菖蒲も今が盛りなのでしょうか?
あちこちで咲いています。
昨年までは、あるSNSで「菖蒲で勝負」などと言って東西に分かれそれぞれの菖蒲の名所を
紹介しました。そのSNSが閉鎖になり今年はこの対決がないかな?と思ってましたら
東軍の方から「菖蒲で勝負」の挑戦状がきました。
勿論西軍としては受けてたちます。

さて、こちらの菖蒲は、福岡福間・宮地嶽神社の菖蒲です。
西軍として申し訳ありませんがこちらの菖蒲は「江戸系」です。
菖蒲は江戸系、肥後系、伊勢系などがありどう違うか私にはわかりません。
宮地嶽神社の創建は約1600年前にさかのぼるといわれる。
息長足比売命(神功皇后)が、三韓征伐の前にこの地に滞在し、宮地岳の頂に祭壇を設け祈願して船出したのが始まりといわれる。(神社説明文より)
今では商売繁盛の神様としてお正月の初もうでにはたくさんの方がお参りにこられます。
また、この神社の注連縄は日本一だといわれています。

宮地嶽神社の横の方には「民家村」があります。
合掌造りの家や藁ぶきの家もあります。
こちらでも菖蒲が咲いていました。
宮地嶽神社から出て右折します。
30分ぐらい歩きますと「津屋崎」に出てきます。
この津屋崎は平成の大合併で福間町と一緒になり「福津市」になりました。
津屋崎は江戸期~明治にかけては海上交通の要所や塩田で栄えました。
ただ、鉄道の駅が福間に出来ると陸上交通が主流になり福間がここの中心部になってきました。
この津屋崎は今の国民健康保険の基礎となった制度「定札制度」というのがありました。
宗像医師会のHPを見ると
「この宗像地方を中心に、200年ほど前より「定礼(又は常令)」と言う医師と患者の組織が出来ました。
この制度は、「患者と医師の信頼関係で、お互いに助け合って行こう」と言う独特の医療互助組織でございます。すなわち住民は、日々の所得に応じて、医師に金品を提出する代わり、医師は、患者が出ると必ず診察しなければならないというものでした。」
国民健康保険が出来るときには視察団がこの地に来たそうです。

そういえば2年前唐津街道を歩いた時「畦町」あたりでこの制度を作った方の銅像があったなと
今思い出しました。高村翁だったかな?
「津屋崎千軒」は芦屋千軒、関(下関)千軒などと同じく商家が千軒もあったといわれています。
残念ながら大火事でその家屋が残っていませんが町を歩く。造り酒屋さん、藍物屋さんなど
当時の面影を残しています。

津屋崎千軒を過ぎると海に出てきます。

今日は天気がよくヨットや釣り人、サーファーの方などが海を楽しんでいます。
お昼もまだでしたので「夕陽館」で休憩します。
館内でお弁当も販売されていましたのでこれを買いしばし昼食休憩です。
休憩していると何か眠くなってきますね。

ゴールの福間駅まであと4km
汗を搔き搔き1時35分ゴールしました。