よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

サタデーウォーク「大橋界隈を歩く」(福岡市南区)

2023-08-28 16:27:15 | ふくおかウォーキング協会

8/26(土)ふくおかウォーキング協会サタデーウォークは、「大橋界隈を歩く」でした。

福岡地方、8月末になってもまだまだ暑いです。この日も34~35度という予報が出ています。いつになったら初秋になることやら・・・・

集合場所は、西鉄大橋駅。参加者24名。やはり暑いからか参加者が少ないです。

現在西鉄大橋駅周辺は、南区に位置し、福岡市中心部天神まで電車で7分という立地条件から周辺には、大学もあり、商業施設も充実しており、福岡でも住みやすい街のベスト3に

入っています。もともと大橋地区は、那珂川河口付近に形成された農業地帯でした。近隣には、野間大池や野多目大池などの灌漑用のため池が現在も点在しています。

「大橋」という地名の由来は、高宮~井尻の旧道と老司川井堰から用水路大溝(老司川)が交差する場所には、当時「大庭大橋」があり(現在は暗渠)この橋が「大橋」の地名の

由来といわれています。

9:30 西鉄大橋駅をスタート。

 

県立筑紫丘高校は、福岡出身タレント「タモリ」さんの母校です。

 

 

このあたりは、九州電力の関連会社の社屋があります。

 

塩原中央公園で休憩

  

塩原中央公園には、「潮煮塚碑」があります。「塩原(しおばる)」という地名は、この「潮煮塚」から由来したそうです。

  

塩原小学校の校歌の2番の歌詞に歌われている

   ~博多の命 那珂川や  歴史を語る潮煮塚 筑紫文化の跡めぐり・・・~

  この潮煮塚というのが、地名の由来だそうです。


続風土記によれば「塩原の由来は、汐原、潮煮塚にあり。この辺まで潮来たり」とあります。その昔、塩原地区は海岸で、海水を煮つめて塩を作っていた場所だったそうです。

その跡地に塚を造り、潮煮塚と呼んだそうですが、潮煮塚の遺跡の場所については色々な説があり分かっていません。 

平成16年(2004年)には、地域の方々の熱い想いが実り、塩原中央公園内に潮煮塚の石碑が建てられました。

碑文には、

(図:鎌倉時代に画かれた博多古図の絵馬 住吉神社収蔵)
塩原の由来は、筑前国続風土記などによると、汐原、潮煮塚にあり。いにしえは、このあたりまで潮来たり、潮を焼いた所と言われ潮煮塚を建てたとある。
塩原の地名もこれによっての名なりと言われている。
また、潮煮塚は風土記附録によれば、六地蔵潮煮塚の西三丁往還の側高き所に在りと記されている。
塚の場所は不詳であるが、ここに潮煮塚の跡として記念碑を建立する。

平成16年(2004年)6月 塩原・清水有志の会 と書かれています。
 
現在は、海岸から4~5kmぐらい離れた塩原も、当時は、冷泉津という入江に面した河口でした。
   
 
   
 
 
 
   
 
お昼近くなり、気温も上昇してきました。熱中症の心配もあり、今日はららぽーとガンダム像の前がゴールです。
 
 
今日のGPSです。
 
 
 
 

 

 

 

 


楽しいウォーク「目指せ!自然あふれる志賀島・金印公園」(福岡市東区)

2023-08-25 16:45:04 | ふくおかウォーキング協会

8/23(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「目指せ!自然あふれる志賀島・金印公園」でした。

集合場所は、JR香椎線西戸崎駅、参加者は、29名でした。

9:30スタート。今日は薄曇りですが、湿度が高く蒸し暑いです。

西戸崎は、かつて米空軍基地があり、現在基地の面影は残っていませんが、女優マリリンモンローが慰問に訪れたこともありました。

 

西戸崎神社は元々,本町(現在の西戸崎一丁目六番地付近)の豊島進氏宅,東隣に鎮座していた祇園社となる。これは大正8〜9年当時シベリア出兵に際し,武運長久祈願のため,宮地嶽神社,箱崎宮,香椎宮などに参拝していたものの,交通不便などの理由から当祇園社を現在地に祀ったことに始まるとされる。昭和28年(1953年)頃,地元民が心のよりどころとして西戸崎神社創設の話が持ち上がり,昭和28年11月に御霊を遷座するなどして現在の形に至ったという。

 

海中街道を通り、ホームセンターで休憩

 

海中街道から大岳海岸の方に向かいます。

 

 

 

木陰で休憩。熱中症予防のためしっかり給水します。

金印ドックに書かれている「へっぱく」とは、博多弁で屁理屈のことを言います。

  

 

海の中道です。海の中道は、志賀島と九州本土を結ぶ「砂洲」です。この中道を挟んで右側を玄界灘、左側が博多湾です。普通は、玄界灘の方が波が高いのですが、今日は凪いでいます。

今年の大雨で流れ着いた流木の片づけが行われていました。

 

志賀島から志賀海神社に向かいます。参道には、福岡出身博多華丸・大吉さんお薦めの「中西食堂」があります。名物は、サザエ丼です。曙丼というのは、お相撲の曙関用に

大盛りのサザエ丼です。

その先には、干物の名店上野商店があります。

 

志賀海神社は、古来より「海神の総本社」「龍の都」と称えられ、玄界灘に臨む海上交通の要衝である博多湾の総鎮守として志賀島に鎮座し、信仰されている志賀海神社は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)の禊祓によってご出生された綿津見三神を奉祭しています。綿津見三神とは、(左側が古事記、右側が日本書紀)

  • 底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)/底津少童命(そこつわたつみのみこと)
  • 中津綿津見神(なかつわたつみのかみ)/中津少童命(なかつわたつみのみこと)
  • 表津綿津見神(うわつわたつみのかみ)/表津少童命(うわなかつみのみこと)

 

 

 

神社の手水舎には、「サギ草」が植えられていました。

 

志賀海神社は、「阿曇一族」のルーツと考えられています。綿津見(わたつみ)→あづみ(阿曇・安曇・安住・・・・)という風に呼ばれたからでしょう?

阿曇一族は、海洋族で主に大陸などと交易をしていました。仲哀天皇・神功皇后の三韓出兵の際にも先鋒を務めていました。

ところが、6世紀の筑後磐井と大和政権が対立し磐井の乱が勃発しました。この時磐井側に加担していましたので本拠地を失い各地に移住しました。

長野県安曇野に移住したのは、ヒスイがあったからだと推測されています。

  

志賀海神社から市営渡船場に戻ってきました。コースでは、ここから約1,5km先の金印公園(往復3km)に行くのですが、この暑さで参加者の皆さんバテ気味です。

今日は、ここでゴールになりました。

 

今日のGPSです。

 

 

 

 

 

 

 


8月例会「飯塚健幸広場を訪ねて」(福岡県飯塚市)

2023-08-20 15:59:12 | ふくおかウォーキング協会

ふくおかウォーキング協会は、1か月の夏休みを終え、8/19(土)の8月度例会から再開しました。

この休みの期間中、私は、坐骨神経痛に悩まされ、整形外科や整骨院に通う毎日でした。おかげさまで今では座ってすぐ立ち上がるときに少し痛みが出ますが、ほぼ完治しました。

本題に戻ります。飯塚市は、平成31年(2019)「飯塚市が目指す健幸都市の将来像をすべての人が健康でいきいきと笑顔で暮らせるまち」として健幸都市を宣言しました。

本町商店街にある「健幸プラザ」は、建物面積626.72平方メートル。多目的室、トレーニング室、シャワー室、更衣室、パウダールーム、福祉型トイレを備えた健康増進・維持を目的と

した施設です。

この日の会場は、飯塚市。飯塚市は福岡県の内陸部に位置していますので夏は暑いです。この日も最高気温が36度の予報です。

集合場所は、JR新飯塚駅。参加者は、暑さのせいか、22人でした。

9:30ウォーキングスタート。

 

寺山古墳は、川島古墳と同じく古墳時代に飯塚一帯を支配していた権力者によって作られた古墳です。約1500年前の遺跡です。

 

川島八幡宮は、由緒など書かれていませんが、八幡宮という名から応神天皇、神功皇后などが祀られています。

ホームセンターで休憩。店内に入ると冷房が気持ちいです。

この日のスタッフは、熱中症予防のため、給水タイム、休憩を多くとってくれます。

 

休憩後再スタート。

 

遠賀川を渡り、飯塚緑道へ。暑いときは、この木陰が最高です。

 

 

飯塚緑道から本町商店街へ。ここは、旧長崎街道です。

  

本町商店街では、飯塚高校駅伝部の部員が練習していました。アーケードがあるので直射日光が当たらないので練習にはいいかも。(逆に言うと商店街に人が少ないから練習できるのかな)

 

長崎街道はシュガーロードとも呼ばれています。砂糖が長崎に入ってきて街道沿いの宿場には、外国由来のお菓子が流入し独特の食文化が花開きました。

現在でも九州のお菓子として有名な「千鳥饅頭」「ひよこ」「なんばん往来」などは、飯塚で作られたものです。

 

飯塚コミュニティセンターで休憩。

 

休憩後再スタート。

嘉穂劇場は、2021年飯塚市に譲渡され、現在建物の改修などで休館しています。

遠賀川河畔にやってきました。

河畔には、柳原白蓮の歌碑があります。

 

 

柏の森(かやのもり)を通り、ゴールの新飯塚駅へ。

11:27 ゴール! 今日のウォーキングは、スタッフが休憩を何回もとってくれたおかげで熱中症にもならず無事全員ゴールしました。

今日のGPSです。少しだけショートカットしました。

 


友を偲ぶ会

2023-08-07 07:50:08 | 日記

8/6(日)は、今年6月急死した同級生を偲ぶ会を昔の仲間6人で行いました。

  

彼とは学生時代のゼミの仲間で知り合ってもう五拾数年になります。

根っからの面倒見がよく、誰からも好かれる人で卒業後、旅行会社に就職しました。

今でもこの仲間と交流があるのは、彼のおかげだと思っています。

結婚後、住居を鹿児島に構えましたが、それでも福岡に出てきた時には、食事に行ったりしていました。

リタイア後は、水泳、山登り、ウォーキング、旅行と多趣味を楽しんでいました。

私とも、毎年1月に行われる指宿ツーデーマーチ(コロナで開催されない時もありましたが)を一緒に歩きました。

今年も1日目の20kmを歩きました。

5月末ごろLINEをしましたが、一向に「既読」にならず、(彼の性格からすぐ連絡が来るのですが・・・)どうしたんだろうと彼の奥様に聞くと、入院して集中治療室に入っているとのこと。

びっくりして、面会に行こうかと思いましたが、この時世、面会は家族のみとのこと。

何とか、助かってほしいとの願いもむなしく、6月9日旅立ってしまいました。

こんなに早い別れがくるなんて想像できませんでした。今、思えば指宿の時、もっともっとお話ししておけばよかったのに・・・・

ご冥福をお祈りします。    合掌