よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

楽しいウォーク「銀(しろがね)も金(くかね)も玉も・山上憶良ゆかりの嘉麻市を歩く」(福岡県嘉麻市)

2022-10-28 20:35:08 | ふくおかウォーキング協会

10/26(水)のふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「銀も金も玉も・山上憶良ゆかりの嘉麻市を歩く」でした。

年号「令和」の元になった万葉集「梅花の歌」初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香 は、山上憶良が詠んだ歌として知られています。(諸説あり)

万葉集に78首もの歌が選ばれている奈良時代を代表する歌人・山上憶良(やまのうえのおくら)。遣唐使に従って唐に渡り、帰国後の神亀3年(726年)から天平4年(732年)頃まで

6年間大宰府で筑前国守を務めました。そのころ太宰師だった大伴旅人等と親交を深め「筑紫歌壇」を形成しました。漢学に詳しく、儒教や仏教にも通じ「万葉集」に「貧窮問答歌」などの

人生を見つめた歌や、子を思うあたたかい父性愛の歌などが有名です。神亀5年(728)7月21日、墓参の為に嘉摩郡役所に立ち寄った時に「嘉摩三部作」として知られている歌を

選定しました。ここ稲築には、山上憶良ゆかりの地として15基の歌碑が建てられています。

集合場所は、JR飯塚駅。参加者28名。

コースは、JR飯塚駅スタート~自動車試験場~遠賀川上流沿い~嘉麻市役所~稲築公園~鴨生公園~鴨生駅跡公園~JR下鴨生駅ゴールの約10km。

9:30飯塚駅スタート。

 

 

 

遠賀川上流を進みます。

 

 

約1時間15分で旧稲築町(現嘉麻市)に入ります。嘉麻市は、2006年(平成18年)旧山田市、旧稲築町、旧碓井町が合併して発足しました。

俳優の瀬戸康史さんは、この稲築町の出身です。

  

稲築公園で休憩。

この公園には、山上憶良の歌碑があります。「銀(しろがね)も金(くかね)も玉も何せむに勝れる宝子に及かめやも

現代風に訳すると「銀も金も宝石もどうして子供という宝に勝るものがありましょうか。いやそんなものはない。」

 

 

公園の上の広場にも憶良の歌碑があります。「瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆ

現代語風に訳すると「瓜を食べると子ども達のことが自然と思い出される。栗を食べると、なおさら偲ばれる」

 

また、大伴旅人の妻の死を悼む歌もあります。「妹が見し 楝の花は散りぬべし 我が泣く涙 いまだ干なくに 」
妻が見た楝(せんだん)の花はもう散ってしまいそうだ 私の泣く涙はいまだ乾かないのに」

 

稲築公園から嘉麻市役所に向かいます。この嘉麻市役所は、旧稲築高校(現稲築志耕館高校)跡地に建てられています。

 

旧稲築町のマスコットは、カッパの「なつきちゃん」です。稲築町各地には、カッパに関する伝説が残っています。

漆生には、相撲の大好きな河童に子どもたちが負けないように「河童と相撲を取るときは、礼儀正しく、お互いにおじぎをして始めなさい」と教えたとい う話が残っています。

河童はおじぎをすると皿の水が落ちてしまい、力が出せなかったので、いつもあっという間に子どもたちに負けてしまい、悪さが出来な かったそうです。

口春には遠賀川に住んでいた悪河童が、川原の牛にいたずらをしようとして逆に川から大クスまで引きずられてしまい、木に縛り付けられ、こらしめられたという話が残っています。

村人が河童を許してやったことで、川でおぼれる人がいなくなったそうです。

山野には人間から居場所を奪われた河童が、水の便を悪くしたために大火事が次々に起こり、村人たちは河童に遠賀川の白門に移り住んでもらうようにお願いし、毎年お供えとお祭りを

することを約束したという話が残っています。

   

嘉麻市役所で休憩。市役所内には、「ペッパー君」がお出迎えです。

  

 

嘉麻市役所から鴨生の方に向かいます。

 

 

鴨生駅跡公園(旧漆生線鴨生駅)

1986年(昭和61年)廃止になった「漆生(うるしお)線」(下鴨生駅~下山田駅間)。元々は、三井鉱山山野鉱、漆生鉱の石炭を搬出されるために営業開始しました。

昭和35年の最盛期には1日平均2512人の輸送人員があり、貨物取扱量(石炭)も3,027トンに達していました。その後エネルギーの需要の変化や自動車の普及などで

昭和61年3月廃線になりました。山野鉱は、この鴨生駅の後ろにありました。

 

鴨生駅跡公園から旧線路跡を通りゴールの下鴨生駅に向かいます。

12:05 ゴールの下鴨生駅に到着しました。

 

 

今日のGPSです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2022年「道の駅うきは」の案山子コンクール(福岡県うきは市)

2022-10-27 05:14:11 | ウォーキング

今年の「道の駅うきは」の案山子コンクールです。

 

ゴールデンポンバーズ樽美酒研二さんは、うきは市の出身です。

うきは棚田の稲刈り

デイケアふきのとう

うきはの柿

金婚式

うきはの「ぶどう」

孫に希望を託そう

道の駅うきはの「湯」

うきは市地域おこし協力隊

エリザベス女王

今年ホークスを退団した「松田選手」

うきは市には、プロのラグビーチームが結成されました。チーム名「ルリーロ福岡」

今年も楽しませていただきました。

 

 


国営海の中道海浜公園のコスモス・コキア他(福岡市東区)

2022-10-21 14:41:01 | ウォーキング

海の中道国営公園のコスモスが見ごろという情報を得て早速出かけてきました。

JR海ノ中道駅から入ります。

園内に入るとジニアの花が目に入ります。

 

周りの木々も黄色くなってきています。

 

コキアは、もう盛りを過ぎているのかな?

 

 

コスモスは、7分~8分咲かな?

 

 

  

 

 

コスモスの横には、パンパスグラスです。

 

ハロウィンが近いのかハロウィンの飾りがありました。

 

 

 


サタデーウォーク「ロマンを求めて吉野ヶ里遺跡を周回」(佐賀県吉野ヶ里町)

2022-10-20 06:00:01 | ふくおかウォーキング協会

10/15(土)ふくおかウォーキング協会サタデーウォークは「ロマンを求めて吉野ヶ里遺跡を周回」でした。

集合場所は、JR吉野ヶ里公園駅。参加者30名。

コースは、吉野ヶ里公園駅北口スタート~吉野ヶ里歴史公園(西口)~王仁(わに)博士博士顕彰公園~公園北口~籾神社~吉野ヶ里公園駅ゴールの約10km。

 

9:30 ウォーキング開始。

 

吉野ヶ里歴史公園は、「弥生人の声が聞こえる」を基本テーマに、日本の優れた文化的資産である吉野ヶ里遺跡の保存と、当時の施設の復元や発掘物の展示などを通じて、弥生時代を体感

できる場を創出し、日本はもとより世界への情報発信の拠点とすることを目的に作られました。

かつてこの地に佐賀県の工業団地を造る計画が持ち上がる中、遺跡の価値が改めて認識され、昭和61年から本格的な文化財の発掘調査が行われました。その結果、

我が国弥生時代最大規模の環壕集落であることが確認され、また魏志倭人伝に記された邪馬台国の様子を彷彿とさせる建物跡などが発見されたことにより、一躍全国の注目を集めました。

日本の古代の歴史を解き明かす上で極めて貴重な資料や情報が集まっています。

平成4年に国営吉野ヶ里歴史公園として整備することが閣議決定され、さらに国営公園区域の周辺に佐賀県の公園区域を設け、国と県が一体となった歴史公園として、平成13年4月から

その一部が開園、令和3年1月現在では面積約105.6ha(国営公園約52.8ha、県立公園約52.8ha)が開園しています。(吉野ケ里歴史公園HPより)

※ 弥生時代前期(紀元前5~前2世紀)、弥生時代中期(紀元前2~紀元1世紀)、弥生時代後期(紀元1世紀~3世紀)

 

 

今回は西口から入場します。西口は、今日イベントがあるそうで入場料は、無料です。

 

 

 

園内には、犬を連れた方が目立ちます。

  

犬が多い訳は、吉野ヶ里公園西口で、ドックフェスタが行われています。

 

吉野ヶ里公園から王仁(わに)博士顕彰公園に向かいます。

 

日本に漢字や論語を伝えた王仁(わに)博士の功績をたたえ、後世に伝えていく王仁博士顕彰公園

古事記や日本書紀によると、405年(応神16年)応神天皇に招かれ、儒教の原点である「論語10巻」と漢字の基本である「千字文1巻」を献上したと記述されています。

古事記では「和邇吉師(わにきし)」、日本書紀では「王仁」と表記。古代、韓国南西端の栄山江上流の霊岩郡上台浦を出発し、五島列島、有明海を経て神埼に至ったとされています。

更に吉野ヶ里遺跡の渡来人の中には、王仁博士の生誕地である霊岩郡栄山江流域の人々がいたことも分かっています。このことから王仁博士が吉野ヶ里の渡来人と同じ、

有明海を利用して日本へ来たというルートを改めて認識させれます。

 

百済(くだら)門・・・・韓国・霊岩(ヨンアム)郡の王仁遺跡にある「百済門」と大きさや形が同じレプリカです。

百済門は、王仁博士を通じて神埼市と交流のある韓国・霊岩郡には、博士を祀る王仁博士遺跡地が整備されており、そこには、「百済門」と命名された門があります。

王仁博士顕彰公園にも霊岩郡の支援により韓国の素材や装飾など伝統的な建設様式を用いて霊岩郡と同規模の百済門を整備しました。

 

  

 

  

全国の王仁博士の伝承地は、主に近畿地方にあります。伝王仁墓(大阪府枚方市藤阪)、王仁神社(大阪市北区)、王仁神社(大阪市天王寺区)。

素人考えですが、韓国から有明海で上陸し、しばし佐賀県神埼に滞在し、それから近畿地方に移ったのではないでしょうか?

そういえば、吉野ヶ里も弥生時代終焉には、無くなっており、住んでいた人は、どこに行ったのでしょうか?

   

 

王仁博士顕彰公園からゴールの吉野ヶ里公園駅に向かいます。

途中の「籾神社」。神社の由緒を見ると、尾張国熱田神宮の分霊を天暦8年(954)に奉斎したと伝えられている。
神殿、拝殿は天保10年(1839)焼失し、弘化3年(1846)再建されている。鳥居の額束は、「熱田宮」で、石華表に貞享2年(1685)建立とされ、地元89名の氏名と、辛上村中、鳥の隈村中、

諫里村中と記してある。
村中に一つの小さな丘があり楓の大樹が覆っていた。紅葉時には燃えるような美しさであったという。村に善太郎という者がいて、この楓が作物の妨げをするというので伐ろうとすると、

斧が飛び、大雨、雷が轟き、大洪水が起こった。村人は大いに恐れ、この丘に祠をたて、紅葉の燃える韻をとり「揉権現」と称えたという。
永禄7年(1564)に害虫が発生し、作物を害し、さらに疫病が大流行し人馬が次々に亡くなるなど大凶の兆しを示していた。領主江上氏は、神職に命じ虫除けの祈願を行わせたところ、

災厄は去り豊作を迎えることができた。その後、「揉」を「籾」に改め「籾権現」としたと伝えられている。
神社敷地は、人工的に盛った古墳と思われる。縞模様の地層が見られ、戦時中に防空壕を掘った際に、鏡、須恵器が出土している。大塚ヶ里地区の小路に「籾の塚」の地名があるが、

これは、土を盛った「盛りの塚」、塚を守る「守の塚」からきたと伝えられている。

  

ゴールは、吉野ヶ里公園駅です。11:30 ゴールしました。

 

 


第24回港よこはまツーデーマーチ2日目10km(横浜市)

2022-10-17 18:03:41 | ウォーキング

10/9(日)港よこはまツーデーマーチ2日目。

昨日は、家内の横浜の知人と一緒に夜の横浜を散策しました。

 

セリーグクライマックスシリーズが行われているヨコハマスタジアム。この日は、阪神が2-0で勝ちました。

 

本来の目的は海の見える丘公園で横浜の「ガンダム」を見ることでしたが、暗くて写真に納まりませんでした。

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本題に戻ります。昨日と同様8:00にホテルを出発して赤レンガパークに向かいます。途中では、いろんなお花が咲いていました。

 

今日の10kmのコースマップです。

今日は、帰りの時間も考え、25kmコースと一緒にスタートします。8:45スタート。

 

 

 

 

ニューグランドホテルの所からコースアウトして海の見える丘公園に向かいます。

ここから「ガンダム像」が見えます。横浜のガンダムは、動くガンダムです。ただ入場料金が1650円、そして開演が10時から(土日祝、平日は11時)・・・

悩みましたが、昼から雨の予報ですので早く帰らねばいけませんのでここは、泣く泣くパスしました。それと、博多のガンダムと姿が少し違うみたいです。

  

 

海の見える丘公園からコースに戻ります。

ニューグランドホテルから中華街の方に向かいます。

 

  

横浜スタジアム。ここでセリーグクライマックスシリーズ(VS阪神)が行われました。

  

伊勢佐木町に入る所に「吉田橋」があります。この橋は、「鉄(かね)の橋」と言って、明治2年(1869年)、英国人土木技師R.H.ブラントン(RICHARD HENRY BRUNTON 1841〜1901)

により架け替えられた吉田橋は、橋長24m、幅員6mの日本最初のトラス鉄橋であり、「鉄の橋」として市民に親しまれるとともに、文明開化のシンボルとして錦絵に描かれるなど

大変人気を集めました。現在の高欄は「鉄の橋」をイメージして復元したものです。

明治元年(1868年)政府の招聘により来日したブラントンは、開国に伴い日本沿岸各地に灯台を建設する一方、8年間にわたり活動の拠点としていた横浜では、日本大通りや

横浜公園の設計を行うなど近代的なまちづくりに大きな足跡を残しました。(案内板より)

   

歌のタイトルしか知らなかった「伊勢佐木町」。町名の由来は、道路改修費用を寄付した、伊勢屋中村次郎衛、川儀右衛門、佐々新五郎の名前から付けられたそうです。(諸説あり)

 

 

野毛坂。これから上りになります。

 

野毛山配水池。イギリス陸軍工兵少将のヘンリー・スペンサー・パーマーは、日本初の近代的水道である「横浜水道」を完成させました。

  

野毛山が10k、25kの分岐点。10kの方に行きます。真下には、野毛山動物園です。

 

野毛のつり橋は、1970年6月28日に開催された「一万人市民集会」において、ある老人が「動物園と児童遊園が道路で二分されており、子どもたちの往来に危険なので橋か地下道を

設置してほしい」と発言。飛鳥田市長は実行を確約し、直ちに着手。インダストリアルデザイナー柳宗理にデザインを依頼し、翌年3月に完成した。柳は、公園内の標識類のデザインも

担当している。橋名は地元の小中学生から公募、「野毛のつり橋」と命名された。付近は、春には桜の名所として賑わう。2013年8月から翌年1月にかけて、長寿命化に向けた改修工事が

行われた。(案内文より)

 

野毛のつり橋の先では、チェックポイントとIVVの配布です。(本来は、掃部山公園でしたが・・・・)

ラジオ塔(当時の呼称はラヂオ塔)の正式名は、「公衆用聴取施設」で、NHK大阪中央放送局が昭和5年6月15日、大阪市の天王寺公園旧音楽堂跡に、最初のラジオ塔を設置したのが始まり。
昭和9年までに、全国の公園に計画的に41基が設置されましたが、そのうちの1基が、野毛山公園です。

以前、山陽道を歩いたときに兵庫県明石市で見たことがあります。

  

野毛山公園には、中村 汀女(なかむらていじょ)の歌碑があります。明治33年熊本市の江津湖畔に生まれ、高浜虚子に師事。昭和5年に横浜市西戸部に住まわれ、良き時代の横浜を

こよなく愛されました。

  

 

掃部山(かもんやま)公園にやってきました。

掃部山は、昔、明治初期の鉄道敷設に携わった鉄道技師の官舎が建てられていた他、地下から湧く水を蒸気機関車の給水に利用していたことから鉄道山と呼ばれていました。

その後、横浜開港に貢献した井伊直弼の記念碑を建てる際に、井伊家の所有になりましたが、大正3年に市に寄付され掃部山公園となりました。桜に囲まれた広場の奥では、

現在も井伊直弼の銅像が横浜の港の方を向いて立っています。井伊直弼の役職名「掃部頭」から名付けられました。

   

掃部山を下りていくと、掃部山公園の石積みの説明版が設置されています。

掃部山公園の敷地は、かつて鉄道用地でした。明治5年(1872年)の鉄道創業時には、この地に「お雇い外国人」鉄道技師用官舎が建設されており、この石積擁壁も官舎と同時期に

築造されたものと考えられます。この石積みは、洋風石積みの系譜に属し、30cm角、長さ80cmの凝灰砂岩(房州石)を長手一本毎に控えを取って積み上げていくもので、

レンガ積みでいえばフランス積みに似ており、山手地区に多く見られることから、「ブラフ積み」と呼ばれています。また、石積みの角部にはより堅石の安山岩(真鶴石)を積んで

強固なものとし、関東大震災にも耐え抜きました。平成八年度に災害予防目的でこの石積みの改修工事を実施しましたが、この工事では、いったん石積みを解体撤去し、

コンクリートブロック擁壁により安定した構造を確保した上で、元の「ブラフ積み」石積みを復元しました。

 

JR線に合流しました。コースは、ここから左折して高島町駅方面に行きますが、右に行けば桜木町駅です。

荷物を桜木町駅のホテルに預けていますので、ここでコースアウトし、桜木町駅に向かいます。

桜木町駅に11:10到着。

ホテルから荷物を取り出し、12:49 「のぞみ」に乗り込みました。

 

 

 

 

 

 


第24回港よこはまツーデーマーチ1日目25km(横浜市)

2022-10-16 11:56:12 | ウォーキング

10/8~9に行われた「第24回港よこはまツーデーマーチ」に参加するため横浜に向かいました。

今年は、鉄道開業150年(1872年10月14日)新橋~横浜(現桜木町駅)間が開業しました。

桜木町駅のホテルには、開業当初の機関車が展示されています。

 

本題に戻ります。港よこはまツーデーマーチは、私、初めての参加です。

8:00 桜木町のホテルから会場の赤レンガパークまで歩いていきます。余裕をもって出たのですが、15分で会場に到着。

 

 

受付を済ませ、8:55 25kmコーススタート。

コースマップ。

 

  

コースは大岡川沿いに歩きます。約2kmぐらい歩いた所の西公園前が10kと25kの分岐点。25kmは、直進します。

 

そのまま歩いていると、チェックポイントです。地図には久良岐公園がチェックポイントになっているのですが・・・・・

おまけにゴールのチェックも押してくれました。そのすぐ先では、IVVの配布です。いろんな大会に参加しましたが、こんなことは初めてです。これもコロナの関係かな?

IVVももらったからここで帰ろうかとも思いましたが、折角歩きに来ていますので最後まで歩きます。

 

 

蒔田公園は、トイレ休憩。

 

鶴巻橋、弘明寺(ぐみょうじ)商店街を通り過ぎます。

 

保育園の運動会かな?

 

歩いていると「久良岐(くらき)能舞台」の看板があります。1917年(大正6年)に東京日比谷の帝国ホテル裏に建てられ、1931年(昭和6年)に東京芸術大学の前身である

東京音楽学校邦楽科に寄贈された。同大学には1964年(昭和39年)に能舞台が新設されたため解体保存されていたが、宮越賢治が譲り受け、当地に移築した。

1984年(昭和59年)に横浜市に寄贈され、市民の能楽・茶道・日本舞踊などの活動に使われている。鏡板には、日本画の大家平福百穂による老松が描かれている。(Wikipediaより)

久良岐(くらき)公園に到着しました。本来ならばここがチェックポイントです。

 

久良岐公園(くらき)は横浜の港南区と磯子区にまたがる自然の景観を生かした公園。

釣りができる大池と能舞台のある日本庭園、そしてボール遊びができる自由広場などが配された園内では、のんびりとピクニックや自然散策が楽しめます。
 久良岐公園は桜の名所としても有名な場所です。

 

 

10分ぐらい休憩し、再スタート。この一帯は桜の木があります。桜の名所でしょうね。

ここから今日最初の坂道です。

 

 

 

八幡橋の歩道橋を渡ります。

 

歩道橋を下り歩いていると、前方より小学校高学年の女の子がスマホを見ながら自転車に乗り、我々ウォーカーに向かってきます。「スマホ見ながら自転車に乗ると危ないよ!」と

注意しますが、無視されてしまいました。歩行者の方が避けてくれるとでも思っているのでしょうか?

 

本牧(ほんもく)市民公園を通過します。

本牧市民公園は、昭和43年に終了した本牧埠頭関連造成用地の海面埋立てにより、それまであった海を失った人々や港で働く人々のために庭球場、運動広場、池などの施設を整備し、

昭和44年に公開されました。それと同時に福祉文化事業団によって運営される本牧市民プールもつくられています。

昔の地形の特徴をよく残しており、池の部分が以前海だった場所です。平成元年に横浜市と上海市の友好都市締結15周年を記念してつくられた「上海横浜友好園」と「トンボ池」は

公園の魅力をさらに高める特徴ある施設です。

「上海横浜友好園」は横浜市が上海市に寄贈した「横浜上海友好館」のお返しとして上海市から提案、整備されたもので、中国江南様式による庭園です。

上海市の木、花のハクモクレンに因んで命名された玉蘭庁を中心に、庭院、曲橋で結ばれ、六角形の二重屋根が特徴的な湖心亭からもう一つの出入口の竹門などが池の中に巧みに配置され、

背景となっている三溪園の緑と崖が独特の雰囲気を醸し出しています。(横浜市HPより)

 

 

  

 

公園内には、SLのD51も展示されています。

三溪園(さんけいえん)は、製糸、生糸貿易で財を成した実業家・原三溪が明治39(1906)年に開園した敷地面積18万平方メートルの広大な日本庭園です。

昨年11月初めこの三溪園に行きました。ちょうど菊花展が開催中でした。

  

本牧公園から臨海鉄道沿いに歩きます。

  

 

「あかいくつ」は、観光周遊バスです。可愛いバスですね。

山下公園では、「ワールドフェスタヨコハマ」が開催中です。人が多く前を行くウォーカーが探せません。

 

 

 

 

ゴールの赤レンガ倉庫が見えてきました。旧横浜港駅プラットフォームがゴール地点です。

13:44無事25km(GPSでは21.7kmしかなかった)ゴール!

  

この日のGPS。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


楽しいウォーク「地下鉄七隈線延伸(博多駅乗り入れ)」(福岡市城南区~中央区~博多区)

2022-10-13 12:52:14 | ふくおかウォーキング協会

10/12(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「地下鉄七隈線延伸(博多駅乗り入れ)」でした。

福岡市地下鉄七隈線は、橋本駅~天神南駅間12kmの区間で2005年(平成17年)開業しました。

天神南駅で空港線天神駅に乗り換えるのですが、これが約550mと長く(徒歩7~10分)早くから博多駅までの延伸が要望されていました。

福岡市は、延伸の要望を受け、天神南~(櫛田神社前)~博多駅間の1,4kmの工事着工を始めました。当初2020年(令和2年)開業予定でしたが、

2016年(平成28)道路陥没事故があり、工事が遅れていましたが、ついに来年(2023年)3月27日に開業することになりました。

今日のウォーキングは、地下鉄福大前から天神南駅を通り延伸区間の1.4kmを歩くというもの。

集合場所は、七隈線福大前駅、参加者39人。

コースは、福大前駅スタート~城南学園通り~別府西公園~別府橋通り~六本松公園~城南線~九電共創館~渡辺通~国体道路~(新駅)櫛田神社前~博多駅博多口迄の約10km。

 

 

コースは、城南学園通りを歩いていきます。城南学園通りは、中村学園大学(別府駅)と福岡大学(福大前駅)の2つの大学を結ぶ3,2kmの道路です。

 

別府の信号から別府橋に向かいます。

  

別府橋を渡ると中央区六本松です。

 

六本松は、古くは「早良郡鳥飼村大字谷六本松」と呼ばれ大正8年(1919)に鳥飼村から福岡市となりました。その昔、六本松の地名はこの辺りは「六本の松」の集団があったことから

付いたという文言が貝原益軒の「筑前国続風土記」に記載されています。遠征から戻ってきた福岡城下を目指す武士達が六本松辺りにたどり着いた時に何も目印が無いことから、

福岡に近づいた目印として松を植えたという説、鷹狩から帰る途中、現在の六本松辺りが寂しかった黒田藩主が「寂しい場所じゃ」と木も生えていない崖を見て「松を植えるがいい」と

6本の松を植えたとされ、その経緯で中央区六本松の名前が付いたとされる説などがあります。

 

六本松には、大正10年(1921)11月に福岡高等学校が設立され翌年4月に開校されました。この旧制福岡高等学校は、昭和24年(1949)の新制大学発足時に旧制高校が統合され、

九州大学の一部となり昭和38年(1963)に九州大学教養部が置かれて以来、九州大学の一般教養教育が実施されていました。

九州大学の西区への移転が決まり平成21年(2009)3月に閉校。旧制福岡高等学校から九州大学へ続いていた学びの杜(青陵の杜)は、88年の歴史に幕を閉じました。

跡地は平成22年(2010)3月に売却、平成29年(2017)3月よりマンション、大学院や科学館などの複合施設が順次オープン、平成31年(2019)までに福岡高裁、福岡地裁、

福岡地検等の司法関係施設が建設されました。(六本松の今昔物語より)

 

 

 

六本松から城南線を歩きます。

 

 

 

 

天神南駅までが現在の七隈線です。延伸工事は、国体道路からキャナルを通り博多駅に向かうルートです。

国体道路を歩いていると歩道側に凄い行列ができています。何の行列かな?と思い行列の先頭に行くと「Ⅰ、m donut」というお店です。

今年3月に東京中目黒にオープンし、5月に渋谷、そして10月1日に福岡にオープンしました。運営会社は福岡市内でベーカリーショップを運営している「アマムダコタン」です。

この行列だと3時間ぐらい並ばないといけませんね。(お年寄りには無理です(笑))

  

春吉橋です。この春吉橋、平成27年(2015)から架け替え工事が始まり、今年の4月10日に完成しました。

橋の「春吉橋」は、福岡市出身のタモリさんの揮ごうです。タモリさんのお父さんの名前が「春吉」でこの春吉橋には、親しみがあったそうです。

 

七隈線の新駅(櫛田神社前)は、キャナルに通じる所にできる予定です。周辺は、まだ工事中です。

 

 

12:20 博多駅にゴールしました。市街地を歩いたので信号に引っかかったりして予定より遅れてのゴールでした。

 

今日のGPSです。

 

 

 


楽しいウォーク「旧唐津街道深江宿を往く」(福岡県糸島市)

2022-10-11 11:58:47 | ふくおかウォーキング協会

10/5(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「旧唐津街道深江宿を往く」でした。

集合場所は、JR筑前深江駅、参加者36名。

今日は、朝から細かい雨が降っており大降りにならないかと心配しています。

コースは、深江駅スタート~鎮懐石神社~マルキョウ~旧唐津街道~深江神社~正覚寺~交流プラザ二丈館~曲り田スポーツ公園~松末稲荷神社~JR一貴山駅ゴールの約10km。

9:30スタート

  

先ずは「鎮懐石八幡宮」へ

約1800年前の仲哀天皇9年(西暦200年)、神功皇后(息長足日女命)は応神天皇を懐妊しながらこの地を通って戦地に兵を出された時に、卵型の美しい二個の石を肌身に抱き、出産の延期を

祈って御腹と御心を鎮懐(しずめ)られた

願いは叶って帰国後、宇美の里で応神帝をご安産された。帰路、神功皇后が経尺の璧石を、子負ヶ原の丘上にお手ずから拝納されてより、世の人は「皇子産石(みこうぶいし)」

「子産石(こうぶいし)」と呼び崇拝するようになった。(鎮懐石八幡宮HPより)

 

 

この神社には、九州最古の万葉歌碑があります。

奈良時代の歌人・山上憶良(やまのうえのおくら)の歌が収められています。

聖武天皇の御代726年(神亀3年)山上憶良は筑前国主に任ぜられ、福岡に赴任しました。筑前箕島の住人 建部牛麻呂(たけべのうしまろ)から鎮懐石伝承を聞き、長歌および反歌に詠じて、

その台詞に石の形状、所在地ならびにその縁起を述べています。

年号「令和」の元になった太宰府での梅の宴で詠まれた「初春の令月にして気淑く風和らぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫らす」は、大伴旅人か山上憶良の作と言われていますが、

若し、山上憶良の作でしたら、ここ鎮懐石八幡宮で詠まれたすぐ後の作になるそうです。

 

境内は、桜の名所です。下記の写真は、2010年3月末旧唐津街道を歩いたときの写真です。この時は桜が満開でした。また、玄界灘に沈む夕日のスポットとしても知られています。

 

スーパーマルキョウで休憩。

休憩後再スタート。マルキョウの裏の方から深江神社の方に向かいます。深江神社の前が旧唐津街道「深江宿」です。

  

深江宿は、慶長4年(1599)より唐津領、元禄4年(1691)幕府領、更に享保2年(1717)から中津領(大分県)の飛び地になりました。(糸島市荻浦~深江までが中津領)

深江神社は、建久8年(1197年)、高祖城主・原田種直が原田家再興のため、竈門(かまど)神社と太宰府天満宮を上深江片峯に勧請(分霊をまつること)し、

建仁3年(1203年)に現在地に奉遷されたのがこのお宮の始まりと言われています。

深江神社が有名になったのは、朝鮮出兵(文禄・慶長の屋久)のため肥前名護屋城にいた太閤豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)公が、天正20年(1592年)に参拝され、茶宴を催された時に

淀君御懐妊の知らせが届いたことを受け、秀頼の産宮として、時の領主小早川隆景(こばやかわ たかかげ)に命じて社殿を再興され、第二鳥居は、その小早川隆景が奉納したもので

「安産の鳥居」とも言われています。

  

神社から深江小学校の方に入った所に「太閤お茶会跡」の木碑が立っています。

 

深江神社前の旧唐津街道は、旧家が立ち並んでいます。

 

太閤秀吉は、京都上洛の際、先ず深江に停泊し、それから名島に向かったそうです。常夜灯の近くに梅屋宿場跡があったそうです。

 

交流プラザ二丈館で休憩。ここは、糸島市に合併する前の二丈町役場でした。

 

曲り田スポーツ公園でトイレ休憩。休憩後田園地帯を歩きます。

 

松末(ますえ)稲荷神社は、目隠し女相撲が有名です。毎年12/8近くの日曜日に行われ、恵比須様の面をかぶって相撲を取ります。

詳細は、こちらで→ふいご大祭・目隠し女相撲 | つなぐ糸島 | 糸島観光サイト produced by 糸島市観光協会 (kanko-itoshima.jp)

 

松末稲荷神社から旧唐津街道の戻ります。

 

12:00 JR一貴山駅にゴールしました。途中細かい雨に遭いましたが、大降りにならずにゴールできました。

 

本日のGPSです。

 

 

 

 

 

 

 

 


第20回瀬戸内しまなみ海道スリーデーマーチ3日目「3日間縦断コース30km」(広島県尾道市瀬戸田~広島県尾道駅前)

2022-10-10 13:16:32 | オールジャパンウオーキングカップ

10/2(日)瀬戸内しまなみ海道3日目。今日のコースは、瀬戸田会場から生口橋~因島フラワーセンター~因島大橋~向島~(渡船)~尾道会場までの約32km。

7:10今治駅前から専用バスで昨日のゴール地の瀬戸田会場に8:05到着。受付を済ませウォーキング開始。早い方は、7:00にスタートしているそうです。

8:10 スタート。今日は久留米の〇田さんと一緒に歩きます。

 

 

 

おいしいジェラート屋さんは、まだ開店していません。

4年前この大会に参加したときは、工事中だった建物が完成していました。「逸心楼」と書いてあります。

表札がありましたが、(写真を加工しています)地元の船体ブロック製造会社オーナーの家です。

 

 

 

名荷橋に三重塔が描かれています。長命寺のことかな?

 

生口橋に向かいます。生口橋は、生口島と因島を結ぶ全長790mの斜張橋です。

 

 

渡ると因島です。スタートから約9km。あと22kmまだまだ先が長いです。

 

  

 

ゴールまであと20km(長いな~)

 

万田酵素に来ました。最初ここを歩いたときは、接待所がありましたが、今は何もありません。

 

歩いているとたくさんの鳥の声がします。なんと20羽ぐらいのインコがいました。

 

因島の島名の由来は、本州から見ると向島、岩子島、細島、佐木島によって隠されているので「穏の島」→「因島」。また他では、因島は、後白河院の荘園だったことから

院の島→因の島→因島になったそうです。(因島観光ナビより)

大きな道から右折すると、旧道でしょうか?昔ながらの家並みが残ります。

 

 

標高226メートルの白滝山は、もともと修験者の修行の場でした。
永禄12年(1569年)因島村上水軍6代当主、村上新蔵人吉充が布刈瀬戸の見張りどころとして観音堂を建立したと伝えられています。

江戸時代後期、重井の豪商 柏原伝六(1780~1828年)が、神道、儒教、仏教に加え、当時禁制の基督教の四大宗教の共通理念を基礎に『一観教』を開き、白滝山上に清浄世界をあらわそうと、

石像群の五百羅漢を弟子 柏原林蔵や尾道の石工たちとともに刻みました。文政10年(1827年)発願し、3年後の文政13年(1830年)完成しました。

しかし伝六は、その途中、一揆を怖れる広島藩により文政11年(1828年)毒殺されました。

いま、仁王門から山頂まで大小約700体の石像仏群がところ狭しと並んでいます。山頂の展望台からは360度、瀬戸内の大パノラマを楽しめます。

その眺めのすばらしさに、歌人 吉井勇は

“白滝の山に登れば眼路広し
島あれば海 海あれば島”

と詠んでいます。(因島観光ナビより)

  

チェックポイントは、因島フラワーセンター。以前は、ここでお弁当などを販売していましたが、今回は飲み物とキャンディの接待。

 

因島の花は、除虫菊です。キク科に属する多年草で、60㎝程度に伸びこの先に白い花弁が一列に並んだ花が咲く除虫菊は1983年(昭和58年)に旧因島市の花に制定されました。

かつて因島のトレードマークだった除虫菊は蚊取り線香等の原料として栽培され、5月になると島を真っ白にうめつくしていました。
しかし、化学薬品の普及により、産業としての栽培は終了し、現在は、鑑賞用として島内5カ所で栽培され、広く島民に愛されています。(因島観光ナビ)

確か、和歌山県海南市も除虫菊の産地だと記憶しています。

  

フラワーセンターからは急坂が続きます。道路の端の畑には、イチジク、柑橘類が栽培されています。

  

因島大橋まであと2km。因島アメニティ公園には、「因島ザウルス」がいます。

  

因島アメニティ公園から因島大橋まで長い上り坂です。

 

因島大橋は、因島と向島を結ぶ1270mのつり橋。

 

橋は、2階建てになっており、1階が自歩道、2階が車専用になっています。

 

  

 

今日は非常に暑く、飲み物を飲んでもすぐ喉が渇きます。自販機でコーラを買い一気飲みです。 

 

 

14:50 渡船場に着きましたが、惜しくも前の船が出た後でした。約10分待ち尾道にゴールしました。

 

 

案内書にも書いてありましたが、尾道会場では、更衣室がありません。コロナ対策で大変なことはわかりますが、汗臭い服で帰るわけにはいきません。

仕方ないので駅のトイレで着替えをしました。

このあと尾道から福山まで山陽線、福山から新幹線で博多に帰りました。

 

 

 


第20回瀬戸内しまなみ海道スリーデーマーチ2日目「3日間縦断コース20km」(愛媛県今治市~広島県尾道市)

2022-10-06 16:33:54 | オールジャパンウオーキングカップ

10/1(土)しまなみスリーデーマーチ2日目「3日間コース20km」(伯方~瀬戸田)

8:00 今治駅前発のバスで2日目スタート地点の伯方島(はかたじま)会場へ。

今日のコースは、伯方会場~大三島橋~多々羅しまなみ公園~多々羅大橋~サンセットビーチ~瀬戸田会場ゴールの20km。

今日もいい天気で暑くなりそうです。

 

2日目の受付を済ませ8:50ウォーキング開始。

 

歩いていると、左側に大きな造船所があります。「しまなみ造船」といって、今治造船のグループ会社です。

 

しまなみ造船を過ぎると坂道です。道路の端には、「山ぶどう」「野ぶどう」があります。似た名前ですが、山ぶどうは食べれますが、野ぶどうは、食べれません。

  

大三島橋に向かいます。

 

 

大三島橋は、アーチ状の橋で全長328m。伯方島と大三島を結んでいます。

 

大三島橋で埼玉から参加の〇西さんと一緒に歩きます。

 

 

大三島は、村上海賊が本拠地とした芸予諸島の中で最大の島であり、島内には、村上海賊が氏神として崇めた大山祇神社があります。

大三島橋から多々良大橋に向かいます

  

多々羅大橋手前の多々羅しまなみ公園がチェックポイント。今日は11時から間寛平さんがここに来られるそうですが、先を急ぐためパスします。

 

 

多々羅大橋までの長い坂道。

 

中央は、しまなみドーム。隣には「三島の湯」もあるそうです。

 

多々羅大橋は、大三島(今治市)と生口島(いくちじま)(尾道市)を結ぶ1480mの斜張橋です。橋の中央が県境になっています。

 

橋の途中に「鳴き龍」がありました。手を強くたたくと反射してきます。

 

橋の中央が愛媛県と広島県の県境です。

 

橋の下には、遊漁船が・・・・

  

 

 

橋を渡るとレモンが迎えてくれます。

広島県南東の島しょ部を繋ぐ「しまなみ海道」のほぼ中央部に位置する瀬戸田町は、生口島・高根島の2つの島からなり、日本一の国産レモン生産地として有名です。
レモンが食卓に並び始めた時代から島の生産者が連携・協力し、美味しさはもとより安全面にも配慮したレモンの栽培に取り掛りました。現在では「瀬戸田レモン」としてブランド化し、

その品質の高さから全国各地の食料品店や飲食店からも好評をいただいております。
また島内ではレモンの生産だけでなく、みかんをはじめ、ネーブルオレンジ、不知火、はるか、はるみ、せとか、八朔や甘夏など、さまざまな柑橘類が生産されています。

柑橘類の収穫期である、秋冬~春にかけて瀬戸田町を訪れると色鮮やかに実をつけた柑橘畑の風景を目にすることができます。

 

 

 

 

多々羅大橋を下ると海岸沿いの道になります。

  

サンセットビーチで休憩。別名サンセットレモンビーチ。全長800mを誇る海浜は遠浅で波が穏やかで、「日本の水浴場88選」にも認定され、瀬戸内海の四季の景色、美しい夕日が見れる

スポットであり、心が癒されます。

 

  

瀬戸田港の手前から旧道に入ります。入るとすぐ大きな旧家が見えてきます。これは、旧堀内邸で現在、「旅館AZUMI SETODA」です。

堀内家は、海運業、製塩業を手掛け、この建物は、明治初期(1876年頃)に建てられたそうです。

  

しおまち商店街 瀬戸田は、生口島の中心地で古くから港町、門前町として栄え、塩田業が盛んで内海航路の重要拠点として賑わっていました。

  

  

13:15 今日のゴール瀬戸田会場にゴールしました。

 

予約していたバスは、15:30。早めのバスに変更をお願いしましたが、変更はできないということで、瀬戸田の耕三寺、平山郁夫美術館を見学しようと思いましたが、

入場料が耕三寺1400円、平山郁夫美術館が1200円と高めです。スリーデー参加者には、割引がないのか問い合わせますが、ダメでした。

15時近くまで会場にいて、バスの乗客が少なくなってきたのでまた交渉してみると、予約者が優先で若し空席があれば乗車できるとのこと。

15時のバスは、乗車人数20名弱です。散々断られたのにこれって何のための予約でしょうか?

以前は、ゴールしたらバスが待っていて定員になったら発車していました。次回からこのバス時間の検討をお願いしたいと思います。

 

 

 

今日のGPS