伝統ある英国の10吋ユニットで聴く、音楽の父のJ.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

今回はBA1、BWV147の第10曲(終曲)「心と口と行いと生活で」は誰も聴いた事のある曲ですが、ピアノ独奏を聴く・・・

2022年06月02日 | J.S.バッハ制作音楽


最近日課となった事がある、モジャ君と毎朝散歩に近くの公園まで行くが6:30分からラジオ体操を近場の人で行われている、筆者は以前癌のオペをしてから、肩が重く、ラジオ体操に加わることにした、ラジオ体操で肩の運動を続けているが調子が良さそうである、目指せピンピンコロリであろう・・・。

今から三年前に家族で茨城と千葉の境目に位置する水郷潮来あやめまつりに出かけた時購入した菖蒲が10本程あり、色々な色の花が咲き楽しんでますが、今迄一度も咲かなかったピンク色の「日の丸」が今年は見事に咲きました、花は二日程で萎れ流ので写真撮影は今日がチャンスである。

先日筆者の東北の友人「Koさん」の奥方が急変しお亡くなりになり原因は癌でした、少し遠方のため葬儀は遠慮した、まだ70代の命であった。本日葬儀のため友人を励ます意味を込め、バッハのカンタータ「BWV147」でお見送りします。
此のカンタータはバッハは知らなくとも聴けば皆此の曲は聴いたことがあると言う程有名な曲である。『主よ、人の望みの喜びよ』(しゅよ、ひとののぞみのよろこびよ)は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハが1723年に作曲した教会カンタータ『心と口と行いと生活で』(BWV147)の終曲のコラール「イエスは変わらざるわが喜び」(Jesus bleibet meine Freude)の、英語によるタイトル"Jesu, Joy of Man's Desiring"に基づくタイトルである。第1部の締めくくりとなる第6曲と同じ旋律に、別の詞が乗せられる。 結婚式やクリスマス、イースターなどのキリスト教の祝祭の季節に演奏されることが多い。ピアノや吹奏楽などにも編曲されている。
「Koさん」は若い頃は歌手志望でもあり実に歌は上手い、残りの人生楽しく過ごして頂きたいための応援歌を送ります。

今日もバッハの音楽を聴いてます。カンタータの演奏です。
 BA1. BWV 1-231 カンタータ、モテット
 BA2. BWV 232-243 ミサ
 BA3. BWV 244-249 オラトリオ
 BA4. BWV 250-524 コラール、歌曲
 BA5. BWV 525-771 オルガン曲
 BA6. BWV 772-994 オルガン以外の鍵盤楽器(チェンバロ、クラヴィコード)の曲
 BA7. BWV 995-1000 リュート曲
 BA8. BWV 1001-1040 室内楽
 BA9. BWV 1041-1065 協奏曲
 BA10. BWV 1066-1071 管弦楽曲
 BA11. BWV 1072-1080 ひとつの作品の中に異なる演奏形態の含まれている作品や演奏形態の指定のない作品
さて今回はBA1の「カンタータ BWV147作品であります。



「主よ、人の望みの喜びよ」はドイツの作曲家、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685-1750)が作曲した教会カンタータ『心と口と行いと生活で』(独:Herz und Mund und Tat und Leben)BWV147の第10曲(終曲)です。(第6曲でも同じ旋律が用いられています。)教会カンタータはプロテスタントの教会で礼拝用に作曲された器楽伴奏付きの声楽作品です。
1723年の作とされるこの大変有名な曲は単独で演奏されることが多く、オルガンをはじめ様々な楽器用に編曲され広く親しまれています。
まずはオリジナルのカンタータをご紹介しようと思います。作品はアリアとレチタティーヴォ、合唱の10曲から成っています。
アリアは国によって若干ニュアンスの違いがありますが、広義には叙情的、旋律的な特徴の強い独唱曲のことを指し、オペラの中でもよく登場しますが、カンタータの中にも含まれます。
バッハ カンタータ『心と口と行いと生活で』BWV147
 第1部
  第1曲 合唱「心と口と行いと生活で」(00:27)
  第2曲 レチタティーヴォ「祝福されし口よ」(04:30)
  第3曲 アリア「おお魂よ、恥ずることなかれ」(06:15)
  第4曲 レチタティーヴォ「頑ななる心は権力者を盲目にし、最高者の腕を王座より突き落とす」(09:55)
  第5曲 アリア「イエスよ、道をつくり給え」(11:35)
  第6曲 コラール合唱「イエスはわたしのもの」(16:20)
 第2部
  第7曲 アリア「助け給え、イエスよ」(19:00)
  第8曲 レチタティーヴォ「全能にして奇跡なる御手は」(22:45)
  第9曲 アリア「われは歌わんイエスの御傷」(25:15)
  第10曲 コラール合唱「イエスは変わらざるわが喜び」(27:55)


カンタータを聴きながら今たいへん興味深いHPを見ている。まずはピアニストである。ディヌ・リパッティは勿論筆者は初めて聴く名前であった。
知人が今度吉祥寺に引っ越しされるようで、吉祥寺の付近にある有名なクラシック喫茶「バロック」と言うお店のHPを見て思い出した、大昔訪ねたことのあるお店で頂いたマッチのデザインでおもいだしたのだ。タンノイのスピーカーのアンプを自作真空管アンプで鳴らしている事にも興味があり、丹念に拝読するうちにリパッティの名前を知った。

ディヌ・リパッティ(Dinu Lipatti, [ˈdinu liˈpati]  1917年3月19日 - 1950年12月2日)は、ルーマニアのピアニスト、作曲家。 ブカレスト生まれ。父はテオドル・リパッティ (Theodor Lipatti)、母はアナ・ラコヴィチェアヌ(Ana Racoviceanu)。ディヌが生まれた時、父親は別の女性と結婚していた。両親が結婚したのは1921年。ディヌの名付け親はジョルジェ・エネスク。ブカレスト国立音楽大学で一人での先生はフロリカ・ムジチェスク。 1934年-1939年パリ在住。パリのエコールノルマル音楽院でアルフレッド・コルトーやポール・デュカスに教えを受ける。 1939年から1943年にかけてローマ、ウイーン、ベルリン、ブラチスラバ、ソフィアでコンサート。
 1943年に婚約者のマドレーヌ・カンタクジノ(Madeleine Cantacuzino)とストックホルムでのコンサートのためにルーマニアを離れる。以來二度と母国に戻らなかった。1944年からスイスに住んだ。 33歳でジュネーヴ郊外でこの世を去った。死因は白血病といわれることが多いが、実際はホジキンリンパ腫である。 また作曲についてはアルベール・ルーセルとナディア・ブーランジェに師事しており、作品を自作自演で残してもいる。
 母は1950年9月にディヌを見舞うためスイスに行くことに許され、そのままスイスに亡命した。 ディヌの弟のヴァレンティン・リパッティはブカレスト大学でフランス文学を教えた後、1964年に外交官になった。 音楽について 彼のピアノの特徴は、透明な音色でピアノを最大限に歌わせていることである。純粋に徹した、孤高なまでに洗練されたピアニズムは古今でも随一とされる。ショパンやモーツァルトなどを得意とした。ショパンのワルツ集は現在でも絶品とされているそうである。


昔の人のイメージがありますが、リパッティは今年2017年3月に生誕100年をむかえます。それを記念してProfilレーベルが12枚組の大盤振舞Boxをリリース。古くは10代の頃のものからあり、バッハ作品では珍しいリパッティのチェンバロ演奏に触れることができます。また、ブラームスのワルツは恩師ナディア・ブーランジェと連弾していて、リパッティのみならずブーランジェのピアノ演奏も聴くことができます。恩人エネスコを独奏者としたヴァイオリン・ソナタ2篇やチェロのヤニグロの伴奏も貴重。またバッハ=ブゾーニの神々しい演奏はピアノ録音史上の至宝と申せましょう。さらにカラヤン指揮フィルハーモニア管と共演した1948年4月録音のシューマンの協奏曲が貴重。
矢張り筆者としては鍵盤楽器練習曲第1集のBWV825の曲である。BWV826〜830はありませんが第1番変ロ長調BWV825は是非お薦めする。
[Disc 11]
 (1) J.Sバッハ:パルティータ第1番変ロ長調BWV825
 (2) 同(ケンプ編):シチリアーノ~フルート・ソナタ第2番BWV1031
 (3) 同(ブゾーニ編):いざ来たれ、異邦人の救い主よBWV659
 (4) 同(ブゾーニ編):主イエス・キリスト、われ汝を呼ぶBWV639
 (5) 同(ヘス編):主よ、人の望みの喜びよBWV147
 (6) モーツァルト:ピアノ・ソナタ第8番イ短調K.310
 (7) J.S.バッハ(ブゾーニ編):主イエス・キリスト、われ汝を呼ぶBWV639
 (8) ショパン:ワルツ第3番イ短調Op.34の21
950年7月9日(1)(6)、7月6日(2)、7月10日(3)-(5)/ジュネーヴ・セッション、7月27日/スイス放送(7)(8)

[Disc 12](ブザンソン告別演奏会)
 (1) 即興
 (2) J.Sバッハ:パルティータ第1番変ロ長調BWV825
1950年9月16日/ブザンソン音楽祭ライヴ(1)-(19)

ディヌ・リパッティを語る【ショパンとバッハの名盤あり】と明記されている。



確かに現在タンノイのIIILZ Monitor Goldのユニットは渋柿液を塗りユニットのハリ取り戻した、GOODMANS AXIOM 80のARU付きの比較的ガッチリした箱に入れ使用するが、英国オリジナルIIILZと比べ鍵盤演奏については相当良く表情をとらえている様子であるが音質としては古いタイプの音です。

淡々と奏でるパルティータ第1番全曲実に良い調べである、未だ未だ知らない演奏家が沢山いるのであろう、残り少ない人生も今後も興味深く探ってみようと思う次第である。
録音は1950年代であるが実にピアノの音が良い、これも「Zaika 5300」と「SIEMENS」6BM8との相性も良くピアノの弾き音が冴える。6BM8のチューブの交換で音の違いが判り面白半分でつい10種類以上の収集した、一日がかりで試聴を繰り返し最後に残ったSIEMENSである。勿論古いタイプの演奏で決して音質は最新のものと比べ落ちるが、筆者が思うに是非聴く音楽である、何故かバッハの曲が優しそうに感じた事は初めての体験である。
壮大な演奏で知られる主よ、人の望みの喜びよBWV147をピアノ独奏で奏でる大胆さ、説得力には脱帽である。



1917年ルーマニアのブカレスト生まれ。50年没。
ディヌ・リパティは1917年にルーマニアのブカレストで生まれたピアニストです。20世紀最高のピアニストの一人であるアルフレッド・コルトーの弟子でも有名です。コルトーは「あなたの弟子の中で誰が一番有望ですか?」という質問に「リパッティ!」と答えて、涙を流したと言われています。

その理由は、ホジキンリンパ腫という病気を抱えていて大変体が弱かったためです。音楽家って若くしてなくってしまう天才がたくさんいるけど、このリパッティもその一人。あまりに若く、33歳で亡くなっています。


現在支那製プリアンプはモノーラルで使用するが安価のためか個体差が大きい、中身はある程度の改造を施したが、最後はボリューム調整をするしかあるまい、勿論単体使用も良いが、モノーラル使用で聴くと解像度は上がり心地よい。
しかし、パワーアンプを変えると微妙だが右左のバランスが崩れる、勿論購入時期が違い、当初に購入したものが壊れ新たに導入したためか、未だ安定はしないようである。交換の度にバランス調整は疲れる。

プリアンプのチューブを軍用ロシア製真空管6N3P(купить)-EVに交換する、右左の音のバランスが違うのでデモCDにて音合わせを十分行いピアノ曲を聴く、実際此のチューブはクラシックには誠に具合が良い。

クラシック喫茶「バロック」のHPのオーディオに関わる注意点は「カンタータなどの肉声は質的に軟らかなアンプを、バイオリンなど弦楽器の場合、音がしまらなくてはならないので、音質の硬めのアンプを使うようにしている。」此のコメントは参考になる意見だ弦の音はたいへんシビアな事が起因するのかも知れない、確かに弦楽器演奏は解像度を上げシャープに仕上げたのが塩梅は良いようです、「バロック」では演奏ジャンルによりアンプを変えて鳴らしている所が凄い。又真空管についても「戦前の球(真空管)にはそれぞれお国ぶりがあったものだ。英国の球はとろんと鳴る、米国の球はしっかりしているといった具合。昔は計測器が不備だったので、人間の耳が頼りだったから、球にもお国ぶりが表れたのだ。」と仰ってました、今もその傾向は残るようである。
因みに一般的に言われる音は甘く柔らかなと言われるが、Western Electric社のWE -300B等の音質は随分しっかりした音色の球であり、真空管の音の特筆は皆さんの思いと可成違うと思います。

リパッティのショパンのワルツに惚れた人は多いそうである。
マリア・ジョアン・ピリス、ジャン・マルク・ルイサダといった世界トップクラスのピアニストが「このリパッティのショパンのワルツが神がかっている」と言っています。実際にリパッティの順番を真似て演奏したりもしています。



では次に名盤のご紹介です。
 ディヌ・リパッティの名盤【ショパン、バッハ他】バッハ:パルティータ第1番
非常に端正な演奏で、心が洗われていくような演奏です。
これは、youtubeでも聴くことが可能です。
ブザンソンにおける最後のリサイタル
リパッティが亡くなる直前にひらいたコンサートの録音です。
これはあまりにも有名な録音で、リパッティの命の最後の輝きといった印象です。「感動した」とか「涙が出た」というレビューが多いようです、勿論筆者も同様に思います。
実は、ウルトラセブンを見ていてリパッティのファンになったという人が多いんです。この時使われたのは、シューマンのピアノ協奏曲Op54。下記のyoutubeの55秒のところから流れているのが、それです。
また此の曲は映画「砂の器」にも使われた曲です。
ちょっと音質が悪くて‥というのがあるけど、という感じですが、指揮カラヤンとエルネスト・アンセルメがあるが此の頃のカラヤンは独特の迫力あり実に良い演奏であった。



リパッティが演奏活動をしたのは、本当にわずか6年程である!
全てで足掛け10年ちょっとだけです。そのリパッティが遺した数枚のアルバムが存在する。1947年に録音されたシューマンとグリーグのピアノ協奏曲や、バッハ、モーツァルト&ショパンなどの名演奏、そして極め付けが、1950年9月16日にブザンソンで行われた最後のリサイタルのライブ録音だ。病状の悪化によって医師からコンサートの中止を勧告されたにもかかわらず、死期を悟っていたリパッティは聴衆との約束を果たすためにリサイタルを敢行。当日会場に集まった人々は、目の前の若き天才が死に直面し、彼の演奏を聴くのはこれが最後であろうことを理解していたという壮絶なライブだ。

これで、世界最高クラスの評価を受けているのです。このことからもいかにリパッティがすごいピアニストかわかるかと思います。
今回リパッティの演奏に感動したピアノの演奏に出会ったことが実にラッキーでした。
ピアノ演奏がお好きな方は簡単にYoutubeで無料で聴くことができますので、ぜひ一曲だけでも聴いてみてください!ブラボー!