よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

田圃アート(福岡市西区今宿)

2017-09-17 18:02:53 | JR九州ウオーキング

9/16(土)は、JR九州ウォーキングで福岡市西区今宿にある田圃アート見学に行ってきました。

集合場所は、JR今宿駅。普通なら駅前は、参加者であふれるところですが、この日は、台風の影響で朝から小雨状態。

   

8:30スタート。

二宮神社は、嵐の二宮君と同じ名前ということで参拝者が増えています。隣の糸島市には、桜井神社、潤(うるう)神社もあります。

嵐ファンの方はたまらないでしょうね。

  

 

  

今宿の田んぼアートは、今年10年目を迎えるそうです。10年間には、「I ❤ 今宿」「おいでよ今宿」「手をつなGO今宿」「めし丸君」「クッキングパパ」「招き猫」などがあり、

訪れる人の目を楽しませてくれました。

さて、今年のテーマは、「来てみてん今宿祝10th  JA福岡市のキャラクター「よねまる」が鯛を釣っている姿」です。

 

   

年々手が込んでいる田圃アートでした。

駅へ戻る途中には、ブドウの直売所がありました

 

  

井上博多人形店からちょっと寄り道をして、今宿小学校の児童の実習田に寄ってみます。

この案山子も小学生の手作りだそうです。ユニークな案山子もいますね。

  

出雲大社福岡分院に行く途中、1か月ほど前にオープンした100円パン屋さんを見つけましたのでちょっと覗いてみることにしました。

車は、約20台が駐車場待ちをしています。私たちは、ウォーカーですので駐車場など気にせずすぐお店に入りました。

いろんな種類のパンがすべて100円(税別)。食べてみると結構いけます。

雨が少し本降りになってきました。

大塚古墳です。6世紀ごろ造られた前方後円墳です。

  

10時過ぎ、今宿駅にゴール!

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  今日我が福岡ソフトバンクホークスが2017年パリーグ優勝しました。

  

 

 

 

 

 


奥の細道鳥海ツーデーマーチ2日目20km「水と鳥海山麓、自然コース」(山形県遊佐町)

2017-09-09 16:32:29 | オールジャパンウオーキングカップ

9月3日 第25回奥の細道鳥海ツーデーマーチ2日目「水と鳥海山麓、自然コース」20km

今日も酒田発6:33の電車で遊佐に向かいます。2両編成の電車は、今日もウオーカーの方で満員です。

奥の細道鳥海ツーデーマーチ最終日のこの日の20kmコースは、30kコースと同時スタートがOKでしたので、スタートは、7:15です。

   

鳥海山に降る豊富な雨や雪は、遊佐町にたくさんの河川や湧水、井戸水をもたらしています。歩行中「丸勝の水」がありました。

 

 月光川河川公園は、2008年に公開され、日本アカデミー最優秀賞の映画「おくりびと」のロケ地にもなりました。

3kmぐらい歩いたところが、10kとの分岐点です。

   

しばらく歩くと「庄内おばこ発祥の地」の石碑が建っています。

説明板を見ると、「文政年間(1818~1829)の ある晩秋の嵐の夜,冷たい雨に うたれた旅の商人が,疲労して 一軒の農家に一夜の宿をとった。  

たまたま,この家に「梢」とい う娘がおり,板倉を仮の住まい とし,親切に看護したのが縁と なり愛し合うようになりました。 旅の商人が訪れるたびに,二人 は板倉や田んぼの外れで逢う 瀬を楽しんでいましたが,

梢の 両親は旅の商人との恋を許し ませんでした。このことを知った村人たびは

おばこいたかやと 裏の小窓からのぞいてみれば おばこいもぜで 用のない婆さまなど糸車」

とはやすように歌われたのが始 まりと伝えられております。 梢の生家(三郎兵エ)には 囲炉裏をきった板倉が有り ましたが,戦後の改築に逢 って今はない。

※「おばこ」とは、東北地方の方言で「娘さん」の意味。

庄内おばこのyoutubeは、こちら ↓ ↓ ↓

"https://www.youtube.com/embed/mtSKhGJ5NgE"

  

5km地点が30k、20kの分岐点。20kコースは、ここから上り坂になります。

  

金刀比羅神社は、祭神は、事代主命。

古四王(こしおう)神社:自然石をご神体として祀っており、このご神体を運び出して庭石としたところ、家人みんな耳が遠くなり、ご神体を元に戻したら耳が元通りになったという伝説がある。

町内には古四王神社がいくつもあるが、共通することはきかずさまとして呼ばれている。古い木のお椀が耳の形に似ていることからさげており、耳の神として多くの信仰をうけている。

   

 8,1km地点の「杉山比山伝承館」が最初のチェックポイント。この横には、「語り部の館」があります。約300年前(元禄16年)に建てられた平津榊原家(旧大組頭斎藤家)を解体し、

その部材を使って復原した建物です。町指定文化財。

   

杉沢熊野神社に来ました。

杉沢熊野神社には、鳥海山の山伏神楽で比山神楽と呼ばれ、熊野神社が鳥海山で修行する山伏の宿坊として栄えた鎌倉時代から伝わっていると言われています。

地域の住民が連綿と受け継ぎ、衣装、面、小道具なども、その時代時代に修復、新調しながら、ほぼオリジナルの形を継承していると言われています。

趣のある神社の境内で、夕刻からの暗がりの中で舞われる様は、観客を否応なしに幽玄の世界に誘います。国指定重要無形民俗文化財に指定されています。

    

    

   

13,9km地点が昼食会場の四季の森しらい自然館です。四季の森しらい自然館は、鳥海の自然に恵まれた遊佐町白井新田地区の高台にある交流体験型宿泊施設です。

鳥海山や日本海にしずむ夕陽、そして高瀬峡や二ノ滝渓谷などの渓谷美を四季折々楽しめます。キャンプも楽しめます。

ここでは、お吸い物の接待がありました。

   

  

しらい自然館の少し先には、旧庄内藩17代当主酒井忠明氏の歌碑が建っています。藤井新田開村200年を記念してこの地を訪れ、この詩を詠んだそうです。

   鳥海の山より高き 父母の恩忘るべからず 開村200年

   

  

飼料用のお米を栽培している田圃がありました。日本の環境や国土を守っている水田を減らさないよう、また、飼料の自給率を向上し、畜産物の安定供給を図る意味だそうです。

  

  

野沢公民館が最後のチェックポイント。ここまで17,7km。

  

 

道路を見ると、何か、フェンスみたいなものが立っています。これは、冬場地吹雪を遮るためのものです。今は閉じられていますが、地吹雪になると視界が1mぐらいしかなく、

これを下して使うそうです。九州では、見られない光景です。

遊佐高校前を通ると、ゴールの看板が・・・・・

 

11:40 無事ゴールしました。今日の20kmのコースは、実測21,4kmでした。

  

  

これでオールジャパン46県目をクリアしました。オールジャパン完歩まであと1県(秋田)。

 


奥の細道鳥海ツーデーマーチ1日目20km「緑と庄内砂丘、日本海コース」(山形県遊佐町)

2017-09-08 04:05:41 | オールジャパンウオーキングカップ

9月2日~3日まで山形県飽海(あくみ)郡遊佐(ゆざ)町で行われる「第25回奥の細道鳥海ツーデーマーチ」に参加しました。

宿泊先の酒田市のホテルから6時33分の電車で「遊佐駅」へ。電車の中は、この大会に参加するウオーカーでいっぱいです。

約15分で遊佐駅に到着。ここから会場の遊佐町民体育館まで徒歩で約10分です。

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遊佐町は鳥海山と繋がりの深い地域です。遊佐町には鳥海山山頂の大物忌神社本宮を始め、吹浦口之宮、蕨岡口之宮があり古来から信仰されてきました。特に鳥海山は活火山だった為、

たびたび噴火を繰り返し神の山として考えられ朝廷や幕府などの権力者からも崇敬されました。中世には神仏混合となり多くの修験者が遊佐町周辺に集まり、

杉沢熊野神社では「杉沢比山」と呼ばれる神楽を伝承するなど独自の文化が伝わっています。

又、遊佐町は古くから開けていた地域で、延喜式で記されている「駅」や「吹浦湊」があり出羽国府(城輪柵)と秋田城(秋田市寺内)を結ぶ重要な役割を持っていたと考えられています。

平安時代からは「遊佐荘」と呼ばれる荘園が置かれ延長5年(927)の記録では荘園主に遊佐太郎繁元、繁光の名前が記されています。

その後遊佐荘は平泉(岩手県平泉町)に本拠がある藤原基衛、久安4年(1148)には摂関家である藤原頼長へ所領が変わっています。江戸時代に入ると庄内藩に属し、

秋田から新潟にかけての羽州浜街道が整備されると藩境付近にあった女鹿集落に番所を置いて人や荷物の管理をしました。

松尾芭蕉も「奥の細道」行脚の際、遊佐町を通り象潟へ訪れていて元禄2年6月15日に吹浦に一泊し難所だった三崎峠で難儀したことが曽良日記に記されています。

戊辰戦争では庄内藩は奥羽越列藩同盟に組した為、政府側に回った秋田藩と矢島藩と交戦状態となり三崎峠は戦場となり双方に犠牲者がでています。 (遊佐町の歴史より)

   

会場へ着くと40kmコースの出発式が行われていました。何と「激」は、兵庫県高砂市のIさんが務めれれていました。

 

20kmのスタートは、8:30. 会場では、地元ラジオ局山形放送の方が参加者にインタビューをされていました。写真のこの方の前に、私の家内がインタビューを受けました。

私の風車と「福岡」からの参加ということでレポーターさんの目に入ったのでしょうね。家内は、私が美人だったからと言ってますが、さてさてどうでしょうか????(笑)

  

8時30分 20kmコーススタート。「激」は、地元中学生です。

 

歩いていると鳥海山が見えてきます。

鳥海山は、山形県と秋田県の県境にあって、日本海に面し、標高2,236メートル。またの名を出羽富士とも呼ばれ、山麓周辺の人々の守り神として、古くから崇められてきました。

気象変化は激しく、それだけに四季の彩りも鮮やかで、その自然の変化には目を見張るものがあります。降り積もった雪が豊富な沢水となり、幾条もの谷を刻んで広い山裾に流れ、

御水は水田を潤し稲を育ててきました。人々の生活の背景にはいつも鳥海山があり、信仰の山としての存在も大きく、その姿の美しさとともに心の支えとなっています。(遊佐町HPより)

  

9時20分5km通過。月光川沿いに歩きます。

  

最初のチェックポイントは、「高瀬まちづくりセンター」。給水所のお水は、鳥海山から何年もかけて湧き出た天然水。冷たくておいしかったです。

  

この高瀬まちづくりセンターの横には、「高瀬小学校前の水路はこのようにしてほしい」との思いを一枚の絵に託した一人の女の子の夢が叶えられて実現しました。

これが「美しき童の里」です。

  

田圃に「偶数」、「奇数」と書いた看板がありました。これは、月光川から水を引く日を書いてます。偶数=偶数日、奇数=奇数日。

田圃の中を電車が走っています。いつもは、2両編成なんですが、この電車は、4両編成です。

この日の10kmのコースは、遊佐駅から電車で吹浦(ふくら)駅に行き、そこからスタートします。この電車には、10kmの参加者で満員でしょう。

このあたりから、東京の「とほ娘」さんと一緒に歩きました。とほ娘さんとは、ムーンスターのSNS時代からの仲間です。

   

歩いていると、農家の方が何か用意されています。なんだろうとゆっくり歩いていると、スイカの差し入れでした。(私たちが一番目でした。赤いスイカは黒い種がありませんでした。新品種かな?)

このスイカ非常に甘くおいしいです。有難うございました。

  

羽越本線の踏切を渡ると吹浦です。踏切のすぐ向こう側は、地元の酒蔵「東北泉」です。

  

吹浦の街並みの真ん中あたりに「鳥海山大物忌(おおものいみ)神社吹浦口ノ宮」があります。

創祀は欽明天皇二十五年(1400年以上前)の御代と伝えられています。鳥海山に噴火などの異変が起こると朝廷から奉幣があり鎮祭が行われました。

本社は山頂に鎮座し、麓に「口の宮」と呼ばれる里宮が吹浦と蕨岡の二ヶ所に鎮座しています。御祭神 大物忌大神 月山神。5月5日の例大祭と4日の前夜祭には吹浦田楽が奉納されます。(ウオーキングマップより)

大物忌神社を過ぎたあたりから上り坂になっています。勾配はそんなにきつくないのですが、距離が長いです。

   

左側には、吹浦小学校があります。敷地も広く、造りもモダンで目を引きます。

サンセット十六羅漢の所にきました。ここで10kmコースの人と合流しました。10kmコースは、地元の小学生・保護者が多く参加されているようです。

これから海岸の方に下りていきます。

 

地元遊佐出身「斎藤勇氏」の歌碑があります。  冬来れば 母川回帰の本能に 目覚めて愛し鮭ののぼりくる

意味は、先人たちの長年の人口孵化事業の辛苦のもと、月光川で生をうけた鮭の稚魚が遠く北洋の旅を終えて、母なる川月光川の清流を慕い帰ってくる姿を詠みあげました。

 

十六羅漢岩は、吹浦海禅寺第21代寛海和尚が、日本海の荒波で命を失った漁師諸霊の供養と海上安全を願って、明治元年(1867)、22体の磨岩物を完工しました。

16の羅漢に釈迦牟尼、文殊、普賢の両菩薩、観音、舎利仏、目蓮の像を合わせて22体あります。

  

飛島は、山形県唯一の離島です。酒田市に所属しています。

 

出羽二見岩は、海に浮かぶ二つの並んだ岩に注連縄が張られ、二見ヶ浦になぞらえて出羽二見と呼ばれています。 5月と8月頃に出羽二見の間に夕陽が沈みます。

出羽二見岩の所には、芭蕉の句碑が建っています。 あつみ山や 吹浦かけて 夕涼み

※あつみ山(温海山)は、鶴岡市にある736mの山です。

この句の意味は、ここあつみ山から吹浦(海)を見下ろす。「あつみ山」と名前からして暑さを思わせる山から涼しい風を思わせる吹浦を見下ろすのは、しゃれた夕涼みだ。

     

  

 昼食会場は、西浜キャンプ場。ここでは、アオサの味噌汁が振る舞われました。

ここからゴールまではあと約10km。現在11時ちょうどです。ゴールは13時ごろかな??(寄り道をしなかったら)

  

再び歩き出します。鳥海温泉「遊楽里」の看板が見えてきました。歩友北九州のIさんは、ここに泊まっているそうです。また、FB仲間の埼玉・Oさんもここです。

今度参加するときは、ここを予約しようかな?(Iさんの話では、2月ごろに予約したそうです)

道の駅鳥海「ふらっと」に来ました。Iさんの情報では、店内で肉厚のカレイを焼いて食べさせてくれるそうで、それがおいしいとのこと。

食いしん坊の私たちですのでここは、寄り道をせざるをえません。ただ、ここの国道7号線、横断歩道がありません。仕方なく手を挙げて渡りました。(勿論、停まってくれた車に頭を下げました)

 

お魚の焼ける匂いこれもたまらないですね。カレイは身が厚く、脂ものっていましたのでおいしかった。

 

国道7号線を歩きます。前方には、風力発電用のたくさんの風車があります。このあたりは、風が強いところなんでしょうか?

  

2回目のチェックポイントが十里塚公民館です。ゴールまであと6、2km。現在12時丁度。ゴールは、13時15分ぐらいかな?

  

   

玉龍寺にやってきました。玉龍寺は、天保の国替事件をモデルにした、藤沢周平の「義民が掛ける」の舞台です。

天保の国替事件は、武蔵国川越藩主松平斉典を出羽国庄内へ、庄内藩主酒井忠器を越後国長岡へ、長岡藩主牧野忠雅を川越へ転封しようとしたもの。実現することはなかったが、

数ある三方領知替えの中で最も有名である。

第11代将軍徳川家斉の実子・斉省を養子にとった川越藩主松平斉典が、実高が多く裕福な 庄内藩領地を狙って幕閣に働きかけたものだったが、

庄内藩の士民を挙げた猛烈な抵抗にあい(天保義民事件)、翌年閏1月に家斉が没すると諸大名の間でもこの問題に対する不満が高まった。

同年7月に12代将軍徳川家慶の「天意人望」に従うとする判断によって沙汰やみになった

  

  

13:20 スタート会場の遊佐町民体育館にゴールしました。距離は、20kmでなく、22,9kmでした。

 

    

 

このあと、16:00からのウオーカーの集いに参加しますのでそれまで会場内を見て回りました。

 

 


酒田さんぽ「山居倉庫」(山形県酒田市)

2017-09-06 15:38:17 | 旅行

9/1(金) 山形県遊佐(ゆざ)町で行われる「第25回奥の細道鳥海山ツーデーマーチ」に参加するため、山形県酒田市に行ってきました。

福岡から山形には飛行機の直行便がなく、福岡空港から新潟空港へ行き、新潟から羽越本線で酒田に入るルートです。

    

2年ぐらい前、新潟・長岡に行ったとき初めて食べた「へぎそば」の味が忘れられなく、新潟駅で「へぎそば」をいただきました。

へぎそばとは、新潟県魚沼地方発祥のつなぎに布海苔という海藻を使った蕎麦をヘギといわれる器に盛り付けた切そばです。

    

新潟駅からは、12:33発「いなほ5号」で酒田に向かいました。(ウオーキング大会は、遊佐町で行われますが、ホテルは、酒田に予約していて、また、「山居倉庫」にもいってみたいので)

新潟・山形県境を超えるあたりから、電車は、日本海沿いを走ります。この海岸線を見ようと思ってましたが、いつの間にか眠ってしまいました。

電車は約2時間で酒田駅に到着。酒田駅の裏には、「鳥海山」が見えます。

   

     

酒田市は、 江戸時代、大阪と蝦夷地(現在の北海道)を結び、米やニシンなどを各地に運んだ北前船。酒田では「ベザイ船(べざいせん)」と呼ばれたこの回船は、中継港となった酒田に大きな繁栄をもたらしました。

酒田の湊は、蝦夷や上方に向かう北前船だけでなく、最上川を行き来する川船も多数集まり、大きな賑わいをみせ「西の堺、東の酒田」と言われるほどの賑わいだったといいます。

このように各地との交易が盛んだった酒田。「~さけ(接続詞)」という酒田の方言は、大阪の方言「~やさかい」に由来するといわれるなど、日本各地の言葉が方言として使われており、

方言からも各地との交流の濃さを感じられます。  (酒田市観光案内より)

マンホールにも千石船が描かれていました。

        

酒田で一番行きたかった所は、「山居(さんきょ)倉庫」。

酒田駅から山居倉庫までは、約2km。ホテルでバス路線を聞きましたが、1時間に1本ぐらいしかないそうで、私たちもウオーカーの端くれ。山居倉庫まで歩くことにしました。

山居倉庫は、米どころ庄内のシンボル、山居倉庫は明治26年旧藩主酒井家によって建てられた米保管倉庫です。

米の積出港として賑わった酒田の歴史を今に伝え、NHK朝の連続テレビ小説「おしん」のロケーション舞台にもなりました。

白壁、土蔵づくり9棟からなる倉庫の米の収容能力は10,800トン(18万俵)。夏の高温防止のために背後に欅並木を配し、内部の湿気防止には二重屋根にするなど、

自然を利用した先人の知恵が生かされた低温倉庫として、現在も農業倉庫として使用されています。敷地内には酒田市観光物産館「酒田夢の倶楽」、庄内米歴史資料館が併設されています。(酒田市観光HPより)

※写真家の土門拳さんの土門家は、代々この地で染物業を営んでいました。

   

  

強風や直射日光を避けるために植えられたケヤキ。現在は41本残っているそうです。

  

山居倉庫には、庄内米歴史資料館があります。入場料を払い中に入ります。

  

   

 

  

昭和58年(1983)のNHK朝ドラは、「おしん」でした。

おしんは、少女時代酒田の米問屋「加賀屋」に奉公に上がります。テレビでは、山居倉庫も映っていました。少女時代を演じた小林綾子さんの演技がよかったですね。

  

  

  

小鵜飼舟」・・・・・・・荷物を積んで最上川を上り下りする船には、ひらた船と小鵜飼舟の2種類がありました。どちらも舵は無く、櫂や帆で進み、急流を上る時には網で挽きました。

多く利用されたのは建造費の安かった小鵜飼舟です。3人乗りで、長さが15m、幅が1.7m。一度に30~50俵(2~3t)ものお米を運ぶことができました。

江戸時代には左沢より上流でしか使用できませんでしたが、明治時代になって制限がなくなると、下流でも小鵜飼舟が多く利用されるようになりました。

  

酒田市のゆるキャラは、黒獅子の「もしぇのん」と赤獅子の「あののん」です。

     

山居倉庫から駅に戻ります。途中、「本間家旧本家」という看板を見つけましたのでそちらに向かいます。

本間家旧本家の前で写真を撮っておられる方がいらっしゃいました。どこかで見たことのある方なんですが・・・・・・

埼玉の歩友Iさんの奥様の「お龍さん」でした。(写真左の方に写っています)

本間氏(ほんまし)は佐渡本間氏の分家で、山形県酒田市を中心に農地解放による解体まで日本最大の地主と称された豪商。

「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」と謳われるほどの栄華を誇りました。

本間家には、初代・原光(もとみつ) 以来、「弱者救済」、「地域貢献」の精神が受け継がれていました。特に三代目・ 光丘(みつおか)は、千石船(せんごくぶね) による商いを始める一方で、

農業振興のための土地改良や、長年にわたる海沿いの飛砂の害から人々を守るための砂防林の植林に心血を注いでいます。また、藩主のために建てた別荘や庭園には、

本間家の家族ですら立ち入らせなかったことや、庭園の造成は農民の仕事を確保するため行ったものであることなど、控え目で、常に地域の人々のことを考えていた姿が伝えられています。

地域と共に歩み発展に尽くした本間家は、現在でもその業績をたたえられており、酒田市には、松林や寄進した寺社仏閣など、本間家ゆかりの場所が数多く存在します。(山形県HPより)

酒田市には、本間家旧邸の他にも「本間美術館」もあります。残念ながらもう閉店時間を過ぎており、邸内には入ることができませんでした。

  

時間は、6時半を過ぎています。酒田でおいしいものをと探していると、タクシーの運転手の方から、紹介してもらったのが「さわぐち」。

高級料亭とはいきませんが、おいしい料理をリーズナブルな料金で食べさせてくれました。

酒田の地酒「初孫大吟醸」は、辛口でしたが、おいしくてお酒がどんどん進みます。明日は、ウオーキング大会、ある程度セーブしていただきました。

   

明日は、酒田発6時33分の電車でウオーキング会場の遊佐(ゆざ)町に行きます。今夜は早く寝ます。