新しい車の試運転も兼ね、佐世保「梅ヶ枝酒造」焼酎蔵開きウオーキングに参加しました。
スタートは、JRハウステンボス駅。
ハウステンボスは、1992年に開業したころ一度行きましたからもう20年ぶりでしょうか。
駅周辺もきれいになり目の前にはJR九州の大きなホテルも建っています。

駅から山道に入ります。
この辺りは、西海みかんの産地で側にはおいしそうなみかんが収穫を待っています。

峠の上に来ますと大村湾、ハウステンボスが一望できます。
この中の真ん中の塔は「針尾送信所」で太平洋戦争開戦時、「ニイタカヤマノボレ一二〇八」を送信した場所ではないかと言われています。
当時日本は台湾を統治下においておりこのニイタカヤマは、台湾にある「新高山」(台湾名 玉山)。この山は3952mで富士山を抜き日本一だったそうです。
台湾の緯度が22°。ホノルルの緯度が21,19°。緯度も近くですね。


峠を下りていくと「宮」という町に入ります。
この「宮」には「無窮洞」というのがあります。

無窮洞は
無窮洞(むきゅうどう)』とは、第二次世界大戦のさなか(1943年)、当時の宮村国民学校の教師と小学生たちが掘った巨大な防空壕のことです。
中は幅約5m、奥行き約20m、生徒500人が避難できたというほどの大きさ。避難中でも授業や生活ができるように、教壇まで備えた教室をはじめ、
トイレや炊事場、食料倉庫、さらには天皇の写真を奉ずる御真影部屋まで設けてあり、戦時下の時代背景を知ることが出来ます。
当時4年生以上の児童がツルハシで堀り進み、女子生徒がノミで仕上げたといわれ、工事は昭和18年8月~終戦の昭和20年8月15日まで続けられたそうです。


現地では当時実際この洞くつを掘られた方が説明をされていました。天井のアーチなど小学生が一生懸命掘ったのでしょう。見事に出来上がっていました。
無窮洞の先を行くと「梅ヶ枝酒造」があります。
今日(26日)と明日(27日)には焼酎蔵開きが行われています。私、車で来ていますので試飲はせずじっと我慢していました。

梅ヶ枝酒造は天明7年(1787年)創業ですので今年で220年以上の歴史があります。


宮小学校正門前には「長競石」があります。

帰りは往きと違って平坦な道を通ります。途中コスモスがきれいでした。

JRハウステンボス駅の一つ手前に「南風崎(はえのさき)駅」があります。
終戦後大陸や南方に行かれた方が船で佐世保に帰り検疫をうけたあとこの駅からそれぞれの郷里に帰られたそうです。

梅ヶ枝酒造、針尾送信所、無窮洞、南風崎駅といい今日のウオーキングは「歴史」を感じるウオークでした。


帰りは新しい車で高速道を使わず一般道を通って帰りました。
一般道の方が燃費がいいみたいです。
スタートは、JRハウステンボス駅。
ハウステンボスは、1992年に開業したころ一度行きましたからもう20年ぶりでしょうか。
駅周辺もきれいになり目の前にはJR九州の大きなホテルも建っています。


駅から山道に入ります。
この辺りは、西海みかんの産地で側にはおいしそうなみかんが収穫を待っています。


峠の上に来ますと大村湾、ハウステンボスが一望できます。
この中の真ん中の塔は「針尾送信所」で太平洋戦争開戦時、「ニイタカヤマノボレ一二〇八」を送信した場所ではないかと言われています。
当時日本は台湾を統治下においておりこのニイタカヤマは、台湾にある「新高山」(台湾名 玉山)。この山は3952mで富士山を抜き日本一だったそうです。
台湾の緯度が22°。ホノルルの緯度が21,19°。緯度も近くですね。


峠を下りていくと「宮」という町に入ります。
この「宮」には「無窮洞」というのがあります。


無窮洞は
無窮洞(むきゅうどう)』とは、第二次世界大戦のさなか(1943年)、当時の宮村国民学校の教師と小学生たちが掘った巨大な防空壕のことです。
中は幅約5m、奥行き約20m、生徒500人が避難できたというほどの大きさ。避難中でも授業や生活ができるように、教壇まで備えた教室をはじめ、
トイレや炊事場、食料倉庫、さらには天皇の写真を奉ずる御真影部屋まで設けてあり、戦時下の時代背景を知ることが出来ます。
当時4年生以上の児童がツルハシで堀り進み、女子生徒がノミで仕上げたといわれ、工事は昭和18年8月~終戦の昭和20年8月15日まで続けられたそうです。




現地では当時実際この洞くつを掘られた方が説明をされていました。天井のアーチなど小学生が一生懸命掘ったのでしょう。見事に出来上がっていました。
無窮洞の先を行くと「梅ヶ枝酒造」があります。
今日(26日)と明日(27日)には焼酎蔵開きが行われています。私、車で来ていますので試飲はせずじっと我慢していました。


梅ヶ枝酒造は天明7年(1787年)創業ですので今年で220年以上の歴史があります。



宮小学校正門前には「長競石」があります。


帰りは往きと違って平坦な道を通ります。途中コスモスがきれいでした。


JRハウステンボス駅の一つ手前に「南風崎(はえのさき)駅」があります。
終戦後大陸や南方に行かれた方が船で佐世保に帰り検疫をうけたあとこの駅からそれぞれの郷里に帰られたそうです。



梅ヶ枝酒造、針尾送信所、無窮洞、南風崎駅といい今日のウオーキングは「歴史」を感じるウオークでした。



帰りは新しい車で高速道を使わず一般道を通って帰りました。
一般道の方が燃費がいいみたいです。