロシアに対しての裏切り行為の何物でも無い、これが許されない事実である様です。
勿論経済封鎖、輸出入禁止でロシア国民は益々生活苦になるのですが、政権側には全く関係ない問題なんです。一部の国家権力者以外は全く構わない事がロシア国の悲惨な感じであり、例えば今の政権が潰れも次の政権は今以上の過激的な国家となると言われています。共産国家体質は僻みと呪いで体制を維持している感じで、周辺国は益々の共産圏の僻み社会から逃げようとするであろう。ロシアは崩壊してもウクライナの制圧は決して辞めないであろう。
今思えば第2次世界大戦で共産圏のロシアと支那が勝利国になった事が最悪の事態を招いているのである。結論的には当分この戦争は休止符を打てないであろうロシアの弾薬が尽きるまで続けるのであろう。最大の被害者はウクライナ国民とロシア国民である。
最悪な事に国連常任理事国(5常任理事国)中国、フランス、ロシア、英国、米国となってしまった事は最悪なパターンな事であり、国連常任理事国が悪くても手も足も出せない事である。
この様な時代背景を理解しない会談は何度で行っても平行線を辿るであろう。
現在支那の近平がコロナ禍に於いてデモが行われているが結末は天安門事件の様になるのかよ騒ぐが?期待はできないであろう・・・何故なら、ゼロコロナへの不満が噴出しているが、当にこの事件は近平の独裁政治に不満を示しているのであろう、最終的には抑圧して何も無かった事にすることは近平のお家芸と言えるであろう、後振り返れば何も無かった事にし、デモの首謀者は全て抹殺されて何も無かったかの様に終焉を迎えるのであろう。共産主義国の実に恐ろしい暗黒の世界である、来年は少しでも良い時代が来るのを望むが大変難しい事である。
今回のW杯の施設を作ったのは支那で、既に6,500名の犠牲者には何もしないで、賃金さえ払っても無いそうですが、世論のマスコミは何も発表しないで沈黙しているのが実態である。何故であろうか?
結論的に言えばロシアも支那も国の面積が広すぎることが災いを犯している、同国とも10個程の国に分断しお互い切磋琢磨すれば社会的にも経済的にも発展はあろうが、社会主義国家を崩壊して国を分断し普通の国家への変貌が平和な地球に一番近くなる方法かも知れない。いずれかに歪みの入った社会では纏ることは非常に困難なことである。戦争の最終兵器、原子力の力(原爆)の使用は禁止して頂きたいのが唯一の世界の望みである。
カレンダーも後一枚で今年も終わる、一年は実に早い毎年恒例のようにこの時期になると大変忙しいがやっと一息つける状態になったので暖かい部屋で淹れたての美味しいコーヒーを飲みながらBachを聴いてます。
今日もバッハの音楽を聴いてます。今回は室内楽の演奏です。
BA1. BWV 1-231 カンタータ、モテット
BA2. BWV 232-243 ミサ
BA3. BWV 244-249 オラトリオ
BA4. BWV 250-524 コラール、歌曲
BA5. BWV 525-771 オルガン曲
BA6. BWV 772-994 オルガン以外の鍵盤楽器(チェンバロ、クラヴィコード)の曲
BA7. BWV 995-1000 リュート曲
BA8. BWV 1001-1040 室内楽
BA9. BWV 1041-1065 協奏曲
BA10. BWV 1066-1071 管弦楽曲
BA1. BWV 1072-1080 ひとつの作品の中に異なる演奏形態の含まれている作品や演奏形態の指定のない作品
さて今回はBA8の「BW V1007~1011チェロ組曲」の作品であります。
今年も最近は筆者のブログ記事はやはりBach記事が大変多い、昔は聴かなかった(声楽)カンタータが多くなったが、勿論Bachの器楽演奏には興味は尽きないのである。知れば知るほど深海に嵌まる様である。
BA1. BWV 1-231 カンタータ、モテット
BA2. BWV 232-243 ミサ
BA3. BWV 244-249 オラトリオ
BA4. BWV 250-524 コラール、歌曲
BA5. BWV 525-771 オルガン曲
BA6. BWV 772-994 オルガン以外の鍵盤楽器(チェンバロ、クラヴィコード)の曲
BA7. BWV 995-1000 リュート曲
BA8. BWV 1001-1040 室内楽
BA9. BWV 1041-1065 協奏曲
BA10. BWV 1066-1071 管弦楽曲
BA1. BWV 1072-1080 ひとつの作品の中に異なる演奏形態の含まれている作品や演奏形態の指定のない作品
さて今回はBA8の「BW V1007~1011チェロ組曲」の作品であります。
今年も最近は筆者のブログ記事はやはりBach記事が大変多い、昔は聴かなかった(声楽)カンタータが多くなったが、勿論Bachの器楽演奏には興味は尽きないのである。知れば知るほど深海に嵌まる様である。
週末の久し振りのゆったりした時間はバッハの音楽を聴きたい、筆者の持つ10吋IIILZ Monitor Goldのユニットで一番上手い具合に鳴る曲は、透明度の高い澄んだ鍵盤楽器の音か・・・?程よい深みのある艶と音色豊かなチェロの音か・・・?と迷うところではあるが、久々にチェロの教科書と言われるJ.S.バッハのチェロ組曲を聴くことにしました。
確かに10吋タンノイでの音出しはチェロ組曲の唸り音の鳴り方を味わうには誠に良い塩梅で部屋に響く、決して重低音の音はしないが、程よい低音をじっくり味わう事ができるユニットである。ドライブするアンプは程よいシンプルの真空管が一番リアルな音の再現に適しているように思える。現在筆者は一回り小さな国産品の300B同等の球を愛用しています、確かに長い事音楽を聴き続けると火屋(ホヤ)の音の良さがわかる様な気もする様である。
無伴奏チェロ組曲の様式は、フランス風舞曲の組み合わせです。前奏曲はフランス風序曲とは異なるスタイルですが、それ以降は、アルマンド、クーラント、サラバンド、ブーレ、ガヴォット、ジーグと、フランス風舞曲で構成されています。この構成は6つの組曲で大きく変わらないので、ブランデンブルク協奏曲と異なり、一時期に書かれたと考えられます。無伴奏ヴァイオリンのパルティータに似た構成です。
アルマンドはドイツの舞曲をベースとしています。他の曲も、ルーツはフランス以外にあるものが多いのですが、ルイ14世のフランスの宮廷で実際に踊られていたため、フランス舞曲と呼ばれます。フランス風舞曲が踊られた時代は、バッハよりも前の時代で、J.S.バッハはフランス風舞曲を元に独自に発展させたと考えられます。無伴奏チェロ組曲でも番号によって色々な試みが見られます。同時代の同じドイツの作曲家であるヘンデルやテレマンも独自に発展させて組曲を作曲しています。イタリアとフランスが中心だったバロック音楽が国際化していった時代です。
さて此処で簡単な曲紹介をします。
■組曲 第1番(ト長調)
第1曲目のプレリュードは有名であり、聴きやすい旋律で覆われています。「春風のような爽やかな印象」があり無伴奏チェロ組曲の全6曲の中では聴きやすい1曲と言えます。
■組曲 第2番(ニ短調)
ゆったりと、そして、とうとうと流れる大河を思わせる曲で「瞑想的な魅力」すら感じさせます。曲自体が短調であることから、精神を内省の境地へと沈潜させていく感覚に近いと感じます。
■組曲 第3番(ハ長調)全体としては、明るくて「楽天的な印象」があります。第4曲目のサラバンドの静けさが特徴的。第3番は全体としてエネルギッシュであるためにコントラストの差が影響するのかもしれません。
■組曲 第4番(変ホ長調)
実り多き秋に感じられる「落ち着きをともなった明るさ」を伴っています。始まりの前奏曲からして、ゆったりとした音運びで始まります。全体として、いい意味で強弱があまりなく平静を保った楽曲です。
■組曲 第5番(ハ短調)
芯の強さを感じさせながらも「深い悲しみと痛み」に耐えている。そんな印象です。悲しみの思いを隠しつつ、心のうちで静かにむせび泣いている様を思います。
■組曲 第6番(ニ長調)
第1楽章の明るさが「春」ならば、第6楽章は「力強い夏の日差し」と言えそうです、明るく親しみやすい旋律で展開しますので聴きやすい1曲と言えます。特に第5楽章の「ガボット」は有名です。
(5弦の小型チェロのために書かれたと考えられています。これは足に挟んで演奏するわけではなくいわば5弦ある大型のヴィオラのようなものでした。つまり顎のあたりにつけて演奏する楽器で、バッハが考案したいう説もあります。。4弦あるチェロで演奏する機会がほとんどですが、その際には非常に高度な技術を必要とします。)
バッハのチェロ組曲の演奏はは番号が重なるごとに大変難しくな流そうです、特に組曲 第6番(ニ長調)の演奏は普段の4弦のチェロでの演奏はそれなりのテクニックが必要だそうです。
筆者はチェロソナタを最初に聴いたには今も大切に保管する、アルフィーフレコード盤のピエール・フルニエ演奏の彼らしい端正で折り目正しい名盤です。ピエール・フルニエによるJ.S.バッハの無伴奏チェロ組曲の録音は、1961年にアルヒーフから最初に発売されて以来ずっと歴史的演奏として注目され続けています。歌いすぎず、情感も込めすぎないところから物足りなく感じるかもしれません。
しかし確かにバッハらしい重厚な音もしますが、誠に品のある音質は他の演奏者には無いフルニエの音楽の理解度から滲み出る良さかも知れません。1960年、「チェロの貴公子」と呼ばれたフランスのチェロ奏者、ピエール・フルニエ(1906~86)による名演だ。1音1音を何回も聴くうちに、フルニエの品格のある解釈の良さを体感できますす。
今思えば、ただ長く腰を落ち着かせて聴きたい名曲が無伴奏チェロ組曲ですので、色々演奏者を聴き比べ分かるは教科書の如く演奏するフルニエの名盤は、ある意味で最適な選択と言えるかもしれません。無伴奏チェロ組曲の本来持つ構造的な美しさも再認識できる名盤でもあります。
次に聴くは後は矢張りチェロ・ソナタの音楽の魔法と魔術師たち J.S.バッハ「無伴奏チェロ組曲」1890年、13歳のカザルス少年は、バルセロナにある楽器屋で古ぼけた1冊の楽譜を発見した。
当時はほとんど知られていなかったその楽譜のページをめくると、一瞬にして音楽の魔法が激しく、そして優しく彼を包み込んでいった。名曲「無伴奏チェロ組曲」の再発見。多少、脚色してしまったが、当時は“楽器上達のための練習曲”くらいにしか扱われていなかった曲集の芸術的価値を見極め、自身の素晴らしい演奏で世に知らしめた音楽家、それがパブロ・カザルスだ。
「音楽の父」ヨハン・セバスチャン・バッハ作曲「無伴奏チェロ組曲全6曲」。各々6つの曲から構成される組曲が6曲。作られたのはおよそ300年前。この曲を演奏しないチェリストはまずいない。それどころか、すべてのチェリストが見る究極の夢は、天国で、バッハの目の前でこの曲を弾いて褒めてもらうこと。“チェロの旧約聖書”とまで呼ばれることもしばしば。
バッハの無伴奏チェロ組曲は、組曲第1番から 第6番まですべてが「古典組曲」の形式で作曲さ れている。1717~21年にケーテンにて作曲。バロッ ク時代に生まれた「古典組曲」の形式は一曲目に 前奏曲などを置き、その後に古い舞曲を数曲並べ たもので、標準的なパターンは、6曲からなっている。
是非一度は聴きたいシュタルケルのバッハですが・・・
圧倒的な迫力満載のバッハ:無伴奏チェロ組曲全曲ヤーノシュ・シュタルケル Janos Starker (Cello)
1963年4月15日(第2番),1963年4月15,17日(第5番),1965年9月7日(第1番),1965年9月7,8日(第6番),1965年12月21,22日(第3番,第4番) ニューヨーク,ファイン・レコーディング・スタジオ
SSHRS-011/014 (P)1964/1966 Universal International Music B.V. / Stereo Sound REFERENCE RECORD (国内盤)
先に挙げた従来盤と聴き比べてみると,音の鮮度という点では確かに改善が見られました。 また,従来盤にあった左右レベルの微妙なバランス崩れや位相ずれのような違和感も緩和されているように思いました。 一方で,ドロップアウトまでいかないまでもテープの劣化による音の荒れのようなものは逆に目立って聴こえるので一長一短があるようにも思いました。
全体的には改善の方が大きいためこの復刻の価値は十分にあると思いますが, 従来盤もマスターに忠実なデジタル化を目指したものであったため, 改善が明らかとはいえびっくりするほどの差はなく, 従来盤のおよそ4倍程度の値段が妥当かどうかはそれぞれの人の価値観によると思います。
ヴィーラント・クイケン(Wieland Kuijken)
1938年、ベルギーのブリュッセル近郊のディルベーク生まれ。ヴィオラ・ダ・ガンバ演奏の第一人者。古楽界に有名なクイケン三兄弟の長男。ブリュージュ音楽院を経てブリュッセル音楽院へ進む。チェロを学んでいたが、在学中に古楽に興味をもち、文献を元に独学でヴィオラ・ダ・ガンバの奏法をマスターする。59年、バロック音楽のグループ〈アラリウス・アンサンブル〉を結成し、演奏活動を開始する。72年、〈クイケン古楽グループ〉を結成し、ブリュッヘンやレオンハルトと共に、オリジナル楽器による演奏を活発に展開している。また、70年代からはアントワープ、ブリュッセル、ハーグ音楽院などで後進の育成にもあたり、教育者、研究者としても高く評価されている。87年に初来日して以来、日本にも何度か訪れ、古楽の神髄を聴かせて聴衆を魅了した。
最新録音の技術も上がり確かに良い音での録音は素晴らしく堪能できる。
J.S.バッハ:
無伴奏チェロ組曲第1番ト長調 BWV.1007
無伴奏チェロ組曲第2番ニ短調 BWV.1008
無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調 BWV.1009
無伴奏チェロ組曲第4番変ホ長調 BWV.1010
無伴奏チェロ組曲第6番ニ長調 BWV.1012
無伴奏チェロ組曲第5番ハ短調 BWV.1011
ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロそのためのソナタ第1番ト長調 BWV.1027
ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ第2番ニ長調 BWV.1028
ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ第3番ト短調 BWV.1029
使用楽器
ヴィーラント・クイケン(チェロ、チェロ・ピッコロ、ヴィオラ・ダ・ガンバ)
ピート・クイケン(チェンバロ)*〔2001~2002年録音〕
ピート・クイケン(チェンバロ)*〔2001~2002年録音〕
パリのアントニー・サイディ&フレデリック・バル1995年製作再現楽器ジルバーマン1740年頃製作モデルによる録音時期
2001 -2002年 録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)
この作品について次の様なコメントが記載されいたので紹介する
1938年ベルギーのブリュッセル近郊に生まれ、有名なクイケン兄弟の長男(次男シギスヴァルト〔ヴァイオリン〕、末弟バルトルド〔トラヴェルソ〕)として「古楽界に君臨する法王」とでも形容したくなるほどの威厳をそなえ、多くの尊敬を集めるヴィーラントですが、その長大なキャリアを辿ってみても、ことバッハの無伴奏組曲の録音となると、なぜかポッカリ穴があいたように抜け落ちているのを、多くの人が不自然に感じていたことでしょう。
クイケン・アンサンブルの一員として、ラ・プティット・バンドのコア・メンバーとして、数え切れないほどのバッハ演奏を行ってきたはずのヴィーラント。弟のシギスヴァルトが無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータだけでも2回全曲録音したのに較べると、ヴィーラントは無伴奏チェロ組曲にまったく手を出さずで(ヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタに関してはアナログ時代に一度録音があります)、兄弟でありながら、その姿勢は極端な対照を示していました。
1960年代初頭から、まずガンバ奏者として旺盛な演奏活動を繰り広げていたヴィーラントですが、古楽奏者として世界的に名を知られだした1967年、ヴィーラントはクレモナ地方の16世紀の名工アンドレア・アマティ(c.1511-c.1580)作のチェロを買わないかと持ちかけられています。ヴィーラントは「かつてのフランス国王シャルル9世のコレクションだった」というふれこみ付きのその楽器について、真贋に大きな疑念を抱きます。「シャルル9世コレクション」の伝説自体が18世紀後半になってようやく記録に登場することから、早くてせいぜい18世紀後半、もっと遅ければ19世紀に入ってからアマティを模して作られたものだろう、と推測したのでした。しかし、何か惹かれるものがあったのでしょう。結局その楽器を購入することになってしまいます。
それから40年近くの時が流れ、今ではその「偽アマティ」がバッハ演奏に最もふさわしい楽器だと感じるようになったとのこと。ヴィーラントのもとには、多くの音楽学者たちから「組曲第○番は○○という楽器で○○という奏法により弾くべき」といった類の提言や学説が山のように寄せられ、可能な限りそれを吸収するように努力してきたといいます。しかしそうした長年の試行錯誤の末に「自分はバッハそのものではない」と気付き、偉大なバッハの組曲と演奏者の間をより親密な関係に置き換えて「自らの心に忠実になること」という別の結論を導き出したのでした。
ヴィーラントは今回のブックレットの中で「無伴奏チェロ組曲をバロック・チェロで演奏することの意味がわからないわけでは決してないが、今の自分にとって"私のアマティ"で弾くのが最も楽しいことなのだ」と言い切っています。3人兄弟の中で最も内省的、まさに「古楽の求道者然」としていたヴィーラントが、40年近い試行錯誤を経て、遂に世に問うバッハの無伴奏組曲が、周囲もあっと驚くモダン楽器によるアプローチ。まさにヴィーラントの悟りの境地を反映したもの、といっても決して大げさではないでしょう。
なお、ここではヴィーラントの2人の息子たちによるサポートも見逃せません。無伴奏チェロ組曲の第6番では、現存しない5弦の「ヴィオラ・ポンポーゾ」が指定されており、常にその処理が問題になりますが、ヴィーラントがここで用いたのは、息子フィリップが2001年に作ったチェロ・ピッコロ。フィリップ氏によれば、「チェロ・ピッコロ」さえ現存しているものに完全なものはなく、名器のレプリカを作ろうと思っても、手本がないため作りようがないとのこと。そのため、今回用いられたチェロ・ピッコロは当時の資料から離れ自由な発想で作ったものだといいます。その考え方はヴィーラントの今回の演奏ポリシーとも見事なまでの一致をみせています。
3曲のガンバ・ソナタはヴィーラントにとって、レオンハルトとの共演盤以来、約30年ぶりとなる再録音。チェンバロを担当するのはピート・クイケン。彼もヴィーラントのもう一人の息子であり、息の合ったアンサンブルを聴かせてくれています。
バッハのチェロ・ソナタの演奏者も随分多く多くを聴きましたが、これらの作品は名演奏として挙げられるのでしょう、ブラボー!