1/7(日)は、福岡県ウォーキング協会主催の三社詣りウォークに参加しました。
日時:2018年1月7日(日)
受付:9時より 出発式:9時30分より9時50分 スタート:10時~最終ゴール13時頃
会場:福岡県筑後広域公園(スタート・ゴール) 住所:筑後市大字津島831-1
■コース:県体育館→馬間田一敷福部神社→玉垂命神社(田島公民館)
→水田天満宮(水田)→県体育館【約10キロ】
■参加費:福岡県ウオーキング協会加盟団体会員300円、一般500円
主催:福岡県ウオーキング協会
自宅を7:30に出発し、会場の筑後市広域公園に着いたのが、8:40。
会場には、福岡県下から北九州、ふくおか、八女、みやま、久留米、筑後、小竹、福智などのウォーキング協会から約300名のウォーカーが参加していました。
10:00スタート。歩いていると麦畑がありました。この1月から2月にかけては、麦の根張りをよくするため麦踏をします。
昔は、家族総出で畑に出て、一列に並び横にずれながら麦を踏んでいました。それが今では、機械が踏んでくれます。時代も変わりましたね。
他には、クチナシの実がなっていました。これは、染料や薬品に使われます。
馬間田一敷福部神社に着きました。
「祭神 島田忠臣公、宣来子比売
神社歴 慶長九年(1604)馬間田村陣の内に“福部大明神”を勧請す。寛文五年(1665)福部大明神を馬間田村氏神として祀る。万延元年(1860)社殿新築。
社名と瓢箪“ふくべ”とは“ひょうたん”の古語で、古くから難を避け、運を開く霊力があるとされています。又水によく浮き上がることから、開運、厄除け、水難除け、合格出世に御利益があり、
祭神の学問、医学、子育ての神徳にあやかり、学業成就、病気平癒、安産、子育ての神として信仰を集めておられます。
社名の“福部神社”は祭神の字(あざな)から付けられたものですが、“福”を招く願いも込められています。
次の神社は、中折地の広田八幡神社。
広田八幡神社は、中折地の氏神様で寛永10年(1633)中折地村が折地村から分村した際に下妻郡芳司村広田八幡宮より勧請されました。境内の一角にある巨石は、「倉稲魂命碑」
(うかのみたまのみこと)で社日さんと呼ばれています。この石は、水田字平霊石(ひられいし)より運ばれたと伝えられています。この石はイボ神様として信仰を集めています。(大会チラシより)
水田天満宮の手前には、山梔窩(さんしか=くちなしのや)があります。山梔窩は、幕末の勤皇志士・真木和泉守保臣が久留米藩の藩政改革に失敗して謹慎させられ、9年9カ月を過ごした家です。
1852年5月17日、水田天満宮宮司である直弟大鳥居理兵衛のもとに謹慎させられることになった和泉守は、大鳥居家の一隅に4畳半と3畳の家を建て(大工は尾島の茂吉で、完成は翌年8月6日)
移り住みました。1862年2月16日、藩の許可なく薩摩へ脱出するまで、この地で門弟教育に従事し、多くの倒幕・尊王運動家を世に送り出しました。
山梔窩という名の由来は、庭にクチナシ(梔)が植えられたことからとも「口なし」(藩への発言を止められた自分の立場)からとったともいわれています。
三社詣り最後は、「水田天満宮」。
水田天満宮は、菅原道真公をまつるお宮で、鎌倉時代の嘉禄3年(1226年)に菅原為長が、後堀河天皇の指示で建てたといわれています。
今の本殿は、江戸時代の寛文12年(1672年)に再建されたもので、太宰府天満宮の建築様式が受け継がれた、美しい景観をもつ建物です。
境内には、恋木神社があります。水田天満宮の末社として建立当初(鎌倉時代)より鎮座し、御祭神は「 恋命 」を祀り、全国でも珍しく恋木神社は一社のみです。
この日も 「恋の祈願」の為若いカップルの方が来られていました。
水田天満宮を後に、ゴールの広域公園に向かいます。途中には、福岡ソフトバンクホークスの二軍施設の横を通りました。今、主力選手もここで自主トレを行っています。
12:40ゴールしました。
お昼は、筑後船小屋駅の前にある「九州芸文館」でいただきました。九州芸文館では、「広重展」が行われています。広重というと東海道五十三次ですね。
現在、個人的に東海道を歩いています。広重が見た東海道と、私たちが今歩いている東海道を比較しながら鑑賞しました。(館内撮影禁止です)