よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

楽しいウォーク「みなと百年公園から多々良川河畔を歩く」(福岡市東区)

2024-04-12 10:38:34 | ふくおかウォーキング協会

4/10(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「みなと百年公園から多々良川河畔を歩く」でした。

福岡市内の桜は、前日の雨風で花が散ってしまい葉桜状態です。本来ならここ みなと百年公園も桜の名所ですが・・・・

 

集合場所は、JR香椎駅、参加者40名。

9:30 香椎駅スタート

 

 

桜はもう葉桜になりかけています。

 

 

みなと百年公園は、博多港開港100周年を記念して平成11年(1999年)に造られました。

 

 

百年公園から名島海岸へ

 

昔、「妙見島」というのがあり、(今は、埋立てられています)天正年間(1573~1592)名島城主小早川隆景公在城の時、博多の豪商神屋宗湛が茶会を儲け隆景公を饗したと宗湛日記に

記されています。

 

名島水上飛行場」は1930年に設置された水上機専用の飛行場。翌年1931年に、世界一周中のリンドバーグ夫妻が水上機シリウスに乗ってやってきました。陸上機が使えないという使い

勝手の悪さから1934年に閉鎖。また「名島橋」というのは、飛行場のための道路整備の一環として架橋されたものです

 

 

名島神社」その昔、神功皇后が名島の黒崎海岸から三韓へ出兵される際、宗像三女神に無事を祈願されました。無事に帰還され、祈願成就のお礼として

三女神を奉斎されたのが、名島神社のいわれと略記に記されています。

また、「名島」という地名の謂れは、神功皇后が出航に当たって海岸で将校の名を呼び、最後の兵の名をしめ切った→ 名しめ→名島

あるいは、船出するとき、軍勢の名を呼んだことから名を呼ぶ島とされたと地名由来として伝えられています。

 

 

名島神社の上には「名島城址」があります。

戦国時代天文年間(1532~1555)に立花城主立花鑑載が支城として築造したといわれ、のちの天正16年(1586)から慶長5年(1600)の黒田入城まで、秀吉から筑前国を与えられた

小早川隆景・秀秋がここを改修し居城とした。東をのぞく三方を海に囲まれた戦国時代の城郭で、北に本丸、その南に二の丸、三の丸を配し、海水を引き込んだ堀割と空堀で周囲を防御する。東西840m、南北280~400mの規模をもつ。関ヶ原の戦い以降、初代福岡藩主黒田長政も初めここを居城にしたが、城下町の発展に不便な地として、慶長6年(1601)から福崎の地に

福岡城の築城を始めた。慶長12年(1607)福岡城の完成、移転とともに廃城となった。この時石垣や門などを新城に輸送したといい、遺構として名島門(市指定建造物)が福岡城に、

唐門(県指定建造物)が崇福寺に残る。(福岡市の文化財より)

 

名島神社を下りると「名島発電所跡」があります。

当時東洋最大と言われた火力発電所を偲ぶ記念碑です。大正9 年に第1 号発電機が竣工し、高さ61 メートルを誇る4 本の煙突が発電所の象徴となり、その姿は市内の至る所から確認できたと

言われています。その煙突も1961 年(昭和36 年)から1962 年(昭和37 年)にかけて順次解体されました。現在、跡地は名島運動公園となっています。

 

踏切を渡り多々良川河畔へ

 

国道3号線博多バイパスに入ります。この区間3号線の渋滞緩和の為、2018年3月に開通しました。

旧唐津街道上にありますが、その風情はもう残っていません。

 

12:00 千早駅にゴールしました。

 

この日のGPSです。