よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

「令和」ゆかりの地大宰府を巡るウォーク(福岡県太宰府市)

2019-09-26 21:33:29 | ウォーキング

9/25(水)のふくおかウォーキング協会の例会は、「「令和」ゆかりの地大宰府を巡る」コースでした。

集合場所は、JR水城駅。参加者44人。

   

【水城跡】 7世紀後半、朝鮮半島では、国の存亡をかけた戦いが繰り広げられました。当時の日本は、百済を助けるため大軍を朝鮮半島に送りましたが、西暦663年白村江の戦いで新羅・唐連合軍に敗れました。

その後、大和朝廷は、敵の侵攻に備えるため、水城や大野城、基肄城を築きました。敵に攻められやすい博多湾の沿岸にあった那津官家も、現在の太宰府市の地に移され、「大宰府」が誕生したと考えられています。

このように「水城」は大宰府を守るのに最も重要な所でした。水城は、長さ1,2km、幅80m、高さ10mの土塁と、内外に水をたたえた濠からなり、福岡平野の最も狭くなった場所をふさぐように築造されています。

 

  

僕らが小学生の頃は、太宰府に遠足に行くと、必ずこの水城跡を見学していました。そのころは、どうして水城が築かれたかは、あまり理解していませんでした。

1回目の休憩所「水城館」到着。

 

 

ここには、大伴旅人と児島の離別の歌の歌碑があります。

大宰帥(だざいのそち)・大伴旅人が、大納言に任じられて帰京する際、遊行女婦(うかれめ)・児島と詠み交わした歌です。遊行女婦とは、酒宴の席で歌や舞を披露して接待する女性を指します。都から大宰府へ赴任してきた旅人は、

滞在中に愛妻を亡くし、悲しみにくれます。望郷の念や、亡くした妻への思慕を多く詠み残した旅人にとって、児島の存在はどれほどの支えであったでしょうか。

【銘文】 凡(おお)ならば かもかもせむを 恐(かしこ)みと 振りいたき袖を 忍びてあるかも    娘子児島 (普通の身分の方であったなら袖を振ってお別れするものを、恐れ多いので、振りたい袖を我慢しています。)

ますらをと 思へるわれや水くきの 水城のうえに なみだ拭はむ    大納言大伴卿 (涙など流さないと思っていた私が、水城のほとりで涙を拭うことになるのだろうか。) 

二人の別れの場面で詠まれたこの歌は、旅人の出立が公的なものであり、周囲に官人がいるなかで、旅人と児島の間にある身分の隔たりが浮き彫りとなっている様子をうかがわせます。再びは逢えないかもしれないという、

両者の悲しみが色濃く感じられるこの歌は『万葉集』巻6に収められています。 (大宰府文化ふれあい館HPより)

 

衣掛天満宮は、菅原道真が大宰府に配流されてきたとき、装束を改める為、衣を石または松に掛けたことがおこりとされています。

  

筑前国分寺跡:奈良時代聖武天皇の命により、国ごとに建てられたお寺跡です。筑前国分寺は九州各国の国分寺の中心でした。

  

坂本八幡宮に到着しました。4月1日菅官房長官から新年号「令和」が発表されましたが、その令和縁の地がここ坂本八幡宮です。私、今年ここを訪れるのは、3回目です。1回目は、「令和」が発表された翌日ですが、朝9時ごろ行くと

放送局のカメラクルーがたくさんつめかけていました。氏子さんは、朝から境内の掃除をされていました。この小さい小さい神社が一躍脚光を浴びたのです。

坂本八幡宮は、祭神は、応神天皇です。奈良時代には、この辺りに太宰帥(だざいのそち)(大宰府の長官)の大伴旅人の邸宅があったといわれています。

天平2年正月13日、帥の老の宅にて集まり、宴会を開きました。その時詠まれた歌が、

初春の月にして気淑く(きよく)、風らぎ、梅は鏡前の粉を披き、、蘭は颯後の香を薫らす

訳)初春のよき月に、気持ちよく風は和らいで、梅は鏡の前でお粉おしろいをはたく女性のように白く美しく咲き、蘭は香り絵のように薫っています。

 

 

御朱印もありました。

  

坂本八幡宮の近くは、「大宰府政庁跡」があります。大宰府展示館の所には、「小野 老」(おののおゆ)の歌碑が建っています。

神亀5年(728)4月、太宰少弐として赴任し、饗宴の席で自ら詠んだ歌が、「あをによし 寧楽(なら)の京師(みやこ)は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり

小学校か中学校の時に習いましたね。まさか、この歌が大宰府で詠まれたとは、思いませんでした。

  

 鑑真和上ゆかりの「戒壇院」。

百済を助けるために九州へ下った斉明天皇が朝倉橘広庭宮で亡くなり、その子天智天皇が母の菩提を弔うため「観世音寺」を建立しました。

   

時間は、12時近くになりました。大宰府参道を通り、ゴールの太宰府天満宮へ。

  

約9kmのウォーキングでした。

 

 


第32回北海道ツーデーマーチ2日目20km(北海道虻田郡洞爺湖町)

2019-09-21 18:01:05 | ウォーキング

9/15(日)北海道ツーデーマーチ2日目。2日目は、火山風(やまかぜ)コース。天気予報では時々雨の予報ですのでリュックに傘とポンチョを入れております。

30k、20kコースはスタートが7:00ですので比テルの朝食も食べないできました。(洞爺湖のホテルの朝食時間は6:45からですので食べるとスタート時間に間に合いません。ホテルに朝食時間を早めてもらうよう交渉しましたが駄目でした)

   

7:00 30k、20k同時スタート。

 

 

明治新山というのもあるそうです。(右側の小高い山) 四十三山(よそみやま)、あるいは明治新山(めいじしんざん)は、北海道有珠郡洞爺湖町と壮瞥町の境界、洞爺湖の南岸に位置する標高252mの火山である。 有珠山の1910年(明治43年)の噴火活動によって形成された側火山である。デイサイト質の粘性の高い溶岩が地下から推上し、土壌を持ち上げて作られた潜在溶岩円頂丘。 形成当時は各所から盛んな噴気が見られたが、

21世紀初頭の現在は全山を落葉広葉樹林に覆われ、一部で弱い噴気活動が見られる程度である。(奥洞爺温泉郷HPより)

約5km地点が30kと20kの分岐点。

  

 

  

このあと壮瞥(そうべつ)梅公園へ向かいます。 

 

 壮瞥梅公園には、約300本ほどの梅林があります。梅の時期にはきれいでしょうね。

 

梅公園頂上には、昭和新山、反対側には洞爺湖が見渡せます。

  

公園頂上からは今度は、急な下り坂。途中、倒木もありました。

  

梅公園から降りてくると田園地帯が広がってきます。

  

道の駅壮瞥情報館が給水所です。地元のミニトマトが振る舞われました。壮瞥町では「昭和新山国際雪合戦」があるそうです。

  

田圃では、稲刈りが行われていました。北海道のお米というと「ゆめぴりか」「ななつぼし」でしょうか?意外にも北海道のおコメの生産は全国第2位(1位は新潟県)だそうです。

  

横綱北の湖記念館の所がチェックポイントです。ここでは、壮瞥町のリンゴ、ブドウなどが振る舞われました。

  

チェックポイントを出るとまた上り坂です。この辺りからポツポツと雨が降ってきました。傘を出してのウォークです。

 

 

洞爺湖湖畔遊歩道に戻ってきました。

  

11:00 ゴールしました。3時間55分で20kmを歩きました。

 

今日はゴールでトウモロコシのサービスがありました。本場のトウモロコシはおいしいです。2日目の参加者は508人。2日間で1215人の参加です。

 

ゴールした後、温泉のサービス券を持って万世閣ホテルで汗を流しました。やはり温泉は最高です。

また、いつか機会があれば参加したいです。

  

 

 


北海道ツーデーウォーカーの集いの前にウィンザーホテル洞爺に行ってきました。(北海道虻田郡洞爺湖町)

2019-09-20 06:45:03 | ウォーキング

9/14  20kmゴールの後、16時からのウォーカーの集いに参加するため、時間がありましたので、2007年にサミットが行われた「ウィンザーホテル洞爺」に行ってきました。

ウィンザーホテルは、625mのポロモイ山山頂にあり、1993年(平成5年)に開業、敷地面積は28,474㎡、部屋数は336室です。

また、2008年(平成20年)7月には、G8がここで開催されました。

 

ここからの眺めは、前面が洞爺湖、後方が内浦湾(噴火湾)が見えます。

 

折角ですのでロビーに入ることにしました。喫茶ルームでコーヒーを注文。家内はそれにチーズケーキまで注文しました。(お値段は内緒です。(笑)この景観を見るのですからそのくらいはしますね)

 

コーヒーを飲んだ後、ロビー前を散策しました。散策路では、サミットの時植樹された新品種の松「クリーンラーチ」がありました。

 

こちらからは洞爺湖が見渡せます。今日は昼から雲が出て少し煙っています。

 

サミットの時首脳が記念写真を撮った場所がありましたので私達もここで写真を撮ります。私が立っている場所がブッシュ大統領、家内が福田首相。このために私のキャップは「TRUNP」です。

 

 一度でいいからウィンザーホテルに泊まってウォーキングを楽しみたいな~【宝くじでも当たらないと無理かな?】

 

北海道ツーデーマーチのウォーカーの集いは、16時からです。それまでに今日宿泊するホテルにチェックインしました。汗をかいたのですぐお風呂に直行。

入ってみるとお風呂の前は、洞爺湖です。感激しました!(写真が撮れませんでした)

 

ウォーカーの集いは、洞爺湖文化センターで行われました。

 

真屋洞爺湖町町長の挨拶、畑日本ウォーキング会長の挨拶の後会食です。

 

  

表彰式では、スーパーマスターウォーカーです。昨年中止になったもので今年は16人の方が表彰されました。福岡県からもIさんが表彰されました。

会の〆は、鹿児島のUさんです。

  

 


第32回北海道ツーデーマーチ(北海道虻田郡洞爺湖町)1日目20km

2019-09-19 09:36:49 | ウォーキング

9/14(土)4時半札幌駅出発。札幌の日の出は5時10分。空が少し明るくなってきています。今から2時間半かけて洞爺湖まで車で走ります。

7時洞爺湖に到着。会場では既に40kmの出発式が行われていました。

  

1日目は、海湖風のコースとして40kmは、洞爺湖一周コース、20kmは、あぶた噴火湾コース、10kmは、洞爺グルメコース、5kmは、洞爺湖温泉街コースです。

私達は、20kmのあぶた噴火湾コースにしました。また今回も340kmコースの人と一緒にフライングスタートです。昨年は9月の胆振地震で中止になりましたので参加者も幾分多いようです。

  

スタートして洞爺湖湖畔を歩きます。ここにはアート作品が展示されています。

  

 

この20kmコースは、今年から新コースになっています。従来は、ウィンザーホテルまでバスで行き、そこから下るコースでした。 約5km地点から左折。ここから約2km上り坂が続きます。

 

坂を上った所が洞爺湖ビュースポットです。

 

7km地点が最初の休憩所。ここでは、バナナが振る舞われました。

 

休憩所から下り坂になります。

 

虻田神社がチェックポイント。

 

虻田神社は文化元年(1804年)、虻田場所の開田・漁場開始の神恩奉賽と繁栄を祈願するために、当時の虻田場所請負人であった和田茂平が松前藩領主松前章広の命を受け、京都伏見稲荷大社よりご分霊をいただき、床丹(入江)に稲荷神社として創建されました。同年、恵比寿神社も建立されましたが、大正六年稲荷神社と合祀されました。 文政五年(1822年)の有珠山噴火にともない鎮座地を床丹からフレナイに遷し、大正十一年の長輪線(現在のJR室蘭本線)の開通にともない、社地を現在地に遷し、昭和四十六年に現在の社殿が造営されました。 (虻田神社HPより)

  

虻田神社の裏手にパワースポットがあるということで行ってみました。中央内浦湾の向こう側に見えるのが1131mの駒ヶ岳です。

 

虻田神社から西山山麓火口散策路に向かいます。

2000年3月に噴火した有珠山の生々しい傷跡をそのまま残し、災害の様子を探訪できる1.6kmの散策路。隆起した土地や、窪地に雨水が溜まってできた西新山沼、損壊した建物、噴石で折れた電柱など、

災害のすさまじさを目の当たりにすると、火山の脅威、大地の持つエネルギーの大きさに圧倒されます。金比羅火口までつながるフットパスを進むと、洞爺湖ビジターセンター、火山科学館があります。

火山の仕組みや洞爺湖誕生の歴史などを映像やパネルで紹介しています。

  

幼稚園跡地は、新入園児を迎えるため入学式の準備がされていました。

 

  

 

 

 

 

約2kmの散策道でしたが、自然の恐ろしさを感じました。

今回は通りませんでしたが、火山資料展示室の横には、金比羅山火口散策路もあります。

  

ゴールまであと3km。下って行くと洞爺湖温泉街が見えてきました。

11:47 ゴールしました。ゴール後、牛乳、お菓子、スープ、ジャガイモ、ニンジンなどが配られました。やはり本場のジャガイモはおいしいですね。

 

1日目の参加者は合計707人でした。

  

 


洞爺湖、昭和新山へ(北海道虻田郡洞爺湖町)

2019-09-17 18:17:55 | ウォーキング

9/14~15に行われる「第32回北海道ツーデーマーチ(洞爺湖町で開催)」に参加するため、9/12福岡発14:20のJALで札幌に行きました。到着したのはもう夕方。札幌は朝は日の出るのが早いですが、暮れるのもはやいですね。

福岡と1時間半ぐらいの時差があります。

9/13早朝レンタカーを借り、札幌から洞爺湖に向かいました。ナビで見てみると札幌から洞爺湖まで100km、約3時間です。

札幌からちょうど真ん中ぐらいの所が「中山峠」です。ここからは、蝦夷富士と呼ばれる「羊蹄山(ようていざん)」(1898m)が綺麗に見えます。

 

  

道の駅「望羊館」で休憩します。店の中に入ると「あげいも」という看板が目につきますのでついつい買ってしまいました。年間40万本も売れるそうです。

ジャガイモを揚げたものですが、味は少し甘いです。これをテーブルに置いてあるケチャップやマヨネーズ、塩などでいただきます。まだお昼前なのですが、もうお腹がいっぱいになります。

 

約2時間半で洞爺湖へ到着。

 

 

洞爺湖は、北海道南西部に位置し、「洞爺カルデラ」内にできた湖。面積は日本で9番目、カルデラ湖としては屈斜路湖、支笏湖に次いで日本で3番目の大きさです。

東西約11km、南北約9kmのほぼ円形の湖で、有珠山・昭和新山・洞爺湖温泉などがあり北海道有数の観光地域となっています。

アイヌ語の「トヤ(湖・岸)」から洞爺湖と名付けられました。

次に行ったのが「昭和新山」。子供の頃、学校で一番新しくできた山=昭和新山ということを習いました。

昭和18年、青い麦畑から地震と爆発音とともにふくれ上がった昭和新山。4ヶ月の爆発、その間刻々と隆起する大地、地球のエネルギーは地底で固まった粘性の強いデイサイト溶岩を押し上げ、398mのベロニーテ型(現在では「隆起型」と言われている)火山を出現させたのです。  昭和新山の誕生を見守り続けたのが郵便局長の三松正夫さんでした。地震発生から噴火、そしてその活動が止まるまでを独学の観測方法でつぶさに観察、詳細な記録を残した後にミマツダイヤグラムと命名、称賛されました。 (壮瞥町HPより)

 

 

昭和新山の横には、散策道があります。ナナカマドは、少し赤くなりかけています。

 

今日、洞爺湖のホテルがとれなかったので、これから札幌に戻ります。明日は、朝4時半に出発して8時のスタートに間に合わせようと思っています。

帰りの道中で目にした「ウィンザーホテル洞爺」。ここにも行ってみたいな~