よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

アニメ「鬼滅の刃」の聖地「竈門神社へ」(福岡県太宰府市)

2020-11-30 13:37:33 | ウォーキング

11/25ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、太宰府市にある「竈門神社へ」でした。

アニメ「鬼滅の刃(きめつのやいば)」が今、大ヒットしており、この竈門神社は、鬼滅の刃ファンには、聖地となっています。

竈門神社が「鬼滅の刃」発祥の地・聖地といわれる理由は、作者「吾峠呼世晴(ごとうげこよはる)」さんが福岡県出身で、炭次郎や禰豆子の苗字と同じ「竈門」が神社名であること。

また宝満宮竈門神社は、大宰府政庁の鬼門除けとしてお祀りされたと言われています。

JR九州は、鬼滅の刃のラッピング電車やSL無限列車を走らせています。(SLは、11月いっぱいで終了しています)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

集合場所は、西鉄五条駅。参加者44名。

 

 

梅林スポーツ公園でトイレ休憩。

 

歩いていると宝満山が見えてきました。竈門神社は、宝満山の麓に鎮座しています。約1時間で竈門神社に到着。

 

竈門神社は、紅葉の名所としても有名です。今日は平日なのに駐車場は満杯。皆さん紅葉と鬼滅の刃の聖地ということで来られているのでしょうか?

  

  

竈門神社は、大宰府政庁の北東に位置し、鬼門を守るとされる。神武天皇のご生母 玉依姫命(たまよりひめのみこと)を祀り、現在は縁結びの神様として信仰が厚い。宝満山頂に上宮、

麓に下宮がある。宝満山は標高829m、福岡で最も登山者が多い山といわれている。2013年、鳥海山、富士山に次ぐ、霊山として全国3例目の国の史跡に指定された。

  

境内を見ると、鬼滅の刃の絵馬の数が凄い。

紅葉鑑賞後、太宰府天満宮へ再スタート。国立九州博物館で仮ゴール。国立博物館から動く歩道で太宰府天満宮へ。

 

 

天満宮では、菊花展が行われていました。

 

  

  

ゴールの太宰府駅に向かいます。参道には、観光客の方が以前に比べ増えてきたようです。

11:54 ゴール。今日のGPSです。

 

 


伊万里ウォーク20km(佐賀県伊万里市)

2020-11-29 11:22:54 | ウォーキング

11/23(祭)佐賀県伊万里市で行われる「伊万里ウォーク」に参加しました。コロナ禍で県外の大会に参加するのは、2月の沖縄浦添ウォーク以来です。

   

私達が参加したのは、伊万里湾はちがめコース20km。はちがめというのは、伊万里の方言で「カブトガニ」のことです。生きた化石といわれるカブトガニは、伊万里湾で生息しています。

会場は国見台陸上競技場。参加者は約150人ぐらいかな?受付では、コロナ対策として検温、手指の消毒、アンケートの提出などが行われました。

 

9:00 佐賀県ウォーキング協会の方の大きな声での「激」でスタート。

 

  

競技場をスタートして国道202号線を歩きます。

   

松浦鉄道西九州線沿いに歩きます。

  

   

最初の休憩所が里公民館です。飴玉をいただき再スタート。公民館の先には、「青幡神社」です。

 

青幡神社のクスノキは、樹齢約1000年で松浦党ゆかりの神社です。これは、松浦党二代源直が党の始祖を祀るとともに領地鎮護の為建立しました。

 

最初のチェックポイントは、松浦一(まつうらいち)酒造です。チェックは、ゼッケンにステッカーを貼ってもらいます。

 

松浦一酒造は、正徳6年(1716)に創業されました。松浦一という名前は、松浦地方で一番になりたいという願いが込められています。(伊万里は松浦半島の中にある)

この蔵元には、屋根裏から出てきた河童ではないかといわれるミイラが水神様として祀られています。

 

松浦一酒造を出て歩いていると、どうも町の風景が旧街道みたいです。調べてみると、楠久・楠久津地区は、寛永19年(1642)に佐賀藩が海上交通の要衝であった伊万里湾の抑えとして

番所を整備。両地区には船奉行宅地、本陣、寺社などが50箇所点在しています。後には、伊万里で掘った石炭を船出していました。

伊万里市内には、昭和30年代には中小の炭鉱が10社以上あったそうです。

  

楠久から伊万里湾大橋を目指します。

 

伊万里湾大橋は、全長651m。橋には、伊万里焼の茶碗が埋められています。

  

橋を歩いていると、しまなみ海道を歩いているような錯覚にとらわれます。

 

橋を渡ると急坂です。

 

ここから3kmぐらい伊万里湾沿いに歩きます。夢りんりんロードと呼ばれています。

  

途中、川副新田、川副綱隆候の碑がありました。瀬戸地区は、江戸期より塩づくりが代々行われていたが、水田が少なく、川副綱隆は、堤防を築き干拓事業を行い、明治34年(1901)

広大な水田が完成しました。藤山雷太(元外務大臣藤山愛一郎氏の実父)、森永製菓創業者森永太一郎は学友でした。

 

2回目のチェックポイントは、カブトガニの館です。カブトガニは、生きた化石と呼ばれ、西日本の瀬戸内海、北九州市、大分・杵築、福岡市、佐世保市などに生息しています。

 

カブトガニの漢字は難しく、PCで変換しても出てきません。カブトガニの館の裏には、カブトガニ神社がありました。

  

 

伊万里市の市街地が見えてきました。ゴールまであと8km弱です。

 

伊万里津大橋中央の左右には、「染錦四季草花文大壺」「染錦花見風俗絵大壺」という高さ1,5mの大きな壺が飾られています。これは、江戸期輸出されていた当時の古伊万里の2倍の大きさで

再現されています。

 

ゴールの国見台陸上競技場が見えてきました。信号待ちしていると、左側に森永製菓創業者「森永太一郎」碑苑があります。安倍晋三前総理夫人の明恵さんは、森永太一郎の外曾孫娘にあたります。

 

12:50 ゴールしました。スタートしてから3時間50分でした。ゴール後の抽選では(1等は伊万里牛)明太子が当たりました。

  

今日のGPSです。

 


「古賀市街地散策」(福岡県古賀市~福津市)

2020-11-22 11:29:48 | ウォーキング

11/18(水)のふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「古賀市街地散策」でした。

集合場所は、JRししぶ駅。このししぶ駅は、2009年(平成21)に開業。開業前は、仮称鹿部駅でしたが、北海道函館本線に同じ漢字の「鹿部(しかべ)駅」があるため

ひらがな表示の「ししぶ駅」になりました。ししぶ駅から近くの「みあけ史跡公園」に移動。

公園近くのグラウンドでは、60歳以上のシニアの方がソフトの練習をされていました。私も2年前までは、町内のソフトチームに所属していましたが、体力の衰えで引退しました。

でも、このような練習風景を見ると、体が熱くなります。

 

みあけ史跡公園には、何本もの杭?が立っています。何だろうと思って調べてみると、

古賀市の美明地区にある「みあけ史跡公園」は、かの日本書紀に記されている「糟屋屯倉(かすやのみやけ)」の候補地と目されている県指定史跡の鹿部田渕遺跡を保存公開するべく

つくられた同市初の歴史公園。道路を挟み南北に分かれた園内では、6世紀中頃から7世紀初頭までに使われたという大型の建物群が実物大の支柱によって再現されており、

独特の景観が目を引きます。一般には竪穴住居による集落の発見が多い中、その特徴から公的な施設として大和朝廷との関連も言われています。

なるほど、糟谷屯倉の候補地だったのですね。

継体天皇21年(527年)筑紫の磐井が反乱を起こし翌年物部麁鹿火(もののべのあらかい)によって鎮圧。磐井の息子葛子は、父に連座して誅せされることを恐れてこの屯倉を献上しました。

屯倉の候補地は、鹿部田淵遺跡の他に粕屋町の阿恵(あえ)官衙遺跡もあります。

公園内には、古賀市の歴史がわかる案内板が設置されています。

 

 

ストレッチの後、9:30スタート。

 

鹿部の地名にもなった鹿部山(60m)。鹿部山は、二つの峰を持つ山でしたが、花鶴丘団地の造成で東と中の峰は削られて無くなりました。

西の峰は残され、鹿部山公園として市民の憩いの公園になっています。

 

 

千鳥ヶ池公園は、30,500㎡の池の周りに散策路があります。ここで休憩します。

 

 

千鳥ヶ池公園の近くには、県立玄界高校があります。

 

古賀市から福津市へ。11:17福津市の福間駅にゴール。

 

今日のGPSです。鹿部山公園散策を略しましたので距離は、7,2kmでした。

 

 


福岡の紅葉③「八女津媛神社の紅葉」(福岡県八女市矢部)

2020-11-21 05:10:15 | ウォーキング

11/17(火)は、紅葉の名所、福岡県八女市矢部にある「八女津媛(やめつひめ)神社」に行ってきました。

自宅から車で約2時間半、ここは、大分県日田市、熊本県鹿北町・菊鹿町との県境です。

 

  

八女津媛神社は、大和朝廷の時代、景行天皇が八女の地に巡幸の折、水沼の県主猿大海が「この地方に女神あり。その名を八女津媛といい、常に山中におる」と奉上したことから

八女の地名が起こったといわれ、その女神を祀った1300年の歴史があるとされる神社。養老三年(719)の創建と伝えられています。この地は、古くは水源地として重要視され、

中世には修験道の行場としても大切な所であったそうです。現在は、飛、土井間、神ノ窟、竹ノ払四区の氏神となっており、約四十戸の氏子が奉祀しています。

神社の前にある「権現杉」は、樹齢600年、直径1,7m、高さ44,8m、幹回り5,7mです。

 

  

   

巨大な岩窟は、神の窟(かみのいわや)と呼ばれ八女津媛がまつりごとをしていたそうです。神の窟から落ちるしずく「媛しずく」は、八女津媛が顔を洗ったであろうとも言われ、

地元では、美容や美白に良い「美人の水」といわれています。私もこのしずくで顔を洗いました。きっと美人になるでしょう!!

また、この石清水を写真に撮ると願いが叶うとされているそうで、21日から始まる日本シリーズ ホークスの必勝祈願をしました。 

   

 

八女津媛神社の紅葉は、今がピークでしょうか、赤、黄色、緑のコントラストが見事です。

 

 

帰りに「杣の里」に寄ってみました。ここでは食事もできますし、地元の農作物を販売しているコーナーもあります。※ 杣の意味

 

ここから矢部川沿いの紅葉もきれいです。

 

  

「ハート岩」という看板を見つけました。カップルや恋愛成就を願う女性たちの間で人気のスポットで有名です。

  

 

矢部地区は奥八女と呼ばれています。私は今回初めて訪問しましたが、春の桜の時期も素晴らしいそうです。春も行ってみたいです。

 

 


福岡の紅葉② 「油山の紅葉」(福岡市南区)

2020-11-19 12:39:33 | ウォーキング

11/13(金)福岡市内の紅葉の名所、「油山紅葉谷」に6年ぶりに行ってきました。油山市民の森に車を止めウォーキングスタート。

管理事務所の紅葉情報では、油山紅葉谷の紅葉は赤く染まっています。

  

 

先ずは、ぎんなん展望所から福岡市内を眺望します。(福岡市南区あたりかな?)

 

30分ほどで紅葉谷に着きました。

 

紅葉は、今が一番の見頃ですね。 

紅葉谷からつり橋を渡ります。

   

幼稚園児も登ってきました。遠足かな? 歩いていると、「頂上」の看板を見つけました。6年ぶりに油山頂上を目指します。

 

油山市民の森では、全国からの樹木も植えられています。

  

頂上までの長い、急な階段が続きます。私たちが上ったのはBコースです。

  

 

フーフー言いながらやっと山頂に到着。

  

山頂からの眺めです。

 

山頂で昼食用にと持ってきたお握りをいただこうかと思いましたら、小学生の集団が続々とやってきました。

聞くと野芥小学校の5年生の遠足でした。小学生は、学校から妙見口を通り山頂までやってきたそうです。僕らを見ると「こんにちは」と元気な声であいさつします。

ホント、彼らから元気をもらったみたいです。

頂上は場所が狭いので彼らに譲り、下っていきます。足元に気を付けながら降りていきました。

  

 


11月度例会「大興禅寺を訪ねて」(佐賀県基山町)

2020-11-18 06:17:46 | ウォーキング

11/14(土)ふくおかウォーキング協会11月度例会は、佐賀県基山町にある「大興禅寺を訪ねて」でした。

集合場所は、JR基山駅。参加者37人。

養老元(717)年、行基(ぎょうき)が開山した天台宗のお寺である大興善寺(だいこうぜんじ)は、別名「つつじ寺」と呼ばれるほどのツツジの名所です。本堂の裏山一帯の75,000平方メートルの

ツツジ園は、見頃の4月中旬~5月初旬になると約5万本のツツジで埋め尽くされます。紅葉の名所としても有名で、四季を通じたくさんの人が訪れます。

私も今まで春・秋のJRウォークや協会の例会などで何回も訪れています。9:30スタート。

会場には、佐賀県の歩友民子さんも来られていましたが、体調不良の為ウォーキングには参加されませんでした。

 

歩いていると「皇帝ダリア(木立(こだち)ダリア)が咲いています。この花を初めて見たのは、確か十数年前の下関ウォーキングだったと思います。

この花は、メキシコ原産で成長すると3~4mになります。秋空に映える花ですね。

    

 

大興禅寺は、つつじが綺麗なことで「つつじ寺」とも呼ばれています。

長い階段を登っていきます。

  

大興禅寺の紅葉は、境内の前は、見頃ですが、境内の奥(有料)がまだだそうです。25日過ぎが見ごろだそうです。

本来は、境内の中に入って弁当を食べながら紅葉を楽しむ予定でしたが、紅葉がまだですのでしばし休憩の後帰途につきます。

  

 

 

 

この大興禅寺のウォーキングは、今月28日、JR九州ウォーキングでも行われますので、これにも参加したいと思っています。

 

11:35基山駅にゴールしました。

 

今日のGPSです。

 


アイランドシティ散策(福岡市東区)

2020-11-16 12:53:11 | ウォーキング

11/11のふくおかウォーキング協会の楽しいウォークは、「アイランドシティ散策」で東区照葉地区を歩きました。

集合場所は、西鉄香椎花園前駅。参加者44人。参加者の中には、骨折で休養されていたみやま市のMさんも3か月ぶりに復帰されていました。

   

9:30スタート。

香椎花園横を通り香椎潟のあいたか橋へ。

 

 

香椎潟には、鴨が来ていました。

  

このアイランドシティ地区は、JRウォークや協会の例会などで何回も歩いていますが、来る度に高層マンションができたりしてあたりの風景が変わっています。

このアイランドシティは、福岡空港から離れているため航空法に基づく高さ制限が緩和され高層マンションの建設ラッシュが続いています。

  

最初の休憩地が青果市場です。あいにく水曜日が定休日の為トイレ休憩だけになりました。

 

「歌劇・ザレビュー」は、2013年(平成23)長崎県佐世保市のハウステンボスに誕生した歌劇団の専用劇場で、HTB、ラグーナテンボス(愛知県蒲郡市)に続き3番目の劇場です。

中央公園を通り、帰途に向かいます。

 

照葉(てりは)公民館もユニークなデザインになっています。

 

香椎潟に戻ってきました。作家松本清張さんの「点と線」の舞台がここ香椎です。点と線を書かれたのが1957年(昭和32)ですので63年経った今の香椎を清張さんが見られると

また違った点と線が出来上がったのではないでしょうか?

 

クロツラヘラサギ

  

11:23西鉄香椎駅にゴールしました。この日のGPSです。

 

 


福岡の紅葉 ①雷山千如寺(らいざんせんにょじ)の紅葉(福岡県糸島市)

2020-11-12 18:26:59 | ウォーキング

11月12日は、私の〇〇歳の誕生日です。

誕生日記念ということで、先日の新聞で紹介された「雷山千如寺」の紅葉を見てきました。平日だというのに駐車場は満杯。千如寺上の駐車場に車を止めました。

雷山(954,4m)の中腹にある千如寺は、平地より高い処にあるため例年11月中旬ぐらいに紅葉の見ごろを迎えます。

 

雷山千如寺 (雷山千如寺の説明です。クリックしてください)

入山料100円を払い寺内へ。入ると見事な樹齢400年高さ8mの大楓が迎えてくれます。

 

 

今日は平日ですが、新聞で紹介されたので貸し切りバスなどで多くの見物客が来られていました。

陽が当たる所は紅葉が早く、日陰の所はまだ緑の葉でした。

 

 

境内の裏の方に行って見ます。

 

 

  

 

 

 

 

千如寺から約1km登ったところに「雷(いかづち)神社」に行ってきます。ここにも高さ8mの大楓があります。雷神社の説明はこちらです。※雷神社 

 

  

 

今日は快晴で気持ちのいい紅葉見学でした。

 


遺跡を訪ねてウォーク(福岡市博多区)

2020-11-06 19:06:53 | ウォーキング

11/4(水)の福岡ウォーキング協会楽しいウォークは、「遺跡を訪ねて」でした。

集合は、JR南福岡駅近くの寿町公園。9:30スタート。

 

雑餉隈(ざっしょのくま)の銀天町商店街を通ります。商店街の突き当りが「西鉄雑餉隈駅」。

福岡の難解地名で有名な「雑餉隈(ざっしょのくま)」ですが、江戸時代博多から大宰府を結ぶ「大宰府往還路」の間(あい)の宿であったことから大宰府詣でをする人々の為の

休憩の場所として酒食を商う店で古くから栄えました。雑餉隈の「餉(しょく)」の意味は、めし、食料、旅人や田野に働く人などの携帯食糧、弁当などの意味があります。

朝餉、昼餉、夕餉に使う「餉」です。「隈」という意味は後程説明します。

尚、JR南福岡駅ですが、昭和40年代までは、国鉄雑餉隈駅でした。

 

御笠川を渡り、金隈(かねのくま)遺跡へ。

 

金隈遺跡は、福岡平野の東を御笠川に沿って南北にのびる月隈丘陵のほぼ中央にある。
弥生時代の共同墓地の遺跡で、弥生時代前期の中頃(紀元前2世紀)から後期の前半(2世紀)までの約400年間にわたって営まれた。
この遺跡からは、348基の甕棺墓と119基の土壙墓、2基の石棺墓が発掘されている。最初に土壙墓が作られ、その後に甕棺墓、最後に石棺墓が作られたものと考えられる。
甕棺墓からは、136体の人骨が出土した。平均身長は、男性が162.7cm、女性が151.3cmで、縄文人と比較すると、顔も面長になり、身長も急に高くなっている。このことから、

朝鮮半島との交流による混血が行なわれていたのではないかと考えられる。墓中の副葬品には、種子島からオーストラリアまでの海中にしか生息しないゴホウラ貝で作った腕輪や、

石剣、石鏃、首飾り用の玉などが見つかり、中国大陸や南方文化との交流を物語っている。
福岡市教育委員会が行なった、これらの発掘調査の結果から、遺跡は、弥生時代墓制の典型的な遺跡として、昭和47年に国指定の史跡として保存されることとなった。
昭和60年3月には、遺跡を保存、展示するため、発掘調査現場に屋根をかけるような形で展示館が建てられ、甕棺や人骨が発見されたままの状態で見学することができる。(福岡市の文化財より)

  

 

 

博多区には、金隈のように「隈」が付く地名があります。月隈、雑餉隈・・・・・

隈というのは、川の流れが屈曲している所です。この地域でいうと御笠川です。昔は、曲がりくねった川だったのでしょうね。

 

我が国最古の稲作集落跡の一つ、国指定板付遺跡にやってきました。福岡市の文化財HPを見ると、福岡平野の中央よりやや東寄りに位置する。御笠川と諸岡川に狭まれた標高12mの

低い台地を中心として、その東西の沖積地を含めた広大な遺跡である。遺跡は弥生時代が主であるが、それに先立つ旧石器、縄文時代や後続する古墳~中世の遺跡もある複合遺跡である。
台地上には幅2~4m、深さ約2~3m、断面Ⅴ字形の溝を東西約80m、南北約110mの楕円形にめぐらした環溝がある。環溝の内外には米やその他の食料を貯蔵するための竪穴(貯蔵穴)が

多数掘り込まれている。
台地の東西の低位段丘上には旧諸岡川から用排水路が引き込まれ、水路には井堰が設置されており、水をコントロールできるようにしている。また、土盛り畦畔で囲まれた水田には

水口(水尻)を設けており、整備された水田が開かれ、稲作と共に高度な土木技術がもたらされたことを証明しているとともに日本で最も早く稲作農耕が開始された。
弥生時代前期末には北部九州でも有数の集落に発展している。大正五年に環溝の東南に位置する田端地区から甕棺墓数基が発見され、中から細形銅剣、細形銅矛各3本が出土している。

これらの甕棺墓には大きな墳丘があったとみられ、有力者が台頭したことを示している。このころは環溝周辺だけでなく、北方の現板付北小学校や南側の台地にも集落が広がり、

貯蔵穴群や墓地が発見されている。このように、板付遺跡は日本における稲作農耕の開始について重要な問題を提起するとともに、弥生時代の人々の生活や社会を解明するのに、

集落、墓地、生産地(水田)が一体となって把握できる数少ない遺跡である。
出土遺物は莫大な量にのぼり、土器、石器、本器をはじめとして、当時の自然環境を知ることのできる自然遺物が検出されている重要な遺跡である。(福岡市の文化財HPより引用)

  

板付遺跡弥生館では、弥生時代の水田や竪穴住居などが復元されています。

  

板付遺跡からゴールの山王公園を目指します。

 

11:50 山王公園へゴール。

今日のGPSです。GPSでは、9,15kmと表示されていますが、このあと博多駅まで歩きましたので約10km歩きました。