今年の冬は実に暖かいと言うよりむしろ熱いと言う言い回しが適切である、世の中は化石燃料の使用より、ウクライナ、イスラエル問題での兵器使用でのCO2が多く噴出し悪影響を与えている様にも思う、支那、ロシアの共産圏社会と宗教問題は今後人類の発展のためにも考察すべき問題でもあろう。
久々の音楽関係のブログをアップしてみました。勿論大好きな器楽音楽のバッハの演奏を楽しみました。笛はフランス人の演奏が良いと昔から言われているが今回はブタペストブマレ生まれのベネデク・チャログ(トラヴェルソ)の演奏を紹介します、勿論オブリガードはミクローシュ・シュパーニ(クラビコード)の演奏で楽しんでいます。
一般的に(Klavier)ドイツ語で鍵盤楽器(オルガン、ハープシコード、クラビコードなど)の総称。 現在では、ふつうピアノ、ハープシコードなど有絃の鍵盤楽器をさす。クラヴィコードは、弦をタンジェントと呼ばれる金具で突き上げることで発音する鍵盤楽器である。長方形の箱形の楽器で、テーブルや専用の台などの上に置いて用いる。音量はチェンバロなどに比べると小さいが、打鍵の強さによって音に強弱をつけることができる。
武蔵野音楽大学のHPで検索しますと、クラヴィコードは13〜14世紀頃、音律研究用の発音具、1弦ツィターのモノコードに打弦鍵盤を取り付けて誕生した。その後、和音を奏する目的で弦数は徐々に増加していったが、同時に奏する可能性のない鍵盤は弦を共有する、フレット式が長く採用されていた。写真の楽器も、隣接する幹音と派生音は同一弦で奏するフレット式で、cとcisやfとfis などを同時に打鍵とすると、高い方の音のみが発音する。
打弦構造は極めて単純で、先端にタンジェントとよばれる真鍮の棒を差し込んだ鍵盤を押下して、タンジェントを弦に触れさせるだけのものである。このため、ピアノと同様の感覚で鍵盤を奏すると、弦に力が加わりすぎて音程が揺れ動いてしまう。したがって、クラヴィコードにおける打弦とは、鍵盤を軽く押さえることを意味し、発音後は指を動かさないという、極めて繊細な奏法が要求される。また、音量は極めて微小であるため、楽器とはいえクラヴィコードは、多くの人に聞かせる演奏会用のものでなく、静かな室内で家族や友人と数人で楽しむ、家庭的な楽器ということができる。
ミクローシュ・シュパーニ(Miklos Spanyi)の詳細だそうです。(ブダペスト生まれ) は、ハンガリーのオルガン奏者、チェンバロ奏者です。
(1976 年から 1980 年の間、バルトーク ベーラ音楽アカデミーでイシュトヴァーン ジェール フェケテ (作曲) とアンナマリア クラウゼ (ピアノ) に師事しました。音楽院と並行して、Fővárosi II。彼は州立音楽学校でオルガン演奏をヨージェフ・カルパティに師事しました。1980年から音楽アカデミーでヤーノシュ・セベスティエン(チェンバロ)とフェレンツ・ゲルゲリー(オルガン)に師事。1987年、アントワープ王立フランドル音楽院でヨス・ファン・インマーゼールのチェンバロの生徒となった。1989年から1990年にかけて、ミュンヘンでヘドヴィヒ・ビルグラムにフォルテピアノとチェンバロを学びました。彼はいくつかの音楽コンクールに参加して成功を収めました。)
J.S.バッハが最も愛した楽器、、、とも言われるクラヴィコード。その響き、チェンバロに似ているようで、チェンバロのように弦を爪弾くのではなく、弦を下から突き上げて発音させる。というあたり、弦を上から叩くピアノに近いのかも... そういう点で、チェンバロよりもニュアンスに富むサウンドを生み出せる?一方で、そのサウンド、極めて繊細で、音量は小さく、公開で演奏するには向かない楽器。となると、奏者が自らのために弾く楽器(かつては、オルガン奏者の練習用楽器、、、、だったのか?このあたりが、バッハが愛した理由なのかもしれない... 実に、親密な楽器なのである。
カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ (Carl Philipp Emanuel Bach。ドイツの作曲家。ヨハン・ゼバスティアン・バッハと最初の妻マリア・バルバラの第2子。打鍵後に音程を変えることができるクラヴィコードの機構を利用して、自分の作品にベーブング(ヴィヴラート)を指定し、この楽器の可能性を限りなく引き出した作曲家として知られている。
筆者にはあまり馴染みの薄いクラヴィーアのためのいろいろな小品!ミクローシュ・シュパーニによるCPEバッハの鍵盤独奏曲全集の第39集を聴きながら思うは、意外と気軽に聴けるシュパーニは、1765年の「第1刷」を使い、ヨハンネス・ダニエル・ドゥルケンが1745年に製作した二段鍵盤のチェンバロの「レプリカ」で演奏しています。
J.S. Bach: a Flauto traverso / Four Authentic Flute Sonatas
今回は鍵盤はチェンバロでなく「クラヴィコードとフォルテピアノ」。ハンガリーの2大名手が突如リリースした、きわめて内容の高いバッハ・ソナタ集。
【曲目】
J.S.バッハ:
1. フルートと通奏低音のためのソナタ BWV1034
2. フルートと通奏低音のためのソナタ BWV1035
3. フルートとオブリガート鍵盤のためのソナタ BWV1032
4. フルートとオブリガート鍵盤のためのソナタ BWV1030
【演奏】
ベネデク・チャログ(トラヴェルソ)
ミクローシュ・シュパーニ (クラヴィコード、フォルテピアノ)
【録音】
2004年5月 フラヴィンヌ城,ベルギー
筆者のような音楽愛好家としての音はこの程度で十分と心得るが、10吋の古いタンノイのユニットと三極管のコンビで聴く古楽器の音は実に時代を超えて素晴らしい音の場所が得られるような錯覚を感じる、勿論チェンバロのような敏感な音質と違い、何故か磁器から陶器に変化した何故か親しみやすい音色が実に心を穏やかにされて貰うようにも感じた。なるほどバッハの音楽の底の深さを知る良いチャンスにもなりました。
確かに十分納得する音楽の鑑賞の仕方としては間違って無い様に感じる、逆にオーディオ愛好家として音楽をと言うより音に拘ったり、解析する様になれば、我が家の装置は全く違った方向に進むのであろう、正に最近の機器は貧困老人ではとても及ぶものでは無いことは百も承知であり、良くオーディオ冊子にて100万円までの装置等とかの記事が多いが、まるで貧乏人は音楽を聴くなと言っている様に思える、確かに100万円と1,000万円の音の差はどれ程分かるのであろうか?そんな事より今までに如何に多くの良い音楽を聴いたかが問題となりそうである。
音楽愛好家とオーディオ愛好家に違いはあるか、について・・・筆者の友人I B君推奨する、中古機材を含め総額一万で楽しむ音楽のテーマが愉快でありそうである、もちろん軽音楽、軽めのボッサ、ジャズは問題は無いが、しかし最後に漏らしたコメントは実に納得できる話であった。
例えばJ.S.バッハ等のカンタータ集、受難曲等を聴くには総額一万円音響装置では音質に限界を超える音を望む処になると漏らしていた。何か実感が込み上げその言葉は今も筆者の頭に記憶に残されている。逆に言えば音楽を良く理解している事の様である。この辺りに何か解答の一口がありそうでもある。
また管球王国等でも話題の是枝重治氏もこの様な事を話していた様に記憶する、いかなるユニットが収まるエンクロージャーに於いても、例えばジムラン、アルテック、タンノイ等の違う製品でも同じ人が鳴らせば全て同様の音が鳴ると言っているのだが、エンクロージャーは変えなくとも接続ケーブル、コントロールアンプ等及びコンロールを適度に変えて自分好みの音にすると述べている。何故か筆者には納得のいくコメントと思っている、音楽を突き詰めていくと自ずからこの様な音が聴きたいの延長線上の音質になっていく傾向が強く、音を推重する様でもあると感じます。所詮マニアックな事でこれは個人的に感じる事かも知れないこれぞ趣味の世界でもあろう。
筆者の好きな大御所グスタフ・レオンハルトもベルギーでのフラヴィンヌ城での収録も多い様である。勿論録音も最高で音質も大変優れているように聴ける。このセッションで特に彼らの工夫がみられるのは使用楽器の選択で、現在J.S.バッハのフルート・ソナタをピリオド楽器で演奏したソフトも多く、この録音では双方が2種類の楽器を使い分けている。
「フラウト・トラヴェルソ」とは、イタリア語で「横吹きのフルート」という意味で、今日では主にバロック時代までの形のフルートを指す言葉として使われています。 18世紀中ごろまでは「フルート」と言えばリコーダーのことを指し、あえて「横吹きの」とつけることで区別していました様です。
いずれにしてもクラヴィコード演奏での聴く目を瞑って心静かに聴けば筆者だけに吹き語ってもらうような錯覚にも陥る、J.S.バッハ:フルート・ソナタは初めて聴くが、何故か一般家庭のゆったりした程よい居間で聴く様な錯覚を覚えるは私だけなのであろうか。ブラボー!