10/26(水)のふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「銀も金も玉も・山上憶良ゆかりの嘉麻市を歩く」でした。
年号「令和」の元になった万葉集「梅花の歌」初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香 は、山上憶良が詠んだ歌として知られています。(諸説あり)
万葉集に78首もの歌が選ばれている奈良時代を代表する歌人・山上憶良(やまのうえのおくら)。遣唐使に従って唐に渡り、帰国後の神亀3年(726年)から天平4年(732年)頃まで
6年間大宰府で筑前国守を務めました。そのころ太宰師だった大伴旅人等と親交を深め「筑紫歌壇」を形成しました。漢学に詳しく、儒教や仏教にも通じ「万葉集」に「貧窮問答歌」などの
人生を見つめた歌や、子を思うあたたかい父性愛の歌などが有名です。神亀5年(728)7月21日、墓参の為に嘉摩郡役所に立ち寄った時に「嘉摩三部作」として知られている歌を
選定しました。ここ稲築には、山上憶良ゆかりの地として15基の歌碑が建てられています。
集合場所は、JR飯塚駅。参加者28名。
コースは、JR飯塚駅スタート~自動車試験場~遠賀川上流沿い~嘉麻市役所~稲築公園~鴨生公園~鴨生駅跡公園~JR下鴨生駅ゴールの約10km。
9:30飯塚駅スタート。
遠賀川上流を進みます。
約1時間15分で旧稲築町(現嘉麻市)に入ります。嘉麻市は、2006年(平成18年)旧山田市、旧稲築町、旧碓井町が合併して発足しました。
俳優の瀬戸康史さんは、この稲築町の出身です。
稲築公園で休憩。
この公園には、山上憶良の歌碑があります。「銀(しろがね)も金(くかね)も玉も何せむに勝れる宝子に及かめやも」
現代風に訳すると「銀も金も宝石もどうして子供という宝に勝るものがありましょうか。いやそんなものはない。」
公園の上の広場にも憶良の歌碑があります。「瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆ」
現代語風に訳すると「瓜を食べると子ども達のことが自然と思い出される。栗を食べると、なおさら偲ばれる」
また、大伴旅人の妻の死を悼む歌もあります。「妹が見し 楝の花は散りぬべし 我が泣く涙 いまだ干なくに 」
「妻が見た楝(せんだん)の花はもう散ってしまいそうだ 私の泣く涙はいまだ乾かないのに」
稲築公園から嘉麻市役所に向かいます。この嘉麻市役所は、旧稲築高校(現稲築志耕館高校)跡地に建てられています。
旧稲築町のマスコットは、カッパの「なつきちゃん」です。稲築町各地には、カッパに関する伝説が残っています。
◎漆生には、相撲の大好きな河童に子どもたちが負けないように「河童と相撲を取るときは、礼儀正しく、お互いにおじぎをして始めなさい」と教えたとい う話が残っています。
河童はおじぎをすると皿の水が落ちてしまい、力が出せなかったので、いつもあっという間に子どもたちに負けてしまい、悪さが出来な かったそうです。
◎口春には遠賀川に住んでいた悪河童が、川原の牛にいたずらをしようとして逆に川から大クスまで引きずられてしまい、木に縛り付けられ、こらしめられたという話が残っています。
村人が河童を許してやったことで、川でおぼれる人がいなくなったそうです。
◎山野には人間から居場所を奪われた河童が、水の便を悪くしたために大火事が次々に起こり、村人たちは河童に遠賀川の白門に移り住んでもらうようにお願いし、毎年お供えとお祭りを
することを約束したという話が残っています。
嘉麻市役所で休憩。市役所内には、「ペッパー君」がお出迎えです。
嘉麻市役所から鴨生の方に向かいます。
鴨生駅跡公園(旧漆生線鴨生駅)
1986年(昭和61年)廃止になった「漆生(うるしお)線」(下鴨生駅~下山田駅間)。元々は、三井鉱山山野鉱、漆生鉱の石炭を搬出されるために営業開始しました。
昭和35年の最盛期には1日平均2512人の輸送人員があり、貨物取扱量(石炭)も3,027トンに達していました。その後エネルギーの需要の変化や自動車の普及などで
昭和61年3月廃線になりました。山野鉱は、この鴨生駅の後ろにありました。
鴨生駅跡公園から旧線路跡を通りゴールの下鴨生駅に向かいます。
12:05 ゴールの下鴨生駅に到着しました。
今日のGPSです。