よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

「第38回飯田やまびこマーチ1日目大平(おおだいら)宿コース22km」(長野県飯田市)

2024-04-30 18:48:12 | ウォーキング

4/27~28長野県飯田市で行われる「第38回飯田やまびこマーチ」に参加しました。

博多から新幹線で名古屋へ、名古屋から高速バスで飯田市へ。約6時間かかりました。

この大会これで4回目の参加。2020年にも参加する予定でしたが、コロナで中止になりました。

会場は、中央公園、中央公園の前はリンゴ広場になっており、リンゴの花が一斉に開いています。

 

 

 

大平(おおだいら)宿コース】

大平集落は長野県南部 飯田市と南木曾町との境界近くの山間の集落であったが、昭和45年に200年以上続いた集落を捨てて集団移住し、その村の歴史を閉じたのだった。
天龍川の流れる伊那谷と、中山道の通る木曽谷が並行している。この二つの谷の間には中央アルプスの山々が連なっているので、伊那谷と中山道を結ぶ道は極端に少なく、伊那谷南部の飯田市と中山道の南木曽妻籠を結ぶ大平街道は、唯一ともいえる峠越えの道だ。
この街道の開通は江戸時代中期の宝暦年間(1751~64)のことである。飯田藩と地元の商人山田屋新七の手によってであった。表向きの目的は山林開発のためとのことだが、実際は中山道を通る参勤交代の荷物運搬の人夫に伊那の農民を動員するための最短ルートを開くためであった。
その後大平は飯田と木曽を結ぶ大平街道の峠の宿場として発展した。幕末の戸数は37軒、旅篭2軒であった。明治38年にはこの街道が車両通行可能になり、伊那谷と木曽谷を走る二本の鉄道を結ぶ主要街道として全盛期を迎える。
明治末から大正期の大平は、林業・養蚕の最盛期とも重なり、宿場としての集落は繁栄の時代を迎え、暮らしは豊かになり、立派な構えの家も現れてきた。養蚕と豊かな林産資源で炭を焼き、標高1100mの高所に戸数75戸もの大平集落が形成された。
しかし大平の生業の中心は炭焼きで、昭和30年頃までは値もよく豊かな生活ができたが、石油エネルギー取って代られ生活の糧を失ってしまった。過疎集落になっていく大平はついに昭和45年に200年以上続いた集落を捨てて集団移住をしてしまったのである。
今この集落は僅か20数戸だが、宿場時代の姿が良く残っている。宿の建物の建築年代は江戸末期から明治期に建てられたものが殆どである。切り妻造りで、平入りの場合も妻入りの場合も、街道に面した側は出桁造り(せがい造り)になっていた。この出桁造りは中山道の木曽路から北国街道沿いなど、長野県を中心にして分布しているようだ。殆どが平屋建で中二階建もあるが、中二階は天井の低い物置として利用していたようだ。平入りと妻入りが入り混じり、屋根はかって全戸板葺石置きであったが、今は殆どその上にトタンを被せていたが、2・3戸は板葺石置きのままであった。
間取りは前土間型で道路に面して土間があり、道路に対しても、家内部に対しても広く開放されている。土間に接する床上部分が板張りになっていて、大きな「いろり」が切ってある。
今、残っている民家は宿場時代の旅篭から養蚕、林業、炭焼きで活気のあったときに建てられたもので大型の家屋が多く、山間のひなびた宿場にしては立派な構えで場違い的な建物が多い。


会場の中央公園からマイクロバスで約1時間かけて大平宿へ。

 

 

ここは、標高1150mの地点、建物は、江戸から明治にかけて建てられたものです。まさに原風景です。

 

 

 

一瞬別世界に来た感じです。

 

スタート前には、韓国ウォーキング協会会長が挨拶されました。

今から36年前、このやまびこマーチを視察され、大平街道の大自然の豊かさと奥深さを実感され、「この豊かな自然に恵まれた大平は、総合病院であり、みなさんの二本の足は、

お医者さんです」と熱く語られたそうです。今回も韓国・原州から10人が参加されています。

 

 

やまびこマーチでも以前は、ここで宿泊して下りるコースがあったそうです。

 

8:30 ウォーキング開始。気温を確認しようと携帯を見ると「圏外」の表示

 

 

未舗装の道を下っていきます。

 

途中には、こんな所もあります。

 

歩いていると空気が美味しいです。側を流れる「黒川」は、飯田市で天竜川と合流します。

 

 

  

鳩打隧道・・・・隧道の中は、真っ暗で持ってきたヘッドライトで照らします。

 

鳩打隧道の先にある「あずまや」までが、未舗装道路、ここからは舗装道に変わります。そして自由歩行。

 

 

舗装道を下っていると古傷の膝がいたくなってきた。

山道を下り一般道へ。

 

 

 

  

 

急な上り坂です。

 

  

昨年、滋賀県高島市今津を歩いた時に「ザゼンソウ」自生地の看板を見ましたが、ここにも自生地があるのですね。

 

膝が痛くなり、公園でしばし休憩。10分後再スタート。

 

 

ここから中央道高速の上を歩くのですが、この上りがきつい!高速道渡った所にある公園で再び休憩します。

 

 

飯田市中心部に入りました。ゴールまであと少しです。

14:00 無事ゴールしました。このコースアップダウンが多く少々バテました。

 

今日のGPSです。

翌日の中日新聞に飯田やまびこマーチの事が書かれていました。

 

 

 


第27回久留米つつじマーチ(福岡県久留米市)

2024-04-25 09:08:44 | ウォーキング

4/20~4/21まで福岡県久留米市で行われた「第27回久留米つつじマーチ」に参加しました。

この大会もう10回以上参加していますが、今年はスタッフとしての参加です。

私は、IVVの担当で10時集合でいいのですが、せっかくだから集合時間の前に10kmコースを歩きました。

【第一日目10kmコース】

 

7:30が40kmのスタート。それを見送り後方からスタート。

 

石橋文化センターを通り、高良川沿いに歩きます。

高良川沿いでは、毎年鳥越建設さんが個人で接待をされています。

 

分岐点を左折、正源氏公園へ

 

 

 

正源寺池から久留米競輪場へ

 

 

久留米競輪場から久留米大学御井キャンパスに向かいます。

  

久留米大学の中に初めて入りました。昔の職場の先輩が久留米大学出身でした。その先輩も今月帰らぬ人となりました。

 

高良大社の大鳥居です。

 

大鳥居の横(御井小学校内)には、薩摩街道府中宿本陣がありました。

 

御井小学校の所がチェックポイントです。ですが、早いので何も準備されていませんでした。

 

 

 

久留米そろばん踊りのモニュメントがあります。

久留米そろばん踊り(福岡県民謡) (youtube.com)

 

また、久留米には「久留米小唄」という歌もあります。久留米小唄2版 (youtube.com)

コースは筑後川沿いに歩き百年公園へ

 

ゴールが見えてきました。ちょうど10kmコースがスタートしていました。

 

何と、久留米観光大使女優の「田中麗奈さん」が応援に来られていました。

 

ゴール後、スタッフとしてIVVの担当をしました。

しばらく遠征をしていませんでしたので全国の懐かしい歩友と再開しました。

 

【久留米つつじマーチ2日目】

2日目も30kmコースの後、10kmを歩く予定でしたが、前日ふくおかウォーキング協会の会員さんからIVVが「2023年」になっている・・・と指摘を受け、

朝早くから昨日のIVV・今日の分のIVVを点検しました。

すると、全体の約2割ぐらいが「2023年」が混じっていました。

すぐ、大会本部に行きIVVを間違って配布したことをアナウンスしてもらうよう依頼します。

2023か2024かわからない人には、新しいIVVを渡し。何とか危機脱出しました。

早く気づいてホントよかったです。

2日目は雨が本降りになり、ウォーカーの方がずぶ濡れになってゴールされていました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

初めての大会スタッフでしたが、大会運営には裏方の力が必要ですね。いろいろ勉強になりました。

ですが、やはりお客さんとして歩きたいです。

 

 

 

 

 

 

 


楽しいウォーク「姪浜から西新まで郊外散策」(福岡市西区~早良区)

2024-04-22 18:47:37 | ふくおかウォーキング協会

4/17(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「姪浜から西新まで郊外散策」でした。

集合場所は、地下鉄姪浜駅。参加者40名。

 

9:30スタート

福重交差点の所に更地がありました。ここには、福岡市で老舗の家具屋さんがあった所です。(2022年廃業)

私が子供の頃は、「カワムラの家具と一緒にお嫁入り」がキャッチフレーズでした。創業は明治43年(1910)。あの頃は、天神が本店だったと記憶しています。

 

 

JA博多じょうもんさん福重市場で休憩。「じょうもんさん」とは、「上等」を意味する博多の古い方言で、JAでは、産直店を展開しています。

休憩後再スタート。室見川沿いに歩きます。つい2週間前は対岸の桜並木を見に行きましたが、その桜も葉桜になっています。

 

 

早良区原付近

ここにも川沿いに鯉のぼりが・・・

 

原中学校では、女子中学生が手を振ってくれました。

 

 

 

なかにし商店街へ

 

12:00 地下鉄西新駅にゴール!

お昼は、近くの長崎チャンポン店へ。

 

 

 

 

 

 


サタデーウォーク「直方チューリップフェアと直方の歴史探索」(福岡県直方市)

2024-04-16 07:03:05 | ふくおかウォーキング協会

4/13(土)ふくおかウォーキング協会サタデーウォークは、「直方(のおがた)チューリップフェアと直方の歴史探索」でした。

この時期、直方には、1,000人を超えるボランティアの方々の協力によって植えられた約20万球のチューリップが、遠賀川の河川敷に咲き誇ります。

集合場所は、JR直方駅。参加者31名。

直方(のおがた)」という地名は、福岡に住んでいるものだったら難なく読めるのですが、他の地区の方には、難解地名だと思います。

直方市のHPを見ると、「直方の中心部は、かつて、鞍手郡倉久村(現 宮若市倉久)に所在する内山寺の末寺である東蓮寺があったことから東蓮寺村と呼ばれていました。

元和9年(西暦1623年)、初代福岡黒田藩主の黒田長政が亡くなりました。その遺言で、四男高政に4万石を与え、この地に支藩を作ることになりました。藩主の館がこの東蓮寺村に

おかれたので、この藩は東蓮寺藩となりました。延宝3年(西暦1675年)、東蓮寺藩は直方藩と改名しました。「東蓮寺」を改名するにあたり、儒学者貝原益軒の兄で、当時本藩である

福岡藩から出向いていた貝原元端が「直方」と命名しました。これは、藩内の小村「直方(能方)村」(現直方市中泉)の読みを取り、中国の古典『易経』から縁起の良い「直方」の字を

当てたといわれています。

また、命名にあたっては南北朝時代にこの地方が、勤皇方(きんのうがた)であったり、懐良親王(かねながしんのう)方、つまり王方(のうがた)であったことにちなみ、

そう呼ばれていたとも伝えられています。」

また、大相撲元大関「魁皇」の出身地としても知られています。

9:30スタート。

 

 

多賀神社へ。多賀神社は直方城下町の鎮守として、元禄4年(1691年)から現在の場所に鎮座しています。別名を日若宮といい、江戸時代以来「日若踊」が奉納され、京都の葵祭りに

ならった御神幸とともに、県の無形民俗文化財に指定されています。一の鳥居は、宝永4年(1707年)直方藩最後の藩主黒田長清が寄進したことが、石柱の左右に刻まれており、

直方市で二番目に古い鳥居です。

 

多賀神社から遠賀川沿いに歩きます。

 

 

 

須賀神社へ。「須賀(すが)神社」は、1350年以上の古い歴史があり、平安時代の貞観3(861)年には、境内に隕石が落ちてきたという摩訶不思議な神社です。

この隕石は「直方隕石」と呼ばれています。目撃記録が残り、科学的に鑑定・証明された世界最古の隕石として知られています。境内には、記念碑が建てられており、隕石のレプリカが

一般公開されていますが、5年に1度10月の「神幸大祭」では、実物の隕石が公開されます。

 

 

神社には、狛犬のほか、大黒様・恵比寿様もあります。

須賀神社から再スタート

 

 

もち吉チューリップ園  もち吉は、直方が本社、チューリップフェアに合わせ、チューリップ園には、何種類ものチューリップがあります。

 

もち吉で買い物を済ませ、再スタート

東勘六橋を渡り、遠賀川河川敷へ。

 

河川敷では、チューリップフェアが開催されています。

 

見事なチューリップの数々です。

 

 

 

 

綺麗なチューリップのもとで記念写真

 

チューリップ鑑賞の後、ゴールの直方駅に向かいます。

 

商店街の処には、長崎街道直方宿西構え口があります。

直方のお菓子と言えば、「成金饅頭」です。

成金饅頭は投機に失敗したある青年が生み出したとされている。明治時代のこと、日露戦争で物資の値が高騰することを見込んだ青年はうずら豆を大量に買い込んだ。しかしその直後に日露戦争は終結。相場は暴落し、青年は貨車数台分のうずら豆を抱えることとなった。途方に暮れた青年が大量の豆を処分するためにうずら豆から白餡を作り饅頭を製造したところ、好評な売れ行きを博したのが成金饅頭の始まりであるとされている。当時の筑豊では重労働で疲労した炭鉱労働者たちに甘い菓子類が大変好まれていた

「成金」の名称については、炭鉱で財を成した成金が多かったため、地元で炭鉱王と呼ばれた貝島太助が名付けたため、鉱山機械を売って財を成した沼田槌蔵にちなんだなど諸説がある。

最盛期の1950年代には10軒ほどの店で作られていたが、炭鉱の衰退とともに2020年の時点では大石、喜久屋、博多屋、まとやの4軒まで減少した。一方で、近年ではインターネットや電話による通信販売での売れ行きが伸びている。2000年には直方市出身の魁皇が大関に昇進したのを記念して魁皇の焼印を押したものが商品化され、九州場所期間中やイベントなどで

販売されるようになった。 (wikipediaより)

 

12:15 直方駅にゴールしました。

 

 

 

 

 

 


楽しいウォーク「みなと百年公園から多々良川河畔を歩く」(福岡市東区)

2024-04-12 10:38:34 | ふくおかウォーキング協会

4/10(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「みなと百年公園から多々良川河畔を歩く」でした。

福岡市内の桜は、前日の雨風で花が散ってしまい葉桜状態です。本来ならここ みなと百年公園も桜の名所ですが・・・・

 

集合場所は、JR香椎駅、参加者40名。

9:30 香椎駅スタート

 

 

桜はもう葉桜になりかけています。

 

 

みなと百年公園は、博多港開港100周年を記念して平成11年(1999年)に造られました。

 

 

百年公園から名島海岸へ

 

昔、「妙見島」というのがあり、(今は、埋立てられています)天正年間(1573~1592)名島城主小早川隆景公在城の時、博多の豪商神屋宗湛が茶会を儲け隆景公を饗したと宗湛日記に

記されています。

 

名島水上飛行場」は1930年に設置された水上機専用の飛行場。翌年1931年に、世界一周中のリンドバーグ夫妻が水上機シリウスに乗ってやってきました。陸上機が使えないという使い

勝手の悪さから1934年に閉鎖。また「名島橋」というのは、飛行場のための道路整備の一環として架橋されたものです

 

 

名島神社」その昔、神功皇后が名島の黒崎海岸から三韓へ出兵される際、宗像三女神に無事を祈願されました。無事に帰還され、祈願成就のお礼として

三女神を奉斎されたのが、名島神社のいわれと略記に記されています。

また、「名島」という地名の謂れは、神功皇后が出航に当たって海岸で将校の名を呼び、最後の兵の名をしめ切った→ 名しめ→名島

あるいは、船出するとき、軍勢の名を呼んだことから名を呼ぶ島とされたと地名由来として伝えられています。

 

 

名島神社の上には「名島城址」があります。

戦国時代天文年間(1532~1555)に立花城主立花鑑載が支城として築造したといわれ、のちの天正16年(1586)から慶長5年(1600)の黒田入城まで、秀吉から筑前国を与えられた

小早川隆景・秀秋がここを改修し居城とした。東をのぞく三方を海に囲まれた戦国時代の城郭で、北に本丸、その南に二の丸、三の丸を配し、海水を引き込んだ堀割と空堀で周囲を防御する。東西840m、南北280~400mの規模をもつ。関ヶ原の戦い以降、初代福岡藩主黒田長政も初めここを居城にしたが、城下町の発展に不便な地として、慶長6年(1601)から福崎の地に

福岡城の築城を始めた。慶長12年(1607)福岡城の完成、移転とともに廃城となった。この時石垣や門などを新城に輸送したといい、遺構として名島門(市指定建造物)が福岡城に、

唐門(県指定建造物)が崇福寺に残る。(福岡市の文化財より)

 

名島神社を下りると「名島発電所跡」があります。

当時東洋最大と言われた火力発電所を偲ぶ記念碑です。大正9 年に第1 号発電機が竣工し、高さ61 メートルを誇る4 本の煙突が発電所の象徴となり、その姿は市内の至る所から確認できたと

言われています。その煙突も1961 年(昭和36 年)から1962 年(昭和37 年)にかけて順次解体されました。現在、跡地は名島運動公園となっています。

 

踏切を渡り多々良川河畔へ

 

国道3号線博多バイパスに入ります。この区間3号線の渋滞緩和の為、2018年3月に開通しました。

旧唐津街道上にありますが、その風情はもう残っていません。

 

12:00 千早駅にゴールしました。

 

この日のGPSです。

 

 

 

 

 


4月例会「南区公園桜とため池巡りウォーク」(福岡県那珂川市~福岡市南区)

2024-04-10 05:34:00 | ふくおかウォーキング協会

4/6(土)ふくおかウォーキング協会4月度例会は、「南区公園桜とため池巡りウォーク」でした。

福岡市内の桜も散り始めている所もあり、花見ウォークもこれが最後かもしれません。

集合場所は、JR博多南駅。参加者は、33人でした。

スタート前、23年度例会の皆勤賞の表彰が行われました。皆勤賞は7人でした。

 

9:30スタート。先ずは安徳公園へ。ここには満開の桜があります。

 

 

安徳公園から県道577号線へ

 

 

鶴田南公園の桜

 

 

 

この辺りは、「老司(ろうじ)」地区です。

老司という地名の由来は、6世紀初め大和朝廷成立とともに大宰府の前身である「筑紫の宮家」が設定されたころ、「粮米(ろうまい)」を司った役人がいた所であろうという言い伝えが

あります。その粮米を扱った人を「粮米」と呼んでいました。粮米→老司となったそうです。

因みにこの近くには「日佐(おさ)」という地区があります。日は、曰くの曰、佐は、助けるという意味です。ですから曰くを助ける→つまり通訳の方がおられたそうです。(諸説あり)

 

老松神社は、菅原道真の御両親「菅原是善」「吉祥院」をお祀りしています。

この神社の近くには、国指定の「老司古墳」があります。

老司古墳は、全長約75mの前方後円墳。後円部径約42m・高さ約8m、前方部幅約40m・高さ約4m、葺石・埴輪を備える。後円部で3基・前方部で1基、計4基の埋葬施設が確認されている。

いづれも竪穴系横口式石室で、石室内から三角縁神獣鏡を含む銅鏡10面や装身具、武器、武具、馬具、工具などが出土した。5世紀初頭の築造。国指定史跡、2000(平成12)年指定。

ただ福岡少年院の敷地内にあるので立ち入ることができません。

 

 

  

 

箱の池は、柏原地区と屋形原地区の農業用水です。昔は、この池の水をめぐって争いが絶えなかったそうです。

今では、整備され、周囲960mの遊歩道があります。

 

 

 

柏原中学校を通り、12:10 JAじょうもんさん花畑市場にてゴール。

 

 

 

 

 

 

 

 


優しいウォーク「室見川河畔花見ウォーク」(福岡市早良区)

2024-04-08 05:41:13 | ふくおかウォーキング協会

4/4(木)ふくおかウォーキング協会やさしいウォークは、「室見川河畔花見ウォーク」でした。

前日の楽しいウォークは、雨に遭い途中でショートカットしました。今日の天気は、雨は降ってないけど曇り空でいつ降ってくるかわからない状態です。

ふくおかウォーキング協会は、今週花見ウォークです。土曜日には、南区の公園桜ウォークです。

集合場所は、地下鉄七隈線橋本駅。参加者は25名。

 

9:30 スタート。室見川沿いに歩きます。

 

桜は満開です。

 

 

 

満開の桜のもとで記念写真

 

これは、キクラゲです。生えているのを見たのは初めてです。

 

 

昨日風が強かったのか、桜の花も散っているのが見られます。

有住公民館で休憩。

 

休憩後再スタート

 

 

室見駅手前でゴール!

 

今日のGPS

 

 

 


楽しいウォーク「福岡市中心部の桜観賞ウォーク」(福岡市博多区~中央区)

2024-04-07 11:50:43 | ふくおかウォーキング協会

4/3(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「福岡市内中心部の桜観賞ウォーク」でした。

福岡市内の桜は、昨日(4/2)満開宣言が発表されました。

今日のウォークは、絶好の花見ウォークだと思われましたが、残念なことに朝から雨、それも雷を伴い激しく降るとの予報。

事前では、35人ほどの参加者を見込んでいましたが、雨の為かキャンセルが相次ぎ、結局25名の参加でした。

集合場所は、旧博多駅があった「出来町公園」9:30スタート。

今日のウォーキングは、昼から雨が激しくなりそうなので西公園までは行かず、舞鶴公園までとします。

 

先ずは、「櫛田神社」へ。3日前に神社の枝垂れ桜を見ましたがその時は、5分咲きでしたが、今日は満開です。

 

櫛田神社横の冷泉公園へ

 

 

九州一の歓楽街「中洲」へ。中洲は、博多川と那珂川の間に出来たデルタ地帯です。

かつては、(私が学生の頃)福岡市の映画館が密集していましたが、今は、「大洋映画劇場」のみ。

その大洋映画劇場も先月末(3/31)老朽化の為閉館になりました。学生時代は、授業をさぼりよくこの映画館に行ったものでした。

  

 

天神中央公園

 

 

福岡市中央区天神

先日、地価公示価格が発表されました。福岡市中央区天神地区が ㎡/@1000万円 と九州で一番高い所です。

仮に私のシューズの片足が長さ27cm、幅5cmで計算すると、シューズ片足が0.0135㎡になります。これに公示価格1000万円をかけると、13万5千円です。両足だと27万円・・・・

これで1万歩歩くと13億5千万円です。

天神から舞鶴公園へ向かいます。

 

 

 

この期間「さくらまつり」が開催されています。今年は天守閣のない福岡城址に「幻の天守閣」が出現します。

 

 

 

雨もひどくなり雷も鳴ってきました。一応今日のウォーキングは、ここまでとします。

解散後、個人でお城周りの桜を鑑賞しました。

 

 

 

 

 

 

 

※火の見やぐらでなく「潮見櫓」も間違いです。

今日のGPSです。

注)ふくおかウォーキングのウォーキング予定表は、右のQRコードから検索してください。  

 

 

 


台湾旅行「花蓮」

2024-04-05 16:03:47 | 旅行

台湾の地震の被害はすごいですね。

今回の地震の被害の大きかった「花蓮」には、2011年12月、仕事をリタイアした記念に行きました。

その時のブログです。

台湾旅行(その7)花蓮太魯閣渓谷へ - よっちゃんのおててつないで (goo.ne.jp)

明日にでも役所に行って少額ですが、台湾地震の復興のため寄付したいと思います。