4/14(日)は、下関市で行われる「第34回維新・海峡ウォーク」に参加しました。この大会10年ほど前に参加しましたのでそれ以来の参加です。
集合場所は、高杉晋作の墓所がある「東行庵」の横の吉田小学校。今年は高杉晋作生誕180周年を迎えるそうです。
高杉晋作は、幕末の尊攘倒幕派の志士。長州萩藩士。名は春風。号は東行。変名は谷梅之助。松下村塾に入り久坂玄瑞とともに吉田松陰門下の俊英といわれた。1862年上海に渡航,
帰国後尊攘運動に参加,1863年外国船の下関砲撃に際し奇兵隊を編制した。馬関戦争では連合艦隊との和議にあたった。1865年藩内を改革し藩論を倒幕に向かわせたが,維新直前に病死。
会場では、各梯団旗(1~28)に分けられ、そこに並びます。私たちは、14番旗です。
8:25より出発式。出発式の後、1梯団から順番ににスタートしますが、私たちの番では、9:18になっていました。
出発後も歩道が狭く大混乱です。
約3kmで1回目の関門「王喜の関」に着きました。ここでスタンプをもらいます。
次は、小月・西ノ台の関(小月小学校)です。
西ノ台関から小月の町中を歩きます。ここは、旧山陽道です。何年か前に山陽道を歩いた時のことがよみがえってきました。
清末藩は、長府藩からの分知で誕生したので、長州宗藩から見ると孫支藩のような藩です。長府藩主毛利光広は遺領のうち1万石を弟の毛利元知に分知し、別家として立藩。
当初は長府に居所があったが、のち元知は清末に居所を移したので清末藩となりました。二代毛利元平の時、清末藩の直属の宗藩である長府藩に嗣子が無く、元平が毛利匡広となって長府藩を継ぎ、
清末藩は長府藩に併合され、廃藩となりました。 その後、匡広は二男の政苗に清末1万石を再分知、清末藩は復活しました。
清末小学校でスタンプを押してもらいます。
王司・神田の関
長府に入るころ、懸念していた雨が降り始めました。まだ小雨ですので傘を差して歩きます。
長府・城下の関。
12時を過ぎました。今日は朝5時に家を出ましたので少しお腹がすいてきました。来る途中、コンビニで買ったサンドウィッチをいただきます。
長府のスタンプは、功山寺です。功山寺は、鎌倉時代創建、唐様(からよう)建築の美しさを保つ仏殿は、わが国最古の禅寺(ぜんでら)様式を残しており国宝に指定されています。
元々は長福寺と呼ばれており、功山寺となったのは長府藩祖毛利秀元(ひでもと)の菩提寺とされてからです。また、幾度となく歴史の舞台になったところで、毛利元就に追われた大内義長が自刃した場所であり、
明治維新の転機となった高杉晋作が、奇兵隊からも賛同されないまま、伊藤俊輔(の博文)率いる力士隊と石川小五郎率いる遊撃隊ら、わずか80人程度で挙兵した地(功山寺挙兵)でもあり、
境内には馬上の高杉晋作像があり、晋作を始め幕末・維新ファンなど歴史ファンが訪れております。また、秋の紅葉のスポットでもあります。
平家塚・・・・平家落人の墓と伝えられています。
関門橋が見えてきました。
みもすそ川の関でチェックポイント。
このあと下関シーモールコースは、直進、門司港コースは、関門人道トンネルを通ります。
門司港に入りました。
最終のチェックポイント「門司港レトロ本陣」です。ゴールのスタンプをいただきました。時間は14:41。約5時間半弱のウォーキングでした。
今日はボランティアの方が1600人も参加されたそうです。各関所ではお接待の数々誠に有難うございました。また機会があれば参加させていただきたいと思っています。