よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

JR採銅所駅開業100周年記念ウオーク(福岡県田川郡香春町)

2015-11-27 16:14:00 | JR九州ウオーキング

11/21(土)は、今年、開業100周年を迎えた日田彦山線「JR採銅所駅」を歩くウオーキングに参加しました。

スタートは、JR香春駅。駅からは、五木寛之さんの小説「青春の門」に出てくる筑豊のシンボル「香春岳」が見えています。

出版された時と比べ、山の形もだいぶん変わったのではないでしょうか?

   

駅前では、鉄道グッツが販売されていました。「やまぐち号」のプレートは、4万円です。

  

道の駅「香春」で休憩。

   

ウオーキングコースの横を日田彦山線が通っています。途中には撮り鉄の方がいらっしゃいます。ここのアングルがいいのでしょうか?

  

先に行きますと「60尺鉄橋」(正式名:第2金辺川橋梁)があります。

現在の日田彦山線、「小倉~添田」は、大部分の区間が私鉄の小倉鉄道が大正4年(1915年)に開業しました。この区間の最大の難所が金辺峠を貫く1,4kmの金辺トンネルと

金辺川を跨ぐ第2金辺川橋梁です。この鉄橋は、高さ、更には中央の橋脚の両端である空間が約18mの為、地元では通称「60尺の鉄橋で親しまれています。

アーチ橋の曲線に対し、第2金辺川橋梁は、直線美とともに中世ヨーロッパの城壁を思わせる石積み構造が鉄道建築物として高く評価されています。

  

  

香春町採銅所の町に入ってきました。私、採銅所という名は、ハルさんが歌っていた「筑豊の子守唄」の中で初めて聞きました。

遠賀河原で 英彦山見えるよ  採銅所から香春町  ホタル追いかけ遊んだね  そうくさ そうばい そうやろが・・・・・・ 

採銅所とは、昔、この地で銅が採れたことからそれが地名になっています。昔は、この一帯に「間歩(まぶ)」と呼ばれる銅山の坑口がありました。

間歩の中でも神間歩(かみまぶ)は、

説明文によると、香春町採銅所は、金、銅、鉛鉱などの採掘や製錬地で、官営の機関「採銅使」が置かれた所である。

奈良時代、清祀殿と「神間歩(蟹間覆ともいう)」は、銅を精錬し宇佐八幡宮へ御神鏡鋳造、奉納した所縁の地であると「古宮八幡宮御鎮座伝記」などに記されている。

それらによると、清祀殿での御神鏡鋳造に先立ち、香春岳を御神体とした「お山開き」の祭事が行われ、古宮八幡宮の神官が、山ノ神に御神酒を供え、幣帛、祝詞を捧げ、

次に摩覆の口に注連を曳き、御幣八本を立て、散米、榊葉を供え、禊を修めてそれから金銅を掘っていたということである。

「神間歩」は、その深さ、鉱壁、位置、掘り出された坑口、石塊、付近の構造等合わせて考える時、神事を行った場所と推察される。

奥壁には、祭壇らしきものがあり、千二百数十年を経た今日でも「神」をとって「神間歩」と呼称されている。

尚、神間歩の上部にも銅を掘った間歩(坑口)が数か所ある。更に三の岳周辺には、古宮、横鶴、水晶、床屋、宗丹、ズリネなど金、銅鉱山跡が多く点在している。

  

清祀殿(せいしでん)

宇佐八幡宮へ送った御神鏡を実際に鋳造した場所が清祀殿跡だと考えられています。

拝殿風の建物(写真)の屋根は板葺で、九尺間を一間とする三間四方。土間の中央には鍛冶床があった。この建物の後ろには祠と花崗岩の石柱が3基あり、

この石柱に完成した神鏡を安置していたと思われます。1956年に福岡県の文化財(史跡)に指定されました。

 

 

古宮八幡宮

 

香春岳で産出する銅を宇佐神宮の御神体(銅鏡)として奉納していたことが縁となり、同神宮の御祭神であった応神天皇、神功皇后の神霊を勧請したことに始まるとされます。

 

祭神としては豊比売命も共に祀られていますが、豊比売命は近くに在る香春神社例祭の時には香春神社へ下向し、例祭が終わると再び古宮八幡宮に戻る。

  

町の中を歩いていると玄関先に飾り物?が付けられています。何だろう

近くの人に聞くと、これは、神幸祭での幟の一部で家内安全のために付けられているそうです。

採銅所駅に着きました。

  

大正4年(1915年)開業。駅舎はモダンな洋風の装飾がほどこされています。採銅所駅は山から切り出した石灰石やセメントの原料を運び出す貨物輸送の拠点として栄えていましたが、

物流の主役が車へと移ったため貨物の取り扱いは廃止、昭和55年に無人駅になりました。

今日は、開業100周年記念のイベントが行われています。日頃は、無人駅ですが、この日は、沢山の方が来られています。

  

  

模擬店では、手打ちそばが300円で売られていましたので、いただきました。美味しかったです。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


麻生「大浦荘」~NHK朝ドラ「あさが来た」に出てくる九州の炭鉱

2015-11-25 06:19:05 | JR九州ウオーキング

11/23は、JR九州ウオーキングで「麻生大浦荘」に行ってきました。

JR天道(てんとう)駅を出発。麻生大浦荘まで約9kmを歩きます。

途中、民家の庭先で見つけた「含羞草(おじぎそう)」。1本の木から、白と赤の花が咲いていました。ねむの木によく似ていますね。

  

約1時間半で「麻生大浦荘」に到着。大浦荘は、「筑豊御三家」の一つに数えられた麻生家の別邸です。
和風入母屋書院造の邸宅は大正末期に建てられました。春と秋に一般公開されています。

ここの紅葉は、見事なんですが、今年の九州の紅葉は、やはり暖かいせいでしょうか、寒暖の差がなく色づきが悪いですね。

  

   

下記は、2012年の同時期に行った「麻生大浦荘紅葉」のデジブックです。この時は、きれいでした。クリックしてご覧ください。

 

http://www.digibook.net/d/5395adb3909fa418ac68cd1236bb1b0e/?viewerMode=fullWindow

 

JR九州ウオーキングのコースは、ここまで。

早々と大浦荘を後にし、飯塚歴史資料館に行きました。ここでは、NHK朝ドラ「あさが来た」の主人公「広岡浅子と明治時代の筑豊炭鉱」の企画展が開かれています。

残念ながら、館内は、撮影禁止でした。

  

広岡浅子(ドラマでは、白岡あさ)は、京都・出水三井家の出身で、大阪の豪商・加島屋に嫁ぎ家業を立て直し、筑豊の炭鉱経営を経て、日本女子大学の創設に尽力し、大同生命の設立に携わりました。

江戸時代末期・明治・大正の激動の時代を駆け抜けた浅子の生涯の中で強烈に印象付けるものは、筑豊の炭鉱・潤野炭鉱(ドラマでは、加野炭鉱)とのかかわりです。

明治19年(1886年)に夫の広岡信五郎(ドラマでは、白岡新次郎)は、福岡県穂波郡潤野村(現 福岡県飯塚市潤野)にあった潤野(うるの)炭鉱(ドラマでは、蔵野炭鉱)を買収し炭鉱主となりました。

潤野炭鉱は、明治16年に帆足義方が採掘を始めていた炭鉱でした。

明治初期の筑豊炭鉱は、江戸時代の福岡藩の統制がなくなり、一攫千金を夢見る旧藩士や農民、村役人たちが手がけました。その後国の政策と指導により大手資本が進出し、出炭量は増大し全国有数の

産炭地となりました。然し、当時は、新興産業で小炭鉱の多い筑豊は、群雄割拠の状態でした。明治10年(1877年)代には、600余りの炭鉱がありました。

その後、機械化が進み、大規模化する採掘には豊富な資金が必要でした。大阪や東京にも出資者を求め、浅子もそんな時代の流れに沿って筑豊飯塚の潤野炭鉱にやってきました。(以上飯塚歴史資料館の資料より)

    

さて、潤野炭鉱は、どこにあったのか、資料館の人に聞くと、現在の福岡県立嘉穂高校の敷地にあったそうです。

車を走らせ、嘉穂高校へ。

   

嘉穂高校弓道場近くに浅子の炭鉱の立坑があったそうですが、学校の敷地内ですし、許可をもらっていませんので外からの撮影です。

正門の前の墓地には、明治36年(1903年)死者64人を出した爆発事故があった慰霊碑がありました。浅子は、明治32年にこの潤野炭鉱を売却していました。

                     

飯塚には、昨年上半期の朝ドラ「花子とアン」にでてきた「伊藤伝右衛門邸」もありますし、朝ドラブームの再来ですね。

 

 

 


福岡ソフトバンクホークス日本一パレード!

2015-11-23 06:58:01 | 日記

11/22は、プロ野球日本シリーズで2連覇した「福岡ソフトバンクホークス」のパレードです。

スタートは、11時ですが、1時間前には、もうたくさんの人がパレードを待っていました。

    

10:58広報車がスタート。これからホークス日本一のパレードがスタートです。

 

 

  

  

 

  

 

パレードは、この先福岡の中心部天神を通り、大濠までの2,5kmの区間で行われました。沿道の観衆は、約35万人だったそうです。

今日(23日)は、ヤフードームでファン感謝デーが行われます。

 

 


深耶馬溪の紅葉(大分県中津市耶馬溪)

2015-11-19 15:08:00 | 日記

11/12 今日は私の〇〇歳の誕生日。私達団塊世代も、もう前期高齢者。

一年に一度の小学校の同窓会では、話題にのぼるのは、、孫のこと、年金のこと・・・・・・

それと、皆と自慢し合うのが、病院の診察券の数。お医者嫌いな私でも3枚は、持っています。この先、いくつ増えるのでしょうか?

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その誕生日の12日、紅葉を見に行こうと向かったのが「深耶馬溪(しんやばけい)」。

ここは、九州でも紅葉の名所ということで知られています。

 

耶馬溪とは、何か、Wikipediaで調べますと、

新生代第四紀の火山活動による凝灰岩や凝灰角礫岩、熔岩からなる台地の侵食によってできた奇岩の連なる絶景で、1818年(文政元年)に頼山陽がこの地を訪れ、当時の「山国谷」という地名に中国風の文字を宛て、「耶馬渓天下無」と漢詩に詠んだのが、耶馬渓という名前の起こりである。凝灰岩や凝灰角礫岩の山には風食作用や河川の洗掘作用によってできた洞窟も多い。

頼山陽が耶馬渓と命名したのは、現在単に「耶馬渓」と呼ばれている辺りだけであるが、その後周辺の渓谷についても「耶馬渓」という名称が使われ、本耶馬渓・裏耶馬渓・深耶馬渓・奥耶馬渓などと称している。

深耶馬溪の名所は、「一目八景」。

群猿山、鳶ノ巣山、嘯猿山、夫婦岩、雄鹿長尾の峰、烏帽子岩、仙人岩、海望嶺などの周囲の岩峰群が、一目で八景を一望できることから名づけられた深耶馬溪の代表的な景勝地です。

 

 

   

紅葉は、もうピークを過ぎているみたいですが、約1か月前に福島・裏磐梯の紅葉をみたせいか、どちらかというと、あまりきれいではありません。

やはり、今年は、寒暖の差があまりなかったからなのでしょうか?

  

裏耶馬溪の方に行くと、伊福の景があります。ここも紅葉の綺麗な所ですが、もう紅葉が終っているのかな?

 

お腹もすきましたので、大分名物「だんご汁」をいただきました。手作りコンニャクが柔らかくおいしかったです。

お腹もいっぱいになった所で、今度は温泉へ。

もみじの湯は、通常510円ですが、JAFカードを提示すれば、300円で入浴できます。

大自然の中で入る温泉は、実に気持ちがいいですね。

  

 

 


続『山国かかしワールド』(大分県中津市山国町)

2015-11-17 14:12:52 | 日記

先日大分県中津市山国町の「かかしワールド」に行きましたが、時間の関係上あまり見れませんでしたので

また、行ってきました。

【つや姫村】

テーマは、「お正月」

 

 【犬王丸パーク】

 

【赤とんぼ会】 (子供たちの遊び)

 

 【やすらぎの郷】

ここには、温泉施設があり、その様子がかかしで表現されています。

 

【駅前ランド】

商店街が多く、七福神があります。

【こいこい村】

こちらは、「昔の農村」風景です。

【棟上げ】

昔は、家などが建つと棟上げ式でもちを拾うのが楽しみでした。時々5円玉などもまかれていました。

  

  

2時間かけて全部のかかしを廻りましたが、何か懐かしくそのころの思い出が甦りました。

 

 この分をデジブックにしました。こちらです。

デジブック 『山国かかしワールド』


『案山子ワールド』(大分県中津市山国町)

2015-11-13 10:52:52 | 日記

山国町を車で走行していたら「案山子ワールド」の幟をみつけたので車を降り、見学しました。

驚いたことに、ここの案山子、半端ではありません。とてもリアルに造られ、遠くから見ていると人?かなと思うくらいです。

 

先ず、道の駅「山国」

  

あざみの村「村の結婚式」 。

  

 

 

大がかりな「案山子」でそれぞれ特徴が出ています。まるでドラマの設定ですね。

私が、子供のころ、結婚式は、自宅で行い、確か、このようなものだったと記憶がよみがえってきました。(紅白のおまんじゅうがもらえるのが楽しみでした)

尚、ここの案山子は、目とか鼻、口が書いてありません。見る人の印象に任せるそうです。

あざみ村「村の防火訓練

  

   

   

ミニコスモス園では、「農作業」

  

  

「かくれんぼう」

 

 

他にもこのようなものがありました。

 

 

 

 

 

時間の関係で全部の案山子を見ることができませんでしたが、私が子供の頃の「昭和」を感じる案山子でした。

この案山子ワールドは、11月末まで開催され、この時期、山国町は、人口より案山子の数が多くなるそうです。

 

 

 

 

 

 


会津若松~姫沼~郡山へ

2015-11-01 07:42:41 | 旅行

10/21 福島県最後の日。朝食後ホテルをチェックインしてすぐ向かったのが、会津鶴ヶ城

場内には、大河ドラマの「新島八重」さんの銅像が建っていました。

   

場内を歩いていると、会津藩士が・・・・・・・・

一緒に来ているMさんは、下関の人、言い換えるなら「長州」です。1868年の戊辰戦争以来仲直りの握手です。

  

 国道115号線沢尻から入った所の中の沢保育所の脇に「高原列車は行く」の歌碑があります。

 汽車の窓からハンケチふれば 牧場の乙女が花束投げる 明るい青空白樺林 山越え谷越えはるばると ララララ ララララララララ 高原列車はララララ行くよ 

これは、昭和29年、岡本敦郎さんが歌ってヒットした曲です。ここの高原列車とは、硫黄鉱石を運ぶため、大正2年~昭和44年まで営業していた「沢尻軽便鉄道」のことです。

昭和29年というと、私はまだ御幼少の頃でしたが、なぜか、この歌覚えているんです。(笑)

  

歌碑の前でKさん指揮の元皆で「高原列車は行く」を合唱しました。Kさんの奥さんは、コーラス隊に入られているせいか、高音で綺麗な声で歌われていました。

 国道115号線を更に進みます。ここには、裏磐梯紅葉のスポット「姫沼」があります。

車を止めちょっと中に入りました。

  

この「姫沼」の紅葉をデジブックにしました。こちらです。   

 

デジブック 『裏磐梯「姫沼」の紅葉』

 

会津のKさんご夫妻とは、この先のトンネル手前のパーキングでお別れ。

Mさんご夫妻と私たちは、帰るため郡山駅へ向かいます。

途中のPAでは、吾妻連峰、安達太良山を見ることが出来ました。

  

今日(21日)のGPSです。

郡山駅でレンタカーを返しましたが、3日間の走行距離は500kmを越えていました。

あっと言う間の3日間の磐梯の旅でしたが、この旅を企画していただいたKさんには、大変お世話になりました。

お陰様で大満足です。

Kさん本当に有難うございました。