よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

『見返りの滝と紫陽花』

2011-06-28 09:07:41 | お花
九州の紫陽花もそろそろ盛りを過ぎようとしています。
6月26日、今年最後の紫陽花見学と称し、佐賀県唐津市「見返りの滝」に行ってきました。
ここは、男性的な滝と女性的な紫陽花の組み合わせがマッチしており、シーズンとも
なれば近隣から観光客の方がやってこられます。
20年前までは数株の紫陽花しかありませんでしたが、今では50種4万株の紫陽花が
咲いています。


デジブック 『見返りの滝と紫陽花』




九州観光マスターの合格証が届きました

2011-06-24 05:00:00 | その他
今年3月に受験した「九州観光マスター」は何とか合格することができました。
2月にこの検定試験を知ってテキストをすぐ発注し、テキストが着たと同時に
受験料を払い込みました。
それから1ヶ月間テキストを読みましたが、九州の観光地の地名なんかは
だいたいわかりますが、観光のプランニングという所はさっぱりわかりませんでした。
試験の後自己採点しましたが、合格点の70点いくかどうかでした。

商工会議所からの通知には、私の点数81点でした。
自分でした自己採点よりもはるかに上の点数でした。

これが合格証です。


4年ほど前から、趣味にウオーキングを加え、九州全県や近くの県などに
ウオーキングしてきたからではないでしょうか。




合歓の木の花が咲きました。

2011-06-23 05:00:00 | お花
朝は、近くの公園をウオーキングするのが日課です。
公園の木々や花で四季を感じています。

この時期は、くちなしの花と合歓の木の花を注意して見ています。
昨日は、合歓の木に花が咲いていました。

合歓の木というと
皇后陛下が高校生の頃作られた「合歓の木の子守唄」というのがあります。
     ♪ねんねの 合歓の木 眠りの木
      そっとゆすった その枝に
      遠い昔の 夜の調べ
      ねんねの合歓の木 子守唄

確か、吉永小百合さんが歌われていたのではないでしょうか?

合歓の花は、2番の歌詞にもあるように薄紅の色の花です。
遠くから見ると上の部分が赤く染まっています。





この合歓の木は、夜になると葉っぱが縮み、まるで寝ているようになります。


花言葉は、「歓喜」です。

  


夏至から「二見ヶ浦の夕陽」

2011-06-22 05:00:00 | 自然観察
今日6月22日は「夏至」です。
この日は、太陽が最も北に位置する日です、
北半球では太陽の南中高度が最も高くなり昼間が長く夜が最も短い日です。

(撮影H23.6,20 19:21)

(撮影H23.6.21 19:09)
地平線には厚い雲があります。


夏至の頃、伊勢志摩の二見ヶ浦では、岩と岩の間から朝日が昇ります。
その朝日が福岡・糸島海岸の二見ヶ浦の岩と岩の間に沈んでいくんです。
毎年その模様を写真に撮ろうと夕方になると糸島海岸まで出かけています。
20日も行きましたが地平線に厚い雲があり、写真が撮れませんでした。
昨年なんか、7月2日にやっと撮れた次第です。

写真は昨年7月2日の分ですが、
夕陽が岩と岩の間に沈んでいきます。

(H22,7.02  19:15)

(H22.7.02  19:22)

(H22.7.02  19:28)

(H22.7.02  19:31)

にあんちゃんの里(佐賀県唐津市)

2011-06-18 13:58:29 | 歴史
先日長門裕之さんが亡くなられました。
長門裕之さんというと私が小学生の頃の映画「にあんちゃん」に長男役で
出演されていました。
「にあんちゃん」は、てっきり筑豊の炭鉱を描いている作品だと思っていましたが、
佐賀県の肥前町「杵島炭鉱・大鶴鉱業所」だったんですね。

「にあんちゃん」は、両親を亡くした子どもが兄達と懸命に生きる姿を描いており、
子供の頃、読んでいて涙がこぼれたことを思い出します。


その大鶴炭鉱に「にあんちゃんの里の碑」が建っている
ということで行ってきました。

唐津中心部から車で約30分、近くには豊臣秀吉が朝鮮に出兵した時の陣、
名護屋城跡があります。

(現在の大鶴地区)
炭鉱最盛期には、4000人ぐらいの人が暮らしていて映画館や病院なども
あったそうだ。

今はその面影もない。人口も50人ほど。
田んぼの中にひっそり「大鶴鉱業所坑口跡」や、石炭の積み出しに使った
桟橋などがあるぐらいです。



当時の石炭積み出し桟橋

現在の桟橋
その炭鉱跡に2001年秋、作者の安本末子さんの同級生達が資金を出し合い
「にあんちゃんの里」の碑を建てました。

その「にあんちゃん」の作者の安本末子さんも還暦祝いに2003年この地を
42年ぶりに訪れています。

宝珠山へ蛍鑑賞ウオーキング(福岡県東峰村)

2011-06-08 16:23:37 | ウォーキング
6/4、JRウオーキングで宝珠山蛍鑑賞ウオーキングに参加しました。
昨年もこのウオーキングに参加し、沢山の蛍に会え大満足だったので
今年は、この蛍の乱舞を写真に撮りたいと思い、三脚、デジイチを持っての参加です。
集合場所は、JR日田彦山線の宝珠山駅
この駅は、ホームに大分との県境があるという九州でも珍しい駅です。




夕方6時半、ウオーキング開始。
田植えが終わった棚田を歩きます。
この風景、やはり日本人でしょうか、妙に落ち着きます。
水田の蛙の合唱を聞きながらのウオーキングです。

宝珠山は、昔炭鉱がありました。
江戸時代に石炭が発見され、明治45年筑豊の炭鉱王の一人、「伊藤伝右衛門」が
本格的に炭鉱経営に乗り出しました。
この炭鉱はそれから経営が変わり昭和38年まで採掘されていました。


炭鉱跡地には、東峰自然公園が作られています。
その一角には、「ひびき館」が建てられています。
これは、飯塚の伊藤伝右衛門邸の一部を移して炭鉱クラブになっていました。
中に入ると、筑豊炭鉱の歴史や伝右衛門の奥さんの「白蓮」のものも展示されています。



このひびき館の横には、展示場になっており、「高倉健」さんの展示がされています。
高倉健さんと宝珠山炭鉱・・・・・どうみても結びつきませんが、
健さんのお父さんはこの炭鉱で労務の仕事をされていました。
健さんは、学校の夏休みなどには、中間市からお父さんの職場に遊びに来ていたそうです。

展示場には、健さんの映画のポスターが一杯です。
私は、学生時代から健さんの大ファンで、よく講義をさぼっては、健さんの映画を
見にいっていました。
スクリーンに健さんが出てくるとどこからともなく「健さ~ん」と言う声と
拍手があったのを覚えています。
健さんのこととなるとつい夢中になり、時間もあっという間に経ってしまいます。
健さんは昭和6年生まれですので今年80歳。
いつまでもお元気でいていただきたいです。

会場を出るとあたりはもう薄暗くなっています。
日田彦山線のコンクリートのめがね橋を過ぎ、ようやく蛍まつりの会場に到着しました。

夜の8時を過ぎると蛍が飛び回っています。
すぐ、三脚とデジイチをセットし撮影開始です。
蛍の撮影はなかなか難しいです。
そのうちのこれなんか、どうでしょうか?



蛍は、近くを飛び回っています。LEDみたいにとても明るいです。
手を出してみるとその中に蛍が入ってきます。
何か童心にかえったみたいです。
こういう時って時間があっという間に過ぎていきます。
時計を見ると9時を廻っている。
ゴールの受付が9時までですので今から歩いても間に合わない。
おまけに夜の道、暗くて歩きにくい。
残念ですが、ここでリタイアすることにしました。
それにしても蛍の乱舞が見られて最高でした。
また来年も来たいな~。





梅の実収穫

2011-06-06 16:17:33 | 自然観察
我が家の梅の木に梅がたくさんなった。
明日から雨の予報。


従って今日梅の木に登り梅の実をちぎった。
我が家の梅は南高梅、肉質が厚く梅干にはもってこいだ。
2時間近く木に登り、大体ちぎってきた。
秤にかけると約27kgもあった。
勿論、梅干にします。