現在筆者のメインエンクロージャーはGOODMANS AXIOM 80の箱にTANNOY IIILZ in Cabinet 10吋を移植した物で音楽を楽しんでいますが、
最近ブックシェルフスピーカーの下に敷くAIRBOWウェルフロートを購入し、着用した結果は男女共声楽の響きが大変良くなり、サブスピーカーが大活躍である。
又接続方法はQ300はバイワイヤ接続が可能ですが、我が家ではシングルワイヤで接続しています、以前はバイワイヤ接続で聴いていましたが、シングルワイヤが音質が良さそうな感じで聴けたので、接続方法は変更しました。
リンクダイヤルを左回転でリンクが切断されてバイワイヤ接続が可能になります。バイワイヤ接続はオーディオ的な感じがしてシングルワイヤでつないでいます。ウェルフロートに乗せKEF Q300の姿を見た感じになった。実にリアルな音がします。
KEF Q300の音質を一言で済ませば、筆者は下記の様に思っている。
元々このKEF Q300は同軸2wayのUni-Qドライバーで指向性が強く良い音はするが、系統的には音に色気がなく、さっぱりした音で其のあたりは癖の強いTANNOYには及ばないが、意外とモニター的要素の強いと思ったSPだが、これほど音質に変化をもたらすとは、想像も出来なかった。後方のツマミで多少の音質は変わるが限度がある、まるでサブスピーカーの能力以上の音が聴けるようである。
バスレフ部分の吸音材クリエコンポジットに交換して試聴するが、音質の変化はありませんでした。以前から吸音材を入れると低域は若干締った感じはする、当分吸音材を入れて聴くことにする。置き方は色々試したが、正規に置く写真の据え置きが音質は一番安定して聴けるようである。
最近以外にも多く聴くのはカンタータが多いが、今回からバッハのモテット集を聴き始める、実に色々な演奏もあり興味本位である。昔バッハを聴き始めた頃は、圧倒的に器楽を中心に聴き、それから鍵盤楽器と移り今になりカンタータに目覚めた様である、これは筆者愛用のTANNOYの音質に影響され徐々に変わって来たのだが、AIRBOWウェルフロート導入後思うは、TANNOYの高域に少し疑問を抱く、多分もっと高域は綺麗な音質が奏でるであろう?それはスーパーツイーター等の追加しなくても、もう少し高域が美しく響けばありがたいのだが・・・・
サブスピーカーKEF Q300もウェルフロートの導入で隨分自然な音が響くようになってからはもっぱらKEFで聴いています。
先日言われたのは、LS3/5aのスピーカーを絶賛された事を思い出す、勿論ロジャースの初期型は高額で音質も良いそうですが、筆者のサブSPの交換の時期かも知れない。
最近「カラー実態配線図で作る真空管アンプ」の本を購入し中のEL34の真空管の音が気になる・・・・・・今後自作を考えるが問題である。なぜなら電気音痴なんです。此の本の掲載記事によると、出力トランス2基を一段上の物に変えると音質が向上する、使用ケーブル等も銅線の上質なものを使うと良いと明記されている。
以前某オーディオショップでUESUGI U・BROS-17を使ってTANNOYを鳴らしていて実に良い音を聴いた記憶が残る。最も子供の、「ないものねだり」の様なものでもう少し音質を向上させ音楽を聴きたい、と思う卑しい気持ちかも知れないと、自分に語りかける・・・・・
上杉研究所のアンプとは格段に違いはあると思うが本に掲載されるトランスをグレードアップを計れば音質は良くなるのかも知れない。頭の中で夢が一人歩きをする、図面を見る限りある程度は仕上げる事がわかるが、その前に筆者所有のSV-501SEのコンデンサーを交換しなければならない。
問題は山積され、コンデンサーを交換して音が出なくなったらの不安がよぎる、積極的にバージョンアップが出来ない状態で止まっている。
実は先日我が家のPC、MacPor2008の起動が調子悪くなった、12年前の物なので寿命かも知れない、2010年のMacPorも電源が故障して放置してある状態だ・・・以前修理をしたところに連絡するが、今はその店舗はなくなり、仕方なくMacPor2008をある程度分解しホコリ等を削除し、掃除機で細かなホコリを取り除き電源を入れる。奇跡だ!蘇ったのだ、何度も再起動をしたが実にサクサク動く、掃除する前より早い動作をする、勿論iTunesも順調に作動、今PCの故障はソフト供給に支障を来す、無事修復出来、実にラッキーでした。
現行のMacPorは上代で60万程でメモリー増設で70万近くとても購入は出来ない、購入はiMacしか出来ないであろう。それでもメモリー増設で30万する!こまめに掃除をし、定期的にホコリを処理し、現在所有のMacPor2008を大切に使おうと思います。PCがの故障はハイレゾ配信も受信出来なくなり今は必需品である。
バッハが作曲した声楽作品のうち、彼の死後も命脈を保ったのはカンタータでも受難曲でもなく、モテットでした。彼の真作とされるモテットの数は少ないですが、この作品群はトーマス教会合唱団のレパートリーとして歌い継がれ、ライプツィヒを訪れたモーツァルトに「ここにこそまだ学ぶものがある」と言わしめました。
モテット集の出版が早くも1802年だったことを考えるといかにバッハの作品の中でモテットが高く評価されていたかが窺い知れます。
バッハの時代、モテットというジャンルは既に時代遅れとされ、礼拝の中での地位をより大規模な器楽付き声楽作品であるカンタータに奪われていました。日曜日ごとに歌われるラテン語のモテットは『フロレギウム・ポルテンセ』という曲集から取られ、バッハ自身がラテン語のモテットを新作することはありませんでした(少なくとも現存する資料の中には1曲もありません)。
バッハによるドイツ語モテットが演奏されたのは主に葬儀か追悼式で、これらの機会はバッハとトーマス学校の寄宿生にとって重要な臨時収入の機会となっていたのです。
バッハは、モテットというこの当時にしてはいささか時代遅れな曲種においても、同時代の作曲家では考えられないような複雑で細部に手の込んだ作曲技法を用いました。彼は生前、自らの作品を他の作曲家の作品と比べ「はるかにむずかしく、複雑」と自認していましたが、このモテットにおいてもその複雑さ、難しさは際立っています。
「モテットという言葉自体は、歴史をさかのぼると13世紀以降に発展を始めた世俗のポリフォニー歌曲に行き着くが、音楽学者は便宜上、アルス・アンティカやアルス・ノヴァの世俗ポリフォニーについてはラテン語を用いて「モテートゥス」とし、ルネサンス以降の教会ポリフォニーについては「モテット」としている」なんかよく分からない解説ではありますが、結局は声楽のために書かれた宗教音楽という事になりましょうか。とにかく,合唱をやっている人間が必ずや、歌いたくなる,いや,歌わねばならないのがバッハのモテットです。
バッハの時代、モテットというジャンルは既に時代遅れとされ、礼拝の中での地位をより大規模な器楽付き声楽作品であるカンタータに奪われていました。日曜日ごとに歌われるラテン語のモテットは『フロレギウム・ポルテンセ』という曲集から取られ、バッハ自身がラテン語のモテットを新作することはありませんでした。
J.S.バッハのモテット集BWV225~230
BWV 225, "Singet dem Herrn ein neues Lied" 「新しい歌を主に向かって歌え」
成立は1726年頃と考えられ、3部で構成されています。バッハは、モテットというこの当時にしてはいささか時代遅れな曲種においても、同時代の作曲家では考えられないような複雑で細部に手の込んだ作曲技法を用いました。
彼は生前、自らの作品を他の作曲家の作品と比べ「はるかにむずかしく、複雑」と自認していましたが、このモテットにおいてもその複雑さ、難しさは際立っています。
追悼、新年、あるいは誕生日のために作曲されたと言われている大規模な作品であり、バッハとトーマス合唱団には高額の謝礼が支払われたでしょうから、依頼者は社会的地位が高い人だったと考えられます。
BWV 226, "Der Geist hilft unser Schwachheit auf" 「聖霊は弱いわたしたちを助けてくださいます」
1729年10月20日、トーマス学校校長であったヨハン・ハインリヒ・エルネスティの葬儀において演奏されました。歌詞は、新約聖書「ローマの信徒への手紙」8章26節27節で、教会の中でオーケストラ伴奏付きで歌われました。
最後のコラールは、宗教改革以前から歌われていた「来たれ、聖霊、主なる神 "Komm heiliger Geist, Herre Gott"」です。簡潔な4声ですが、このコラールだけは墓前で、オーケストラ無しで歌われた、と考えられているそうです。
BWV227, "Jesu, meine Freude" 「イエスは、わが喜び」
5声。部分的に4声または3声。1735年に写譜されており、それ以前に作曲されたことは確かで、歌詞から、葬儀か追悼式で歌われたと推測されます。
1723年7月18日、ヨハンナ・マリア・ケースの追悼式で演奏された、とする説がありますが、証拠となる資料は存在しません。
BWV 228, "Fürchte dich nicht, ich bin bei dir" 「恐れることはない、わたしはあなたと共にいる」
1723年以後、バッハがライプツィヒで作曲されました。なお1726年2月4日に行われたライプツィヒ市参事で商人のクリストフ・ゲオルク・ヴィンクラーの妻ズザンナ・ゾフィアの追悼式で演奏されたとする説がありますが、確証はありません。
このモテットも成立年代、演奏機会ともに不明ですが、D. メラメドによって、様式上の特徴からバッハにとって比較的初期の作品であり、作曲年は1715年頃ではないかと推定されています。二重合唱で、2部構成、第2部が4声のポリフォニーであるという点でBWV Anh. 159との共通点が指摘されており、この二曲がバッハの初期のモテットではないかと言われています。
BWV 229, "Komm, Jesu, komm" 「来てください、イエスよ、来てください」
1731年に演奏されたと考えられています。演奏の目的については諸説がありますが、歌詞から推測すると、葬儀の礼拝で歌われたと考えられます。作詞はパウル・ティーミヒ、成立は1684年です。バッハの遺したモテットのうち4曲は追悼式か葬儀のため、つまり人の死に際して作曲された作品であると推定されています。具体的な演奏機会がはっきりしているモテットは、「御霊は我らの弱きを助けたもう」BWV 226の1曲のみで、残りの作品の演奏機会はどれも推定の域を出ません。
BWV230, "Lobet den Herrn, alle Heiden" 「すべての国よ、主を賛美せよ」
このモテットはブライトコプフ社によってバッハの死後半世紀以上たった1821年に出版されました。そこには「オリジナル手稿譜による」という但し書きがありますが、現在そのようなものは残っておらず、資料はこの出版譜しか残っていません。
様式の面でもバッハの真作かどうかということには疑いが持たれていますが、少なくとも部分的には極めて巧みな、バッハの作としか思えないような技法がみられます。
4声。偽作ではないか、もしくは失われたカンタータの一部ではないか、と言われています。歌詞は、旧約聖書の詩編117編1節と2節です。個人的にはニコラウス・アーノンクール(指揮)の音楽美の追求するために成人合唱に求めた「モテット集」。どの演奏よりも集中度も高く濃厚な演奏が印象的な名盤
筆者の好きなベルナルダ・フィンク(アルト)も聴ける、ルネ・ヤーコプス(指揮)古楽ベルリン・アカデミー団員のモテット集も良い。
今回はYouTubeでの配信もあり音質も良く、フィリップ・ヘレヴェッヘ(指揮)を紹介します。
J.S.バッハ:6つのモテット
・新しい歌を主に向かって歌え BWV225
・来てください、イエス、来てください BWV229
・イエスはわたしの喜び BWV227
・すべての国よ、主を賛美せよ BWV230
・恐れることはない、わたしはあなたと共にいる BWV228
・聖霊は、弱いわたしたちを助けてくださいます BWV226
(独唱)
ドロテー・ミールズ、ジュジ・トート(ソプラノ)、マリア・ケオハネ、アンヌリース・ブランツ(ソプラノ)、ダミアン・ギヨン(カウンターテノール)
トーマス・ホッブズ、ハンス=イェルク・マンメル(テノール)、ペーター・コーイ、ステファン・マクラウド(バス)
ブルース・ディッキー(ツィンク)北里孝浩、マルセル・ポンセール(オーボエ・ダ・カッチャ)アヘート・ズヴェイストラ(バロック・チェロ)モード・グラットン(オルガン)、他
コレギウム・ヴォカーレ・ヘント
フィリップ・ヘレヴェッヘ(指揮)
録音時期:2010年/録音方式:デジタル
ヘレヴェッヘは今回、信頼の置ける少人数の器楽陣を起用、歴史的検証をふまえつつ、
各パート一人ずつからなる「弦楽合奏」、「オーボエ&ファゴット合奏」、「トロンボーン合奏」と三つの合奏隊を参加させ、二つの合唱隊が歌い交わす二重合唱の技法をふんだんに取り入れたバッハの書法をよりいっそう明確に際立たせます。
今回J.S.バッハのモテット集を聴き心が浄化される感銘を受けました、ブラボー!
此のブログご訪問ありがとうございます。筆者はメモ代わりに使い、記憶に残る音、音楽を中心にランダムに掲載しています。今後もお暇なときにお立ち寄りください。