「尾道」と一言でいうと、坂の街、文学の街、映画の街、そしてお寺の街。
尾道は、戦火を免れたため、西の小京都とも呼ばれ、いまでも大小のお寺が存在しています。
この尾道の「古寺めぐり」をしてみました。駅前の観光案内所でお寺の地図をもらい、古寺めぐりに出発です。
先ずは、延命祈願の「持光寺」(じこうじ)へ。
石の山門は、別名「延命門」と呼ばれます。開運長寿を念じながら、この門をくぐり、ご本尊、五劫思惟、阿弥陀如来に手を合わせ、すべてをおまかせすれば、除障、延命、現生安穏、後世安楽は疑いなし。(パンフより)
尚、境内には、黄色の花を咲かせている「小葉のセンナ」(カッシャ)や「小紫」それに、中国原産の「旱蓮木(かんれんぼく)」(喜樹)が咲いていました。
光明寺
平安時代初期の創建。備後時の古刹として有名。また、瀬戸内水軍ゆかりの寺でもあります。境内には、蟠龍の松があります。
宝生寺
寺の一角にある「吉備津彦神社」は、尾道のお祭り、「ベッチャー祭り」の祭神になっています。寺の山門の屋根には、模様かな?と思いましたが、植物が生えていました。なかなか趣があります。
尾道は、猫の街でもあります。坂道を歩くと、どこからともなく猫が現れます。エサでもねだっているのかな
坂道を歩いていると「猫の細道」などもありました。招き猫美術館たるものもあるそうです。いずれにしろ、猫好きの方には、たまらない場所でしょうね。
私?、どちらかというと、猫より犬の方が好きです。
尾道には、坂がつきものです。よく撮影スポットになっている場所です。
尾道文学館というのがあります。尾道出身の方は、放浪記の「林芙美子」を始め、怪傑黒頭巾の「高垣眸(たかがきひとみ)」、緑の地平線の「横山美智子」さんなどがおられます。
「緑の地平線」は、映画になったそうですが、このときの主題歌は、私も知っております。古賀メロディです。
なぜか忘れるひとゆえに 涙かくして 踊る夜は~ ぬれし瞳に すすり泣く リラの花さえ 懐かしや
高垣眸の「怪傑黒頭巾」は、名前は、知っていますがテレビや映画などでは見たことがありません。
古寺めぐりに戻ります。
尾道の観光案内によく出てくるのが、天寧寺(てんねいじ)の三重塔。本堂入って左に祀られている賓頭盧さんは、地元の方に「さすり仏さん」と慕われており、自分が患っている場所と同じ場所を撫でると治ると言われていることから、
病気平癒祈願の寺と言われています
千光寺(せんこうじ)。千光寺山よりまちを見守る尾道のシンボル的存在。艮神社の所からロープウェイも出ていますが、歩いて登りました。
舞台造りの本堂からは眼下に尾道水道、遠くには四国連山まで一望。「日本の音風景100選」に選ばれた鐘楼や、光る玉が海を照らしたという伝説の「玉の岩」もあります。
寺院は、「恋人たちの聖地」にもなっており、韓ドラのロケ地にもなりました。NHK朝ドラ「てっぱん」に出てきた「鼓石」もありました。
妙宣寺 文和3年(1354)、大覚大僧正妙寛の開基と言われています。本堂の裏手には熱心な日蓮宗徒でもあった加藤清正公を祀る「清正堂」があります。
慈観寺 江戸時代、天保の大飢饉の際、尾道にも困窮の難民が多く出たが、当時の町年寄橋本竹下は、その救済策として本堂の改築を発願し、天保5年(1834)工を起し天保8年(1837)に竣工したのが現在の本堂です。
竹下は、この工事に難民を人夫として雇用し、尾道では、一人の餓死者も出さなかった。またこの寺は、桜の終わった後、境内一面に牡丹の花が咲き乱れ、通称「牡丹寺」と呼ばれています。
境内には、他にも「夫婦松」もあります。
大山寺(たいさんじ)日限地蔵本尊前の左右六体の地蔵尊(一体5~12kg)は、別名「重軽地蔵」といい、日を限りに日参し、一心に願い事を念ずれば、心願成就の暁には、軽々と上がって下さるといわれる。
志望校に合格祈願の参拝の方が多くみられるそうです。
西国寺 山門には、大小の草鞋があり、往古より剣客の寺として老若男女の参拝が多い。私達も山陽道を歩いた時、ここで健脚のお参りをしました。
その時は、本堂奥にある三重塔まで足を延ばしました。
福善寺 天正元年(1573)行栄法師の開基の仏閣。長い参道を上ってゆくと、「ええもんは福善寺」と童唄にも残る立派な彫刻の山門があり、扉には精巧な鶴丸、頭上には力強い龍が踊っています。
門を入った境内一面に枝を広げているのが、尾道の三名松の一つで市の天然記念物の「鷲の松」です。
袴腰(はかまごし)鐘楼は、全国でも珍しい鐘楼です。
浄泉寺 天文12年(1543)創建の仏閣。すばらしく大きな屋根の上には、畳16畳敷くらいの鬼瓦をのせています。
本堂前の水盤銘文は頼山陽の筆で盤をささえている「天邪鬼」の石像は当時の石工の技がしのばれます。
前述の山陽道歩いた時もこの大きな屋根にはびっくりしました。
浄土寺 616年、聖徳太子の創建と伝えられるています。足利尊氏が九州平定や湊川の戦の際、戦勝祈願をした寺としても有名です。
七佛めぐりでは、勝負に勝つ!必勝祈願のお寺になっています。
「本堂」「多宝塔」は国宝、「山門」「阿弥陀堂」は国重文、境内一帯は国指定文化財に指定されています。
奥庭には伏見城から移築したといわれる茶室 「露滴庵(国重文)」が寂然と建っています。
また「奥の院(浄土寺山展望台」から見下ろす尾道の風景は尾道を代表する風景の一つです。参道には、姿三四郎のモデルになった西郷四郎の像があります。
海龍寺 この寺は、鎌倉時代には浄土寺の曼荼羅堂と呼ばれていました。
正中2年(1347)に炎上後、直ちに再建され、寛文2年(1662)には現在の名に改められました。
山門を入った右側には江戸時代の人形浄瑠璃家「文楽」「竹本弥太夫」の墓があり、「お経の塚」に触れることで技芸が上達すると言われています。
境内には、文化七年(1810)の小屋主・植村文楽軒之墓と文政三年(1820)の初代竹本弥太夫の墓がある。
江戸末期、尾道の浜問屋の旦那衆が、大坂から文楽師匠を招いて余暇を楽しんでいて、師匠の死後、追善供養のため建てたものである。人形浄瑠璃に因み、右側のお経塚を撫でながら念ずることで
参拝者の持ち前の才能が開花するといわれている。
尾道はお寺町として有名です。貿易が栄えた当時、裕福な貿易商の投資で多くのお寺が建てられました。25のお寺は隣接しており、寺から寺へと移動できるルートがあります。
この日は、急ぎ足で駆け回りましたが、それでも3時間は、かかりました。