無法松2DM2日目は東コースで小倉城をスタートして妙見神社~門司港~関門トンネル~下関みもすそ公園を
折り返すコースです。
私の足の具合は昨日家に帰ってマッサージしましたが、まだ本調子ではありません。
何とか行ける所まで行ってみようとスタートしました。
参加者の中には目の悪い方が伴走者と一緒に、また81歳の方が元気良く歩かれています。
私も頑張ってゴールしたいと思います。
5km地点の妙見神社が最初のチェックポイントです。
この神社は、狛犬が猪になっています。
神社の由来を見てみますと
称徳天皇の神護景雲三年(西暦769年)太政大臣法王弓削氏道鏡が皇位につくのが相応しいというお告げが出た。
それに疑問をもった朝廷が和気清麻呂公(以下、公)に勅命をだし、神のお告げが本当であるかを確かめる為、宇佐神宮へ行くよう命じた。
その結果、「道鏡は、皇位に相応しくない」というお告げが出た事を朝廷に報告すると、それに怒った道鏡は、公を鹿児島に追放しようとした。
その途中、豊前のすわえ田村に漂着した公は、道鏡の追っ手から足の筋を切られるが、数百頭の猪が公を助け、再度、宇佐神宮に詣り神告を受けた。
その神告に従い公は、現在の小倉北区湯川にあった霊泉につかると、たちどころに足の傷が治った。
そこで、公は、近くの足立山に登り、造化神北辰尊星妙見に天皇の安泰と反逆者がいなくなることを祈った。
すると、造化の天神が現れ『汝の願い聴きいる』という神託をうけた。
今年3月霧島龍馬ハネムーンウオークで行った霧島にも「和気神社」がありましたが和気清麻呂が流されたのが
霧島だったのですね。
妙見神社を出ると足立山の「こもれびの小径」に入ります。
木々が生い茂りとても気持ちのいいコースです。
これを降りると「富野」に出てきます。
このあたりから私の足が痛み出しました。やはり坂の下りがいけないのでしょうね。
近くのコンビニで休み患部にエアーサロンパスを施します。
またコースに合流
コースは門司に向かっています。
このコースは参勤交代門司往還と言って大名が門司から船に乗るために通りました。
2回目のチェックポイントは「手向山(たむけやま)公園」です。
宮本武蔵の養子伊織が武蔵と小次郎の碑を立てたことで知られています。
ここからの階段がきつく手摺を伝ってやっとのことで登っていきます。
ここからは関門海峡が見渡せます。
手向山を降りると門司区に入ってきます。
私のペースはだんだん落ちていき、後続の方に次々追い越されていきます。
10時半40kと22kの分岐点に差し掛かりました。
この辺りが12kmの地点ぐらいでしょうか?
私の足の状態は最悪です。
このまま40kmを歩き続けるのは無理と判断し22kmの方にコースを変更しました。
鹿児島本線のガードを潜ると「柳の御所」というのがあります。
これは
寿永2年(1183)木曾(源)義仲に都を追われた平家一門は安徳天皇奉じて西に逃れ
太宰府に落ちていった。然しここでも豊後の豪族緒方三郎惟義が攻めてくると聞いて
更に遠賀郡山鹿(現芦屋町)の城を経て豊前国柳ヶ浦にたどり着いた。
この柳ヶ浦が現在の大里(だいり)のことで古い記録によると「内裏」と書かれて
しばらくの間「仮の御所」があったからである。
現在の戸上神社のお旅所となっているこの地が昔の仮御所であっただろうと伝えられ
「柳の御所」と呼ばれている。
この2年後あの壇ノ浦の戦いが始まるのです。
門司の赤レンガプレイスで休憩し、しばし関門海峡を眺めます。
魚を釣っている人、子供に自転車の乗り方を教えている人、そして関門海峡を通り過ぎる大型船を
眺めながらゆっくりゆっくりの歩行です。
赤坂海岸、貴船神社を通ると小倉の市街地に出てきます。
魚町商店街を通るとお菓子屋さんの「湖月堂」があります。
北九州のブログ友達が言っていたここの「栗ぜんざい」が食べたくなりちょっと中へ。
ウオーキングの時は甘いものも摂らなくてはと自分に言い聞かせながらその栗ぜんざいを注文
しました。
これです。
さすが老舗の味です。
商店街の終点にある常磐橋を渡り小倉城に入ってきます。
小倉城を抜けゴール地点の勝山公園へ
13時丁度ゴールしました。
今日は足の具合がよくなく一時は棄権も考えましたが22kmでも何とかゴールしました。
来年は雪辱の為東コースの40kmに再度挑戦したいと思っています。
折り返すコースです。
私の足の具合は昨日家に帰ってマッサージしましたが、まだ本調子ではありません。
何とか行ける所まで行ってみようとスタートしました。
参加者の中には目の悪い方が伴走者と一緒に、また81歳の方が元気良く歩かれています。
私も頑張ってゴールしたいと思います。
5km地点の妙見神社が最初のチェックポイントです。
この神社は、狛犬が猪になっています。
神社の由来を見てみますと
称徳天皇の神護景雲三年(西暦769年)太政大臣法王弓削氏道鏡が皇位につくのが相応しいというお告げが出た。
それに疑問をもった朝廷が和気清麻呂公(以下、公)に勅命をだし、神のお告げが本当であるかを確かめる為、宇佐神宮へ行くよう命じた。
その結果、「道鏡は、皇位に相応しくない」というお告げが出た事を朝廷に報告すると、それに怒った道鏡は、公を鹿児島に追放しようとした。
その途中、豊前のすわえ田村に漂着した公は、道鏡の追っ手から足の筋を切られるが、数百頭の猪が公を助け、再度、宇佐神宮に詣り神告を受けた。
その神告に従い公は、現在の小倉北区湯川にあった霊泉につかると、たちどころに足の傷が治った。
そこで、公は、近くの足立山に登り、造化神北辰尊星妙見に天皇の安泰と反逆者がいなくなることを祈った。
すると、造化の天神が現れ『汝の願い聴きいる』という神託をうけた。
今年3月霧島龍馬ハネムーンウオークで行った霧島にも「和気神社」がありましたが和気清麻呂が流されたのが
霧島だったのですね。
妙見神社を出ると足立山の「こもれびの小径」に入ります。
木々が生い茂りとても気持ちのいいコースです。
これを降りると「富野」に出てきます。
このあたりから私の足が痛み出しました。やはり坂の下りがいけないのでしょうね。
近くのコンビニで休み患部にエアーサロンパスを施します。
またコースに合流
コースは門司に向かっています。
このコースは参勤交代門司往還と言って大名が門司から船に乗るために通りました。
2回目のチェックポイントは「手向山(たむけやま)公園」です。
宮本武蔵の養子伊織が武蔵と小次郎の碑を立てたことで知られています。
ここからの階段がきつく手摺を伝ってやっとのことで登っていきます。
ここからは関門海峡が見渡せます。
手向山を降りると門司区に入ってきます。
私のペースはだんだん落ちていき、後続の方に次々追い越されていきます。
10時半40kと22kの分岐点に差し掛かりました。
この辺りが12kmの地点ぐらいでしょうか?
私の足の状態は最悪です。
このまま40kmを歩き続けるのは無理と判断し22kmの方にコースを変更しました。
鹿児島本線のガードを潜ると「柳の御所」というのがあります。
これは
寿永2年(1183)木曾(源)義仲に都を追われた平家一門は安徳天皇奉じて西に逃れ
太宰府に落ちていった。然しここでも豊後の豪族緒方三郎惟義が攻めてくると聞いて
更に遠賀郡山鹿(現芦屋町)の城を経て豊前国柳ヶ浦にたどり着いた。
この柳ヶ浦が現在の大里(だいり)のことで古い記録によると「内裏」と書かれて
しばらくの間「仮の御所」があったからである。
現在の戸上神社のお旅所となっているこの地が昔の仮御所であっただろうと伝えられ
「柳の御所」と呼ばれている。
この2年後あの壇ノ浦の戦いが始まるのです。
門司の赤レンガプレイスで休憩し、しばし関門海峡を眺めます。
魚を釣っている人、子供に自転車の乗り方を教えている人、そして関門海峡を通り過ぎる大型船を
眺めながらゆっくりゆっくりの歩行です。
赤坂海岸、貴船神社を通ると小倉の市街地に出てきます。
魚町商店街を通るとお菓子屋さんの「湖月堂」があります。
北九州のブログ友達が言っていたここの「栗ぜんざい」が食べたくなりちょっと中へ。
ウオーキングの時は甘いものも摂らなくてはと自分に言い聞かせながらその栗ぜんざいを注文
しました。
これです。
さすが老舗の味です。
商店街の終点にある常磐橋を渡り小倉城に入ってきます。
小倉城を抜けゴール地点の勝山公園へ
13時丁度ゴールしました。
今日は足の具合がよくなく一時は棄権も考えましたが22kmでも何とかゴールしました。
来年は雪辱の為東コースの40kmに再度挑戦したいと思っています。