よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

クリークの里三瀦へ下見(福岡県久留米市三瀦町~福岡県三瀦郡大木町)

2022-07-29 17:19:35 | ウォーキング

7/28(木)

9月の担当ウォーキングコース「クリークの里三瀦」へ下見に行ってきました。

この日久留米市は、最高気温が36度になる予想ですので我が家を5時半に出発して7時に西鉄大善寺駅をスタートしました。

このコース本来は、今年の2月の例会でしたが、コロナの為例会が中止になり、9月のサタデーウォークに組み入れられました。

その時の下見は、昨年12月3日に行いましたが、もう忘れていましたので個人で下見を行いました。

 

約1時間で水沼の里記念公園に到着。

 

気温もどんどん上昇しています。暑いので木陰の道を歩くとほっとします。

 

山の井川を渡ると三瀦郡大木町です。

  

スタートして約2時間でクリークの里石丸山公園に到着。 

大木町は、日本屈指のクリーク地帯で町の総面積の約14%をクリークが占めています。

石丸山公園は、先人が築いた農耕文化遺産をできる限り自然のままに整備保存し、そこに棲む魚、野鳥、昆虫、水辺の植物等を保護しながら人と生物がふれあえる自然観察園として活用するとともに、町民の憩いの場となっています。
広場には、芝生が敷き詰められ、滑り台などがあります。また、敷地内にある資料館では、クリークに関わる昔の道具などを展示しています。

  

石丸山公園の横が、ゴールの西鉄大溝駅です。10時ゴール。

今日は、朝早くから歩き始めましたが、もう汗びっしょりです。

体力回復するため、当地の有名なうなぎ屋さんに行ってきました。

 

お店に入ったのは、11時ごろ、食べて帰ろうとすると平日なのにもう30人ぐらい待たれていました。

 

 

 


楽しいウォーク「自然と歴史の町須恵町を歩く」(福岡県粕屋郡須恵町~宇美町~志免町)

2022-07-22 12:19:48 | ふくおかウォーキング協会

7/20(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「自然と歴史の町須恵町を歩く」でした。

集合場所は、JR須恵中央駅、参加者は、36人。

須恵町は、古墳時代に須恵器が当地で生産されていたことに由来します。江戸時代1764年には、福岡藩の御用窯が設置されましたが、明治時代に廃止されました。

明治から昭和にかけては、海軍炭鉱がありました。

また、江戸時代から現在に至るまで、須恵には岡(高場)眼科(須恵区)と田原眼科(上須恵区)という2つの眼科の家系があります。

江戸時代には、ともに福岡藩の御典医となり、名声を得ました。田原眼科は江戸時代には日本四大眼科の一つに数えられ、全国に名をとどろかせました。岡家と田原家は、天草出身の

高場順世(たかば じゅんせい)から医術を学びました。

 江戸時代の田原眼科の治療記録『眼目療治帳』が現存します。この資料によると、患者の出身地は、北は北海道から南は鹿児島まで、年間1,000人以上もの患者がこの地に治療(目養生)に

訪れたことが記されています。

 「眼病人宿」は、眼病の治療のために岡眼科や田原眼科を訪れた患者が宿泊した宿です。上須恵村や須恵村は、もともとは農村でしたが、全国各地から訪れる患者のために宿屋を営み、

後に職業化して屋号を持つようになりました。上須恵では、「肥後屋」「唐津屋」「日田屋」など地名にちなむ屋号、「桝屋」「焼酎屋」など生業に関する屋号が今も残っています。

後に、製薬・売薬業を営む家も生まれました。しかし、明治末に田原眼科が移転すると、眼病人宿も衰退し、現在では当時の面影を残すものはごくわずかとなっています。

 高場順世が考案したとされる目薬「正明膏(しょうめいこう)」は、須恵の目薬として昭和20年代まで盛んに作られました。紅絹に包まれ、蛤に包まれた目薬は、須恵町以外でも広く使われました。大正時代の正明膏の調合を基に復元した近年の研究成果によると、正明膏が抗菌作用、ドライアイに効果があることが明らかになっており、その効能が実証されました。(須恵町HPより)

現在、田原眼科の系統を組む眼科は、志免町にあります。

コースは、JR須恵中央駅をスタートして宇美公園~宇美八幡宮~光正寺古墳公園~七夕池古墳~志免シーメイト~須恵中央駅ゴールの約10km。

今日も暑く、予想気温は、34度です。

 

長めのミーティングの後、9:40スタート。

最初の休憩は、宇美公園。

 

宇美公園内には、「神領(しんりょう)古墳群」があります。調査で6基の円墳が確認されましたが、2基は消滅し、現在は、1号墳~4号墳の4基が残っています。

 

 

宇美八幡宮

宇美八幡宮は、三韓征伐から帰還された神功皇后が、応神天皇を出産したといわれる地で、敏達天皇の時代(572年~586年)に創建されたといわれています。

境内には、助産師の始祖が祭られている「湯方社」、応神天皇の産湯に使ったとされる「産湯の水」、神功皇后が出産された際につかまったとされる「子安の木」など安産に関する言い伝えが

数多く残っており、多くの方が安産祈願に訪れています。(宇美町HP)

  

 

 

宇美八幡宮で休憩後再スタート。

  

宇美川を渡り旧勝田線の遊歩道を通ります。

 

光正寺古墳(こうしょうじこふん)

光正寺古墳の築造年代は、第1主体部から出土した古式の土師器甕の制作年代から3世紀中頃から後半と考えられ、県内の前期古墳の中でも最古期の古墳に位置づけられます。

また、光正寺古墳は糟屋郡内最大の前方後円墳であることから古墳の被葬者は、当時糟屋地域を支配した豪族(王?)の墓と考えられます。
中国の「魏志倭人伝」には3世紀中ごろの日本が「倭国」として紹介されています。その倭国には色々な国があったことが記されています。その中で福岡市域(奴国=なこく)の隣にあったと

される「不彌国=ふみこく」の王墓ではないかと考えられます。不彌国の所在地は「嘉穂説」と「宇美説(粕屋)」に分かれていますが、光正寺古墳の調査で「宇美説=粕屋平野説」が有力な地域として考えられるようになりました。(宇美町HP)

 

光正寺古墳を先に行くと「七夕池古墳」があります。光正寺古墳は、宇美町でしたが、七夕池古墳は、志免町にあります。

光正寺古墳の北方、狭い谷をへだてて300メートルほどの所にある円墳である。墳丘は径29メートル、高さ約3メートルで、周囲に幅3.5メートルの濠をめぐらす。

3段築成で葺石もよく残っている。主体部は川原石小石積の竪穴式石室で、長さは1.8メートルほどしかない。石室内には木棺を納めた痕跡があり、木棺の短辺の側抜は地中に

さしこまれた特色あるものである。この内には、4、50代の女性が葬られており、遺体の周囲には小型の〓(*1)製鏡や[[琴柱]ことじ]形石製品等の副葬品が発見されている。

この古墳は、光正寺古墳とともに、宇美川流域における主要な古墳群を形成しているものである。

 

志免町の住宅街を歩きます。

 

志免シーメイトでトイレ休憩

 

気温も高くなってきました。今日は、高速道を潜り、旅石橋、天満宮を通ってゴールする予定でしたが、暑さの為、高速道横の県道91号線を通るルートに変更しました。

 

ふくおかウォーキング協会の楽しいウォークは、7/21~8/19まで夏休みに入ります。(8/20の例会より再開)

新型コロナの感染者も福岡県では、1万人に迫るくらいに感染者が増えています。8月の再開後は、コロナも落ち着いてくれるよう祈っています。

コロナの4回目の接種券がきていましたので、休みの間、接種に行ってみようと思っています。

 

 

 


楽しいウォーク「新宮の公園巡りと三苫海岸」(福岡市東区~粕屋郡新宮町)

2022-07-16 10:18:40 | ふくおかウォーキング協会

7/13(土)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「新宮の公園巡りと三苫海岸」でした。

集合場所は、JR福工大前駅。参加者43名。

コースは、福工大前駅~美和台中央公園~三苫公園~綿津見神社~三苫浜中央公園~湊坂展望公園~人丸神社~新宮中央駅ゴールの約10kmです。

9:30 スタート

 

 

美和台公民館横の美和台中央公園で休憩。

  

水分補給の後、再スタート

綿津見神社で2回目の休憩。

  

休憩中、三苫海岸に行ってみました。

 

 

  

 

 

湊坂展望公園に向かいます。

 

湊坂展望公園は、新宮町の海、山、町全体を見渡せます。また、夜景観賞にもいいです。

 

 

人丸(ひとまる)神社で休憩。

人丸神社は、源平合戦哀史にまつわるお宮です。

源頼朝に対する謀反の罪で日向へ流された父、平景清を慕って、人丸姫は京の都から九州まできました。

長旅の疲れから、この地で病で亡くなったといわれる人丸姫をまつってあります。父を慕う姫の心情から、子どもの無事成長の祈願参拝の場となっています。

 

また、人丸神社は、新宮町で一番の桜の名所です。

 

下府(しものふ)交差点の先が仮ゴールです。ここは、新宮中央駅と福工大駅の中間に位置しています。

私は、福工大前駅に向かいます。

 

GPSは、途中で消してしまいました。

 

 

 

 


7月度例会「博多祇園山笠・飾り山ウォーク」(福岡市中央区~博多区)

2022-07-11 16:28:43 | ふくおかウォーキング協会

博多山笠が始まりました!

7/9(土)ふくおかウォーキング協会7月度例会は、「博多山笠・飾り山ウォーク」です。

博多山笠は、7月1日から15日早朝まで行われます。福岡市内には13本の飾り山が立ち、10日過ぎには、各流れの約1トンの舁き山が市内を勇壮に走り、15日早朝の「追い山」を

迎えます。コロナ禍で2020年、2021年と中止になりましたが、今年は3年ぶりに舁き山が戻ってきます。

博多山笠は、「飾り山」と「舁き山」の二種類があり、飾り山は、奉納するために飾られる山笠です。高さ10m~15mほどある巨大な舁き棒が備え付けられていますが、動かすことができません。

舁き山とは、高さ3m、重さ1トンほどの山笠を男衆が肩で担ぎ、博多の街を5km疾走するものです。明治時代までは飾り山と同じ15mほどの山笠を舁いていたのですが、安全性を考え

現在の形になりました。

飾り山は、表と見送りがあり、表は、博多の総鎮守「櫛田神社」の方を向いています。また、表には、時代物、軍記物の人形が、見送りには、昔話、アニメなどの人形が飾られます。

市内には13の飾り山があります。この例会では、12の飾り山を巡ります。

 

 

集合場所は、警固公園。参加者は、40名。ストレッチの後、9:30ウォーキング開始。

先ずはソラリアへ。

 

新天町

  

天神一丁目

博多山笠の間、福岡PAYPAYドームでは、「鷹の祭典」も行われています。

  

渡辺通一丁目

  

渡辺通りからキャナルシティ博多に向かいます。

 

キャナルシティ博多

  

ちょうど噴水が出ている時間でしたので噴水と山笠のコラボです。

  

櫛田神社

 

櫛田神社では、山笠期間中限定の祇園饅頭が売られていました。

 

上川端通

この飾り山は、追い山本番に走ります。別名「走る飾り山笠」です。

 

中州流 

中州流では、飾り山の近くに舁き山もありました。

  

川端中央街

 

川端ぜんざい 土日祝と山笠などイベントの時に営業します。博多で一番甘いぜんざいです。

 

博多リバレイン 

リバレインのあと、追い山のゴールとなる「廻り止」に行きました。廻り止のある石村萬盛堂では、テレビのクルーの撮影が行われていましたので中に入るのをパスしました。

  

東流

  

博多駅商店連合会

  

例会は、博多駅がゴールです。今年の山笠の標題は、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」からか、義経関係の人形が多かったですね。

例会の数日前、福岡ドームに行ってきました。ここにも飾り山があります。ここは、ホークス関連の飾り山が表になります。

 

また、昨日10日から舁き山が動き出しました。これは、流れ舁きといって自分の所の町内を廻ります。

 

博多山笠は、12日が「追い山ならし」、13日が「集団山笠見せ」(博多部のお祭りの山笠が那珂川を渡り福岡部に入ります)、そして本番は、15日早朝の「追い山」です。

山笠が終わると博多に本格的な夏がやってきます。

 


楽しいウォーク「博多じょうもんさん福重市場を訪ねる」(福岡市中央区~城南区~早良区~西区)

2022-07-07 11:31:00 | ふくおかウォーキング協会

7/6(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「博多じょうもんさん福重市場を訪ねて」でした。

じょうもんさん」とは、博多弁で「じょうもん」→上等の意味で、「じょうもんさん」とは、美人の意味です。博多の女の人は、皆さん美人なんです。

今月は、当番グループなので8:15ごろ、集合場所の大濠公園に行くと、昨年東京パラリンピック視覚障害クラスの女子マラソンで金メダルを獲得された「道下美里」さんが練習されていました。

大濠公園は、周囲2kmのジョギングコースがあります。ここを何周か走られていました。

 

このコース、実は、2020年12月に下見をして12月の楽しいウォークのコースに入れましたが、コロナで活動が中止になり、再開されれまた入れましたがまたまたコロナで中止になって

5回目でやっと日の目を見ることになりました。

コースは、大濠公園能楽堂をスタートして城南区役所~祖原公園~博多じょうもんさん福重市場~室見川河畔~地下鉄姪浜駅ゴールの約10kmです。

 

受付をしていると、急に雨が・・・・あわてて屋根のある所に引っ越しします。

雨は、スタート前には、止みましたが、蒸し暑いです。

9:30スタート。

 

コースは、大濠の高級住宅地を通り、城南区役所へ。

 

城南区役所で給水及びトイレ休憩。(7/10が参議院選挙ですが、福岡選挙区には定数3名に対し16名の方が立候補されています)

 

休憩後再スタート。雨が降ったせいか、蒸し暑く水筒の水もほとんど空になりました。しばらく歩くと中村学園中・高校です。

中村学園高校は、なぎなた、新体操、剣道などインターハイの常連です。特に剣道部は、昨年までインターハイ5連覇中です。

竜北橋を渡ると早良区です。

 

祖原公園で二度目の休憩。

 

今回は、暑さの為、行きませんでしたが、下見の時に祖原山(33m)に登りました。この「祖原」には、明治末から昭和初期にかけて炭鉱があった所です。祖原のほかにも鳥飼、西新町にもあり、通称「福岡炭鉱」と呼ばれていました。(昔は、「麁原」と明記されていました)

現在は、その足跡もなく、静かな住宅地になっています。

また、祖原は、文永の役(1274)でモンゴル(元)が博多湾に上陸後、この地に陣を構えました。祖原公園には、元寇に関する石碑が建っています。

  

国宝の「蒙古襲来絵詞」には、祖原での戦いが描かれています。

 

休憩後再スタート

 

小田部の将軍神社を調べますが、わかりませんでした。奉納の欄に「毛利さん」の名前がありますので毛利さんの関係する神社でしょうか?

 

コースは、国道202号線(今宿新道)に入ります。室見川を渡ると西区です。

  

博多じょうもんさん市場は、JA福岡市が市内各地に展開している産直店です。

今日は、ここ博多じょうもんさん福重市場で仮ゴールです。重くならないよう少しの野菜と果物を買いました。

 

福重市場から姪浜迄歩きます。12:07に地下鉄姪浜駅にゴールしました。

 

 

 

 

 


サタデーウォーク「飯盛山麓歩きと西の丘からの眺望」(福岡市西区)

2022-07-05 09:57:03 | ふくおかウォーキング協会

7/2(土)ふくおかウォーキング協会サタデーウォークは、「飯盛山麓歩きと西の丘からの眺望」でした。集合場所は、地下鉄次郎丸駅から歩いて5分の埴安神社。

6月28日に北部九州は、梅雨明けになりましたが、梅雨明けと同時に真夏の太陽が威力を増しています。今日も予想では、35度になるそうです。

出発前のミーティングでは、しっかり水分をとるよう、また、距離が取れる場合はマスクを外して歩いても可などが指示されました。参加者は36人です。

コースは、埴安神社から西部運動公園~野方中央公園~西の丘中央公園~JR下山門駅ゴールの約10km。

9:30 ウォーキング開始。

 

 

民家の庭先には、ハマボウが咲いていました。ハマボウ - Wikipedia

 

しばらく歩くと白壁の町並みが見えてきます。

福岡と佐賀を結ぶ主要道路であった旧三瀬街道沿いの次郎丸の通りには、漆喰の白壁造りの町が今尚、大切に守られて残っています。以前はこの幅員のない通りを路線バスが往来していました。
江戸時代中期から明治時代にかけて醤油や酢の醸造元、酒屋、染物屋、質屋、紺屋などが軒を連ねて賑わっていましたが,残念ながら今はどの店も廃業しています。(早良区彩食県美の玉手箱より)

 

  

最初の休憩は、西部運動公園。トイレ、給水の後再スタート。

 

 

田んぼには、オタマジャクシが元気よく泳いでいました。

 

野方中央公園を通り、生の松原特別支援学校の所から、西の丘坂道コースと平坦コースに分かれます。

私は、西の丘坂道コースへ。

西市民プールから西の丘に向かては、急坂です。

 

西の丘は、1990年代に造成されました。宅地造成前は、生の松原ゴルフ場でした。当初はウェストヒルズ16区という名称でしたが、現在は「西の丘」です。

今、1100世帯約4000人の方が居住されています。この西の丘は、高台にあり福岡市内が眺望できます。

大きな家が建っており、以前は、ソフトバンクホークスの元監督秋山幸二氏の家もありました。

  

西の丘からの眺望です。

西の丘中央公園で給水及びトイレ休憩。

 

休憩後、平坦コースとの合流地に熊野神社に向かいます。

 

合流後再スタート。

 

12:07 JR下山門駅にゴールしました。

 

今日は、暑かった。持って行ったペットボトル2本はすぐなくなり、途中、自販機で1本買いました。

誰も気分が悪くなる方がいなくてよかったです。これからのウォーキングは、休憩と給水をしっかりとらなくてはいけないですね。

今日のGPSです。